辺境へ
ノアは、祖父であるブルーノの思い出に浸る時間さえ与えられなかった。
ブルーノは、ノアを一番気に入って、多くの事を教えてくれていたのに。
ゴーン、ゴーンと鐘楼の鐘がアストラル皇国に鳴り響く。
皇帝崩御を知らせる鐘の音だ。
ブルーノの死後、僅か2週間。
新年を待たずに、レオニス皇帝は崩御した。
皇帝崩御の知らせは、そのまま新皇帝が立ったのと同じ意味を持つ。
新皇帝レオンは即座に、アーサーを皇太子に任じ、皇太子府を開くことを命じた。
そして新政府はレオンの弟シオンを宰相として、動き始めた。
儀典部はレオニス前皇帝の葬儀、レオン皇帝の即位式、そしてアーサーの皇太子任命と、多くの儀礼を行う必要に迫られて忙しくしている。
その最中、とうとう辺境軍が動いたとの一報が届いた。
風龍であるフウカが、防御結界を展開している。
しかしフウカとて眠らねばならない。
クリスト辺境伯家を中心とした辺境軍は、フウカが眠る3時間、辺境軍の侵攻を抑えるだけで必死だった。
レオン皇帝は、皇太子アーサーを皇国防衛軍の指揮官に任命。
10万の軍勢を先発隊として、辺境へと派遣した。
その間に皇帝として新政府を整え、新たな将軍に50万の軍勢を預けて、正規の防衛軍とする心づもりだ。
混乱する王都から、むやみに兵を派遣出来ない。まずは権力を握り政情を安定させることが急務だったのだ。
「半年、半年間辺境を維持してくれ。その間皇都は政府が担当する。皇帝崩御と辺境軍の侵攻が重なって、皇都は混乱している。アーサー。皇太子であるお前が、自ら兵を率いる。それが民の希望となるのだ」
「お任せ下さい。父上。正規軍がくるまで、何としても防衛ラインを維持してみせます」
アーサーは、大きく頷いた。そしてアーサー皇太子の戦場への派遣を聞いたアストラル学院生から、多くの志願兵が出た。
「お前たちは、まだ学生だ。この戦いは長くなる。卒業してからでもいくらでも戦う機会は訪れる」
教師たちはそう言った。しかし。
「半年。半年だけなら学業に影響はありません。戻れば必ずその分は取り返してみせます。第一アーサー皇太子だって、まだ14歳ではありませんか!」
そう言われてなすすべもなく、アストラル学院志願兵はそのまま、生徒会の預かりとなって、一緒に進軍することになった。
そして驚いたことに、志願した生徒のほとんどは、ミカエルを追い回していた生徒たちだった。
「なんだよ。お前ら。辺境まで俺を追いかけるつもりか?」ミカエルは驚いた。
「当たり前だろう。3凶星ばかりに良い格好をさせられるかよ。俺たちだってなかなか強くなったのだからな」
あれだけミカエルやダンテに文句を付けていたくせに、彼らは朗らかに笑ったのだ。
「お前ら。戦場にいくのだぞ。しかも辺境軍は俺らの2倍も大きいらしい。命がいくらあっても足りないかもしれないのだぞ」
「大丈夫だって。ミカエルやダンテのえげつない反撃に耐えたんだぜ。それにいざとなればサトリ姫に治癒して貰えるからな」
「そうとも。俺らの憧れのサトリ姫をまもらないとな」
どうも生徒達にはサトリは大人気みたいなのだ。
リゼがいかにも王女様という風情で、高嶺の花なのに比べて聖女サトリは誰にでも優しかったから。
そんな話を聞いて、ノアは笑った。
「サトリ。僕の婚約者は随分人気があるのだね」
「あら、ノア。もしかして妬いているの」
「まさか。ただ実態を知らないというのは、平和だなぁと思っただけだ」
ノアが揶揄うように、サトリはいたって優し気に振舞うが、生徒会室ではかなり辛辣だったりするのだ。
アーノルドがため込んだ物資のほとんどは、レオン皇帝に託してきた。
レオン皇帝は驚いたが、すぐにその大量の物資を市場に積み上げたので、起こりかけたパニックは、すぐに収まったのだ。
レオン皇帝は言った。
「ノア、さすがにブルーノの孫だけある。よくやってくれた。とはいえこれでは焼け石に水だろうがな」
「その手当はシオン皇子が手を打っていらっしゃるでしょう?どうもシオン皇子はセレスティア女王陛下と馬が合うようですから」
レオン皇帝は苦笑した。
「ああ。それにシオンはルーンフェル王の義弟だからね。プロイセン王国からも物資が届いている。三ヵ国が協力的なので助かるよ」
「それがずっと続くといいのですが。父上、どうも三ヵ国は当事者意識が薄すぎる。アストラル皇国が辺境を守るのが当然と考えています。アストラルが破られれば、次は自分たちの番だと言うのに」
アーサーが不満そうに言った。
「まあそう言うな。プロイセン王国は一部辺境に近いから、協力的だ。他の国は辺境軍すら見たことが無いのだ。しかたあるまい」
レオン皇帝が息子を宥めた。
今回辺境に派遣されるのは、ほとんどが魔法士達だった。
少なくとも氷魔法を防御できる者。
それだけが参加条件だったから、必然的に魔法士が多くなる。
アーサーは部隊全員に、起きている間、常に防御魔法を纏うことを厳命した。これは大いに不評だった。
魔力切れを起こす者。そこまでいかなくても進軍するだけで体力を削られるのに、魔力まで使う。疲れない訳が無かった。
「なんだよ。皇太子と言っても14のガキだ。何にも分かっちゃいない」
「ああ。こんなに疲れ果てては、いざという時に戦えないぜ」
どれだけ文句を言われても、アーサーは頑として命令を撤回しなかった。
「皇太子殿下。このままでは兵士の士気が、下がるばかりです。彼らもいざとなれば基本の防御魔法ぐらいは使えます。何も常時発動させなくても。ここは戦場では無いのですぞ」
とうとう、将軍までもが文句を言いに来た。
「将軍。たかが基本の防御魔法ぐらい常時発動できなくて、どうやって氷狼と戦うというのです?奴らの姿が見えた時には、辺り一面が凍り付いているのですよ」
アーサーは鋭く問い詰めた。
「それは、しかし。それは戦場でのことで」
「氷点下の冷たい北の大地で、身軽に動くためには防御魔法で冷気を遮断するのが一番手っ取り早い。まさか分厚い防寒着で身動きできないぐらい身体を覆って戦うのですか?素早い氷狼相手に?」
「その上、相手の辺境軍は大男。我らの二倍の体格だ。当然魔力量も桁違いでしょう。それならこちらはひとりに対して5人以上で対峙しなければならないでしょう?素早さが必要なのです」
アーサーは丁寧に説明した。
「申し訳ありませんでした。こんな事で皇太子殿下を煩わせてしまった。
進軍に駆け足を導入しましょう。体力がなさ過ぎたようだ」
将軍は敵の力を詳細に説明されて納得した。
兵士たちは、文句をいったせいで、進軍速度が大幅に上がることになった。
「信じられないね。なんで走らなければならないんだ。俺たちは貴族で平民ではないんだぜ。それなのに走って進軍するなんて、ありえないだろう」
「そうだよな。俺たちは魔法士で、足軽ではない!」
「ねえ、アーサー。あなた凄く恨まれているわよ」
リゼが心配そうにそう言った。
王都から辺境まで、徒歩で移動している。馬が氷の大地で使えないせいだ。使えないなら連れていく意味はない。
物資は収納魔法に入れているから、兵士たちはとても身軽なのだ。
ずっと走らせてもいいとアーサーなどは思っている。
けれど兵士たちは、そもそも徒歩が気に入らない。
そこに駆け足まで加わったのだから、アーサー皇太子を見る目に憎しみが混じっている。
だが文句を言いながらも、毎日強制された常時発動の防御魔法と、駆け足の強行軍が、結果的に兵士の基礎体力を劇的に底上げしていたのだ。
少なくとも辺境軍と戦えるレベルくらいにはなっている。
「参ったね。走ってばかりいるせいか、走っても疲れなくなった」
「俺もだよ。魔力が増えたみたいだ。今では目をつむっても自然に防御魔法が使えるようになった」
「俺たち、もしかして強くなったのじゃないかな」
兵士たちも、強くなった実感があるせいか、文句は言っても前のような憎しみは感じられない。
「ここまでやるのは、もしかして辺境軍が強いのかもしれないぞ」
「俺たちで勝てるのかなぁ」
辺境が近づくにつれて兵士たちは、少し不安が募ってきた。
辺境軍という未知の生き物と戦うのだから、不安になるのも当たり前ではあったのだ。
やがて一行はようやく辺境に到着した。
「いらっしゃい。アーサー。みんな。さあ、館に入って。ソラ閣下とフウカ様が待ちかねているよ」
辺境伯の館につくとダンテが出迎えた。
「お父様、お母様。お元気そうで何よりです。お母様、少しお休みになって。結界は私が張りますから」
メアリーの言葉にフウカはほほ笑んだ。
「ありがとう。それでは少し休ませて貰うわね」
娘たちが来たのに、話もそこそこにフウカは寝室に籠ってしまった。
余程疲れているに違いない。
「悪いね。メアリー。フウカが目を覚ますまでお願いするよ」
そういうソラも顔色が悪い。魔法士であるソラは、ずっと前線で戦ってきたのだ。
「それで、辺境軍の動きは?」
挨拶もそこそこに、アーサーがソラに尋ねる。
「1万の兵士で3時間前線を維持するだけで、限界だ。辺境軍は人間の倍くらい大きいのだ。
しかもあの大男。ここの辺境では雪男と言っているが、ともかく大きいくせにサルみたいにすばしこい。」
「雪男か? それが辺境軍の主力なのだな?大きいと言う事は体力も魔力も人間よりも強いのか?」
「そうだな。凄い勢いで近づいて、いきなり殴りかかってくるが、これに当たると一撃で人間はぺしゃんこになる。防御魔法でさえ、威力を減じるくらいで、身体にダメージが掛かるのだ。体力も魔力も桁違いだよ」
「厄介だな。武器などは?」
「金棒を振り回しているね。金棒に雷魔法で電撃をくらわしてみたが、金棒は破壊されたのに、雪男の方はふらふらしながら立ち上がったからね。体力も半端ない」
「今回は10万連れてきていますが、どのように使いますか?防衛だけではなく攻めることも考えられるでしょうか?」
「目標は防衛。出来れば風龍の防御魔法なしで耐えられるようにしたい。フウカも多分それほど持たないし、メアリーに20年も辺境で防御させると言うのも違うと思うからね」
「確かに仰る通りです。兵士はどのくらいの間、耐えられましたか?」
「そうだね。あの凄まじい攻撃だ。1体倒すのに慣れたものでも7人がかり。慣れないと最低10人は必要だな。すばしっこくて魔法が当たらない。当たっても頑丈過ぎてダメージが無い。30分で交代させているよ。体力も魔力もそれぐらいしか持たないから」
「相手の人数は?」
「大体一度にやってくるのは、500から600人だが、なにしろ氷狼が先兵で襲ってくるからね。これの対処は高位魔法士でないと無理だ」
「それに兵士の撤退を援護したり、救護するものが必要だ。1万人で3時間しか戦えないのは本当なのだ」
アーサー達は暗澹たる想いだった。彼我の差が大きすぎる。
「ソラ閣下。貴方の魔力で1体倒せますか?」
「ああ、出来る。実際、出陣の都度、5体はひとりで倒す。それと氷狼も私が受け持っている」
アーサーとソラ閣下の会話を、皆黙って聞いていたのだがここで初めてアーノルドが口を開いた。
「それなら僕が氷狼を受け持ちましょう」
その言葉にアーサーも同意した。
「ああ、僕とノアとアーノルドが交代で氷狼を受けもつことにしよう。」
ここに強力な魔法士はいない。
魔力が多いのは高位貴族。しかし高位貴族たちは今は宮廷にいる。
彼らの関心は辺境ではなく、皇帝亡きあとの勢力図だからだ。
「ともかく将軍たちと、この現状を共有しましょう。明日から連れてきた兵士に実戦を積ませます。ソラと辺境伯の兵士たちはサポートをお願いします」
アーサーがそう言った。
駆け足ごときで文句たらたらの兵士たちが、実戦でどこまで使えるのか?
とにかくやってみる他は無かった。




