3 ゴブリンと神官戦士
覗いたのは醜悪としか言いようのない怪物の顔だった。
比喩ではない、実際にそれは人間に似て人間ではない人外の何かだった。
緑色の肌、嫌に大きな顔面、先がとがって垂れ下がった耳、黄ばんだ鋭い目、黄ばんだ鋭い歯。そんな怪物が扉をこじ開けて今にも飛び掛からんという表情で舌なめずりをしながら俺を見ていた。
というかあれだ、これはゴブリンというやつだ。存在しない記憶がそう言っているので多分そうだ。
ゴブリン、「妖精界」と「人間界」の狭間に住まう妖精であり魔物。妖精界で生まれ禁域を渡って二つの世界を行き来し、人間界においては山中や森の中の地中に巣を作る。起源は妖精族でありながら人間の肉を好んで食べるため魔物にも類する。魔法を使うことはほぼなく稀に使用できる個体は「ホブゴブリン」という。
というのが存在しない記憶というか知識として頭によぎった。なんというか、所謂「ファンタジー物」に出てくるあのゴブリンとほぼ同じようである。つまりここは魔物のいる世界観の異世界らしい。
察するにリュラの持っていた知識や体験した記憶を俺は思い出すという形で知ることができるのだろう。そして思い出した結果今自分がかなりまずい状況にあることが理解できた。
なぜならゴブリンに関する知識にはこうもあったからだ。
一匹一匹の危険度は低いが基本的に群れで行動するため一匹見つけたら近くに十匹はいると思った方がいい、と。
んなゴキブリみたいことあるかよ。
しかし覗いている顔の奥には無数の陰がちらついている。
俺の引きつった顔を十分に堪能したのかついにゴブリンは扉を押し開いて部屋の中へと入ってきた。へし折られた閂が床に落ちる乾いた音が無情に響く。
「来るな!」
松明を掲げて見せるもゴブリンたちは全く怖がるそぶりを見せない。
数は七匹、皆一メートルほどの身長しかないが横に大きくがっしりとした体形をしいていた。手にはこん棒やら今さっき折れた閂の残骸やら各々の武器を持っている。なによりにやけた口に除く狼のような鋭い牙が恐ろしい。
半円を描くようにゆっくりと俺を囲い込み、飛び掛かる隙を見計らってくる。
松明ではとても太刀打ちできない。そう思った俺は必死に武器はないかと体中を探ると腰の背中側に刺されていた一本の短剣に気が付いた。引き抜いてみると冷たく冴えた刃が姿を現す。それを見たゴブリンたちの顔から一気に笑みが消えた。それでも一向に引く気配はない。
左手に松明、右手に短剣を構えてみるがどうすることもできない。悲しいかな、俺は根っからの文科系だ。昔から運動神経が悪く、もちろん剣などろくに握ったことがない。
この窮地を抜け出すためにはそれこそ魔法が使えでもしなければ無理なのだがそんな能力を持っていたとは思い出せない。
絶体絶命である。
「ギィエエェェ!」
俺の真正面に立っていたゴブリンが雄たけびを上げた。分散していた俺の注意が奴に集まった瞬間右斜めに位置どっていた一体が突っ込んできた。手にしたこん棒を振り上げて俺の血が滴る右腕めがけて振り下ろしてくる。
咄嗟に左手の松明を突き出しこん棒が届く前にゴブリンの顔に押し当てた。肉の焼けるジュッという感覚がしてゴブリンがギャアギャアという悲鳴を上げて飛び退る。
ホッとしたのと同時に背中に痛みが走った。
「ゔっ」
あまりの痛みにまともに悲鳴も出なかった。腰のあたりを殴られたようで、かろうじて倒れずに振り向くと閂を持ったゴブリンが二撃目を振り上ていた。
それが届くよりも先に右足に衝撃が走る。立っていられなくなり地に伏せてから後は一方的だった。
下ごしらえで叩かれる肉の気持ちを味合わされる。四方から無遠慮に叩かれ続け気が付けば松明も短剣も手放して頭を抱えていた。
なんとか開いた視界に顔をただれさせたゴブリンが興奮した様子で近づいてくるのが映る。その手には銀色の光を反射させる短剣が握られていた。その切っ先が俺の眼球を狙って振り上げられる。
あ、これは死ぬ。そう思った瞬間俺は全力で叫んでいた。
「助けてーーー!!」
両目をつぶって腹の底から叫んだ。叫んでいる最中に顔面に蹴りを入れられ声が途切れるが構わず叫び続ける。
「誰かっ、ごあっ、助けて!!」
みっともないとかプライドとか心底どうでもよかった。助けてくれるなら誰でもいい。痛いのは嫌だし死にたくない。その一心で助けを呼び続ける。
ヒュッ
頭上で風を切る音がして思わず目を開けると刃先が吸い込まれるように眼前に迫っていた。
ああ無念、せっかく転生したのにもう死ぬのかよ。
もう一度目をつむってそう独り言ちる。が、いっこうに俺の眼球は潰されも抉られもしなかった。
おそるおそる目を開けると開け放たれた扉の向こうから白い閃光が飛び出して来ていた。
その白い光は妙な質量を伴っており、二本、三本と追撃が来るたびに俺の上にあった気配が後方に吹き飛んでいく。
「ご無事ですか?」
群がっていた最後の一匹が壁に叩きつけられたとき、その人物はゆったりとした足取りで部屋の中に入ってきてそう言った。
低い落ち着き払った声だった。
それは俺が初めて聞く言語だったが意味は当然のように理解できたし、俺の口から出てきたお礼の言葉も初めて口にする発音にもかかわらず常用語であるかの如く滑らかだった。(大いにしゃがれてはいたが)
「はい、ありがとうございます」
全身が痛むが頭を守ったおかげか意識は問題がなさそうだった。何とか立ち上がることもでき、涙で滲む視界で命の恩人の方を見る。
天使がそこに立っていると思った。
緑とも青ともつかない淡い色の長髪を後ろで一つに結んでいる。髪の色よりも濃い瞳は静かな水底のようで、肌は大理石の如く白い。すらりとした一切の贅肉のない四肢を白い布地の服に包んでいる。
その雰囲気は神に使える神官のようでもあり、けれども手にしている細身の剣と一切のゆがみのない背筋が戦士の風格も感じさせた。
女神は自分のことを「人外級」の美貌と称していいたがこの目の前の麗人もまた女神とは別ベクトルで人とは思えない美貌の持ち主であった。
「ここにいるゴブリンがこの巣の最後の生き残りです。あなたはコンロ村の方ですか?」
そう言うや否や麗人は不思議な発音(今度は理解できなかった)で何かをつぶやき水滴を飛ばすような動きでぱっとゴブリンに手をむける。その指にはめられていた黄金の指輪が赤く輝く。すると例の白い光が立ち上がりかけていた瀕死のゴブリンに直撃し、ゴブリンは二度と動かなくなった。




