7 大森林
「いや、深く考えて言ったわけではないんだ。ただ思いついただけで」
「……確かに、その可能性は有りえる」
「いいえ、有りえない」
スレインが嫌に慎重に肯定してそれをフォスさんが即座に否定した。目を合わせた両者の間に奇妙な緊張が走る。
「その発言は神意への反抗と見なし得る。撤回するべきです」
「神意とやらに歯向かうつもりはないが、これは可能性の話だ。何より言い出したのは当のご本人様じゃないか」
よくわからないが魔法使いが犯人では相当まずいらしい。その可能性を疑うだけでも危ういくらいに。そして魔法使いを疑うことは神意に背くことで、神意とは魔法使いご本人。
この世界では魔法使いは神に仕えている立ち場だったりするのだろうか?
というか神官と魔法使いは別物なのか?いや、別の言葉として知識にあるのだからそうなのだろう。しかしそこになんの違いがあるのかまでは思い出せない。俺からしたらゴブリンを光で叩きのめすのもかまいたちで両断するのも同じ不思議能力だ。
「とりあえず、今この場では結論は出ないだろう。ゴブリン以外の可能性にも気を配るということで一旦進まないか?このまま時間を無駄にしていたら夜がきてしまう」
まだ日は高いがここに来るまでに体感で二、三時間はかかった。夜は魔物が活発らしいので帰りの道のりも考えると時間を無駄にしていられないだろう。そして微妙な雰囲気のまま三人で暗い森の中に入った。
森の中は本当に暗かったが太い道が整備されているので歩くのに不便はない。その上この体は異常に夜目が効くようで暗さにもかかわらず視界は明瞭だった。
が、両脇に立ち並ぶ太い幹の陰からいつゴブリンが襲ってくるともわからないと思うとどうにも不気味で些細な葉のこすれる音でもびくりとしてしまう自分がいた。
先頭を行くスレインが後ろ手で俺とフォスさんに止まるよう合図をする。注意の向く先を見るとそこの草陰がガサガサと揺れていた。明らかに風の仕業ではない。
スレインが腰に差していた剣を抜き姿勢を低く構える。フォスさんも手の平を掲げていつでも神聖術を打てる構えを取った。
俺も一応手を構える。これは村長を蹴ったときの記憶を思いだしたときに直感したことだが、俺は今風の魔法を使える。気がする。
古代遺跡で魔法の出し方を思い出せていればリンチにあうこともなかった気がするがどうだったろうか……。
ひょっこりと、茂みから顔を出したのは小さな黒い顔だった。熊である、それも子熊だ。だがでかい。顔のあどけなさから子熊だと判断したがそれにしては大きすぎないか?すでに成獣の黒熊くらいはある。なのに顔は愛くるしい。
「なんだ、ただの熊か。母熊も近くにいるかもしれないから気をつけろ」
スレインが少し拍子抜けした声で言ってくる。やはり子熊なのか……。じゃあ母熊はいったいどれほど──
子熊は警戒しているのか顔を出してこちらをただ伺っている。と、その横の茂みがさらに揺れた。今度の揺れは激しく何なら茂みの上から黒い頭頂部がはみ出ている。
母熊が姿を現した。立ち上がっていない状態で既に二メートルはありそうな程でかい。しかしなんだか痩せてる気がする。
「よしよしそのまま通り過ぎろ。俺たちは夕飯を取りに来たわけではないんだ」
スレインが静かな声で話しかける。余裕そうだが正直言って俺はゴブリンより巨大熊の方がよっぽど恐ろしかった。
数舜の睨み合いの果て、母熊はスレインに襲い掛かった。俺とフォスさんが詠唱しようと口を開きかけたがスレインの動きはそれ以上に早い。
突進してくる熊に一歩踏み込むと熊が繰り出してきた右フックを横にずれて躱し、立ち上がった熊の懐に入り込む。
スレインが剣を引き抜く動作をして後ろに下がると母熊は前のめりにどさりと崩れた。その喉からは絶え間なく血が流れている。
全ての動作が流れるようで一瞬の出来事だった。
「ずいぶんと鍛えているようですね」
「いやあ、ゴブリンの巣に単身で突撃できる程ではないよ」
フォスさんは少しこの青年のことを警戒しているようだった。そしてそれは俺も同じ。ただの村の若者がここまで腕が立つものだろうか?ここが異世界だからか?
「本当にすごいな。どうしてそんなに腕が立つんだ?」
「なに、盗賊なんかに警戒しなくちゃならんからな。こういうときのためにも」
スレインはそれだけ言ってまた先を歩き出す。母熊の亡きがらの匂いを嗅いでいる子熊を横目に俺たちもそれに続いた。
けっこう森の奥深くにまで来たとき、一本の木を見てスレインは歩みを止めた。
「ここだ。俺がゴブリンを見かけたのは。目印をつけておいたから間違いない」
そう言ってスレインは手を伸ばして木の幹の高い位置を指さした。そこには丸く刀傷がつけられている。
「この木から右の方で悲鳴がした。そして遺体になった農夫とそれを引きずるゴブリンを見つけたんだ」
そう言いながらスレインはガサガサと道を外れて左の藪に入っていく。それについて行くと少しもしないうちに開けた場所が見えた。そこには赤い実をつけた青々とした茂みがある。
見た瞬間に思い出した。あの赤い実はルラの実といってああして一つの房にいくつもの実が上向きにつくことから食べた者に「子宝、財、才能」をもたらすとされている縁起のいい果実である。誕生日に振る舞われることが多く、味も甘くて美味しい。
そしてそんな縁起のいい実のなる茂みの前に赤い血だまりとそれを引きずった跡があった。よく見るとルラの茂みに焼かれた痕跡がある。
「おそらくここで実を摘んでいた時に殺されて、遺体を下っ端に巣まで運ばれてたんだと思う」
「そうすると巣はこの先ですか」
血の跡は途中で途切れそこにも血だまりがあった。それはおそらくスレインが倒したゴブリンのものだろう。だが死体はない。
「俺はゴブリンの死体はここに放置して行った。回収したのはおそらく仲間のゴブリンだろう。奴らの肉は熊ですら食べないが共食いをするからな。だったら、お、あったあった」
スレインが何もない地面を指さして言う。そこにはよくよく見ると小さな足跡と点々とした赤黒い血の跡があった。
「この痕跡をたどれば巣につけるはずだ」
スレインは痕跡を見失うことなく簡単に巣を見つけてみせた。
それは一見してただの地面に開いた穴のようだった。一辺が5メートルはありそうな四角い穴でなだらかな斜面が地中に向かって伸びている。穴の前には二匹のゴブリンが見張りとして立っていた。
「どうする?」
俺は思いのほか巣があっさりと見つかってしまったので正直拍子抜けしていた。
しかしこの巣の規模がどの程度のものなのかはわからない。無策で突っ込んでいいものなのだろうか。




