第2章 風龍の死
兵士たちは天幕で夜を過ごしている。
明日は、いよいよ戦場に出る。
兵士たちには、久しぶりにご馳走と酒が振る舞われていた。
「良いか。10人1組で出陣する。仲間とよく連携するのだぞ。戦闘組、支援組。救助組、休息組と30分で交代する。明日は8時から戦闘開始。終了は12時。戦闘は4時間。その後は此処に戻って昼食。その後は自由時間になる」
「なんだ。それでは実際に戦闘するのはせいぜい1時間じゃないか。楽勝だぜ」
「そうだよな。いくら雪男が大きいと言っても、ひとりを10人で囲むのだ。負ける訳がない」
「だが、明日はいよいよ戦闘だ。早く休むようにな」
「酒だって1杯しか貰えなかったからな。もう寝るさ」
兵士たちは楽観していた。
アーノルドは、自分の妻、メアリーを心配そうに見つめていた。
既にメアリーの逆鱗をアーノルドが取り込んで、2人は夫婦になっている。おかげで、アーノルドがかなりの距離、メアリーから離れても、メアリーは結界を維持する魔力をアーノルドから受け取る事が出来るのだ。
「メアリー。大丈夫か?明日の朝8時まで、およそ17時間も結界を張り続けるなんて、初めてだろう?」
メアリーがフウカから結界の維持を代わったのは、午後3時だった。それからずっとメアリーが結界を維持しているのだ。
「大丈夫よ。アーノルド。私は龍なのよ。これぐらい平気よ」
「だって君は風龍で、すごく弱いんだろう?龍化すら出来ないって言うじゃないか」
メアリーは、軽くアーノルドを睨むと、子猫ぐらいの大きさの、可愛い白い龍の姿になった。
「空を飛ぶ大きな成龍の姿には変化出来ないけれど、私だって小竜の姿にはなれるんですからね」
そうやって怒ってみても、いまやメアリーは、それは愛らしい小さな龍だったから、アーノルドは相好を崩した。
「メアリー。龍化出来ないと思っていたけれど、そんなにも可愛らしい姿に変化できるのだね。知らなかったよ。なんて可愛いのだろう」
元々、アーノルドは、小さな可愛らしいものが好きで、王宮にいた時には、真っ白なうさぎを飼っていたから、うさぎよりもまだ小さな、真っ白な可愛い龍に夢中になった。
そっと抱きかかえると、愛おしそうに撫でている。
小さな龍は、気持ちよさげに目を細めていたが、やがてハッとしたように、アーノルドの腕から逃げ出して、メアリーの姿に戻ってしまった。
「危なかったわ。気持ちよすぎて危なく眠ってしまうところだったわ。何やっているのよ。アーノルド。私が眠ったら、結界が消えてしまうのよ」
叱られてアーノルドは、うなだれた。
「ごめんよ。メアリー。君は今夜は徹夜だものね。珈琲でも運ばせるよ」
アーノルドはベルを鳴らし、メアリーに珈琲と夜食を持ってくるように言った。
メアリーはすぐに機嫌を直し、アーノルドに優しく伝える。
「アーノルド。貴方も明日は戦闘に参加するのでしょう?私の事は良いから、もう寝て頂戴」
とても優しく言われたのでアーノルドはメアリーの額にそっとキスを落とした。
「分かったよ。僕の可愛い奥様。もう寝るね。お休み」
アーノルドが部屋を出ると、それを見計らったようにソラがやって来た。
「お父様。お父様も、明日はアーサー皇太子殿下の補佐をなさるのでしょう?もうお休みにならなくては」
「そうだね。メアリー。けれど愛しい娘に話しておかなければいけない事があるのだ」
「どうなさったのですか?お父様」
「メアリー。レオニス皇帝陛下が崩御され、ブルーノ公爵も亡くなった。正直に言うと、多分、私とフウカの命もそう長くはない」
メアリーが青ざめたので、ソラは娘の頭を優しく撫でてやった。
「メアリー。龍の番は、龍が死ぬと同じように死んでしまう。それは知っているね」
メアリーは、こくりと頷いた。目には既に涙がたまっている。
「酷な言い方になるが、君は両親を同時に失うことになる。だからその覚悟をしておいて欲しいのだ。フウカがいなくなれば、結界を維持できるのは、メアリー。お前だけだからね」
「嫌です。お父様。そんな悲しい事を言わないで。お父様も、お母様もまだまだお元気ですわ」
ソラはそんなメアリーを優しく抱きしめた。出来ればソラはメアリーにあらかじめ覚悟をしておいてほしかったのだ。
両親の死で、動揺してメアリーが結界を張れなくなったら、たった10万の兵で24時間、国境を守ることなど不可能だからだ。
けれど、その可能性を伝えただけで娘はこんなにも動揺してしまう。
ソラは、最悪の可能性について、アーサーとノアに伝えておくことにした。
アーサー皇太子と参謀ノアは、ソラ閣下の懸念を正しく理解した。
「ソラ閣下。そうなればメアリーを支えることが出来るのは、アーノルドだけです。何かあればアーノルドに戦線を離脱させ、メアリーの心を救うように手配致します」
ソラとフウカの死を織り込み済みにするのは、あまりにも非人情的かも知れなかったが、メアリーの結界が、正規軍が来るまでの命綱なのだから、それも仕方がないことだった。
「アーサー。僕からアーノルドに伝えておくよ」
それをソラが止めた。
「婿殿には、私から伝えておくよ。娘の事も頼んでおきたいからね」
そう言ってソラ閣下は部屋を出て行った。
「どう思うアーサー」ノアが沈痛な顔で言った。
「ノア、君が予想している通りだと思うよ」
「だとしたら、明日の戦闘はかなり大変な事になりそうだな」
ノアがぼそりと言った。
「だから、本来は見学のつもりだったアストラル学院生を本部に詰めさせておこうと思う。彼らは高位貴族の子弟だからね。兵士たちよりはずっと役に立つ」
アーサーがそう決定を下した。
ノアは嫌そうな顔になった。
「なるべく戦闘に参加させたくなかったのだよ。僕はね。あいつらはまだ14歳だ。それに高位貴族だからね、死なせたらアーサー。お前が非難されることになる」
「分かっているよ。ノア。宮廷貴族が後継者を亡くしたら、私の皇太子としての資質を攻撃してくることぐらいはね。けれどノア。きっと明日がソラ宰相と風龍フウカの命日になる」
「僕もそう思う。そうでなければソラ宰相が、初めての戦闘の前に、こんな不吉な話をするはずがないからね。しかしせめてあと1週間あれば、兵士たちだって少しは使い物になっていただろうに」
明日の戦いを前に、アーサー皇太子と参謀ノアは、最悪の状況を覚悟していた。兵士たちが、呑気に構えていたのは戦闘時間が4時間と決められていたからだ。
だがもしもメアリーが両親を亡くした悲哀から、なかなか立ち直れなかったら?結界を張ろうとしても、上手くいかなかったら?
元々魔法は本人の精神状態に影響されやすい。新米の魔法士が焦るあまり、魔法を練成出来ないのはよくある事だ。
13歳の少女が両親の死のショックをすぐさま乗り越えて、完璧な結界を張れるとは思えなかった。
問題は、いつまで戦い続ければよいかという事だ。延々と戦い続けるのは、経験を積んだ猛者たちならば、耐えられるだろう。
けれどアーサーの率いる兵は、初めて辺境軍と戦うのだ。
「それに。問題はそれだけじゃない。半年も前線を支え続けるなら、メアリーには、毎日8時間。きっちり睡眠を取らせなければならない」
ノアはアーサーを見つめた。
「分かっているよノア。私の兵士たちも、すぐにそれを理解することになるだろうね」
翌朝8時。メアリーは寝室に入り眠りについた。
結界が切れた瞬間。ヒューヒューと風を切る音と共に氷狼が現れたが、それはアーノルドの焔壁によって阻まれ、次の瞬間には氷狼は囂々と襲い掛かる焔弾によって、次々に霧散していった。
「やったぞ!」
「すげぇ」
歓声が上がったが、すぐに「全員、円陣を組んで攻撃に備えよ」との檄が飛ぶ。
兵士たちが、まだ陣を整えない内に、飛ぶような素早さで雪男たちが、次々に襲い掛かる。
油断した数名が重傷を負ったが、すぐに支援部隊が離脱した兵士の穴を埋め、救助隊が、重傷者を素早く後方へと搬送した。
「うん、なかなか連携は取れているみたいだね」
アーサー皇太子が頷いた。
後方ではサトリを中心として治癒魔法を使えるものが、どんどん兵士を癒していく。
「サトリさま。重傷者をお願いします」
「ええ、重傷者は全部、私が見るわ。運んで頂戴」
サトリの治癒で辺りは黄金の光粒が、次々にまき散らされていく。
命の危険が無い者は、治癒師が、軽傷の者は衛生兵が。
これもてきぱきと、トリアージされていく。
前線本部にはリゼが、戦闘全般を細かく見ていて、危険が迫る場合は、雪男をリゼの異空間に収納していく。
そして兵の陣形が整ったところで、雪男を異空間から兵の元に送っている。
リゼの異空間だって、そう長く維持できないので、本当に危険な場合だけだ。リゼもアーサーから、この戦闘が長引くことは聞いている。魔力は出来る限り温存したいのだ。
最初の1時間でアーノルドが前線から戻り、ノアが前線に立つ。兵士たちの動きも、どんどん良くなってきたから、後方で待機していたアストラル学院生は、自分たちも参加したいと、アーサーに強請り始めた。
「君たちは、私にとっては最後の切り札だ。今はまだ切り札を使う時ではない」
アーサー皇太子にそこまで言われれば、学院生たちも納得した。
「なんだかんだ言っても、アーサー皇太子も、俺たちに期待しているんだな」
「それはそうさ。俺たちの魔力は低位貴族達とはくらべものにならないからな。奴らが10人がかりで苦労している雪男たちなんて、俺たちなら簡単に殺すことが出来るさ」
そう思えば、見ているのも勉強になった。どうせならかっこよく一撃で倒したいから、雪男の動きや癖を冷静に観察し始めたのだ。
そうしてそろそろ4時間が経とうとしたころ、それは起こった。
「誰か来てくれ、ソラ閣下が倒れられた」
「ダメだ。もう息をしていない」
「何があったのだ!」
不慣れな兵士たちに、正確に指示を出し、戦闘のサポートを続けていたソラがいきなり倒れたかと思ったら、そのまま
息を引き取ったのだ。
「アーノルド。撤退しろ!」
アーサー皇太子が叫び、アーノルドの代わりに前線に立つ。
そしてすぐに、アストラル学院生を招集した。
「アストラル学院義勇兵の諸君、出番だ!」
そしてアーサーと学院生が前線で戦っている間に、ノアが兵士をまとめた。なにしろ兵士たちは、もう戻るつもりでいるのだ。
「兵士諸君。状況が変わった。風龍が死亡して、結界の回復に時間が掛かる。結界が回復するまで、この戦線を維持する。全員30分の休息。今のうちに仮眠を取れ!」
兵士たちは、帰還するつもりでいたところに、再度の戦闘を告げられて仰天したが、さすがに否を言うものはいなかった。素早く仮眠を取る者。携帯食料を食べる者。全員が準備を始めていた。
最初は、慣れない戦闘も、この4時間で随分馴染んだし、決して死者など出してたまるかと、リゼやサトリが兵士を癒し、最前線にノアやアーノルド、そして今やアーサー皇太子まで兵士を守り戦っている。
上が本気で兵を守るのだから、意気に感じない訳がなかった。




