第1話 ダメの見本市
俺の剣が、朝焼けの空に吸い込まれていった。
くるん、くるん、とよく回る。我ながら見事な放物線だ。
「ロイぉぉ! てめえの剣が飛ぶのは今週で何度目だ!」
「六度目です! 拾ってきます!」
「数えてんじゃねえ!」
王都の下町、自警団の朝稽古。雑用係の俺は、薪割りのついでに端っこの素振りに混ぜてもらっている。もらっているんだが、どういうわけか、俺が剣を振ると剣のほうが俺の手から逃げていく。
団長のドズさん曰く、「握力の問題じゃねえ。お前の剣はお前に愛想を尽かしてる」とのことだ。ひどい言われようだが、週に六度も飛べば反論の余地がない。
畑に刺さった剣を引っこ抜いて、俺は駆け戻る。
「すみません、もう一回いいですか」
「……お前のその『もう一回』、俺は千回は聞いたぞ」
ドズさんは呆れ顔で、それでも列に俺を戻してくれた。いい人だ。
ちなみにこの後、俺は今週七度目を飛ばした。
◇
稽古の次は、マーサおばさんの食堂で皿洗いだ。
音を立てず、丁寧に、慎重に、そっと――
がしゃん。
「ロイ! あんた今日もかい!」
「割れました! 給金から引いてください! 次のは絶対割りません!」
「その台詞も千回聞いたよ!」
言いながら、マーサおばさんは怒っていない。俺の皿割りはもう、この食堂の朝の音の一部みたいなものだからだ。常連の荷馬車引きなんて、割れる音で「お、ロイが出勤したな」と時計代わりにしている。
名誉のために言っておくと、俺は手を抜いたことは一度もない。剣も、皿も、字の練習も、店番の釣り銭勘定も。全部、全力でやって、全部、綺麗にダメだった。
理由は、はっきりしている。
俺の腰にぶら下がった、手のひら大の石板――才牌のせいだ。
この世界じゃ、十五歳の「授才の儀」で、誰もが神様から才能を授かる。平民でも三つ。貴族なら十。王族の神童様ともなれば三十を超えるらしい。剣の才能があれば剣が上達し、商いの才能があれば銭勘定が冴える。才能の数と質が、そのまま人間の値段になる世界だ。
で、半年前、俺が授かった才能は――一つ。
しかも才牌に刻まれた名前が、これだ。
【■■■■■】
読めない。真っ黒。当然、発動もしない。
世間じゃこれを「文字化け」と呼ぶ。神様に見放された証。才能が三つある無才のほうがまだマシと言われる、世界最底辺のハズレ。
――半年前の、授才の儀の日のことは、今でもよく覚えている。
大神殿の広間に、十五になった子どもたちがずらりと並んで、一人ずつ祭壇の水盆に手を浸す。引き上げた手の中には、才牌。そこに神様が名前を刻んでくれる、人生で一番大事な日だ。
俺の前の順番だった肉屋のセドは、【怪力】【健脚】【値切り】の三枚を授かって、広間中の拍手をもらっていた。値切りの才能って何だ、と思ったが、あいつの母ちゃんは泣いて喜んでいた。いい儀式だなあ、と俺も思った。
で、俺の番。
水盆に手を入れて、引き上げて、手のひらの上に才牌が一枚。
まあ、孤児だし、一枚でも文句はない。問題は、そこに浮かんだ文字のほうだった。
「……ん?」
神官様が、首を傾げた。
「んん?」
二回傾げて、才牌を日にかざして、しまいには袖でごしごし拭いた。神器を袖で拭くのはどうなんだ、と俺でも思った。
「……読めん」
「あの、もう一回、水に浸けたらダメですか」
「ダメに決まっとろうが」
ダメだった。神官様は気の毒そうな顔で俺の肩を叩いて、「気を落とすな。無才でも人は生きられる」と言った。無才ですらない、とその日のうちに訂正されたけど。
――と、いうわけで。
「よお、文字化けのロイ! 今日は何を割った?」
「皿一枚! 記録更新中!」
「威張るんじゃねえよ!」
市場の連中が笑う。悪意のある笑いじゃない。この下町で俺は、「何をやってもダメだけど、何があってもやめない変な奴」として、まあまあ可愛がられている。……多分。可愛がられてると思いたい。
◇
「遅えぞ小僧。芋を三番倉庫に運べ。落とすなよ」
「行ってきます!」
昼は、雑貨屋のガルド爺の店で運び屋だ。俺の雇い主で、大家で、恩人で、王都一口の悪い爺さんである。
芋袋を担いで三歩目で、俺は石畳のへこみに躓いて盛大に転んだ。芋が転がる。通行人が笑う。
「……おい。今、何て言うか当ててやろうか」
「もう一回、担ぎます」
「ほれ見ろ」
ガルド爺は煙管をふかして、転がった芋を一つ拾い、俺の袋に放り込んだ。
「お前は本っ当に、何をやらせてもダメだな。俺の六十年の人生で一番ダメだ」
「知ってます」
「だが、途中で放り出したのは見たことがねえ」
「……それ、褒めてます?」
「褒めてねえ。呆れてんだ」
爺さんはそう言うが、俺は知っている。転がった芋を先に拾ってくれるのは、いつもこの爺さんだ。
俺は孤児だ。親の顔は知らない。孤児院を出てから、この店の物置に住まわせてもらって、朝から晩まで下町中の雑用を渡り歩く。それが俺の人生の全部だ。
才能がすべてのこの世界で、才能に一度も助けてもらえなかった十五年。
それでも、だ。
剣が飛んだら、拾ってもう一回。皿を割ったら、謝ってもう一回。転んだら、立ってもう一回。
だって、やめたらそこで終わりだけど、もう一回やれば、まだ途中だろ?
……と、いうようなことを言うと、ガルド爺は決まって「理屈が貧乏くせえ」と煙を吐くのだった。
◇
芋を運び終えた昼下がり、市場の大通りが、急にざわついた。
ざわめきはすぐに、悲鳴みたいな歓声に変わる。
「行列だ! 王家の行列が来るぞ!」
「なんでこんな下町に!?」
「アルディス様だ! 第三王子のアルディス様の馬車だ!」
アルディス第三王子。授才の儀で三十七の才能を授かった、建国以来の神童。
露店が慌てて道を空け、人垣が両脇に割れていく。白銀の騎士が先導する、黄金の馬車。下町の景色に、そこだけ別の世界が流れ込んできたみたいだった。
「小僧、見物なんぞしてねえで荷を――おい、ロイ?」
俺は、人垣の隙間から大通りの真ん中を見ていた。
行列の進路のど真ん中で、花売りの婆ちゃんが、ひっくり返した荷車の花を、たった一人で拾い集めていた。




