第16話 開幕
舞台の上は、思ったより広かった。
石畳を三十歩四方に切り出しただけの、飾りのない台。四隅に審判役の神官が立ち、その外側を、ぐるりと群衆が囲んでいる。見上げれば、屋根という屋根、窓という窓に人がぶら下がっていた。
王都に、こんなに人がいたのか。
その全員が、俺が負けるところを見に来ている。
「――下町のロイ! 才牌一枚、【■■■■■】!」
呼び出しの声が響いた瞬間、広場が笑いに沸いた。
文字化けの読み上げようがないから、係の神官が「ええと」と口ごもって、結局「一枚」とだけ言った。それがまた受けた。
「――第三王子アルディス殿下! 才牌、三十七!」
地鳴りのような歓声。
その中を、白い決闘装束が進んでくる。
◇
近くで見る王子は、思っていたより、若かった。
十七歳。俺の二つ上。背は俺より頭半分高くて、姿勢がまっすぐで、腰に巻いた才牌の帯が朝日を弾いて、金色に燃えていた。
顔立ちは、綺麗だった。作り物みたいに。
その顔が、俺を見て、少しだけ眉を寄せた。
「よく、逃げなかったな」
最初の一言が、それだった。
「逃げてくれてもよかった。国境まで見逃す手筈は整えてあった」
「……え」
「無才を潰しても、余の格は上がらん。逃げた者を追い散らした方が、絵になる」
王子は淡々と言った。嘘をついている顔ではなかった。
「なぜ、来た」
俺は、少し考えて、正直に答えた。
「拾い終わったので」
王子の目が、す、と細くなった。
「あの日、荷を拾い終わったら退きますって、言いました。拾い終わったので、退いて、それで――届け出があったので、来ました。順番通りです」
「……順番」
「はい」
王子は、しばらく俺を見ていた。
それから、笑った。愉快そうにではなく、何か、ひどく苦いものを飲み込むみたいに。
「余は、貴様のような者が、一番嫌いだ」
◇
審判の神官が、規定を読み上げた。
一、決闘は、審判が続行不能と判断するまで続く。
二、勝者は、敗者の才牌より一枚を、その場で譲り受ける。
三、命を奪うことは禁じられる。
三つ目のところで、群衆がまた沸いた。「殿下、手加減してやってくれー!」と誰かが叫んで、大笑いが起きた。
俺は、観客席の方をちらりと見た。
最前列の柵に、フィナがしがみつくようにして立っていた。解析の束を胸に抱えたままだ。目が合うと、彼女は口だけを動かした。
――た・お・れ・な・い・で・ま・つ。
俺は頷いた。
その隣の隣、人垣の隙間に、ピノの頭が見えた。マーサおばさんの大きな肩と、ドズさんの制服も。そのさらに後ろ、屋根の上に、煙管の煙が一筋、細く上がっていた。
……ああ、来てるのか。爺さん。
なんだか、少しだけ、息がしやすくなった。
「両者、構え」
◇
俺は、拳を握った。
剣は持ってこなかった。持っても飛ぶからだ。ガルド爺に「持っていくか」と聞かれて、「いえ、二本目を拾いに行く時間がもったいないので」と答えたら、爺さんは腹を抱えて笑っていた。
だから、俺の装備は拳一つと、擦り切れた服と、十五年ぶんの転び方だ。
王子は、構えなかった。
両手を下ろしたまま、まっすぐ立っている。腰の帯の才牌のうち、二枚が、うっすらと熱を持ったのがわかった。
――【危険感知】と【心身剛健】。常時点灯の二枚。フィナの解析通りだ。
合ってる。俺たちの読みは、合ってる。
「始め!」
◇
視界が、消えた。
何が起きたのかは、わからなかった。
わかったのは、背中に石畳の感触があって、口の中が鉄の味で、耳が鳴っていて、広場がわあっと沸いている、ということだけだった。
――【俊足】と【剛力】。
たぶん、そうだ。踏み込まれて、殴られた。それだけのことが、俺の目には一度も映らなかった。
舞台の端まで転がっていた。三十歩ぶんを、体一つで飛んだらしい。
「一撃だ! 終わりだぞ!」
「早すぎだろ、賭けにもならねえ!」
……ああ。
なるほど。
これが、三十七か。
俺は、石畳に手をついた。
ガルド爺の声が、頭の中で鳴った。――立つってのはな、元の場所に戻ることじゃねえ。前に出ることだ。
斜めに、半歩前へ。
俺は、立ち上がった。
広場の笑い声が、少しだけ、小さくなった。
「……もう一回」




