第4話 最弱だから、誰も仲間にならない。3/3 「最弱召喚獣と虚子先生」
今日もよろしくお願いします。
学院の朝を包んでいた肉まんの香りは、まだ中庭にほんのりと残っていた。
売店の前には、先ほどまでよりも長い列ができている。
「今日は何だか特別おいしく感じるな。」
「仙人様が褒めてたからかな。」
「香りまで味わってみよう。」
そんな会話があちらこちらから聞こえてくる。
店主は忙しそうに蒸籠の蓋を開け閉めしながらも、終始笑顔だった。
「ありがとうございます! 順番にお渡ししますからね!」
その様子を見届けたジュージュー仙人は、小さく満足そうに頷く。
「ほっほっほ。」
「今日も皆、腹いっぱい幸せになるとよい。」
リシェルは隣で苦笑した。
「仙人様のおかげで、売店の皆さんは大忙しですね。」
「商いは賑わってこそじゃ。」
「……でも、最初は本当にどうなることかと思いました。」
「そうかの?」
仙人は首を傾げる。
「わしは肉まんに挨拶をしただけじゃ。」
「挨拶の規模が大きすぎます。」
思わず返したその言葉に、自分でも驚く。
つい先ほどまで胸を覆っていた重苦しさが、少しだけ遠ざかっていた。
そんなリシェルの横顔を見ていた一年生の少女が、小さく呟く。
「……笑った。」
「え?」
「リシェル様、笑ってる。」
「本当だ。」
「昨日までずっと近寄りがたい人だと思ってた。」
「なんだか普通の女の子みたい。」
その言葉に、リシェルは気付いていない。
しかしジュージュー仙人だけは、耳をぴくりと動かしていた。
「ふむ。」
小さく微笑む。
人の心が少しだけ近づいた音を、仙人はちゃんと聞いていた。
その時。
学院の時計塔から、澄んだ鐘の音が響き渡る。
――ゴーン。
――ゴーン。
始業十分前を告げる鐘だった。
「あっ!」
リシェルは我に返る。
「仙人様、大変です!」
「何がじゃ?」
「急がないと遅刻します!」
「遅刻とは、時が先に着いてしまうことじゃな。」
「のんびり説明している場合ではありません!」
リシェルはジュージュー仙人の小さな手をそっと取る。
「行きますよ!」
「おぉ。」
ぽてぽて。
今度は少しだけ速足で校舎へ向かう。
その後ろ姿を見送りながら、売店の店主は深く一礼した。
「ありがとうございました、仙人様。」
◇ ◇ ◇
二階の渡り廊下。
窓際に立つアイリス・ルミナールは、遠ざかっていく二人の背中を静かに見つめていた。
「……不思議。」
昨日の召喚契約式。
リシェルは誰よりも傷付いた顔をしていた。
世界が終わったような瞳だった。
それなのに今日。
ジュージュー仙人の隣では、何度も笑っていた。
「ふふ……。」
アイリスは自然と口元を緩める。
「リシェルさんって、あんな風に笑うんですね。」
ずっと遠い存在だと思っていた。
完璧で。
優秀で。
近寄り難い首席候補。
けれど今日見えたのは、困って、慌てて、照れて笑う、一人の少女だった。
「……少し、お話ししてみたいな。」
その想いは、まだ小さな種。
けれど確かに、彼女の心へ芽生え始めていた。
◇ ◇ ◇
「ふん。」
その様子を別の廊下から見下ろす少女が一人。
艶やかな黒髪を揺らし、高貴な雰囲気を纏う少女。
クラリス・フォン・ローゼン。
「相変わらず騒がしい方ですこと。」
腕を組み、小さく鼻を鳴らす。
その隣には、長年仕える従者が静かに立っていた。
「ですが、お嬢様。」
「何ですの。」
「先ほどから、ずっとリシェル様をご覧になっています。」
「見ていませんわ。」
「見ておられます。」
「見ていません。」
「先ほどは窓ガラスに額まで付けて――」
「付けていません!」
「昨日も夜遅くまで、『あの方は大丈夫かしら』と――」
「その話は忘れなさい!」
クラリスは真っ赤になり、従者の口を慌てて塞ぐ。
「学院で余計なことを言わないでくださいまし!」
「承知しました。」
「本当に分かっていますの!?」
そのやり取りを偶然通りかかった生徒たちが、不思議そうに眺める。
「クラリス様……今日はなんだか慌ててる?」
「珍しい。」
「具合でも悪いのかな。」
クラリスはさらに顔を赤くすると、
「べ、別に何でもありませんわ!」
と言い残し、足早にその場を去っていった。
従者はその背中を見送り、小さく微笑む。
「今日も素直になれませんでしたね。」
◇ ◇ ◇
リシェルとジュージュー仙人は、ようやく教室棟へ辿り着いていた。
教室の扉はまだ開いている。
中では既に多くの生徒が席についていた。
二人が姿を見せると、教室中の視線が集まる。
昨日までなら、その視線は畏敬と憧れだった。
今日も注目はされている。
だが、その空気は少しだけ違っていた。
「肉まんの仙人だ。」
「鳩と話してた人。」
「なんだか面白い召喚獣だね。」
「思ってたより可愛い。」
そんな囁きが聞こえる。
リシェルは驚いた。
(昨日みたいな笑いじゃない……。)
誰も「最弱」とは言わない。
誰も嘲笑していない。
もちろん、まだ好奇の視線はある。
それでも――。
その瞳には、ほんの少しだけ温かさが宿っていた。
ジュージュー仙人は何も言わず、ぽてぽてと教室へ入り、自分の席……ではなく、教卓のすぐ前へ座り込む。
「仙人様?」
「ここなら先生の話がよく聞こえる。」
「いえ、そこは先生のお立ちになる場所です……。」
「ほう?」
首を傾げる仙人。
その姿に、教室のあちこちからくすりと笑い声が漏れる。
リシェルも思わず苦笑しながら、小さな背中を抱き上げた。
「こちらですよ。」
「そうか。」
「今日は勉強の日じゃな。」
「はい。」
「たくさん学びましょう。」
その時。
廊下から、規則正しい靴音が近づいてくる。
コツ。
コツ。
コツ。
教室の空気が一瞬で引き締まった。
「来た……。」
「あ、虚子先生だ。」
「今日は契約学の授業だよね。」
静まり返る教室へ、一人の女性がゆっくりと姿を現した。
艶のある黒髪を肩口で揃え、紺色の学院教員用ローブを纏った若き講師。
ー虚子先生ー。
二十七歳。
学院史上最年少で専任講師となった天才であり、王国でも数えるほどしか存在しない《契約紋学》の専門家。
召喚契約に関する知識は学院長ですら一目置くと言われ、難解な召喚理論さえ誰にでも理解できるよう噛み砕いて教えることから、生徒たちの人気も非常に高い。
授業中は冷静沈着。
表情一つ変えず、淡々と講義を進める姿から、「歩く教科書」とまで呼ばれている。
――もっとも。
それは授業中だけの話である。
「そういえば昨日の学院新聞、見た?」
前の席の男子生徒が、小声で囁いた。
「あぁ、『先生の噂』だろ?」
「恋愛成功率〇%ってやつ。」
「しっ!」
女子生徒が慌てて制する。
「聞こえたら怒られるって。」
「でもさぁ。」
「"絶賛彼氏募集中"って書かれてたよ?」
「本人、あれ全力で否定してたよね。」
「『募集中ではありません!』って顔真っ赤で。」
「しかも酒場で酒瓶抱いて泣いてたって――」
「おい、それ以上言うな。」
その瞬間だった。
「…………。」
虚子がゆっくりと視線だけをこちらへ向ける。
教室が凍りつく。
「学院新聞。」
静かな声。
「誰が情報を流しているのか、私も非常に興味があります。」
「…………。」
「ちなみに。」
一拍置く。
「あの記事は八割が誤報です。」
教室がざわつく。
「残り二割は?」
誰かが思わず呟く。
「……ノーコメントです。」
その一言で教室中が吹き出した。
虚子は軽く咳払いを一つ。
「授業を始めます。」
一瞬で教室の空気が切り替わる。
先ほどまで笑っていた生徒たちも、自然と姿勢を正した。
それだけ、彼女は教師として信頼されていた。
黒板へ向かい、白いチョークを手に取る。
さらさらと流れるような文字で、一つの単語を書き記した。
――『契約紋』。――
「本日より皆さんは、正式な召喚者としての教育課程へ入ります。」
「まず最初に。」
「皆さんと召喚魔獣を真の契約者として結ぶための儀式――契約紋について説明しましょう。」
ジュージュー仙人は、その文字をじっと見つめていた。
「契約……紋。」
ぽつりと呟く。
虚子は穏やかに頷いた。
「ええ。」
「召喚者と召喚魔獣を真の契約者として結ぶ、大切な儀式です。」
「魂と魂を結ぶ道。」
「一生涯、互いを支え合うための証でもあります。」
仙人は「ほう」と感心したように頷いた。
「つまり。」
「伴侶のようなものじゃな。」
教室が静まり返る。
虚子は少し考えてから答える。
「……考え方としては、近いかもしれません。」
「互いを信じ。」
「命を預け合う。」
「その意味では。」
「生涯の伴侶と言えるでしょう。」
仙人は何度も頷いた。
「なるほど。」
「よく分かった。」
リシェルは少し安心する。
(よかった……。)
(今回は真面目なお話だった。)
しかし。
次の瞬間。
仙人が、すっと手を挙げた。
「先生。」
「はい。」
「先生にも伴侶は、おるかの?」
「…………。」
教室中の時間が止まる。
リシェル
(えぇぇぇぇぇぇぇっ!?)
虚子。
人生で初めて見せるほど綺麗に固まる。
教室も沈黙。
数秒後。
「ぶっ!」
誰かが吹き出した。
「聞いた!」
「仙人様!」
「そこ!?」
「違う違う違う!」
教室中が笑い始める。
虚子は小さく咳払いを一つ。
「……授業とは関係ありません。」
仙人。
「そうか。」
真顔。
「まだ見付かっとらんのじゃな。」
「…………。」
「良い縁があるとよいのう。」
悪気ゼロ。
本気で応援している。
虚子は額へ手を当てる。
「ありがとうございます。ですが、余計なお世話です。」
教室大爆笑。
リシェル
(穴があったら入りたいです……。)
アイリスは口元を押さえながら笑っている。
クラリスも
「ふっ……。」
思わず吹き出してしまい、
慌てて咳払い。
虚子。
もう一度咳払い。
「……では。」
「続きは次の授業で説明します。」
「契約紋は。」
「皆さんの召喚者人生で最も重要な儀式です。」
「心の準備をしておいてください。」
鐘が鳴る。
キーンコーン……
キーンコーン……
授業終了。
生徒達は
「先生、ごめんなさい(笑)」
「仙人様面白すぎる。」
「明日も楽しみ。」
笑いながら教室を出ていく。
リシェルだけは
深々と頭を下げる。
「本当に申し訳ありませんでした……。」
虚子先生は苦笑する。
「……慣れます。」
「え?」
「たぶん。」
「いえ。」
「慣れない気がします。」
二人とも苦笑。
仙人だけが
「ほっほっほ。」
と笑っていた。
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第5話「魂を結ぶ契約紋」1/3「契約紋の授業」 へ続く
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