14 灰色の乙女
神殿、このアトラス島においてただ神殿と言われればそれは海神を祭る神殿のことを指す。
ここではセレーネ教徒やエクトス教徒、その他周辺の小島から連れてこられた者たちの土着信仰者などの少数以外の全てが海神を崇めている。
それは自分たちの王が海神の子孫であるとされているためであり、神の子がこの地に誕生する以前から続く信仰でもある。
かつてこの島にもたらされたという魔の侵攻、それを打ち破った神聖な血を引く統治者たち。海神への信仰を表明しないことは統治者への反逆と同義であった。
しかし、リュラの考えによると王や領主の持つ権力と神殿が保有する権力とは必ずしも同一のものではないとのことだった。今や同じ神への信仰心を根源にしながらこの島の権力は神の血筋と神殿とに二分されている。
多くの民にとっては関係のない話でも一部の貴族や財産持ちにとってはどちらに忠誠心を持つかでどちらかを敵に回しかねない選択になる。
長い時をかけて人の手によって繁栄したアトラス島で、神の威光は人の欲に濡れた権力に挿げ替えられたのだ。
と、いうのがリュラの持つ認識だ。リュラはどちらのことも同じくらい嫌っていたらしい。そして俺としてはもちろん何の意見もない。
だから神の子として神殿についてどう思うかと聞かれれば、
「別にどうとも」
である。
「それはあまり関心がないという意味ですか?」
「そう捉えてもらって構わない」
数舜、俺のことを探るように見つめてきたフォスさんだったが息を吐き出し「それを聞いて安心いたしました」と言う。
「スレインに対する態度を見てそうではないかと思っていました。神殿は異教徒へのあたりが強いですが、王は海神信仰者以外への庇護も宣言しておられますから」
「ああ、それでスレインにあたりがきつかったのか?」
「つい癖で。それに彼がエクトス教徒の可能性もありましたから」
癖で差別的に接するとは恐れ入る。そしてやはりエクトス教徒はやばいのか。
「それで?」
肝心のフォスさんの事情を聞こうとしたとき、道の先から弦を弾く音色と姦しい笑い声が聞こえてきた。
フォスさんが「続きはまた後で」と言って精霊の加護を解く。結局何も聞けなかった。
音のする方に目を凝らすと大きな木の下に人が集まっていた。色とりどりの服に身を包んだ少女たちとそれに囲まれて小さな竪琴のような楽器を弾いている男が一人。
あれはリラという楽器らしい。男の腕前は確かで耳心地のいい音色が晴天の下に響く。前奏が終わり、男が朗々とした歌声で歌いだした。
茫々たる海、ヘラクレスの柱の向こう
海神の血、地上に降りたちて黄金の剣にらば
邪悪なる魔王の軍勢は逃げまどいぬ
大しけに散る飛沫のごとく
海をも両断せる宝剣ハルミデースは
太陽のかけらを鍛えたるなり
神の船アノメトリには見えざる翼あり
その姿鳥が空を駆けるがごとく
天空に月は二つなく
地上に天子はただ一人!
地上に魔、再びはびこるとき勇者は再び選ばれる
剣もてかの天命を受ける者は誰ぞ
男が歌い終わるのを待っていたかのようにひと際強い風が吹いた。
少女たちの一人の帽子が巻き上げられて飛んでいく。縫い付けてある玉が光を反射して鈍く輝いた。
悲鳴が上がる中帽子を飛ばされた少女はそれを追って駆けだした。帽子にまとめられていた髪が風に広がる。少女の動きは存外に早く斜面を蹴って跳ね上がると見事、捕まえて見せた。が、
「落ちる!」
さらに甲高い悲鳴と共に水しぶきが上がる。少女は帽子を掴んだまま川に落ちた。
「溺れてません?」
フォスさんが言う通り少女は顔を上げても流れに翻弄されてすぐに沈むを繰り返していた。そして徐々に沈みながら下流のこちらに流されてくる。
「神聖術でどうにかならない!?」
「そんな便利な術はありません」
言っている間にも少女は俺たちの脇を通り過ぎようとしていた。
「っ、ままよ!」
俺は川に飛び込んだ。
水泳は25メートルプールをギリギリ泳ぎ切れるくらいの腕前だ。ちなみに平泳ぎはできない。
水に入った瞬間視界がきかなくなったが運よくすぐさま少女を捕まえることができた。そしてさらに運が良いことに少女はぐったりとして全く動く気配がない。既に気を失っているようだ。
昔小学校の防災訓練で聞いたことを思い出す。
流れがある川に落ちたときは逆らわず流されるままに岸を目指す!
リュラの体はものすごい力で水流を蹴り進んだ。きっと元の俺の体であったら少女を抱えて対岸に上がることなどできなかっただろう。
陸地に上がっても少女はピクリとも動かなかった。フォスさんは対岸で右往左往している。
口に手を当てると息をしていない。
周りには俺一人。
俺は自動車学校で習った心肺蘇生法の記憶を思い出した。
「助けていただきありがとうございます」
あの短時間でよくもこんなに飲めたものだと感心するほどの大量の水を吐き切った後、少女は案外けろっとした顔でお礼を言ってきた。
俺は無意識に掴んでいた黒い帽子を手渡してやる。
年のころは十五、六。灰色の髪に紫紺の瞳をした美少女だ。着ていた薄手の服が水分を含んで肌に張り付いている。その様が子供のくせに妙に煽情的に感じて俺は頭を振ることで髪の水気と共に邪念を振り払った。
「もう少し行くと橋が架かっている。そこで落ち合おう」
対岸で初老の男が叫んでいる。少女が「はい、スキーロ様」と叫び返した。
俺もフォスさんと橋を渡って落ち合うことにして川を挟んで前進を再開する。
「天気がよくて助かりました。この日差しなら次の町につくまでに服も乾きましょう」
少女は名をシルリアと名乗った。行動力とは裏腹に低い落ち着いた声で話す大人しい印象を受ける子供だ。
「君がいきなり川に飛び込んだときは驚いたよ」
「気に入っている帽子でしたから、つい」
そう言ってシルリアが手にした帽子を振って見せる。黒地に白い玉が縫い付けてある高級そうな代物だった。
「それが全部真珠だったりするのか?」
「その通りです。マーファ島の東の海でとれる銀葉真珠です」
「ああ道理で、高級品だもんな」
マーファ島。アトラス島の西にある小さな島であり植民地。原産は銀葉貝から取れる真珠と奴隷。
と、リュラの記憶を思い出して一瞬ぎょっとした。この世界には奴隷がいるのかと。
まあ、この文明レベルならいるか……。
リュラの記憶によるとアトラス島にいる奴隷は主に植民地支配している周辺の小島から売られてきた人々だ。その他に現地人であっても罪を犯し、罰として奴隷に堕とされることもある。
奴隷は魔術によって主に縛られ、その首元に「呪枷」と呼ばれる黒い輪が浮かぶ。
そこまで思い出して俺は無意識にシルリアの首元を確認してしまう。
しかし、シルリアは太い金色の首飾りを着けていて確認することはできなかった。
「お連れ様とはご夫婦ですか?」
「いいや、違うよ。ただの道ずれだ。君たちは祖父と孫か?」
対岸を歩く初老の男とそれを取り囲む三人の少女たちを見る。男は五十代前半くらいに見える。他の少女たちは皆シルリアよりも幼げで十歳前後のようだ。しかしシルリアくらいの子がいるのだからひょっとしたら父親だろうか?
「いいえ、あの方はご主人様です」
「ご主人様?じゃあ君たちはメイドかなにか?」
俺がそう聞くとシルリアは丸めた手を口に当ててふふふと笑う。その反応についさっき自分がしたことを思い出し嫌な予感がした。
「私たちはあの方のお世話をしているのです」
そう言ってシルリアが重そうな金の首飾りをずらして見せる。その下にあったのは白い肌だけではなく黒い文字の羅列でできた禍々しい輪であった。
お読みいただきありがとうございます
歌の部分は某有名戦記物をほぼそのまま参考にさせていただきました




