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無才の俺の文字化け才能は、勝つたびに名前が変わる ~【諦めない】から始まる、天才百人喰いの成り上がり~  作者: 燈野いさり
第1章 文字化けの一文字目

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第15話 転び方と立ち方

 決闘前夜。


 ガルド爺は、店の商品棚を全部壁際に寄せて、床に古い敷物を広げていた。


「来たか。始めるぞ」


「はい! ……あの、何を教えてもらえるんですか。剣ですか、拳ですか」


「アホか。一晩で剣が身につくなら、お前の剣は千回飛んどらん」


 ですよね。


 爺さんは煙管を置いて、敷物の真ん中に立った。


「教えるのは二つだけだ。――転び方と、立ち方。以上」


「……それ、俺の一番の得意分野ですけど」


「自己流のな。いいから来い。俺を押してみろ」


 言われた通り、両手で爺さんの肩を押した。


 次の瞬間、俺は天井を見ていた。


「……え?」


 投げられた? いや、違う。爺さんは俺に触ってすらいない。俺が押した力が、勝手にどこかへ消えて、俺だけが勝手に転んだ。


「見たか。力ってのはな、真っ向から受けるもんじゃねえ。逃がすもんだ。お前の自己流の転び方は九十点だが、残りの十点は『転ばされ方』だ。相手の力で転ぶときに、自分の転びに変える。そうすりゃ、百発もらっても百発分は効かねえ」


「……もう一回、お願いします!」


「言うと思ったわ」


 それから、夜通しだった。


 押されて、転んで、立つ。払われて、転んで、立つ。爺さんの掌は岩みたいに重くて、でも、転がされるたびに、体のどこで受ければ痛くないか、少しずつわかってくる。


「立ち方も直す。お前の立ち方は、律儀に真上に立ちすぎだ。打たれた後は、次の一発が来る方向へ『斜めに』立て。立ち上がりがそのまま、避けになる」


「斜めに……こう、ですか」


「違う。もう半歩前だ。……そうだ。いいか、坊主。立つってのはな、元の場所に戻ることじゃねえ。――前に出ることだ」


 立つのは、前に出ること。


 その一言は、なんだか、体より先に胸に入った。


   ◇


 空が白み始めた頃、爺さんは「終わりだ」と言って、敷物に座り込んだ。


 俺も隣に座った。全身が軋んでいたけど、不思議と、体は軽かった。


「……爺さん。一個、聞いていいですか」


「なんだ」


「爺さん、何者なんですか。今の技、雑貨屋の技じゃないですよね」


 爺さんは、しばらく黙って煙管をふかした。


「……昔な。お前みたいに、馬鹿みたいに立ち続ける奴らを、嫌ってほど見た時期がある。それだけだ」


 それ以上は、聞くなという横顔だった。だから聞かなかった。


「代わりに一つ、いいことを教えてやる。明日……いや、もう今日か。決闘場に立ったらな、坊主。お前は必ず、一度は『もう無理だ』と思う。体じゃなく、頭がそう言い出す瞬間が来る。三十七の才能ってのは、そういうもんだ」


「……はい」


「そのときはな、難しいことは考えるな。お前がいっつも言ってる、あれだけ言え」


「あれ?」


「あれだよ。千回聞かされて、俺の耳にこびりついとるわ」


 ……ああ。


 もう一回、か。


「なあ、爺さん。正直なところ――勝てると思うか?」


 爺さんは、煙をゆっくり吐いて、即答した。


「思わんね」


「はっきり言うなあ……」


「だが」


 煙の向こうで、爺さんは笑っていた。


「お前が途中でやめるとも、思わん」


   ◇


 決闘の朝が来た。


 下町から中央広場までの道は、人で埋まっていた。王都中が、今日の「見世物」に向かって流れていく。


「王子様の胴上げの練習しとくか!」


「決闘は昼までかからねえよ。午後は祭りだ祭り!」


「おい見ろ、あれ……歩いてくるぞ、文字化けの」


 人波が、俺の前だけ割れていく。好奇の目。嘲りの目。気の毒そうな目。街中の銅貨が王子の勝利に積まれ、街中の誰もが結果を知っている顔で、俺を見ていた。


 広場の入口で、フィナが待っていた。徹夜明けの顔で、分厚い解析の束を胸に抱えて。


「……作戦は、全部頭に入ってますね?」


「入ってます。倒れないで、待つ。継ぎ目を、見る」


「はい。……はい。それだけ、守ってください」


 群衆の向こう、石造りの舞台の上に、白い決闘装束の王子が立つのが見えた。三十七枚の才牌の帯が、朝日を弾いて黄金に光る。


 広場が、割れるような歓声で震えた。誰一人、俺の勝ちに賭けていない広場が。


 ……いや。一人だけ、いるんだった。銅貨十枚。


 俺は息を吸って、舞台への階段に、足をかけた。


 ――さあ。


 人生で一番でかい「もう一回」を、始めよう。


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