第20話「仙人との約束」
【ちょこっと焼豚ミニ劇場 前編】
――翌日の昼休み。
「アイリス、今日は体調どうですか?」
「はい。……少し疲れています」
「おおっ!」
「え?」
「『大丈夫です』ではない!」
「……!」
「素晴らしい一歩じゃ!」
「仙人様、そこまで喜ぶことですか……?」
「もちろんじゃ!」
「では、今日の昼食は――」
「肉まんじゃ!」
「そこは喜ぶところじゃないです!!」
「なぜじゃ!?」
「病人食から一気に肉まんへ飛ばないでください!」
「……では、半分で」
「そういう問題ではありません!」
――少しずつ。
ほんの少しずつ。
アイリスは、自分のことを話せるようになっていた。
そして今日。
彼女は、ジュージュー仙人と一つの約束を交わすことになる。
「……仙人様」
「なんじゃ?」
「私、まだ上手くできるかわかりません」
「何がじゃ?」
「誰かに頼ること……」
その答えを――
仙人は、いつもの笑顔で待っていた。
――数日後。
王立アルカディア魔導学院。
昼休み。
「……リシェルさん」
「はい?」
「その……」
アイリスは、少しだけ言いにくそうに口を開いた。
「今日の午後の実技授業なんですが……」
「はい」
「……少し、疲れているかもしれません」
リシェルの目が、わずかに見開かれる。
「……そうですか」
「はい」
以前なら。
きっと――
『大丈夫です』
そう笑っていた。
けれど。
今日は違った。
「……ちゃんと言えましたね」
「え?」
「疲れている、と」
「あ……」
アイリスは、自分でも気づいたらしい。
そして――小さく笑った。
「……はい」
その様子を、少し離れた場所から眺めていた小さな影があった。
「うむうむ」
「……仙人様?」
ジュージュー仙人が、腕を組みながら頷いている。
「よいではないか」
「何がですか?」
「『大丈夫です』と言わんかった」
「……」
「人間、まずはそこからじゃ」
「なんだか、とても低い目標のような……」
「馬鹿を言うな」
ジュージュー仙人は、妙に真剣な顔で言った。
「昨日まで言えなんだことが、今日は言えたんじゃ」
「……」
「それは、立派な一歩じゃよ」
アイリスはしばらく黙っていた。
そして。
「……はい」
今度は、素直に頷いた。
「ところで今日は屋上へ行くぞい」
とジュージュー仙人がアイリスへ言い出します。
リシェルが、
「どうしてですか?」
と聞く。
すると、
「小娘と二人きりで、ちと話したいことがあるんじゃ」
と。
「……わかりました。私はここで待っていた方がよさそうですね。」
◇
学院の屋上。
午後の風が、二人の間を静かに吹き抜けていた。
眼下には、生徒たちの姿が見える。
笑い声。
魔法の光。
剣を振る音。
いつもと変わらない学院の日常。
けれど。
アイリスにとっては、少しだけ違って見えていた。
「仙人様……」
「なんじゃ」
「私、まだ上手くできるかわかりません」
「何がじゃ?」
「誰かに頼ること……」
ジュージュー仙人は、しばらく黙っていた。
そして――
ふっと笑った。
「ならば、一つだけ覚えておけ」
「……はい」
「苦しい時は、苦しいと言え」
「……」
「助けてほしい時は、助けてくれと言え」
アイリスは俯いた。
「……できますかね」
「できるようになるまで、何度でも言えばよい」
「何度でも……?」
「うむ」
ジュージュー仙人は、いつものように小さな手を頭の後ろで組んだ。
「一度でできるようになる必要などない」
「……」
「転んだら、また覚えればよい」
「……はい」
「言えんかったら、また次に言えばよい」
「……はい」
「それでも言えなんだら――」
ジュージュー仙人は、にっと笑った。
「わしに言え」
「……仙人様に?」
「うむ」
「『苦しい』でもよい」
「……」
「『助けて』でもよい」
「……」
「『肉まん食べたい』でもよい」
「ふふっ……」
アイリスの口元が緩む。
「それは、違う気がします」
「何を言う。重要な助けの要請じゃ」
「ふふ……」
アイリスは笑った。
そして――
少しだけ目を潤ませながら、仙人を見る。
「……はい」
小さな声だった。
けれど。
確かな声だった。
「私……頑張ってみます」
「うむ」
「少しずつ……」
「うむ」
「ちゃんと、自分のことも大切にできるように」
ジュージュー仙人は、満足そうに頷いた。
「それでよい」
そして。
アイリスは胸元に手を添えた。
「……約束、してくれますか?」
「なんじゃ?」
「私が……自分を忘れそうになった時」
「うむ」
「ちゃんと、止めてください」
ジュージュー仙人は目を細める。
「――承知した」
「……ありがとうございます」
アイリスは、もう一度笑った。
その笑顔は。
以前のように、誰かを安心させるためだけの笑顔ではなかった。
自分自身が――
ほんの少し、安心したからこそ浮かんだ笑顔だった。
こうして。
アイリス・ルミナールとジュージュー仙人の間に、一つの約束が生まれた。
――自分が苦しい時は、ちゃんと助けを求める。
それは、とても小さな約束だった。
けれど。
彼女にとっては――
人生を変えるほど、大きな一歩だった。
2人でリシェルのところへ戻る。
リシェルが、
「どうでしたか?」
とアイリスに尋ね、アイリスは、
「……約束をしました」
と答え、
「ホッホッホ。ちょいとした約束じゃ。」
ジュージュー仙人もいつもの飄々とした感じで答えた。
リシェルは詳しく聞かない。
ただ、「そうですか」と微笑んだ。
そして三人でまた、歩いていく。
◇
――その日の夕方。
学院の廊下。
一人の少女が歩いていた。
銀灰髪。
静かな瞳。
腰には、使い込まれた訓練用の剣。
ノエル・フェンリス。
「……」
足を止める。
窓の向こうには、夕焼けに染まる学院。
その向こうには、遠く広がる王都。
「……アイリス」
小さく呟く。
今日の昼。
アイリスは笑っていた。
以前よりも――ほんの少しだけ、自然に。
「……よかった」
ノエルは、静かに目を細めた。
幼い頃から知っている。
あの少女が、どれほど無理をしてきたのか。
誰かのために笑い。
誰かのために傷つき。
自分のことを、いつも後回しにしてきた。
だからこそ。
その変化が嬉しかった。
「……でも」
ノエルは、自分の手を見る。
ぎゅっと握った拳。
ほんの少し――震えていた。
「……私も」
言葉が、そこで止まる。
誰もいない廊下。
誰にも聞かれない声。
「……私も、言わなきゃいけないのか」
ノエルは目を伏せた。
けれど。
その言葉の続きを――
彼女は、まだ口にすることができなかった。
――アイリスが「助けて」と言えるようになるまでには、長い時間が必要だった。
そして。
彼女のすぐ隣にいた少女もまた――
誰にも言えないものを、胸の奥に抱えていた。
それを知る者は、まだいない。
もちろん――
ジュージュー仙人も、まだ知らない。
……少なくとも、今は。
夕暮れの学院に、鐘の音が響いた。
――アイリス編、完。
そして次の物語は。
静かな剣を握る少女の物語――
《 第二章 氷の騎士姫と、心の雪解け》
アイリスが仲間に加わり、少しずつ変わり始めたリシェルの日常。
そんなある日――。
学院の廊下で、一人の少女を見つけたアイリスが、嬉しそうに声を上げる。
「ノエル!」
振り返ったのは、銀灰色の髪と氷のような蒼い瞳を持つ少女。
フェンリス伯爵家の長女にして、学年順位第三位。
剣術と氷魔法を操る、その名も――ノエル・フェンリス。
彼女はアイリスの幼馴染だった。
かつてアイリスのお見舞いに訪れた際、リシェルとジュージュー仙人とも出会っていたノエル。
再び顔を合わせた彼女は、相変わらず寡黙で近寄りがたい。
……ただし、その無表情の裏では、
(……アイリス、元気そう。よかった……)
(……リシェルとも、もう少し話したい……)
と、心の中だけが忙しく動いていた。
そんなノエルたちを待ち受けるのは、学院の区域内演習、そして学外で行われる本格的な課外授業。
魔物との戦闘、学生同士の衝突、そして森の奥で発見される謎の古代遺跡。
やがて一行は、未知のダンジョンへと足を踏み入れることになる。
圧倒的な剣技で仲間を守るノエル。
だが、彼女には誰にも見せない心の奥底があった。
「……私が、もっと強くならなければ」
守ることに固執し、一人で戦おうとする氷の騎士姫。
そんな彼女の前に立つのは、幼い頃から共に過ごしてきたアイリスだった。
そして――。
「今度は、私がノエルさんを助けます」
氷のように閉ざされていた少女の心が、少しずつ溶け始める。
剣と魔法、友情と冒険。
そして、焼豚仙人との奇妙な絆。
最弱の召喚獣と首席令嬢たちの新たな冒険が、今、始まる――。
《つづく》
【ちょこっと焼豚ミニ劇場 後編】
「……終わりましたね」
「うむ」
「アイリス編……完結です」
「うむうむ」
「なんだか、寂しいですね……」
「そうじゃのう」
「仙人様……」
「なんじゃ?」
「最後くらい、もう少し感動的に締めませんか?」
「よかろう」
ジュージュー仙人は、胸を張った。
「――アイリスよ」
「はい」
「これからも、困った時はいつでも――」
「はい……!」
「肉まんを――」
「違います!!」
「なぜじゃ!?」
「『助けを求める』の話でしょう!?」
「肉まんが必要な時も助けを求めてよいではないか」
「……それは、そうですけど」
「ほれ」
ジュージュー仙人が肉まんを差し出す。
「……いただきます」
「素直になったのう」
「ふふっ」
――こうして。
アイリスは、自分も誰かに頼っていいことを知った。
そして。
新しい仲間とともに、一歩を踏み出す。
「次は、あと三人ですね!」
「うむ!」
「……頑張りましょう!」
「まずはパーティー名を――」
「焼豚団は却下です!!」
「まだ言っておらんぞい!?」
――アイリス編・完。
――次回。
「……私の番、ですか」
静かな少女――ノエル・フェンリスの物語が始まる。




