第17話 三十七の挨拶
二撃目は、火だった。
王子が指を鳴らすと、目の前の空気が膨らんで、赤くなった。
【火焔】。石壁を溶かした記録のあるやつだ。
避けられるわけがない。だから避けなかった。
俺は、火の来る方へ倒れた。
――火に飛び込んだんじゃない。火の「下」に転がり込んだ。ガルド爺の受け売りだ。炎ってのは上に伸びる。焚き火の一番熱いところは頭の上だ。石畳に頬をつけて這えば、熱の一番薄いところを通れる。
髪が焦げた。眉毛も持っていかれた気がする。背中の服が燃えて、転がって消した。
だが、生きていた。
立ち上がった俺を見て、王子の眉が、ほんのわずかに動いた。
「……ほう」
◇
三撃目は、氷だった。
足元から白い棘が生えて、俺は片足を持っていかれ、転んだ。転んだ先に、また棘。転がって、逃げて、また転ぶ。
四撃目は、雷。
五撃目は、風。
六撃目は――もう、数えるのをやめた。
◇
群衆の声が、変わっていくのがわかった。
最初は歓声だった。次に笑いになった。それから、だんだん、静かになった。
静かになったのは、感動したからじゃない。飽きたのだ。
「……まだやってんのか」
「見苦しいなあ。殿下も気の毒に」
「おい、そろそろ場所取り行こうぜ。午後の祭り」
人が、動き始めた。
舞台を囲んでいた人垣の、外側から、ぽつぽつと抜けていく。屋根の上の連中が降りていく。窓が閉まる。
誰も、俺が勝つとは思っていない。それは最初から知っていた。
でも、誰も、俺が「立っている」ことすら見ていないというのは、思っていたよりきつかった。
◇
石畳に、また転がった。
右肩が上がらない。肋骨のどこかが折れているか、ひびが入っている。左目は腫れて半分塞がっている。
視界の端で、フィナが柵にしがみついて、何かを叫んでいた。
声は届かない。群衆のざわめきと、耳鳴りで。
でも、口の形はわかった。
――ま・だ・で・す。
まだ、か。
そうだよな。まだ、継ぎ目が見えてない。
俺の仕事は、殴ることじゃない。見ることだ。
◇
斜めに、半歩前へ。
立ち上がる。
「……もう一回」
「――何度、言うつもりだ」
王子が、初めて、声に苛立ちを混ぜた。
「貴様は何も出来ていない。一発も返していない。ただ転がって、立つだけだ。それの、何が『もう一回』だ」
「はい」
俺は言った。息が切れて、途切れ途切れになった。
「でも、俺、それしか、やったことないので」
「……なに」
「剣の稽古も、七回飛んで、もう一回。皿洗いも、割って、もう一回。パンの配達も、道間違えて、もう一回。……十五年、それだけです。だから、それだけは、多分――」
俺は、腫れた目で王子を見た。
「殿下より、上手いです」
◇
広場が、ざわりとした。
帰りかけていた足の何本かが、止まった。
王子の顔から、表情が消えた。
「――思い上がるな」
腰の帯が、光った。
一枚ではなかった。三枚が、続けざまに。
【剣聖】。空から、光の刃が降ってきた。
俺は転んだ。転んで、避けきれずに、腿を裂かれた。
【威圧】。空気が重くなって、膝が勝手に折れた。骨が軋む音がした。
【千里眼】。逃げ道を、先に塞がれた。
石畳の上を、俺は這った。這うしかなかった。
――見ろ。
痛みの向こうで、俺は自分に言い聞かせた。
見ろ。今だ。切り替えてる。三枚を続けざまに。
【剣聖】から【威圧】へ。
その、間。
王子は――
◇
髪を、払った。
右手で、額にかかった白金の前髪を、優雅に。
その所作の、コンマ何秒か。
王子の重心が、後ろに。
――半歩。
◇
視界が白く飛んだ。次の一撃が来て、俺は舞台の端まで転がった。
でも、頭の中に、それだけが焼き付いていた。
半歩。
下がる。
瓦版の目撃談は、正しかった。フィナは正しかった。
王子は、才能を切り替える瞬間、必ず――後ろに半歩、下がる。
俺は、口の中の血を吐いた。
立ち上がろうとして、腕が滑って、また倒れた。もう一度。滑る。三度目で、やっと肘が石を掴んだ。
斜めに、半歩前へ。
「……もう一回」




