8 紋章
「ここでいくら見ていても仕方がない。できるだけ見張りを静かに始末して中に入ろう。そしてまずホブゴブリンを見つけて倒してしまう。そうすれば後は雑魚ばかりだ。二人の力で一網打尽だろう」
「それなら」
俺は見張りを始末する役を買って出た。
二体のゴブリンが一直線に見える位置に移動して隠れている茂みの中から手をかざす。小さなかまいたちが二匹のゴブリンの首をはねるイメージをして唱えた。
『風よ』
発した言葉は会話で使っているのとは違う言語だった。古代語、この時代より古い言葉で大気に、この世界に呪をもって命じた。「風よ、形無き刃となって切り裂け」と。
本来ならより細かく言葉にすることで魔法は安定して確実に行使されるのだが使い手の腕がいいほど詠唱は簡略化される。つまりリュラは結構な使い手だったのだ。
瞬時に心臓から全身に熱いものが溢れる感覚がして最後には掲げた右手に集約する。右手の甲に円形と波しぶきのような模様が青く浮かび出した。
魔法はイメージの通りに行使された。小さな風の刃が音もなく飛んでいき二匹の首を落した後大気に消える。後には声もなく絶命した二匹の死体だけが残った。
手の甲の奇妙な模様を見て思い出す。これは紋章であると。
それはかつての魔神大戦のおり、神と人の間にできた四人の子、のちに聖四氏族と呼ばれる四つの領主の家系に神から授けられた力。
紋章を持つ者は本来この「人間界」の生物が操ることのできない「魔力」を操ることができる。また他者に「ゲアス」を配ることで配下にできる。配下となった者もまた魔力を操ることが出るようになり、「ゲッシュ」で行動を縛ることもできる。
紋章には大紋章と小紋章があり、神の子の始祖である四人の直系の子に小紋章が現れ、その中から当主の座を継いだ一人が大紋章の持ち主となる。大紋章を継いだ当主の血筋だけが直系と見なされ、当主にならなかった小紋章の持ち主とその配下は大紋章の主の配下となる。
魔力とは操ることができずともすべての生物が持っているものであり、配下とした者の魔力を紋章の主は行使することができる。
つまりはこの世界で魔力を操る「魔法」を使えるのは紋章を持つ領主の家系とその配下だけであり、俺が魔法使いの犯行を疑ったのは身内や他の領主を疑ったことになる。神の血筋とされる神聖な自分たちの存在を。
それは無暗にうなずけないわけだ。
「さすが。死骸を適当に隠して潜入しよう」
ヒューと口笛を吹いてからスレインが言う。
二人が茂みから出てきて適当にゴブリンの首と胴体を藪の中に放った。
俺も茂みから出て二人の横に行くとフォスさんが俺の手の甲を見て言う。
「満月とそれにかかる荒波。満月は完全な存在を、荒波は我らが海神の勇姿を現しているのですね。素晴らしい紋章です」
「お、本当だ。初めて見たぜ神の子の証。月っていいよな神秘的な感じでさ」
何か感じ入るようなフォスさんに比べスレインは軽妙な調子で言った。リュラが神の子であるならこの男の態度は少し軽ぎないか?俺としては接しやすくて助かるが。
しかしチート能力も特典武器もなしに転生かよと思っていたが、神の子だったとは恐れ入る。正直言ってなんだかめんどくさそうな立場だ。もっと普通の金持ちの家の子とか下級貴族とかがよかったな。貧乏はしたくない。
俺たちはスレインを先頭に一列でゴブリンの巣に入ることになった。傾斜をしばらく下っているが一向に分かれ道にぶつからない。明かりはなく入り口から入る光だけが頼りだったがやはり夜目が聞くので問題なかった。
古代遺跡でゴブリンにリンチに合わされたときあれだけ殴られて骨が折れていなかったことに驚いたが、それは紋章を持っていたからだった。魔力を操れる者は自分の体内の魔力を使って常に身体を強化することができる。異様に夜目が効くのもその効果の一つだったのだ。
数十メートルはゆるい傾斜を下っただろうか。巨大化したアリの巣のようなものを想像していたがこれではモグラの穴の方が近いなと考えていたところ、先頭のスレインが極小さい声で「行き止まりだ」と言ってきた。
よく見ると穴が途切れている。どういうことだろう、これではただの横穴だがそんなもののために二匹も見張りを立てるのはどう考えてもおかしい。
「いや、違う。下に穴がある」
スレインが行き止まりまでたどり着いたとき声を上げた。よく見ると彼の足元がほのかに明るい。そこには直径四メートル程の大きな穴が開いていた。
背後に気配がないことを確認して三人でその穴の淵から中の様子を伺ってみる。中も相変わらず薄暗いがこの横穴よりは光源があるようだった。
「これは、遺跡でしょうか」
フォスさんが言ったように穴の中は丘の上にあったあの古代遺跡のような造りに見えた。下穴の周りには石材が露出していてその一部を引きはがして天井部分に穴を穿ち、今いる横穴につなげていた。内部は完全に石材で覆われた空間になっていてなかなかに広そうだ。そして絶えずぺたぺたと裸足の足音が聞こえてくる。
「ゴブリンの作った物ではないな。おそらくこれも古代の地下神殿か何かなんだろう。どうやって奴らがここのことを知ったのかはわからないがな」
「古代の地下神殿、というとあなた方のような者が使っていた場所でしょうか?」
フォスさんの言葉には警戒と、さもすれば敵意のような響きまで含まれていた。スレインを見る目つきも鋭い。
しかし、当のスレインはまるで彼女のその反応を予想していたかのように相変わらず飄々としていた。
「そうかもな。といっても俺もこんな場所に古代の遺跡があるとは知らなかったよ。よく混同されてる別の女神の神殿かもしれないしな」
「あなたはどちらですか?」
そう聞いたフォスさんの手は腰の剣を握っていた。
一人状況が飲み込めていない俺はそろりそろりと後ろに退避する。
そして気が付いたがスレインの手も背中の剣の柄を握っていた。
「よく気が付いたな。どこで?」
「熊を倒した時の身のこなし、それから何よりその湾曲した剣。隠すつもりもなかったでしょう」
お互いにまだ剣は抜いていない。先に柄から手を離したのはスレインの方だった。
両手を広げて見せて敵意がないことを示しながら言う。
「そこまでわかっておきながら二つの信仰の区別はつけてくれてないなんてな。俺はセレーネ教の信者だよ。エクトス教の方じゃない。あっちは同じ湾曲刀でもロングソード派なんだ。俺のは短いだろ」
確かにスレインが腰に差している剣は刃渡り三十センチ程でロングソードというには短い。それを聞いてもフォスさんはまだ柄から手を離さなかった。
「自分はセレーネ教信者で我々に敵意はないと誓いなさい。自分の神にだ」
「我が神に誓って私はただの純朴なセレーネ信者でお二方に敵意はありません。これで満足か?」
それを聞いてフォスさんはやっと柄から手を離した。俺は恐る恐る聞いてみる。
「セレーネ教とエクトス教って何?」
「……セレーネ教徒は月に猫が住んでいると妄信していて魔術を使う奇人の集まりです。エクトス教徒は月にカエルが住んでいると信じていてこちらは奇人ばかりか気狂いの集まりです」
フォスさんは汚らわしいと言わんばかりに顔を歪めて説明してくれる。それを聞いてもスレインは肩をすくめるばかりだった。
とりあえずスレインはマイナー宗教の危なくない方を信仰していて、これから会う相手がエクトス教徒だと名乗ったら警戒した方がいいのだと理解した。
てかフォスさんって思ったより口が悪いな。




