第27話 「恐怖を焼き払う言霊《言霊・鼓舞〈ラード・ブレイズ〉》」
【ちょこっと焼豚ミニ劇場 前編】
――前回。
謎の魔物に襲われたリシェルたちは、為す術なく散り散りになってしまった。
そして現在――。
森の中。
リシェル「…………怖いです」
仙人「うむ」
リシェル「ノエルさんも……アイリスも……無事でしょうか……」
仙人「うむ」
リシェル「…………」
仙人「…………」
リシェル「……仙人様?」
仙人「なんじゃ?」
リシェル「もう少し何かありませんか!?」
仙人「うむ。……怖いか?」
リシェル「怖いです!」
仙人「そうか」
リシェル「それだけですか!?」
そこへ――。
アイリス「リシェル……無事でいて……!」
ノエル「……リシェル。アイリス。必ず見つける」
――三人は、まだ離れ離れ。
そして、森の奥では――
???「グォォォォォォ――ッ!!」
リシェル「ひっ……!」
仙人「……ほれ」
リシェル「え?」
仙人「怖いなら――立て」
リシェル「…………」
仙人「立て」
リシェル「…………短いです!!」
果たしてリシェルは、恐怖を乗り越えられるのか!?
そして仙人が初めて見せる――
《言霊・鼓舞〈ラード・ブレイズ〉》とは!?
――次回、ではなく。
今話、開幕じゃ。
仙人「ちなみにワシは、もう立っておる」
リシェル「それは立ってるというより浮いてます!!」
――ジュージュー仙人、今日も通常運転。
静まり返った《灰森区域》。
木々は折れ、地面には巨大な爪痕が刻まれている。
さっきまで隣にいたノエルも、アイリスもいない。
リシェルは地面に手をついたまま、震えていた。
「……ノエルさん……」
「……アイリスさんも……」
返事はない。
耳を澄ましても聞こえてくるのは、自分の荒い呼吸だけ。
握った杖も震えている。
先ほどまで自分たちが三人で戦っていた魔物。
何をしても通じなかった。
ノエルの剣も。
アイリスの魔法も。
自分の魔法も。
――全部。
通じなかった。
リシェルの脳裏に、魔物がノエルを吹き飛ばした瞬間が蘇る。
「……怖い……」
自分でも驚くほど小さな声だった。
そして――
「私……何もできなかった……」
その隣で、ジュージュー仙人は何も言わない。
ただ静かに、彼女を見ている。
しばらくして。
仙人がゆっくり口を開く。
「リシェル嬢よ」
「……はい」
「怖いか?」
リシェルは答えられない。
しかし、しばらくして。
小さく頷く。
「……はい」
仙人は、それ以上責めない。
むしろ――穏やかに笑う。
「そうか」
「……?」
「ならば、ちょうどよい」
リシェルが顔を上げる。
「……え?」
仙人は森の奥を見る。
そこにはまだ――
遠くから響く、巨大な咆哮。
魔物は生きている。
戦いは終わっていない。
「恐怖とはな」
「危険から逃げるためだけにあるものではない」
「……」
「大切なものを失いたくないときにも、人は恐れる」
リシェルの目が僅かに揺れる。
「ノエルさんも、アイリスさんも……」
「まだ、生きておる」
「……!」
「ならば――」
仙人がリシェルを見る。
「おぬしは、まだ立ち上がらなければならん」
リシェルは立とうとする。
しかし――
足に力が入らない。
「……無理です……」
「何がじゃ?」
「怖くて……」
「うむ」
「手も……震えて……」
「うむ」
「こんな状態じゃ……ノエルさんたちを……」
そこで仙人が静かに言う。
「恐怖を消す必要などない」
リシェルが顔を上げる。
「……え?」
「恐怖を抱いたまま、進めばよい」
そして――
仙人は短く言う。
「立て」
その瞬間。
――空気が震えた。
炎が燃え上がったわけではない。
魔法陣が現れたわけでもない。
ただ――
仙人の声が、リシェルの胸の奥へ届いた。
ドクン。
心臓が一度、大きく鳴る。
胸の奥に、小さな熱が灯る。
「……っ」
震えていた指が、ほんの少しだけ動く。
そして仙人の言葉が、もう一度響く。
「恐怖を抱いたまま――進め」
その言葉が空気を震わせる。
これは仙人が持つ権能の1つ《言霊・鼓舞〈ラード・ブレイズ〉》
これは相手を攻撃する力ではない。
心を操る力でもない。
ましてや――
恐怖を消す力でもない。
恐怖に呑み込まれた心へ、もう一度「立つ理由」を思い出させる力。
怖い。それでも――
リシェルはゆっくりと立ち上がる。
膝はまだ震えている。
心臓も激しく鳴っている。
怖い。
今だって――
怖い。
けれど。
「……怖い」
仙人は黙っている。
リシェルは拳を握る。
「……でも」
一歩。
足を前へ出す。
「……行きます」
二歩目。
「ノエルさんを……」
三歩目。
「アイリスを……」
そして、顔を上げる。
「必ず見つけます」
仙人は満足そうに目を細める。
「それでよい」
リシェルは知らない。
今、この瞬間。
彼女自身の中で――
「誰かを守る」という力の意味が、少しだけ変わり始めていることを。
一方。
森の別の場所。
ノエルは一人、倒木の陰に身を潜めていた。
剣を握っている。
怪我はある。
だが動ける。
彼女は目を閉じる。
いつものように――
魔力を探る。
敵の位置。
魔物の気配。
リシェル。
アイリス。
そして――
「…………」
何も分からない。
ノエルの眉が僅かに動く。
(……おかしい)
普段なら分かる。
魔力には流れがある。
生命には気配がある。
敵ならば、なおさら。
しかし――
あの魔物だけは違った。
魔力が、
歪んでいる。
まるで複数の魔力が無理やり一つに押し込められているような――
不自然な流れ。
(……私の索敵が、通じない)
初めてだった。
自分が最も信頼していた能力が、
役に立たない。
ノエルは目を開く。
そして――
魔法ではなく、森を見る。
折れた枝。
抉られた地面。
倒れた木。
地面に残った足跡。
そして――
木の幹に付着した、僅かな氷。
「……」
ノエルは気づく。
先ほど自分が攻撃したときに生じた氷だ。
その氷の向きから――
魔物が進んだ方向を推測する。
「……魔力が分からないなら」
剣を握り直す。
「目で探せばいい」
そして歩き出す。
今までのノエルなら、
「自分が倒さなければ」
と考えただろう。
だが今は違う。
(……リシェル)
(……アイリス)
倒すためではない。
二人を見つけるために。
さらに別の場所。
アイリスも一人だった。
召喚獣を傍らに置きながら、慎重に森を進んでいる。
そのとき――
「……アイリス」
足が止まる。
「……!」
聞き覚えのある声。
ノエル?
確かに聞こえた。
「アイリス……こちら……」
声は木々の向こう。
アイリスは一歩踏み出しかける。
しかし――
止まる。
「…………」
先ほどの魔物を思い出す。
あり得る。
あの魔物が何なのか分からない以上。
声さえも――
信用できない。
アイリスは声の方向を見つめる。
「ノエル?」
返事はない。
もう一度。
「……ノエルなら」
少し間を置いて。
「私しか知らないことを言って」
沈黙。
そして――
「……アイリス」
同じ声。
同じ呼び方。
だが。
アイリスは首を横に振る。
「違う……」
召喚獣が小さく唸る。
アイリスは気づいた。
声は同じでも、呼吸の間が違う。
本物のノエルなら。
こんなふうに――
同じ言葉を繰り返したりはしない。
「……ノエルじゃない」
アイリスは光魔法を小さく灯す。
木々の影を照らす。
誰もいない。
「……危なかった」
そして彼女もまた――
自分の判断で進む方向を決める。
その頃。
《灰森区域》監視所。
魔法観測盤の前にいた教師たちは、異変に気づいていた。
「……ん?」
一人の教師が顔を上げる。
魔法盤に――
小さな光点が一つ。
動いている。
そして。
別の場所にも。
二つ目。
さらに――
三つ目。
「……生徒たちが動き始めた?」
グレンが盤面を見る。
そこに映るのは――
リシェル。
ノエル。
アイリス。
それぞれ別々の場所にいる。
しかし。
三つの光は――
少しずつ。
同じ方向へ向かっていた。
「グレン!」
ガイアが叫ぶ。
「三人とも生きてやがる!」
グレンは頷く。
しかし表情は険しい。
「喜ぶのはまだ早い」
「分かってる」
「今の魔物は、通常の個体じゃない」
そこへ虚子先生が観測盤を覗き込む。
三つの光を見つめる。
「……リシェルさん」
小さく呟く。
あの少女は今まで、
何度も自分で答えを出してきた。
けれど――
今回だけは違う。
一人ではない。
「……どうか、無茶だけはしないでください」
その声には、
教師としての言葉以上の心配が滲んでいた。
そのとき。
観測盤が突然、
赤く染まった。
「――なに!?」
魔力反応が急上昇する。
先ほどまでとは明らかに違う。
ガイアが目を見開く。
「なんだ、この数値……!」
グレンが立ち上がる。
「全員、警戒!」
魔法盤の中央。
魔物の反応が――
膨れ上がっていく。
まるで、
何かが魔物の内部で燃え始めたかのように。
そして。
魔物の額に埋め込まれた《焦刻片》が――
脈打つ。
ドクン。
ドクン。
まるで心臓のように。
その様子を、
遠く離れた場所から見つめる者がいた。
暗い部屋。
目の前には魔法によって映し出された森。
そこに映っているのは――
狂ったように蠢く魔物。
そして、その額に埋め込まれた黒赤の結晶。
男は静かに呟く。
「……まだ、動けるか」
魔物の魔力がさらに膨れ上がる。
男は僅かに笑った。
「《焦刻片》は……やはりよく馴染む」
そして。
映像の中で――
三つの小さな光が動いている。
男の視線がそこへ向く。
「…………」
しばらく沈黙。
「ほう」
しかし。
男はそれ以上何も言わない。
ただ――
興味深そうに三つの光を見つめる。
「……まだ、終わってはいない」
その言葉を最後に、
映像は闇へと消える。
森。
リシェルが歩いている。
足はまだ震えている。
それでも進む。
ノエルも歩いている。
魔力ではなく、
目で森を読みながら。
アイリスも歩いている。
聞こえてくる声を疑い、
自分自身で道を選びながら。
三人はまだ知らない。
互いの位置も。
相手が何をしているのかも。
けれど――
三人の足は、
少しずつ。
少しずつ。
同じ方向へ向かっていた。
そして。
監視所の魔法盤に映る三つの光点が――
ゆっくりと近づいていく。
虚子先生が呟く。
「……三人が……」
グレンが続ける。
「……同じ場所へ向かっている」
だが。
その瞬間。
魔法盤の中心で、
魔物の反応がさらに跳ね上がった。
「待て……」
グレンの表情が変わる。
「魔物の魔力反応が――」
ガイアが拳を握る。
「……さらに増幅してやがる」
森の奥から――
轟音。
大地が震える。
リシェルが足を止める。
ノエルも顔を上げる。
アイリスも振り返る。
三人の視線の先。
遠くの森から、
黒赤の光が立ち上る。
そして――
リシェルは胸元に手を当てる。
まだ怖い。
心臓は速い。
足も震えている。
それでも。
「……行こう」
小さく呟く。
その胸には――
先ほど仙人から受け取った、
小さな熱が残っていた。
恐怖は、消えていない。
けれど。
もう、恐怖だけに支配されてはいなかった。
三つの火種は、
再び同じ場所へ向かい始める。
その先に待つのが――
再会なのか。
それとも――
さらなる戦いなのか。
まだ、誰にも分からない。
――ただ一つだけ確かなのは。
この日。
三人の少女は、
それぞれ違う形で、
「一人では戦えない」ということを学び始めていた。
そしてその学びこそが――
やがて世界を焦がす脅威へ立ち向かう、
最初の一歩となる。
【ちょこっと焼豚ミニ劇場 後編】
――というわけで。
今回は、恐怖に震えていたリシェルが、
「怖くても……行きます」
と、一歩を踏み出すお話でした。
リシェル「……仙人様」
仙人「なんじゃ?」
リシェル「《言霊・鼓舞》……ありがとうございました」
仙人「うむ」
アイリス「すごい力でしたね……!」
ノエル「……言葉だけで、あれほど心が動くとは」
仙人「言葉とは、不思議なものじゃ」
三人「…………」
仙人「たった一言で、人を傷つけることもあれば――」
仙人「たった一言で、人を立ち上がらせることもある」
リシェル「……はい」
アイリス「素敵なお言葉です」
ノエル「……さすが仙人様」
仙人「うむうむ」
三人「…………」
仙人「では、褒められた記念に――」
リシェル「?」
仙人「何か食わせてくれ」
リシェル「台無しです!!」
アイリス「ふふっ……」
ノエル「……仙人様らしい」
仙人「腹が減っては、鼓舞もできぬからのう」
リシェル「それ、ただお腹が空いているだけですよね!?」
――しかし。
三人はまだ知らない。
森の奥では、
《焦刻片》によって狂わされた魔物が――
さらなる力を増幅させていることを。
そして。
離れ離れになった三人の足は、
少しずつ――
同じ場所へ向かい始めていた。
次に三人が出会うとき。
そこに待っているのは――
再会か。
それとも、さらなる戦いか。
――恐怖を抱えたままでも、人は前へ進める。
その一歩が、
やがて大きな炎になる。
仙人「……ところでリシェル嬢」
リシェル「はい?」
仙人「やはり何か食わせてくれんか?」
リシェル「まだ言ってるんですか!?」
アイリス「じゃあ、私がおにぎりを……」
ノエル「……私も手伝う」
仙人「おお……!」
リシェル「ノエルさん!? アイリス!?」
仙人「弟子たちよ……」
三人「誰が弟子ですか!!」
――第26話・了。




