第18話 数える声
どれくらい経ったのか、わからなかった。
太陽の位置を確かめる余裕もなかった。ただ、石畳が朝より熱くなっていたから、昼は近いのだろうと思った。
俺はもう、まともに走れない。右腿が裂けているし、左の足首もどこかで捻った。
だから、待つ。
殴られて、転がって、立って、また待つ。継ぎ目を見るためだけに、そこに立ち続ける。
それだけの作業を、何度繰り返したか。
「――にじゅう、いち!」
◇
子どもの声だった。
最初は、耳鳴りの一種かと思った。
でも、次に転がされて、立ち上がった時、また聞こえた。
「にじゅう、に!」
声のした方を、腫れた目で探した。
人垣の一番前、柵の下から顔を出して、ピノが両手を口に当てて叫んでいた。
――何を数えてるんだ、あいつ。
わかった瞬間、変な笑いが出た。
俺が立った回数だ。
あいつ、朝からずっと、数えてたのか。
◇
「にじゅう、さん!」
二十三回目に立った時、声が二つになった。
ピノの隣で、マーサおばさんが叫んでいた。俺の皿割りを十年聞いてきた、あの太い声で。
「にじゅうよん!」
二十四回目。三つになった。ドズさんの声だ。自警団の詰所で朝稽古の号令をかけている、あの声。
「にじゅうご!」
二十五回目。五つ。六つ。
東門の花売りの婆ちゃんの、細い声が混じった。あの日、俺が荷を拾った婆ちゃんだ。
「にじゅうろく!」
帰りかけていた背中が、振り返り始めた。
なんだなんだ、と人が戻ってくる。何を数えてる、あの餓鬼は。あいつが立った数だとよ。は? 立った数? そんなもん数えてどうすんだ。
どうもしない。
どうもしないけど、二十七回目に立った時には、声は二十を超えていた。
◇
「――やめろ」
王子の声が、低くなった。
俺にではなく、観客に向かって言っていた。
「やめろ。数えるな」
誰も、やめなかった。
「にじゅうはち!」
王子の腰の帯が光る。【雷鳴】。俺は転がって、避けきれず、右肩に落ちた。焦げた匂いがする。自分の匂いだ。
立つ。
「にじゅうきゅう!」
声が、増える。
「さんじゅう!」
三十で、広場の半分が数えていた。
俺のことを知らない連中まで数えていた。今朝、王子の胴上げの練習をしていた奴らが、俺が立つたびに数を叫んでいた。
なぜ数えるのかは、たぶん誰も説明できない。俺にもできない。
ただ、人間は、数えられるものを見つけると、数えたくなる生き物なんだと思う。
◇
「さんじゅうご!」
三十五回目に立った時、俺の膝は、もう笑うのをやめていた。
笑うだけの元気もない、ということだ。
視界が狭い。音が遠い。指先の感覚がない。
でも、頭の中の一箇所だけが、やたらと冷たく澄んでいた。
――四回。
俺は、王子の切り替えを、四回、見た。
【剣聖】から【威圧】。前髪を払った。半歩。
【氷結】から【火焔】。剣を下げて構え直した。半歩。
【俊足】から【剛力】。踵で石を鳴らした。半歩。
【雷鳴】から【鉄壁】。顎を引いた。半歩。
所作は、毎回違う。
でも、半歩下がるのは、四回とも同じだった。
そして――四回とも、下がるのは、右足だ。
◇
「さんじゅうろく!」
三十六。
俺は舞台の中央に立って、息を吸った。吸うと、脇腹が悲鳴を上げた。
王子が、こちらを見ていた。
その顔は、もう、朝の作り物みたいな顔じゃなかった。
汗をかいていた。前髪が額に貼りついて、肩が上下していた。
三十七の才能を持つ王子が、才牌一枚の無才を相手に、息を切らしている。
――減ってるんだ。
フィナが言っていた。才能は魔力を食う。強い才能ほど、多く食う。切り替えるたびに、余分に食う。
王子は、朝からずっと、豪華な料理を出し続けている。
俺は、最初から、皿が空だ。
空の皿は、それ以上、減らない。
「――貴様」
王子が、掠れた声で言った。
「なぜ、まだ立っている」
俺は答えなかった。答える息がなかった。
代わりに、拳を握った。
その時。
「さんじゅうなな!」
広場が、三十七を数えた。
◇
声が、途切れた。
誰かが気づいたのだ。今の数が、何の数と同じか。
三十七。
王子の才牌の、枚数。
波が引くみたいに、広場が静まっていった。
王都中の人間が、同じことに気づいた沈黙だった。
――こいつ、三十七回、立ってる。
その静けさの中で。
柵にしがみついたフィナが、ありったけの声で叫んだ。
「ロイさん!! 次です!! 次の切り替えで、右!!」




