第3話「もふもふとの出会いは、温かいスープと共に」
忘却の荒野での初めての夜は、驚くほど快適だった。
土から生まれたベッドのおかげでぐっすり眠れたし、頑丈な土壁と丸太小屋が、夜行性の魔物の気配を完全にシャットアウトしてくれた。
朝、鳥のさえずりで目を覚ますなんて、一体いつ以来だろうか。前世の社畜時代も、勇者パーティー時代も、常に緊張と疲労の中にいた。
(最高の一日の始まりだな)
俺は大きく伸びをすると、早速行動を開始した。
朝食は、もちろん昨日収穫した極上のポテトだ。シンプルに焼き芋にしてみたが、蜜があふれ出すほどの甘さで、これまた絶品だった。
今日の目標は、周辺の探索と、新たな食料の確保だ。
いつまでも芋だけというわけにはいかない。それに、生活に必要な道具や、新たな作物の種も見つけたい。
拠点の周りを囲む土壁に、自分で扉を取り付ける。これもスキルを使えば一瞬だ。
外に出ると、ひんやりとした朝の空気が気持ちいい。荒野とはいえ、朝日を浴びてきらめく朝露は美しいものだ。
(さて、どっちに行くか)
周囲を見渡すと、西側にはごつごつした岩山が、東側にはまばらな木々が生えた森が広がっている。
森の方が、何か見つかる可能性は高そうだ。俺はクワを杖代わりに、東の森へと足を踏み入れた。
森の中は、思ったよりも静かだった。時折、小動物が駆け抜ける音がするくらいで、魔物の気配は感じられない。俺の拠点周辺は、スキルの影響で浄化でもされているのだろうか。
三十分ほど歩いただろうか。
不意に、ガサガサッという草むらの音と共に、小さな悲鳴が聞こえた。
「きゃっ!」
子供のような、女の子の声だ。
こんな場所に人が? いや、それよりも何かトラブルに巻き込まれているのかもしれない。
俺は音のした方へ、慎重に近づいていった。
茂みの隙間から覗き込むと、そこには信じられない光景が広がっていた。
三人の屈強な男たちが、一人の小さな女の子を囲んでいた。
男たちは皆、薄汚れた革鎧を身につけ、錆びた剣を手にしている。冒険者か、あるいは単なるごろつきか。
そして、彼らに囲まれている女の子は……人間ではなかった。
頭からは長く伸びた獣の耳。腰からは丸い尻尾。銀色の髪を震わせ、大きな赤い瞳に涙を浮かべている。
兎人族の少女だ。
「おい、こいつどうする? 金目のものは何も持ってねえぞ」
「亜人だ。奴隷商に売れば、そこそこの値段にはなるだろ」
「ははっ、そいつはいい! さあ、お嬢ちゃん、大人しくこっちに来な」
下品な笑いを浮かべながら、男の一人が少女に手を伸ばす。
少女は怯えて後ずさるが、すぐに別の男に腕を掴まれてしまった。
「いやっ! 離して!」
(……許せない)
その光景を見た瞬間、俺の頭にカッと血が上った。
理由なんてない。ただ、か弱い女の子が、理不尽な暴力に晒されているのが許せなかった。
勇者パーティーにいた頃は、見て見ぬふりしかできなかった。だが、今の俺は違う。
俺は茂みから飛び出し、男たちの前に立ちはだかった。
「その子を離せ」
突然現れた俺に、男たちは驚いた顔を向ける。
「あ? なんだてめえ。冒険者か?」
「農夫にしか見えねえが。クワなんか持って、畑仕事の帰りかよ?」
「英雄ごっこはよしな、坊主。こいつは俺たちが見つけた獲物だ。横取りするってんなら、てめえから先に斬り刻んでやるぜ」
男たちは、俺を格下と見て完全に舐めきっている。
まあ、無理もない。今の俺の格好は、ただの村人Aだ。
(どうする? 戦闘経験なんてほとんどない。でも、ここで引くわけにはいかない)
俺はクワを握る手に力を込めた。
『創生の庭園』は、戦闘用のスキルじゃない。だが、土を操ることはできる。
「もう一度言う。その子を、離せ」
俺が低い声で言い放つと、男たちは顔を見合わせて大笑いした。
「威勢だけはいいじゃねえか! やっちまえ!」
一人の男が、錆びた剣を振りかぶり、俺に襲いかかってきた。
速い! これが実戦か。勇者たちの戦いを遠くから見ていたのとは、ワケが違う。
だが、不思議と体は動いた。
(スキル発動! 『アースウォール』!)
俺がそう念じた瞬間、俺と男との間に、ドゴン! という轟音と共に、分厚い土の壁が出現した。
男の剣は壁に突き刺さり、びくともしない。
男の喉がひゅっと鳴り、錆びた剣を取り落とした。額からにじんだ脂汗が、汚れた頬を伝い落ちる。
その隙を、俺は見逃さなかった。
(『アースハンド』!)
男の足元の地面が、巨大な手の形に隆起し、その足首をがっちりと掴んだ。
「ぐわっ!? 動けねえ!」
残りの二人も、何が起こったのかわからず呆然としている。
「お前ら……何をした!」
「土魔法か!? くそっ、聞いてねえぞ!」
俺はクワの先端を、リーダー格の男に向けた。
「今すぐその子を解放して、ここから消えろ。さもないと、こいつみたいに地面に埋めてやる」
俺の言葉に、男たちは無意識に後ずさった。
リーダー格の男は、掴んでいた少女の腕を乱暴に突き放すと、仲間を睨みつけた。
「お、覚えてやがれ! 行くぞ!」
男たちは捕まっていた仲間を引きずり出し、転がるように逃げていった。
静寂が戻る。
俺は深く息を吐き出して、その場にへたり込んだ。心臓がバクバク言っている。正直、めちゃくちゃ怖かった。
「あ、あの……」
か細い声に、はっと我に返る。
朝靄の中で振り返った少女の赤い瞳は、恐怖で濡れた苔のように深い色を帯び、長く尖った兎の耳の輪郭が朝日に透けて淡い赤に染まっていた。
「だ、大丈夫だったか? 怪我はない?」
俺はできるだけ優しい声で話しかけた。
少女は小さくうなずく。
「あの人たちを追い払ってくれて……ありがとうございます」
丁寧にお辞儀をする少女。
どうやら、悪い子ではなさそうだ。
「どういたしまして。でも、なぜあんな奴らに絡まれてたんだ?」
「……お腹が空いて、食べ物を探してたら……見つかって……」
少女の声は、尻すぼみになっていく。
よく見ると、彼女はかなり痩せていて、着ている服もボロボロだ。ずっと、ろくなものを食べていないのだろう。
(そうか……亜人は、人間から迫害されてるって話だったな)
この国では、人間至上主義が根強く、亜人は差別や迫害の対象になっている。彼女も、住処を追われて一人で彷徨っていたのかもしれない。
放っておけない。
「……俺の家に来ないか? 温かいスープと、雨風をしのげるベッドがある。お腹いっぱい食べさせてやるよ」
俺の提案に、少女はびくっと体を震わせた。赤い瞳が、信じられないというように大きく見開かれる。
「え……? でも、わたし……兎人族、です……」
「そんなの、関係ないだろ。困ってる奴がいたら助ける。当たり前のことだ」
俺が笑いかけると、少女の瞳から、ぽろりと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「う……うぅ……」
声を上げて泣きじゃくる少女を、俺は拠点の丸太小屋へと連れて帰った。
名前はルルというらしい。
俺は早速、自慢のポテトを使って、温かいポタージュスープを作ってやった。前世で少しだけ料理をかじっていたのが役に立った。
最初は遠慮がちだったルルも、一口スープを飲むと、目をまん丸くして、あとは夢中で食べ始めた。
「おいしい……こんなに美味しいもの、初めて食べました……」
空になった皿を抱きしめて、幸せそうに微笑むルル。
その姿を見て、俺の胸の奥にも静かな熱が広がっていくのを感じた。
この出会いが、俺の楽園作りに、かけがえのない彩りを加えてくれることになる。
空になった皿を抱きしめるルルに温かいお茶を淹れながら、俺は薪の弾ける音に耳を澄ませた。




