第30話 「森に残った焦げ跡」
【ちょこっと焼豚ミニ劇場 前編】「決戦前に、作戦とお肉を!」
リシェル「いよいよ決戦です! 三人で力を合わせて、《焦刻片》を破壊します!」
アイリス「私は光と拘束で援護します! 今度こそ、みんなで勝ちましょう!」
ノエル「……敵の予測を裏切る。準備はできているわ」
ジュージュー仙人「うむ! 敵がこちらを学習するなら、こちらは敵の予測を裏切る! そして、決戦前には腹ごしらえじゃ!」
リシェル「作戦会議からお肉の話に飛ぶの、やめてもらえますか!?」
アイリス「師匠、もう食べたんじゃ……?」
ジュージュー仙人「先ほどのは前菜じゃ。決戦前の肉は、勝利を呼び込む神聖な儀式なのじゃ!」
ノエル「……ただ食べたいだけでは?」
ジュージュー仙人「失敬な! わしは肉の声を聞いておる!」
リシェル「敵の声も聞いてください!」
ジュージュー仙人「ほっほっほ! では、参ろうか。仲間を信じ、焦らず、最後の一撃を見極めるのじゃ!」
アイリス「はい!」
ノエル「……今度こそ、三人で」
リシェル「絶対に勝ちましょう!」
ジュージュー仙人「勝利の祝いは、厚切り焼豚で決まりじゃな!」
リシェル「まだ勝ってませんからーーーっ!!」
――三人の連携が、ついに決着を導く!
第30話「森に残った焦げ跡」――開幕じゃ!
――森が、悲鳴を上げた。
ノエルの剣が刻んだ《焦刻片》の亀裂。
そこから漏れ出した黒と赤の光が、まるで生き物のように脈打っていた。
ピシッ。
小さな音が響く。
次の瞬間、魔物の全身が大きく痙攣した。
「……っ!?」
ノエルが剣を構え直す。
魔物の額に埋め込まれた結晶。その亀裂が広がるたび、周囲の空気が歪み、地面に黒い紋様が走っていく。
魔力が膨れ上がっていた。
弱まるどころか、先ほどまでとは比べものにならないほどに。
「そんな……! 《焦刻片》に亀裂が入ったのに、どうして魔力が増しているの!?」
リシェルが声を上げる。
魔物が吼えた。
轟音とともに、周囲の木々が揺れる。地面を覆っていた落ち葉が巻き上がり、黒い魔力の奔流に呑み込まれていった。
「きゃあっ!」
アイリスが光の防壁を展開する。
直後、魔物の放った衝撃波が防壁を直撃した。
――バァンッ!!
光が激しく明滅する。
アイリスの身体が後方へ押し戻され、靴底が地面を削った。
「くっ……! なんて力……!」
ノエルが前へ出ようとする。
しかし、その瞬間だった。
魔物の頭部が動く。
ノエルの踏み込みを予測したかのように、鋭い爪が彼女の進路を塞いだ。
「……っ!」
ノエルは咄嗟に身をひねる。
爪が髪をかすめ、背後の樹木を深々とえぐった。
もし、あと一瞬でも反応が遅れていたら。
考えるだけで、背筋が冷たくなる。
魔物の身体から、さらに黒い魔力が噴き出した。
まるで、壊れる寸前の《焦刻片》が、残された力をすべて絞り出しているかのようだった。
リシェルは歯を食いしばる。
(このままじゃ、さっきまでの作戦は通用しない……!)
敵は、こちらの攻撃を学習していた。
そして今、最後の力を使ってでも、こちらを押し潰そうとしている。
アイリスの防壁は長くもたない。
ノエルが正面から受け止め続ければ、いずれ限界が来る。
自分の魔法だけで敵の動きを制御することもできない。
三人の力を合わせても、まだ足りないのか。
そんな考えが、リシェルの脳裏をよぎった。
そのとき。
「――焦るでない」
不意に、穏やかな声が響いた。
ジュージュー仙人だった。
魔物が暴れ、木々が折れ、地面が揺れているというのに、仙人はいつものように飄々と立っていた。
「焦れば、見えるものも見えなくなる。今、おぬしたちが見るべきものは何じゃ?」
「……敵の動き、ですか?」
リシェルが尋ねる。
「それも一つじゃな」
仙人は、三人を順に見た。
「じゃが、それだけではあるまい」
ノエルは剣を握り直した。
アイリスは、揺らぐ防壁の向こうで魔物を見据える。
リシェルは二人の位置を確認した。
――そうだ。
敵のことだけを見ていてはいけない。
自分が何をできるのか。
仲間が何をできるのか。
そして、仲間が作ってくれる隙を、自分はどう生かせるのか。
三人は、もう一人で戦っているわけではない。
リシェルは顔を上げた。
「ノエル! アイリス!」
二人がこちらを見る。
「今度こそ、全員で!」
その声に、ノエルは短く頷いた。
「……うん!」
アイリスも、まっすぐに答えた。
「はい!」
三人の視線が交わる。
言葉を交わさずとも、互いの役割が分かっていた。
ノエルが前衛。
アイリスが防御と光、そして拘束。
リシェルが指揮と分析、魔法による支援。
誰か一人がすべてを背負うのではない。
それぞれができることを持ち寄り、互いの足りない部分を補う。
それが、今の三人の戦い方だった。
「ノエル、正面から敵を引きつけてください! ただし、攻撃を受け止めようとしないで!」
「……分かった」
「アイリス、光で敵の視界を乱しながら、足元を拘束してください!」
「やってみます!」
「私は魔力の流れを変えます。《焦刻片》に力が集中しないようにできれば、一瞬だけ隙が生まれるはずです!」
アイリスが息を呑んだ。
「一瞬だけ、ですか……?」
「はい。一瞬で十分です!」
リシェルは、迷いを振り払うように頷いた。
「その一瞬を、みんなで作りましょう!」
魔物が咆哮した。
そして、地面を蹴った。
「来る!」
ノエルが駆け出す。
巨大な爪が振り下ろされた。
ノエルは真正面から受け止めない。紙一重で身をかわし、剣の柄で敵の腕を弾く。
「こっちよ!」
魔物の注意がノエルへ向く。
その瞬間、アイリスの光が弾けた。
「こちらです!」
幾筋もの光が魔物の視界を横切る。
魔物が頭を振り、光を追おうとした。
「今です、リシェルさん!」
「はい!」
リシェルの魔法陣が地面に広がる。
魔物の身体を巡る黒い魔力。その流れを読み、わずかに方向を変える。
完全に制御することはできない。
けれど、額の《焦刻片》へ集中していた魔力が、一瞬だけ乱れた。
魔物の動きが止まる。
「ノエル!」
「……分かってる!」
ノエルが踏み込んだ。
剣が閃く。
しかし、魔物は直前で反応した。
学習した動きで剣筋を読み、身体をひねる。
「っ……!」
ノエルの剣が弾かれた。
手から離れた剣が、宙を舞う。
「ノエル!」
アイリスが叫ぶ。
魔物の爪が、ノエルへ迫った。
避けきれない。
そう思った瞬間、アイリスの光がノエルの足元へ滑り込んだ。
光の帯が地面を走り、ノエルの身体を横へ押し出す。
爪が空を切った。
同時に、リシェルの魔法が魔物の足元へ絡みつく。
「今です! 剣を!」
ノエルは転がりながら、地面に落ちた剣へ手を伸ばした。
柄を掴む。
立ち上がる。
そして、二人を見た。
アイリスは息を切らしている。
リシェルも、額に汗を浮かべていた。
それでも、二人とも自分を見捨ててはいなかった。
自分が倒れそうになったとき、二人は手を伸ばしてくれた。
(……私一人じゃないから)
その言葉が、胸の奥で確かな力に変わる。
ノエルは剣を握り直した。
「……ありがとう」
小さな声だった。
けれど、リシェルには聞こえた。
アイリスにも聞こえた。
二人は、ほんの少しだけ笑った。
そして、再び魔物へ向き直る。
「リシェルさん、次はどうしますか!?」
「もう一度、同じ流れを作ります!」
リシェルは敵を観察した。
敵は、こちらの攻撃を学習している。
ならば、学習したことそのものを利用する。
「アイリス、光を左右に分けてください! ノエルは、最初の攻撃をわざと外して!」
「……わざと?」
「はい! 敵が反撃する方向を、誘導します!」
ノエルは一瞬だけ目を見開いた。
しかし、すぐに頷いた。
「……分かった」
三人が動く。
ノエルが剣を振る。
魔物は予測どおりに反応し、反撃のために身体の重心を移した。
その瞬間、アイリスの光が左右から弾ける。
魔物の視線が揺らぐ。
リシェルの魔法が足元を捉えた。
しかし、魔物はそれさえも予測していたかのように、拘束を力任せに引きちぎった。
「そんな……!」
アイリスが声を上げる。
黒い魔力が再び膨れ上がる。
魔物の額にある《焦刻片》は、ひび割れながらも、まだ強く輝いていた。
ノエルは剣を構える。
リシェルは歯を食いしばった。
(あと少し……!)
何かが足りない。
作戦は間違っていない。
三人の連携も、確かに機能している。
それでも、最後の一撃が届かない。
そのとき、ジュージュー仙人の声が響いた。
「ノエル。一歩、右じゃ」
短い言葉だった。
説明はない。
理由もない。
ただ、一歩、右へ。
ノエルは魔物を見た。
爪が迫る。
剣は構えたばかり。
今から右へ動けば、攻撃の軌道から外れるかもしれない。
だが、そこに何があるのかは分からない。
以前のノエルなら、確信の持てない指示に従うことをためらったかもしれない。
けれど、今は違った。
彼女は仙人を見た。
いつものように、丸っこい身体で、何を考えているのか分からない顔をしている。
――それでも。
ノエルは、仙人の言葉を信じた。
一歩、右へ。
魔物の爪が、目の前を通り過ぎた。
その一瞬。
魔物の身体が大きく傾き、額の《焦刻片》が露わになる。
「今です!」
リシェルが叫ぶ。
「ノエル、右の足元を見てください!」
アイリスの光が、魔物の視線を遮る。
リシェルの魔法が、魔力の流れをわずかに逸らす。
ノエルは、もう迷わなかった。
剣を振りかぶる。
二人が作ってくれた、一瞬の隙。
そこへ、全身の力を込めて踏み込む。
「――これで!」
剣閃が走った。
――バキィィィン!!
鋭い破砕音が、森の奥まで響き渡った。
《焦刻片》が、砕け散った。
黒と赤の光が、火花のように飛び散る。
魔物の身体を覆っていた異常な魔力が、急速に薄れていく。
その巨大な身体がぐらりと傾いた。
そして――
ドォォォンッ!!
地響きとともに、魔物が地面へ崩れ落ちた。
静寂が訪れた。
木々の葉が、風に揺れる。
遠くで鳥が鳴いた。
リシェルは、しばらく魔物を見つめていた。
「……終わった、のでしょうか」
アイリスが恐る恐る尋ねる。
リシェルは魔力の反応を確かめ、ゆっくりと頷いた。
「……はい。異常な魔力は、弱まっています」
ノエルは剣を下ろした。
指先が震えている。
息も乱れている。
けれど、三人とも立っていた。
誰一人、欠けてはいなかった。
「……やった、んですね」
アイリスの目に、涙が浮かぶ。
「ええ……私たちで、やりました」
リシェルが答える。
ノエルは二人を見た。
「……うん」
その表情は、いつもの氷のような無表情ではなかった。
ほんの少し、柔らかかった。
ジュージュー仙人が、満足そうに頷く。
「ほっほっほ。見事じゃ、三人とも」
「仙人様……!」
リシェルが振り返る。
「ありがとうございました!」
「なに、わしは一歩を教えただけじゃ。最後の一撃を放ったのは、おぬしたちじゃよ」
仙人は笑った。
そして、何かを思い出したように手を叩く。
「さて、祝いの肉じゃな」
「まだです!」
リシェルの声が森に響いた。
「まだ何も片づいていませんからね!?」
「むう……勝利の余韻を味わうにも、腹が減っては何とやらじゃぞ」
「師匠のお腹は、さっきからずっと余韻を味わっている気がします……」
アイリスが呟く。
ノエルは小さく息を吐いた。
「……ただ食べたいだけでは?」
「ノエルまで!?」
リシェルの叫びに、アイリスが笑った。
戦いの緊張が、少しずつほどけていく。
だが――
彼女たちは、まだ知らなかった。
この勝利が、別の場所にいる何者かへ届いていたことを。
そして、その者が彼女たちの存在を、興味深そうに見つめ始めていたことを。
◇
教師たちが現場に到着したのは、それから間もなくのことだった。
「全員、魔物から距離を取れ! 周辺の安全を確認するまで、決して近づくな!」
グレン・ヴァルガスの指示が森に響く。
教師たちは負傷した生徒たちを捜索しながら、倒れた魔物の周囲を慎重に調べ始めた。
「……生きているな」
魔物の呼吸を確認した教師が、驚いたように呟いた。
巨体はぐったりと地面に伏している。
あれほど荒れ狂っていた魔力は、ほとんど感じられない。
額には、結晶が埋め込まれていた痕跡だけが残っていた。
グレンは、その跡をじっと見つめた。
「自然に生じたものじゃない。誰かが、意図的に埋め込んだんだ」
教師の一人が、地面に散らばった結晶の破片を拾い上げる。
「こちらにも残っています。魔力の残滓も、まだ消えていません」
「解析を急げ。だが、破片には直接触れすぎるな」
別の教師が魔力を探る。
すると、すぐに表情が険しくなった。
「……妙だな」
「何か分かったのか?」
「この魔力……通常の魔物のものとは違います」
教師は慎重に探査を続けた。
《焦刻片》の破片には、複数の魔力が複雑に絡み合っていた。
その中に、ほんの微かに、別の波長が混ざっている。
「……これは、人間の魔力……?」
その場にいた教師たちの動きが止まった。
だが、解析を担当した教師は、すぐに首を横に振る。
「いえ、断定はできません。人間の魔力に似ているだけかもしれない。未知の魔法や、別の何かが影響している可能性もあります」
グレンは、結晶の破片を見下ろした。
「つまり、誰が埋め込んだのかも、何のためにやったのかも、まだ分からないということか」
「……はい」
グレンは短く息を吐いた。
「厄介なことになったな」
それから、彼は顔を上げた。
「だが、今は生徒たちが先だ。負傷者を優先して救助しろ。魔物の処置と現場の保全は、その後だ」
教師たちが一斉に動き出す。
勝利したからといって、すべてが終わったわけではない。
むしろ、ここからが本当の調査の始まりだった。
「リシェル! アイリス! ノエル!」
救助班の教師が、三人の姿を見つけて駆け寄ってきた。
「無事か!? 怪我はないか!?」
「はい! 私たちは大丈夫です!」
リシェルが答える。
「魔物は……?」
「倒しました。ただ、倒したというより……《焦刻片》を破壊したことで、暴走が収まったようです」
グレンは、リシェルの言葉を慎重に受け止めた。
「分かった。詳しい話は後で聞く。今は全員、森の外へ戻るぞ」
「はい!」
三人は教師たちに付き添われ、森の出口へ向かった。
その途中、アイリスがふと足を止める。
隣を歩いていたノエルの手を、ぎゅっと握った。
「ノエル……本当に、無事でよかった」
ノエルは驚いたようにアイリスを見る。
「……アイリス」
「離れ離れになったとき、すごく怖かったんです。もう会えなかったらどうしようって……」
アイリスの声が震える。
ノエルは、何かを言おうとして口を開いた。
けれど、すぐには言葉が出てこなかった。
以前なら、きっと「大丈夫」とだけ答えていた。
自分は大丈夫だった。
だから心配はいらない。
そう言って、相手の気持ちを受け止める前に、話を終わらせていたかもしれない。
しかし、今は違った。
ノエルはそっと、アイリスの手を握り返した。
「……私も、会いたかった」
アイリスが顔を上げる。
「……え?」
「……リシェルにも、アイリスにも。もう一度、会いたかった」
その言葉を聞いた瞬間、アイリスの目から涙がこぼれた。
「ノエル……!」
勢いよく抱きつかれる。
ノエルは一瞬、困った顔をした。
けれど、今度は逃げなかった。
「……うん」
そっと、アイリスの背中に手を回す。
その向こうで、リシェルが微笑んでいた。
ノエルは、少しだけ視線をそらす。
「……リシェルも」
「はい?」
「……無事で、よかった」
リシェルは目を丸くした。
そして、ゆっくりと笑った。
「ありがとうございます。私も、ノエルが無事で本当によかったです」
アイリスが二人の手を取る。
三人の手が、自然と重なった。
誰か一人が欠けていたら、この手はつながらなかった。
そのことを、三人とも分かっていた。
森を出る直前、ノエルは自分の剣を見つめた。
これまで、強くなろうとしてきた。
誰かを守れるように。
誰かに迷惑をかけないように。
自分一人で、何でもできるように。
けれど、今回の戦いで知った。
自分の剣だけでは届かない場所がある。
自分の感覚だけでは分からないことがある。
そして、自分が倒れそうになったとき、手を伸ばしてくれる人がいる。
「……一人じゃ、勝てなかった」
ノエルが呟く。
リシェルは頷いた。
「私もです。二人がいてくれたから、最後まで考え続けられました」
「私も……二人がいたから、怖くても動けました」
アイリスが笑う。
三人は顔を見合わせた。
誰か一人が一番強かったわけではない。
誰か一人が、すべてを解決したわけでもない。
それぞれができることを持ち寄り、足りない部分を補い合った。
その結果、三人は勝利をつかんだ。
ジュージュー仙人は、少し離れた場所で三人を眺めていた。
「ほっほっほ……よい顔になったのう」
「仙人様、何かおっしゃいましたか?」
「いや。肉を焼くにも、仲間との呼吸が大切じゃと思ってな」
「どうして、そこでお肉の話になるんですか!?」
リシェルが叫び、アイリスが笑う。
ノエルも、今度は隠さずに笑った。
――三人が本当の意味で仲間になった瞬間だった。
◇
しかし。
森に残ったのは、彼女たちの成長だけではない。
黒い結晶の欠片。
人間の魔力に似た、正体不明の波長。
そして、誰かが意図的に魔物へ施した痕跡。
それらは、まだ誰にも知られていない場所で、新たな波紋を広げ始めていた。
窓のない、暗い石造りの部屋。
壁には無数の黒い装飾が施され、その中央には見慣れない紋章が刻まれていた。
蝋燭の炎が揺れる。
その光の届かない場所に、一人の人物が立っていた。
顔は見えない。
衣服の輪郭も、年齢も、性別さえも判然としない。
ただ、その手元だけが、蝋燭の光に照らされていた。
そこにあるのは、小さな宝石。
砕けた《焦刻片》と、同じ形状をした結晶だった。
人物は静かに目を閉じる。
遠く離れた森から届いていた、微かな魔力の反応。
それが今、途絶えた。
「…………」
しばらく、沈黙が続いた。
やがて、その人物の口元がわずかに動く。
「よもや……」
低い声だった。
「この時代に、《焦刻片》を埋め込んだ魔物を――」
一拍。
「退けられる者が残っていようとは」
普通なら、失敗を悔しがる場面だろう。
しかし、その声には怒りも、苛立ちもなかった。
むしろ、楽しそうだった。
人物は手の中の結晶を転がす。
「些か……私の判断も、甘かったようだ」
失敗を認めながら、笑っている。
まるで、望んでいた答えがようやく見つかったかのように。
「剣を振るう少女」
人物は、遠い森の光景を思い返す。
「光を操る少女」
そして――
「すべてを繋いだ少女」
三人の姿が、脳裏に浮かぶ。
剣の少女は、一人で戦うことをやめた。
光の少女は、ただ守るだけではなく、自ら状況を動かした。
そして、すべてを繋いだ少女は、仲間の力を読み、戦場の流れを変えた。
「勇者でもない」
「聖女でもない」
「それでも……あの者たちは、あの魔物を退けた」
人物は、最後にリシェルの姿を思い浮かべた。
彼女が何者なのか。
なぜ、あの場で仲間たちをつなぐことができたのか。
その答えは、まだ分からない。
だからこそ、興味が湧いた。
「……面白い」
その言葉だけが、暗い部屋に落ちた。
人物が、ゆっくりと振り返る。
その背後には、複数の人影が立っていた。
誰もが、壁に刻まれたものと同じ紋章を身につけている。
その中の一人が、静かに頭を下げた。
「次の準備を進めますか」
人物は答える。
「そうだな」
手の中の結晶を、懐へしまう。
「いずれ――」
一瞬、声が途切れた。
「その者たちと、逢いたいものだ」
その言葉に、誰も異を唱えなかった。
彼らにとって、今回の失敗は終わりではない。
むしろ、次の何かを始めるための出来事だった。
「はい」
誰かが返事をする。
人物は踵を返し、闇の中へと歩き出した。
その姿が暗がりに消えても、部屋に残る人影は動かなかった。
壁の紋章だけが、蝋燭の光を受けて不気味に浮かび上がっていた。
再び、森。
魔物が倒れていた場所には、焦げた爪の欠片が残っていた。
そのすぐそばに、小さな《焦刻片》の破片が落ちている。
風が吹いた。
落ち葉が舞い、破片を覆い隠そうとする。
しかし、黒い結晶は土の上で鈍い光を返していた。
魔物は救われた。
生徒たちは帰還した。
学園は、事件の調査を始めるだろう。
それでも――
誰が結晶を埋め込んだのか。
何のために魔物を狂わせたのか。
そして、あの紋章を掲げる者たちは何者なのか。
答えは、まだ闇の中にある。
――森に残った焦げ跡は、まだ消えていなかった。
◇
数日後。
王立アルカディア魔導学院、学園長室。
大きな窓から午後の光が差し込む中、グレン・ヴァルガスと数名の教師が、今回の事件について報告していた。
机の上には、現場の記録と《焦刻片》の分析結果が並んでいる。
学園長は報告書に目を通し、静かに問いかけた。
「つまり、魔物は何者かによって異常な進化を強制されていた、と?」
「現時点では、その可能性が高いと考えています。結晶の埋め込み痕も確認できました。ただし、実行者の特定には至っていません」
グレンは率直に答えた。
学園長は頷き、別の資料へ視線を移す。
「それで、生徒たちは?」
グレンの表情が少し和らいだ。
「三名の連携が、今回の状況を打開する決め手になりました」
彼は、リシェル、アイリス、ノエルの戦闘記録を順に説明する。
リシェルは、敵の魔力の流れを分析し、仲間の行動をつないだ。
アイリスは、光魔法によって敵の注意を誘導し、拘束と防御を組み合わせて戦況を変えた。
ノエルは、自身の剣技だけに頼らず、仲間が作った隙を信じて最後の一撃を担った。
「特にノエルは、これまで単独で状況を処理しようとする傾向がありました。しかし今回は、仲間の力を前提に判断しています」
グレンは続けた。
「リシェルも、すべてを自分で抱え込むのではなく、二人に役割を任せていました。アイリスも、指示を待つだけではなく、自ら敵の動きを読み、必要な行動を選択しています」
学園長は報告書から目を離した。
「なるほど……」
しばし考えた後、ゆっくりと笑みを浮かべる。
「金の卵たちが、ようやっと羽化し始めたか」
教師たちの間に、穏やかな空気が流れた。
「まだ未熟です。しかし、伸びしろは大きいでしょう」
「未熟でよいのだよ」
学園長は窓の外へ目を向けた。
「最初から完成された者など、そうはいない。大切なのは、自分に足りないものを知り、それを仲間と補い合えるかどうかだ」
そして、少し嬉しそうに続けた。
「彼女たちは今回、ただ強敵を倒したのではない。自分たちに何ができて、何ができないのかを知ったのだ」
「……はい」
「その経験は、試験の点数では測れない。実に、よい経験になったはずだ」
学園長は、もう一枚の資料を手に取った。
「ところで、この三人は、卒業試験のチーム候補だったな?」
「はい。リシェル・フォン・アストレアを中心とするチームです」
「リシェル……」
学園長の指が、名前の上で止まった。
そして、資料の端に記された召喚獣の欄へ目を移す。
「……ジュージュー仙人」
一瞬、笑みが消えた。
「例の、焼豚のように丸っこい仙人か」
グレンは返答に困ったように、わずかに眉を動かした。
「……はい。本人は、いたって飄々としていますが」
「ふむ」
学園長は椅子の背にもたれた。
頭に浮かぶのは、どこまでも掴みどころのない、あの丸っこい召喚獣の姿。
食べ物の話をしているかと思えば、時折、年齢や経験では説明できない言葉を口にする。
今回の報告でも、直接敵を倒したという記録はない。
それなのに、三人の生徒は、あの極限状態で自分たちの力を発揮していた。
「……やはり、あの仙人。何かあるな」
学園長は小さく呟いた。
「ただの珍しい召喚獣、というだけでは済まない気がする」
「学園長も、そうお考えですか」
「いや。確証はないよ」
学園長は苦笑した。
「だからこそ、気になるのだ」
その目は、先ほどまでの穏やかなものとは少し違っていた。
リシェルの優秀さは、以前から知られている。
だが、彼女が召喚したあの仙人は、まだ分からないことが多すぎる。
「無理に正体を暴く必要はない。だが、彼女たちの成長は、これからも見守っていこう」
学園長は報告書を閉じた。
「金の卵たちが、どこまで羽ばたくのか……楽しみだ」
その言葉には、期待と、ほんの少しの警戒が混ざっていた。
その頃、学園の中庭では。
「――というわけで! 次の目標は、卒業試験の残りのメンバーをそろえることです!」
リシェルが、いつもの調子で宣言していた。
「目標を立てるのはいいことですが……まずは、あの魔物との戦闘について、もう少し振り返ったほうがいいのでは?」
アイリスが苦笑する。
「振り返りは大事です。でも、前に進むことも大事ですよ!」
「……リシェルらしい」
ノエルが呟いた。
その手には、卒業試験の仮登録名簿がある。
最初は、リシェルとアイリスが中心だった。
そこへノエルが加わり、いつの間にか、三人で作戦を考え、食事をし、放課後を過ごすようになっていた。
そして今では、ノエルが名簿を確認し、残りの席について考えている。
「……この枠、まだ空いているのね」
「はい。卒業試験には人間のメンバーが五人必要ですから。私たち三人なら、あと二人ですね!」
リシェルが即答した。
ノエルは名簿を見下ろす。
「……私、いつの間に入ったの?」
「えっ?」
リシェルが固まった。
アイリスも、ぴたりと動きを止める。
「……あれ?」
「……そういえば、正式に確認した覚えがないような……?」
三人の間に、妙な沈黙が落ちた。
そのとき、ジュージュー仙人がいつもの飄々とした調子で口を挟んだ。
「ほっほっほ。気づけば隣におる。それもまた、縁というものじゃ」
「仙人様、そこで綺麗にまとめないでください!」
リシェルが叫ぶ。
「……でも」
ノエルは、名簿を見つめたまま、ほんの少し視線をそらした。
「……嫌ではない」
アイリスの顔がぱっと明るくなる。
「じゃあ、一緒に卒業試験を目指しましょう!」
「……うん」
ノエルは頷いた。
リシェルは嬉しそうに両手を握る。
「決まりですね! ノエル、これからもよろしくお願いします!」
「……こちらこそ」
言葉は短かった。
けれど、ノエルはもう、誰かの輪に入る方法を一人で悩んではいなかった。
気づけば、隣にいる。
気づけば、同じ目標を見ている。
それは、彼女にとって、とても大きな変化だった。
「さて!」
リシェルが名簿を掲げる。
「これで、私たちのチームもあと二人です!」
「……誰を誘うのですか?」
アイリスが尋ねた。
リシェルは少し考え、にっこり笑った。
「それは、これから探しましょう!」
「ずいぶん大雑把ですね……」
「大丈夫です。きっと、私たちに必要な人が見つかります!」
ノエルは呆れたように息を吐いた。
けれど、その表情は穏やかだった。
「……まずは、候補を探すところからね」
「はい!」
アイリスが二人の手を取る。
リシェルが先頭に立ち、ノエルがその隣へ並んだ。
「待て待て、おぬしたち。わしを置いていくでないぞ!」
仙人が後ろから追いかける。
「仙人様は走る前に、肉を食べると言い出すと思っていました!」
「失礼な! 走った後に食べる肉も、また格別じゃ!」
「結局、肉なんですね!?」
アイリスの笑い声が響く。
ノエルも笑った。
リシェルは振り返り、三人に手を伸ばす。
「行きましょう! 次の仲間を探しに!」
「はい!」
「……うん!」
三人と一人は、中庭を駆け出した。
卒業試験まで、まだ道のりは長い。
空いている席も、知らない相手も、これから出会う困難もある。
それでも、今の彼女たちなら、きっと一人では越えられない壁にも向き合える。
そして遠いどこかでは、彼女たちに興味を抱いた者たちが、次の準備を始めていた。
森に残った焦げ跡は、まだ消えていない。
けれど、少女たちの胸には、新しい火が灯っていた。
―― 終。
【ちょこっと焼豚ミニ劇場 後編】「物語は一区切り、神様は繁忙期!?」
ジュージュー仙人「ほっほっほ! 皆の者、最後まで読んでくれて感謝じゃ!
リシェルたちも、見事に《焦刻片》を打ち破ったのう!」
リシェル「はい! みんなで力を合わせた結果です!
……ところで仙人様?、最後にひとつ、お知らせがあるそうですね?」
ジュージュー仙人「うむ。どうやら焼豚の神――
つまり、この物語の運営殿が、神の仕事の繁忙期に入ったらしいのじゃ!」
アイリス「か、神様にも繁忙期があるんですか!?」
ジュージュー仙人「世界の管理に、運命の調整に、物語の進行に……それはもう大忙しじゃ!」
ノエル「……神様も大変なのね」
リシェル「仙人様、なんだか他人事みたいに言っていますけど……」
ジュージュー仙人「何を言う! わしも日々、仲間の指導と焼豚の研究で多忙なのじゃ!」
リシェル「その二つ、明らかに後者の比重がおかしいですよね!?」
アイリス「でも……神様が忙しいなら、少しお休みも必要ですね」
ノエル「……うん。無理をして、焦げついても困るもの」
ジュージュー仙人「さすがじゃ! 人も神も、火加減が大切ということじゃな!」
リシェル「最後まで焼豚に結びつけるんですか!?」
ジュージュー仙人「というわけで、今回の物語は、ひとまずここで一区切りじゃ!」
アイリス「また皆さんにお会いできる日を、楽しみにしています!」
ノエル「……そのときまで、少しだけ待っていてね」
リシェル「ここまで読んでくださった皆さん、本当にありがとうございました!
私たちの物語は、いったんお休みです!」
ジュージュー仙人「休むのも修行。待つのも修行。そして――」
リシェル「……そして?」
ジュージュー仙人「休んでいる間に食べる焼豚も、また格別じゃ!」
リシェル「仙人様ーーーっ!! 神様の繁忙期を、食べ放題の期間みたいに言わないでください!!」
アイリス「ふふっ……」
ノエル「……最後まで、いつもどおりね」
――森に残った焦げ跡は、まだ消えていない。
けれど、物語の火は消えたわけではありません。
焼豚の神様がひと息つき、再び物語を紡げる日が来たなら――
リシェルたちの新たな冒険が、また始まるかもしれません。
それまで皆さんも、どうか心を焦がしすぎず、じっくり自分のペースで。
第30話までお付き合いいただき、本当にありがとうございました!
ジュージュー仙人「では、しばしの休息じゃ! ……ところで、祝いの肉はまだかのう?」
リシェル「最後の最後まで、それですかーーーっ!!」
終




