恋人たち
アーノルド王子の読みは正確だった。
生徒会室に案内されたアーノルド王子は、一瞬の迷いもなくアーサー皇子の前に跪いて騎士の誓約を口にした。
「私、アーノルド・フォン・プロイセンは、己の命をアーサー皇子に捧げます」
一国の王子の誓約にノアは瞑目し、アーサー皇子は黙ってそれを受け入れた。アーノルドは己の心臓を縛った魔力を歯牙にもかけない風に立ちあがった。
そしてノアは自分でアーノルド王子の耳に黒いイヤリングを装着した。
「それほどメアリーを愛しているのか。祖国を捨て、愛する兄を悲しませてまでも、愛を取るのか?」
ノアの言葉に一同は驚愕した。
アーノルドは命を守るためにアストラル皇国に亡命したのではなかったのか?
アーノルドはぐったりとソファーに座り込んだ。
「嫌になっちまうな。全部分かっていて私を受け入れてくれたのですか?」
「愛に全てを捧げるような愚か者が、私もアーサーも好きなものでね」
ノアは楽しそうにほほ笑んだ。
アーサーが種明かしをした。
「王太子とは、鳥を通して親交があってね。よく可愛い弟について話してくれていたんだ。凄い魔法士になると自慢ばかり聞かされていたからね。あいつが弟を殺すはずがない。なら理由は一つだけ。風龍を得たいのだ」
「君ほどの魔導士がわざわざ風龍の防御を欲しがるわけないしねぇ。ありえないけれど残った理由は愛だけだった」
ノアの言葉にダンテは目を剥いた。
「でもメアリーは」
「そうだ。メアリーが愛しているのは君だ。ダンテ。だから待つさ。メアリーが僕を受け入れてくれるまで。婚約者だからと無体をするつもりは全く無い」
なんという事だろう。
これほど聡明な王子が、ただ愛する人を救いたい一心で、すべてをなげうつとは!
王子としては屈辱的な、隷属魔法までも受け入れた。
アーサー皇子が縛るのは、アストラル皇国への裏切りだけれど、この魔法の根本は隷属魔法だ。
臣下ならともかく王の子供が隷属魔法すら受け入れて、愛する女を守ろうとする。純愛でしかないだろう。
はあーとダンテは大きく息を吐いた。
「負けたよ。完敗だ。愛するって凄いことだな。俺には到底真似できそうもない」
ダンテの言葉に皆がほほ笑んだ。
アーサー皇子もノアにも愛する人がいる。
ダンテはまだ見つけていないだけなのだ。
その後すぐにアスト宰相家にアーノルド王子からの求婚状が届けられ、それにはアーサー皇子の推薦状まで添付してあったから、アスト宰相は驚いた。
だがその求婚状を見る目には、安堵と優しさがあった。
それからしばらくした休日。アスト宰相家にアーノルド王子が訪問した。
既にプロイセン王家とアスト宰相家の婚約は締結されており、アーノルド王子はアスト宰相家の養子として、アーノルド・フォン・アスト公子となっている。
外堀はすっかり埋まっている。
アーノルドは、正式なメアリーの婚約者だ。
だからメアリーは、己の恋心を葬り去ろうとした。
それはとても胸の痛む作業だったけれど。
忘れようとしても思い出すのは、ダンテの剣を振るう勇姿や、穏やかな口ぶりだった。
何か揶揄われても、のんびりと「そうだったかな」と返すダンテ。
怒る事もなさそうなのに、なぜだか学院生は3凶星などと、随分恐ろしい仇名で呼ぶ。
あれほどお優しい人をとメアリーは思うのだった。
メアリーは礼儀正しくアーノルドを出迎えた。既に決まった婚約。
だから婚約者に相応しくあろうとした。
「メアリー姫。少しお庭を歩きませんか」
そうしてアーノルドは静かにメアリーをエスコートした。侍女たちも離れて見守るだけで、庭にいるのはふたりだけ。
そっと東屋の椅子にメアリーを座らせると、アーノルドは跪いた。
決してメアリーの隣に座ろうとはしない。
なぜならメアリーの身体はアーノルドが近づくだけで、緊張していたのだから。
だからアーノルドは、少し距離を取っていた。
そうやってメアリーには、少しの余裕を与え、目線を合わせるためだけに跪いたのだ。
そうして怖がらせないように、なるべく静かに話しかけた。
「貴方の胸に、大切な人がいることは知っています。その方の事を忘れなくても良い。けれどもメアリー。これだけは信じて欲しい。貴女はこの婚約を政略だと思っていらっしゃるでしょう?」
メアリーは思わず目を見開いた。アーノルドは自分の心を知っている。
「メアリー。警戒しないで。私はあなたが好きだから、こんな風に無茶を通したのです。メアリー。君はいつも図書館の2階の一番左端の窓を少しだけ開けて本を読むのが好きだ」
メアリーはいつの間にかアーノルドの声を心地良いと思い始めていた。
柔らかく少し低い声。
けれども内容は少し怪しい。
どうしてアーノルドはメアリーの日課を知っているのだろう。
「君の憧れの人が、剣を振るうのを、ティールームの右の窓辺で刺繍しながら君は見ていた。私は羨ましかったんだ。君の瞳に映るのがどうして、私ではないのかとずっと思っていた」
メアリーがそっとダンテを見ていた時、この人もメアリーを見ていたのだろうか。
メアリーと同じように、恋心を抱いて。
そんな事があるだろうか?
「君の親友のアナベルが笑うと、君もつられてにっこり笑う。そんな君がとても愛しいと思った。守りたいと真剣に考えた。本当なら先に君の心を得てから求婚すべきだと知っている」
アーノルドは真っ直ぐにメアリーを見つめていた。
メアリーにもそれは分かった。
なぜならメアリーも、同じ目でダンテを見ていたから。
「だって君は、少しもか弱い人ではないから。自分をしっかりと持った強い女性だ。だから君は婚約者の務めを果たそうとしているよね」
アーノルドは堂々と婚約者の地位を勝ち取ったのに、それを振りかざそうとはしなかった。
「でも私が欲しいのは君の心なんだ。愛していますメアリー。だからいつまでも待つよ。君がほんの少しでも私を愛してくれるまで」
メアリーは不思議だった。
アーノルドは愛を乞おうとはしていない。
そうして理解した。心はとても素直だったから、乞われて渡せるものではなかった。
アーノルドは待つと言った。
メアリーの準備が出来るまで。
メアリーは本当に準備が出来ていないのだろうか?
メアリーはそっと自分の心に問いかける。
アーノルドは、今まで会った人とは全然違う。
何よりもメアリーの意思を大切にしてくれているではないか。
「一生だって待ち続ける。だからね。メアリー。君は無理して婚約者であろうとしなくていいんだ。君が幸せなら私も幸せだから。だからどうかメアリー。君は君のままでいてね」
そしてゆっくりと隣に座った。メアリーはもう緊張しなかった。
それどころか、少し安心していた。
隣の気配が温かく感じられる。
「ねぇメアリー。友達にならない?」
メアリーは頷いた。その耳は赤くなっていて、口元はすっかり緩んでいた。お友達。なんて素敵な響きだろう。
メアリーの指をアーノルドがそっと掴んだ。メアリーは拒まなかった。
アーノルドは、まるで宝物のようにメアリーを扱っていたから。
アーノルドは自分の瞳と同じ色のサファイアの指輪を、するりとメアリーの指に嵌めた。それは金色に輝いていて、石は小さく普段使い出来そうなものだった。
「友情の印にね。使ってくれる?」
メアリーは目の前に指輪を持ってきてしみじみと眺めた。
「綺麗だわ。アーノルド。ありがとう」
それは先ほどまでの婚約者らしい仕草とは全く異なっていた。
本当に嬉しそうに笑っていた。
アーノルドは満面の笑みで、指輪を嵌めた指ににキスを落とした。
メアリーは指先から暖かな魔力が自分の中に流れ込むのが分かった。
これが自分を守る番の魔力だとメアリーは知った。
今までの恋は憧れで、目の前にいる人こそが運命の番だった。
メアリーはそっと、アーノルドにキスをした。
本能の赴くままに。風龍には番の魔力が必要だから。
それにメアリーが動かないと、アーノルドからは触れないと分かったから。
アーノルドは何が必要か、ちゃんと知っていた。
だから深く深く口づけをした。ゆっくりとアーノルドの身体から魔力が流れ込んでいく。
メアリーはずっと眩暈や、倦怠感に悩まされてきた。
それが霧が晴れるように少しずつ消えていった。
ぼんやりとした顔でメアリーは言った。
「アーノルド。貴方が私の番だったんだわ」
アーノルドはメアリーを抱きしめた。
「うん。そうだよ。私はずっと知っていたんだ。なのに君はよそ見ばかりするから。哀しかったんだよ」
「ありがとう。アーノルド。私を諦めないでいてくれて」
「諦めるわけないだろう?だって愛しているんだからね。ずっと君を愛してる」
「アーノルド。私も愛しています」
その言葉を聞いて、アーノルドは今までの苦労が全部吹っ飛んでしまった。
大好きな兄に憎まれている振りまでしたのも、兄に弟を嫌う真似までしてもらったのも、全て円満に国を出るためだった。
魔力量が多いアーノルドは、国の筆頭魔導士として将来を嘱望されていたのだから。
アーノルドは優しくメアリーの髪を撫でてやった。
メアリーは気持ちよさそうに目を細めている。
長かった。初めてメアリーを見つけてから1年と3ヶ月も掛かってしまった。
けれどとうとうメアリーを手に入れたのだ。
アーノルドは今度はそっとメアリーにキスをした。
彼らは本当の婚約者になった。
アーノルドはいつまでも待つつもりだったけれど、メアリーはちゃんと自分の番を見つけてくれたのだ。
その様子をアスト宰相夫妻が涙ぐみながら見ていた。
風龍の番は見つける事が難しい。
だからメアリーの命が尽きるその時までは、生きていたいとアスト宰相は願っていた。
もうすっかり年老いて、いつお迎えが来てもおかしくなかったのに、仕事を続け、必死に生きようとあがいて来たのは、メアリーをひとりにしないためだった。
「職を辞することにするよ。そうしたら2人で旅行にいこう。
世界を見てみよう。僕らが愛したこの世界を」
「ええ、ソラ。そうしましょう。ありがとう貴方。私なんかを娶って苦労を掛けて。申し訳なかったわ」
「それは違うよフウカ。君がいてくれたから、私はここまでこれたのだ。メアリーにも番が現れた。すっかり死ぬときは3人一緒だと思っていたのにね」
「ふふふ、死ぬときは一緒ですわ。私は風龍ですもの」
「そうだったね。風龍の寿命は番と同じだから。だったら長生きしなくてはね」
「ええ、あなた。そうすれば、もっとたくさんの場所に行けますね」
「そうだね。あの子たちの結婚式が終わったら、お役御免だ。そのまま出発するよ。かまわないね」
「勿論よ愛するソラ」
「愛しているよフウカ」
二組の恋人たちは、いつまでも愛を語り合っていた。
その愛を証明するように、綺麗な虹がかかっていた。




