19 これからのこと
あの後すぐに俺とフォスさんは宿を出た。
「どうする?別の宿に泊まるか、ここを発つか」
俺はさっき着替えた外套のフードを目深にかぶって隣を歩くフォスさんに質問した。
「申し訳ありませんがもうこの町を出ましょう。闇市に知られてしまった以上どこに泊っても筒抜けかもしれません。今夜は野宿です」
「わかった」
俺としてもあんなことが起きてはもうこの町に滞在する気にはなれない。大分あたりは暗くなってきていたがヘッファブを発つことに異論はなかった。
入ってきた街道沿いの町の出入り口に急ぐ。
薄暮の町にはランタンが灯されていき、その灯りと共に賑わいが増していく。
その人ごみの中を俺たちだけが逆行していた。歩いている間にも誰かにつけられてはいないかと気が気でない。
もはや行きかう酔っ払いの全員が怪しく思えた。
早歩きで駆け抜けてやっと馬を預けていた出入り口横の厩舎にたどり着く。
明日の朝までと言っていたので馬屋番の男に怪訝な顔をされたが代金を支払って馬を出してもらう。
ヘッファブの町が背後で豆粒ほどの大きさになったとき、俺はやっと張り詰めていた気持ちがほどけた。
「手首を。治療させてください」
「え、ああそう言えば」
町を離れることに夢中で傷のことなど忘れていた。思い出した途端痛みだした数個の穴はまだ血を滴らせ続けている。
フォスさんが神聖術で手首を治療してくれている間、俺はぼんやりしながら彼女の首に残る赤い筋を眺めていた。もう血は出ていない。
大した怪我はしていないのに二人とも死地から生還したばかりのように疲れ切っていた。
「申し訳ありません。私の事情に巻き込んだばかりに」
「はは、もっと早く言ってほしかったかな。ああ、言えなかったのか」
「申し訳ありません」
街道の周りは相変わらず、ぽつぽつと生えている低木と川が流れているほかに何もない。だだっ広い起伏のある草地である。
次第に本格的な夜が訪れ頭上で青白い月と星々が輝き始めた。
「今日はあそこの木の下で休みましょう」
フォスさんが指さす先には比較的大きな一本の木が生えていた。俺たちはその木に馬を繋いで横になる。布団も枕もない硬い土の上だったが肌寒くも熱くもない気候なのが不幸中の幸いだった。
俺は目をつむったまま隣で背を向けているフォスさんに聞いてみる。
「フォスさん、今っていつ頃でしたっけ?」
「今はカレンデュラの節です」
つまりは6月である。この世界は一年が十か月で一月は二十九日。三年に一度閏年があり月の名称には花の名前が付けられている。
カレンデュラは花びらが多い黄色や赤の花で花言葉は悲嘆、悲しさ、失望、そして再生、復活。
おお、リュラ少年は案外ロマンチストだったのかもしれない。俺は花言葉なんて一つも知らなかったぞ。
そんなことを考えていると今度はフォスさんが話しかけてきた。
「リュラ様は今後どうされるおつもりなのですか?」
なんのことを聞かれているのか分からなかった。
これからとりあえずリュラの家、ガラズィオス城に戻る。そしてこの腕の呪いに従ってネロリィ・ガラズィオスを亡き者にする。その次はブーマン・ケンエンを……。
そこまで考えて俺はふと思いついた。何も素直に呪いに従わなくても解呪さえできてしまえばいいのではないか、と。
自分があんな死に方をするくらいなら、と思っていたがそれでも殺人など犯したくはない。その上領主の息子が兄弟を殺したなどとあっては仮にうまくいっても何らかの処罰を受けることだろう。
だったら残り28日の間に解呪の方法を探すほうがむしろ安全なやり方なのではなかろうか?
……だけれども、解呪した結果俺はどうなるのだろう。俺がこの体に召喚されたのも呪いの結果なら、俺は解呪によって元の世界の死んだ肉体に魂が戻るのだろうか?
もしそうだとしたら、この体で人を殺してまで生き続けるのと罪を犯さず大人しく死者に戻ることのどちらが俺にとってよい選択なんだろう。
すぐには答えが出せそうにない。
「とりあえず家に戻って、後のことはそれから考える」
「次の領主になるおつもりはないのですか?」
思考の斜め上からの質問をされて思わず寝返りを打ってフォスさんの方を向く。いつの間にか彼女も俺の方に顔を向けていたらしく横になったまま目が合った。
「……次の領主は父上が決めることだ」
急病により昏睡状態らしい現領主。正しくはまだその権力はリュラたちの父にあるはずなのだが今は兄たちが勝手をしているらしい。コンロ村で聞きかじった話しかわからないが。
「もしもう二度とお目覚めにならなかったら?」
そうなれば次期領主の座は空白になる、のか?でも多くの場合は、
「一番上の兄上が領主になるんじゃないか?」
フォスさんはいつもの無表情で感情が読めない。けれどもこれを言った瞬間俺と彼女の間の夜闇が一段と濃くなった錯覚がした。
「……リュラさまはフォカス様の支配下に入るおつもりでいるということですか?」
「え!?」
俺が他人の支配下に?そんな想像は一切していなかったので驚いた拍子に思わず起き上がってしまった。
「大きな声はお控えください。月の女神に目をつけられます」
不思議な言いまわしで腕を引かれて地に伏せられる。
それは「夜に騒いではいけない」というニュアンスの言葉だった。セレーネ教とエクトス教の神が月の女神であることからくる説教で、寝ない子に母親が言い聞かせるのによく使われる。
この場合は野盗や野獣に警戒しろということだろう。
「俺が兄上の支配下になるって話は?」
フォカスとはガラズィオス家の長男の名である。
それを聞いて思い出したがリュラは四人兄弟。長兄フォカスと次兄ネロリィとは異母兄弟であり、三男リュラとその下の四男シグナスは母親が同じ。そして異母であるなしに関わらず兄弟仲がすこぶる悪い。
そしてもう一つ思い出す。
領主が次期領主を指名せずに亡くなった場合、小紋章持ちの子供の間で大紋章の主が決められることになることを。
その場合大紋章の主の決め方には二通りある。他の小紋章の主が一人の主を選んで支配下に入る場合。そして支配下に入らない他の小紋章の主が全滅した場合。
前者のやり方で次期領主を決められれば血は流れず平和的に解決できる。しかし後者のやり方であった場合は兄弟間で血で血を洗う争いをすることになる。
長いアトラス島の歴史でこういった状況は幾度となく繰り返されてきた。そのして多くの場合後者のやり方で次の領主が決められたのである。果たしてガラズィオス家の兄弟たちは平和に主を決められるだろうか?
絶対に無理である。兄弟間の具体的な記憶は思い出せないがリュラの持っていた「肉親」という言葉への嫌悪感が俺にそう確信させる。
「いや、そうだよな。兄を選ぶってそういうことか……」
俺が自問自答しているのをフォスさんはジッと見てきた。そして満を持したように口を開く。
「私はリュラ様にこそ領主になっていただきたいのです」
これを言われるのは二度目だった。一日目の夜にも同じことを言われて配下にしてくれと頼まれたのだった。そして二日目の夜、また同じことを言われている。
『リュラ様にはぜひこのガラズィオス領の領主になっていただきたいのです』
その言葉を思い出して俺はもう一つの言葉を思い出す。
『我に正当なる地位をもたらし給え!』
リュラの言う地位とはもしや領主のことではないだろうか?父が病衰している今、それしか考えられない。
俺は無意識に左腕の傷痕に手を伸ばした。そして昨夜見た夢を思い出す。あんな思いは例え夢の中であっても二度と味わいたくない。
眠るのが怖い。また恐ろしい夢を見てしまうの気がする。けれども健康優良児である俺はあたりが暗いと眠気が抑えられない。
睡魔が地面につけた頭の裏から着実に這い上がってくる。
「どうしてフォスさんは俺を領主にしたいのさ」
船をこぎ出した意識の中で聞きたかったことをかろうじて口にする。
人殺しになるか死体に戻るか、この異界の地でどう生きていくのか。自分で決めるのは面倒だった。
この先どうしたいかなんてわからない。犬飼夏彦だった時もそうだった。特にやりたいこともなく周りに流されて生きていた。けれども向こうでは何となく大学に入って何となく就職するものだと思っていた。
でも今は?流してくる周りはいない。いるのは隣にいる彼女だけ。もし俺が納得して気持ちよく流されるだけの理由をくれるのならそれに従うのもいいかもしれない。
夢うつつでそんなことを考えていた俺にフォスさんが答える。
「私があなたに出会ったからです」
なんだそれ、と思いながら俺は眠りの淵に落ちていった。




