第14話 一・〇一倍の街
決闘まで、あと二日。
中央広場は、祭りの日みたいな人出だった。
王子アルディスの公開調練。石造りの決闘舞台の上に、白い調練着の王子が立っただけで、広場が揺れるほどの歓声が上がった。
俺はフィナと、群衆の後ろの方から見ていた。
「……始まります」
まず、【剣聖】。
近衛騎士が三人がかりで打ちかかって、六秒で三人とも剣を失った。剣筋なんて見えなかった。銀色の風が吹いたら、終わっていた。
次に、【火焔】と【氷結】。
舞台の上に火柱が立ち、それが一拍おいて氷の彫像に変わる。炎の薔薇が凍って、砕けて、光の粉になって降る。歓声が悲鳴みたいになった。
最後に、【剛力】。
王子が素振りのように腕を振ると、演習用の石壁が、鈍い音を立てて割れた。積んだ大人の背丈より高い石壁が、だ。
「――以上を以て、調練を終える」
王子は汗ひとつかいていなかった。群衆に向けて優雅に一礼し、それから、よく通る声で言った。
「二日後、この舞台で余に挑む不敬者に、慈悲深き諸君はどうか教えてやってほしい。……今からでも、泣いて詫びれば間に合うと」
どっ、と広場が笑った。
俺は、笑いの渦の真ん中で、じっと舞台を見ていた。
見るべきものは、見た。火柱と氷像の間の「一拍」。あの一瞬、王子は確かに髪を払った。記録の中の癖は、今も生きてる。それから、もう一つ――才能と才能の継ぎ目で、王子の重心が、ほんの半歩、後ろに落ちる。フィナも同じ場所でメモを走らせていた。
でも、それはそれとして。
「……すごいなあ」
思わず、素直な声が出た。隣のフィナが「今の見て感想がそれですか」という顔で俺を見た。
◇
その日の夜から、下町の空気は完全に固まった。
賭場の黒板は、こうなっていた。
『王子アルディス様 勝利:一・〇一倍(受付停止間近。皆様お早めに)』
『下町のロイ 勝利:五百倍(賭け札ゼロ)』
三百倍から五百倍に上がっていた。公開調練を見た誰もが王子に走ったせいで、倍率だけが虚しく膨らんでいく。街中の銅貨という銅貨が、王子の勝利に積まれていた。
「もはや賭けじゃねえ。両替だよ」
胴元のおっちゃんが、そう言って笑っていたらしい。
マーサおばさんの食堂でも、常連たちの話題はそれ一色だった。俺が入っていくと、一瞬、店がしんとなる。それから、みんな、優しかった。優しさの種類が、お見舞いのそれだった。
「ロイよう。……その、なんだ。骨は折っても、命だけは折るなよ」
「審判に止められたら、素直に止まれよ。意地張るな」
「明日の晩、うちで飯食ってけ。好きなもん作ってやるから」
最後のやつは完全に、あれだ。最後の晩餐というやつだ。
ピノは、店の隅で膝を抱えていた。俺が隣に座ると、しばらく黙って、それから小さな声で言った。
「……逃げてもいいんだよ、ロイ兄」
「ピノ」
「街のみんなだって、ほんとは怒らないよ。文字化けが王子様から逃げたって、当たり前だって言うだけだよ。だから……」
俺は、ピノの頭にぽんと手を載せた。
「なあ、ピノ。俺さ、明後日、勝つとか負けるとかの前に、一個だけ決めてることがあるんだ」
「……なに」
「途中でやめない。それだけ。……勝てるかは、正直わかんない。でも『やめない』は、俺が決めれば絶対そうなるだろ? 自分で決められることを、ちゃんと自分で決めとくんだ」
ピノは、ぐしゃぐしゃの顔で頷いた。
◇
店を出ると、外でフィナが待っていた。
「明日の夜が、最後の作戦会議ですね。……あ、その前に。ロイさん、私、今日、人生初のことをしてきました」
「?」
フィナは、ふふんと胸を張って、一枚の紙切れを見せた。
賭場の、賭け札だった。
『下町のロイ 勝利に 銅貨十枚』
「――賭け札ゼロ、終了です。今、王都であなたに賭けてるのは、私だけ。勝ったら金貨五枚。晩ご飯、おごってあげますね」
「……参謀」
「なんですか」
「銅貨十枚って、フィナさんの三日分の給金じゃ」
「言わないでください! 見習いの財布事情を!」
笑い合ってから、フィナは言った。
「じゃあ、また明日。……明日の夜は、ガルド爺さんのところでしょう? 例の、一晩だけの特訓」
ああ、そうだ。
いよいよ、前夜だ。




