母の想い
「父上。」
シオンが改めて皇帝に向き直った。
「すでにリゼが戻ったことは知られていましょう。
今夜宮殿は騒がしくなります。
逃げるようで申し訳ないのですが、リゼは今夜は大公邸でゆっくり休ませてやりたいのです。明日からはそうもいかないでしょうから」
「そうするがよい。今夜はわしとレオンで対応する。
お前とリゼが皇室に戻るとなると、煩く騒ぐ輩も多そうだからな」
「しかし父上。
アストラル皇国を維持するには皇族が一人でも多いほうが良い。
奴らだってそれは承知のはずです。
騒ぐのは体面を保ちたいだけ。問題にはならないでしょう」
レオンはそう言ってシオンを見た。
「シオン。心配するな。
今日中に全部手配は終えておく。リゼを安心させてやってくれ」
シオンは皇帝と皇太子に深く一礼すると黙って去っていった。
シオンが歩くその陰で、じっと視線を送る者たちが増えている。
煩わしいことだと、シオンは己の手を握りしめた。
密やかな騒めきの中、シオンは娘の元に向かう。
「レオン。
シオンは皇族の務めを五年も果たさなかったと思われている。
実際には、毎月必ず魔力を供給してきたというのに」
皇帝が憂いを口にする
「父上、臣下たちがそう思うのも無理はありません。
魔力の供給は皇族しかできないと信じられているのですから
臣籍降下など身分は関係ない。
アストラル皇帝の血こそが、魔力の源だと言うのに」
初代皇帝は砂漠を緑地に変えて国を作り上げた。
だがそのためには大量の魔力が必要だ。
そしてこの豊かな大地は皇族が魔力を供給することで成り立っている。
アストラル皇国の民が、皇帝と皇族を熱烈に慕うのは、それが理由だった。
そんなときシオンが皇族を離れてしまった。
悲劇の皇子妃と行方不明の幼い姫。
シオンの行動は最初こそ民の涙をさそったが、
それが五年にも及べば不満もたまってくる。
シオン大公は民のことを考えていない。
いつまで悲劇の主人公を気取っているのか?
リゼの帰還をもろ手を挙げて歓迎する空気ではないのだ。
シオンが迎えにいくとリゼは、ゆったりとしたAラインのドレスを着せられ、髪もヘッドドレスを付けただけのおろし髪になっている。
「おつかれでしょうから、少しでもお身体に負担のないようにいたしました」
侍女はそういうとリゼをシオンに任せた。
「礼をいう。よく気遣ってくれたな」
シオンはそう言って愛しい我が娘を見た。
クリーム色のシンプルなドレスはリゼによく似あっていた。
同色で細かく刺繍されているのも可愛らしい。
リゼが首都の大公邸に入ると、使用人全員が整列して待っていた。
シオンが五年も探していた姫君が帰ってきたのだ。
リゼはゆっくりと歩きながら、懐かしい顔を見かけると、かすかに頷いてみせた。
それだけで視線があった者は涙にくれるのであった。
「お食事は閣下のお部屋に用意しております。
今夜はお二人でゆっくりされたいでしょうから」
「閣下ではなく、殿下だ」
付き添いの従卒が声をかける。
「おぉ。失礼いたしました。皇子殿下。姫さま」
そう顔をほころばせて執事は去って行く。
シオンが手を挙げると、ほかの人々も全員いなくなった。
食卓の上には全ての料理が並び、温かいものは温かいままに食べられるようになっている。
本当に今夜は誰もこの部屋にこないつもりなのだろう。
「リゼ 食事にしよう」
「はい、お父様」
シオンはリゼが母親のことを何も聞かないことに胸を痛めた。
この子は母親が死んだことを知っているのだ。現場にいたのだから。
リゼはパンをちぎったが、上手く呑み込めなかった。
その手がかすかに震えている。
「リゼ。お前は異界にいたのか?」
その質問にリゼははっと目を見開いた。
リゼは思わず父を見つめた。手に持ったナイフが皿に当たりカチャリという音が、不思議に大きく響いた。
「さすがですね。多分気づいていらっしゃると思っていました。」
そういうとリゼは素直に今まで起きたことを話す。
多分シオンは他に聞かせてはならない話を、ここで詰めておきたいのだろうから。
全て話し終わると、リゼはこてりと首をかしげた。
「それで、どう思われますか。
私はリゼ・フォン・アストラルなのでしょうか?」
それとも太田理恵子なのか?とはリゼは聞かなかったが、シオンは察した。
「リゼ。お前は間違いなく私の娘、リゼ・フォン・アストラルだよ。
リゼは大きな勘違いをしていたのだね」
「お前の母は禁忌など侵さない。他人の命を我が娘の犠牲になど、する筈は無いのだよ」
柔らかく微笑みながらシオンはそう言った。
リゼは困ったように瞬きをする。まだ信じられないのだろう。
「あの日、異界への扉が開かれた時、私たちはもう一人のリゼを探していたのだ。」
あぁ、ソウルメイトのことかとリゼは思う。
しかし、ソウルメイトとは魂の半身とはいえ、別人のはず。
「リゼ。私たち皇族は魔力量が多い。そのために皇族に嫁いだ妃にとって出産は命がけだ。わかるね?」
それは確かにそうだ。なるべく魔力量が多いものが選ばれるが、それでも出産に耐え切れずに亡くなる妃も多い。それゆえに皇族の数は少ないのだ。
「リゼ。お前の魔力は初代皇帝と同じなのだ。
始祖の力は膨大だ。砂漠を緑地に変えるほどだからな。
だから何としてもお前を産む必要があった。」
リゼは息を呑む。
どういうこと? 今シオンはなんの話をしているの?
確か初代皇帝の母は皇帝を産むと亡くなったと伝えられているが……。
痛ましそうにリゼを見つめシオンは話を続ける。
「あのままでは、妻サラの命だけではなく、リゼお前の命も危うかった。
どう頑張ってもサラは出産まで持ちこたえられそうもなかったし、そうなればお前の命も危うい」
「異界の扉を開いたのは二度。
お前が産まれる前、お前の魂を二つに割いて、一つを異世界の母体の中で死亡していた胎児に託した。
母親は気が付かなかったろう。我が子が本当は死産だったことなど」
では、太田理恵子もリゼだったのだ。
「お前の母は禁忌など犯していない。
サラの異能は、異世界を開き人を移動させる力。
いわゆる異世界転移の力だ。それは魂にも及ぶ。
いずれお前が膨大な魔力に耐えられる年になれば、サラが魂をこちらに戻す手筈だった」
「しかし事件が起きた。
サラは自分が死ねばリゼの魂の片割れを取り戻せなくなると思った。
それで異界を開き、リゼ本体を異界に。片割れをこの世界に戻したのだ」
「まだリゼの身体は始祖級の膨大な魔力に耐えられなかったから。
そしてリゼ本体なら、お前が魔力顕現したタイミングで、こちらに戻る力があると知っていたから」
「リゼは、サラの異能をよく知らなかったから勘違いしたのだ。
きっと自分の身代わりにこの身体の少女の魂を使ったのだろうと」
「十二歳になれば、魔力顕現が強制的に実施される。
そのタイミングで異世界に渡ったリゼは、お前の魂と一体になった。
魔力が多いほど覚醒が早い。リゼは三歳で既に魔力を顕現していた。
皇家では珍しいことではないけれどね」
リゼはただ涙を流していた。
母親はどれだけの犠牲を払ってリゼを守ったのだろうか。
そんなリゼを固く抱きしめてシオンは言った。
「お帰り、私の大事な娘。我がアストラルの希望の星よ」
「では、お父様はどうして私が異界にいると知っているのに。
会えるのは十二歳だと知っていたのに、臣籍降下までして私を探したの?ずいぶん非難されたはずなのに」
「わからないからだ。敵の正体が全く見えない。
お前が異界にいると知られてはならなかった。
敵がただ人なら良い。だが異能者だったら?」
「このアストラル皇国の中にいるのか?
あるいは外の世界でひそかに力を蓄えているのかもつかめていないんだ」
愛する妻を亡くしシオンは全力で敵を追った。
そうして全ての手がかりは、必ずプツンと途切れた。
それでシオンは確信するしかなかった。
アストラル皇国以外に異能集団がいると。
彼らがアストラル皇国を狙っているのは間違いない。
しかも狙いはリゼだと思われた。
それならリゼの力までわかっているとしか思えない。
リゼはアストラル皇国に戻ったが、敵もそれを知ったはず。
闇に潜んでいても、その腐臭はぬぐえないぞ!
今度こそはリゼを守る。敵をせん滅してでも。
シオンは固く決意していた。




