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20 踏んだり蹴ったり

 上映が初まる。


 もはや慣れつつあるあの感覚である。記憶にない記憶を思い出す。

いつもは一瞬で無数の情報が流れ込んでくるのだが今回は違うらしい。少し長い物語が再生されるようだ。


 

 閉じ込められてどれだけの年月が経ったのかわからない。

 ここは暗くて、じめじめしていて、狭くて寒い。あるのは隅で転がっているネズミだけ。


 食事は日に一度パンとスープだけが差し入れられるが排泄にも出してもらえないと悟ってからは口を付けていない。


 私が第三再臨の段階にまで達していなければとっくの昔に死んでいただろう。けれども死にはしないとはいえ空腹は感じる。常にガンガンと殴られ続けるような頭痛がする。喉が渇いて呼吸さえ苦しい。あまりの飢餓感におかしくなりそうだ。

 

 最初はこの狭くて暗い空間が恐ろしかったが空腹で考えられなくなってからは何も感じなくなった。食事が差し出せれるたびに出してくれと懇願するのももうやめた。


 食事係が言っていた。俺は用済みになったのだと。あとは処分を待つ身なのだと。


 意味が分からない。

 これまでずっとガラズィオス家始まって以来の才能の持ち主だと、次期領主は私で間違いがないと言われて生きてきたのに。


 私に用済みだと言ってきてスープの入った皿を投げつけてきた使用人とてそうだった。つい数日前まで俺の前でこびへつらい機嫌を取ってきたのに。この家で俺に大きな態度を取る者など父上以外にいなかったというのに。あの兄たちでさえ俺の言葉に逆らわなかった。


 けれどももう俺の言葉を聞くものは誰もいない。


 手も届かない高い位置にある小さな格子窓を眺めるだけの日々が過ぎる。

 魔法は使えない。最後に母に会ったとき紋章に細工をされた。それ以来どんなに古代語を唱えても何の変化も起こりはしない。

 

 俺をこの部屋に入れた召使の、魔法を使えないと俺が知った瞬間の表情が脳に焼き付いている。


 ああ、あれほど嫌いだった潮風が今は恋しい。夕日に染まる海をもう一度見たい。


 もしこの部屋を出られたなら、もう誰も信じない。召使いも、母も、父も誰も信じずただ自分一人だけの言葉に従おう。

 そうでなければ私にふさわしい立場は守れないのだ。人間なんて優し気な顔をしていても結局は内心に黒いものを飼っている。誰しもがそうに違いない。


 もう過ちは犯さない。油断もしない。だからどうか私をふさわしい世界に戻してほしい。

 そしたらもう二度と自分の特権を手放したりなどするものか。


 今日も目の前の扉は開かなない。わざわざ恨み言と共に皿をぶつけられたあの日以来一度も。

 足音が近づいてくる。もうすぐ小さな潜り扉から食事だけが差し出されるのだ。ネズミの食事だ。


 そうなるはずだった。

 

 ギィ


 錆びついた音と共に一条の光が降ってくる。


「なんだ、錆びついているのか?」


 知らない男の声だった。いつもの召使いではない。


 ギイイイ


 無理な音が建てられて扉が開いていく。光の筋がゆっくりと太くなっていく。

 

 立ち上がりたかったが地についた手は力が入らずかくんと折れた。眩しさに目を開けていられない。


「おお、なんということだ。さあ、このブーマンがあなた様をお迎えにあがりました」


 開き切らない視界に手が差し伸べられる。

 俺はその手を、取ってしまった。



 俺は伸ばされた手を取っている。

 それまでただ眺めるだけだった景色が実感を伴いだす。

 

 飢餓感、眩しさ、頭痛、のどの渇き、希望


 これで救われるのだと思った。

 その瞬間、左腕の傷が目に入る。


 ぱっくり割れた十字の傷。赤々とした血を滴らせるそれはまるで怪物の目のよう。

そう、俺を見ている。


「うわあああああ」


 傷口が裂けだす。

 たまらなくなって取っていた手を放す。


 全身の皮膚が裏返るのではないかという勢いで傷が広がっていく。激痛を伴って。


 俺は狭い部屋の中に倒れ伏した。血だまりが出来ている。

 忘れるな、と言われている気がした。


「わあああああああああ!」


 自分の叫んでいる声がする。起き上がろうとしたが身動きが取れない。


「黙れ!」


「おいっ逃げるな!」


 がんっと後頭部に衝撃が走って俺は完全に目を覚ました。が、眠気とは別のもので頭がくらくらする。容赦のない一撃をくらったらしい。


「追え!絶対に逃がすなよ!」


 俺を羽交い絞めにしている男が叫んでいる。無理やり立たされて髪を掴まれた。喉元に冷たい感触。


「とまれ!この男がどうなってもいいのか!」


 視界の奥で一頭の黒馬が急停止した。騎手の浅瀬色の髪が闇夜にひるがえる。

 視界はぶれてまともに像を結ばなかったが目が合っている気がした。


 白馬が彼女に向かっていく。

 彼女は俺に背を向けて去っていった。


「ちっ、なんだあの馬。あれじゃ遅すぎて捕まらねぇじゃねぇか!」


 背後で男が悪態をついている。

 フォスさんったら、初めから一人で逃げ切るつもりだったんじゃないか。なら止まったりしなければいいのに。


 そんなことをぼやける思考で考えていたら「おら、飲め」と口を無理やり開けさせられる。口元に硬い何かが当たってとろりとした液体を流し込まれた。


 絶対に飲み込みたくなかったが上を向かされていてはどうにもならず、俺は結局その液体を飲み下してしまった。



 目が覚める。頬の下に土よりも冷たい感触がして俺は意識を失う直前のことを思い出した。

 寝込みを襲われたのだ。そして俺はフォスさんに見捨てられて一人捕まった。


 ガバリと上体を起こす。以外なことに目眩も体の痛みもなく意識ははっきりとしていた。


「お目覚めかい?」


 少し高い位置から疲れた中年男の声で話しかけられた。

 見上げると鉄格子の向こうで腕に入れ墨のある男が木の椅子に座っているのが目に入る。俺は大きな人間用の檻に入れられていた。


「ここは?」


「以外に落ち着いてるじゃねぇか魔法使いさん」


 そう言って男が立ちあがる。そして俺の前まで来てしゃがみ込んで目線を合わせてきた。


「ここはヘッファブ。奴隷窟だよ」


 そう言いながら男は俺の手元を指さしてきた。見るとそこには木の手錠があった。


「……俺は売られるのか?」


「はっ、話が早いねぇ。そうだ。お前はお仲間に裏切られて売られるのさ。大した情報も持ってなかったナツイコ君よ」


 氷水をぶっかけられたかのような衝撃が走った。


「今、なんて?」


「イヌーカ・ナツイコ。それがお前の名前だろ。魔術師に薬盛られてペラペラしゃべってたぞ。親は医者で出身はセーダイ島。神殿の獲物の女とはつい一昨日会ったばかりで追われている理由も目的も知らない。その見た目で小島の出身とはね、混血か?」


 薬と言われて意識を失う直前に飲まされた液体のことを思い出す。意識のないうちに真実を喋らせる薬があるとは。魔術というのは恐ろしい。

 けれどもしゃべったのが前世の方の情報だったのは不幸中の幸いだったのかもしれない。この状況で領主の子だとバレるのは危険な気がする。


「魔法なら使えねぇよ。首を見て見な」


 うつむいて黙りこくっている俺が何かを企んでいるように見えたのか男が忠告してくる。言われるがまま男が向けてくる鏡を見た。


 そこに移っていたのは紺色の髪に琥珀色の瞳をした十五、六歳ほどの少年だった。意志の強そうな切れ長の目をしていて顔立ちは非常に整っている。

 そして高慢そうな雰囲気をした少年の顔の下、首元にはシルリアにあったのと同じ黒い痣の輪が浮かんでいた。


「お前は意識がないうちに奴隷になったんだ。お前を奴隷にした魔術師は特別でね。なんと紋章の契約を奴隷の契約で上書きできるんだと。だからお前はもうリュラ・ガラズィオスのお気に入りじゃない。ただの奴隷だ。わかったら諦めてせいぜいいい飼い主に飼われるよう祈ることだな」


 それだけ言うと男は俺に興味を失ったように元の位置に戻っていった。


 ここはテントの中らしく、外はもう大分明るい。周りをよく見てみると他にも俺の入っているのと同じような檻がいくつか置いてあり中に人が入っている。

 皆一様にうつむいて暗い顔をしていた。これから奴隷として売られる人間の顔だった。

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