第12話 王子さまの知らないこと
決闘まで、あと五日。
その日、フィナは記録の山の一番底から、古い興行新聞を引っ張り出した。
「見つけました。二年前の、王立学院の運動会」
「運動会? 決闘と関係あります?」
「あります。大ありです。この運動会、余興で『才能封じの徒競走』があったんです。全員が封才の腕輪をつけて、才能なしで走る、平等なかけっこ。で、アルディス殿下も出場予定だった、んですけど」
フィナは記事の一点を指した。
『殿下は当日、御体調を理由に出場を辞退された』
「体調不良。……まあ、そういう日もありますよ」
「一回ならね。これ、三年連続なんです。才能封じの余興のときだけ、ぴったり辞退。他の競技は全部出て、全部優勝してるのに」
「……偶然にしては」
「できすぎです。それでね、決定打はこれ。去年の社交界の噂話の欄」
フィナは瓦版の隅の、小さなゴシップ記事を読み上げた。
「『さる高貴な神童様、幼少より一度も転んだことがないと乳母が自慢。剣も学問も馬術も、初めての日から見事にこなされたとか』――ロイさん、これ、どういう意味かわかります?」
「羨ましい話だなって」
「違います! いえ、羨ましいですけど! そうじゃなくて」
フィナは板の前に立って、チョークを走らせた。
「三十七の才能って、生活の全部に補正がかかるんです。剣を握れば【剣聖】が正解の振り方に導く。走れば【俊足】が最適の走り方を作る。危険は【危険感知】が先回りで避けさせる。つまり殿下は、生まれてから今まで――」
チョークが、止まった。
「――『失敗』を、一回もしたことがない」
資料室が、静かになった。
「転んだことがない。外したことがない。じゃあ、転んだあとどう立つかも、外したあとどう立て直すかも、知らないんです。必要がなかったから。才能が全部先回りしてくれたから。……才能封じの徒競走から逃げ続けたのは、多分、本人か周りが薄々わかってたからです。補正のない自分が、何もできないかもしれないって」
俺は、腕を組んで考えた。
正直、最初に浮かんだのは、作戦のことじゃなかった。
「……それって、ちょっと、怖くないですか」
「え?」
「一回も失敗できない人生って。失敗したら『初めて』が、王都中が見てる決闘の場で来るかもしれないんですよ。……俺なら怖いです。失敗の練習、一回もしてないのに本番って」
フィナは、きょとんとした顔で俺を見た。
「……ロイさん、あなた、自分を百発殴る予定の相手の心配してます?」
「あ。いや、そういうわけじゃ」
「ふふ。……でも、その優しさ、多分そのまま武器になりますよ」
フィナは板に、大きく書いた。
『王子は、失敗からの立て直しを知らない』
『ロイは、失敗からの立て直し「しか」知らない』
「これが、この決闘のほんとうの構図です。三十七対ゼロじゃない。『失敗を知らない三つ』対『失敗の専門家』。……ロイさんの十五年は、無駄じゃなかったんです。あなたは世界で一番、転び方と立ち方の場数を踏んでる」
場数。
剣を千回飛ばして、千回拾いに行った。皿を割って、割らない持ち方を毎朝試した。石畳で転んで、痛くない転び方を体が勝手に覚えた。あれが全部、場数。
「……作戦、まとまってきましたね」
「はい。整理します」
フィナは指を三本立てた。
「一つ。序盤、王子の三つの才能の猛攻を、死なずにしのぐ。倒れてもいい、立てなくなるのだけ駄目」
「二つ。しのぎながら、切り替えの『癖』を本番の目で確かめる。記録の中の癖が、今も残ってるか」
「三つ。王子に『初めての失敗』をさせる。一発でいい。人生で一度も外したことのない人が、公衆の面前で外したとき、何が起きるか――そこからが、本当の勝負です」
完璧な作戦だと思った。一番の問題は。
「……その『死なずにしのぐ』が、一番難しいやつでは」
「そうなんです! だから、ロイさん」
フィナは、ぐっと身を乗り出した。
「残りの五日、解析は私が引き受けます。あなたは体の準備を。――誰か、才能なしの体の使い方を教えられる人、心当たりないですか?」
心当たりは、一人しかいなかった。
煙管をふかした、王都一口の悪い顔が浮かぶ。
「……います。多分、王都で一番、頼みにくい人ですけど」




