恋心
リゼとアーサーは婚約者。
それは誰でも知っている事実。
けれどもアーサー皇子は、穏やかで誰にでも紳士的。
声を荒げるところを見たこともない。
しかも2人が仲良く公務に現れることも少ないとなると、皇子妃を狙うものが出ても不思議ではなかった。
「止めなさいよアナベル。婚約者がいるのよ。しかも相手は王女さま。かなうはずないわ」
「だってリゼ王女が何と言われているか知っているでしょう?
人形姫。美しく気高いけれど、人形みたいに喜怒哀楽を現さない。いつもツンと澄ましているだけ。
それじゃぁ、アーサー皇子がお気の毒よ。お人形と結婚するなんてね」
「それでもだめよ。この婚約はアストラル皇帝陛下がお決めになったものよ。2人の間に入り込もうなんて、不敬罪で処刑されたいの?」
「あのねぇ、メアリー。私はただ、アーサー皇子をお慕いしているだけよ。この国ではいつから、恋することが不敬罪になったのかしら?」
「ええ、婚約者がいる男性を慕う事はあるでしょう。けれどもそれを口にすることは許されないわ。口にすること自体が不敬なのよ!」
その叫びには心が籠っていたから、アナベルは気がついた。メアリーは恋をしていると。
「まさか、メアリー。あなたもアーサー皇子に恋しているのじゃないでしょうね!」
怖い顔をしてなじられて、メアリーはふるふると首を振った。
「違う、違うわ、アナベル。私が好きなのは皇子様じゃない。私が好きなのは……」
「どうしたの。言いなさいよ。それが本当なら言える筈よね。言わないなら、言いふらしてあげる。メアリーがアーサー皇子に恋しているってね。貴方のお父様は怒るでしょうね。忠誠心の塊みたいな方だもの。アスト宰相は」
「止めてよ。アナベル。私は本当に」
そこまで言いかけてメアリーは言葉を止めた。アナベルが冷たい目でメアリーを見ていたからだ。どちらも同じ高位貴族の令嬢。
家格でいえばメアリーの方が高い。
それでもメアリーの気性では、アナベルには逆らえなかった。メアリーは父の晩年に生まれた一人娘。知らない者なら祖父と孫娘と思うだろう。
ようやく生まれたひとり娘だから、甘やかされ過ぎたのかも知れない。
メアリーは貴族とは思えない程、軟弱だった。
青ざめた顔でメアリーは言った。
「誰にも言わないで。誓ってよ。アナベル」
「分かったわよ。誓うわ。メアリーの好きな人の名前を誰にも言わない。これでいいでしょう?」
「私のすきなのはね。ダンテ様なの。ダンテ・フォン・クリスト辺境伯長子。私はダンテ様をお慕いしているの」
「どうしてしまったのメアリー。確かあの変わり者には婚約者はいない筈よ。そんなに好きならば、アスト宰相に頼めばいいでしょう。アスト宰相家の公女ならクリスト辺境伯家だって、文句はないと思うわ」
「いいえ、無理なの。だってダンテ様はクリスト辺境伯家のお世継ぎだもの。私を娶るわけにはいかないのよ」
その真剣な様子にアナベルは息を呑んだ。
メアリーは本気だ。本気でダンテを好いている。
メアリーを見て、アナベルは自分の恋心など、薄っぺらい憧れでしかないと思えたほどだ。
「メアリー。ごめんなさい。あなたは本気なのね。こんなに震えて。ごめんなさい。揶揄うつもりじゃなかったの。アーサー皇子さまの事だって本気じゃないわ。ちょっとリゼ王女殿下に嫉妬しただけよ」
そして震えるメアリーを抱きしめた。
「ごめんね。親友だからって、甘えすぎたわ。ごめんなさい」
メアリーは、ゆっくりと首を振った。
その顔色は幾分赤みが戻って来ていた。
「気にしないで。アナベル。大丈夫よ。あんまり大切すぎて、お名前を口にするだけで胸が苦しくなるの。アナベルのせいではないのよ」
そしてむりやりほほ笑もうとしたから、その顔は痛々しく歪んだ。
アナベルはメアリーを抱えるようにして、寮に向かって歩いていた。
さっきまでの勢いはすっかり消え、2人の姿はまるで迷子の子供の様に見えた。
それを茫然と見送る人影が2つ。
消えた2人の近くの柱の陰に少年が2人隠れていたのだ。
大柄な少年が、片手で顔を覆っている。しかも耳まで真っ赤に染めていた。
「なぁ。ダンテ。あのメアリーってお姫様、お前が好きだって言ってたよな」
信じられないような顔をして小柄な少年が尋ねた。
ダンテは顔から手を離すと、困ったように頷いた。
「信じられないけれど、お前も聞いたんだよな。ミカエル」
「ああ、確かに聞いた。くそ!この色男め。メアリー姫だっけ?可愛い子じゃないか」
「メアリー姫は、アスト宰相のひとり娘だ。きっと婿が必要なのだ。だから俺と結婚できないと嘆いているのだな」
「貴族ってのは大変だな。好きと言うことすら許されないなんてな。健気な娘だったが」
ミカエルには理解できない世界だった。
ミカエルの言葉を聞きながら、ダンテは何か覚悟したような顔をしていた。
そしてダンテとミカエルは、そのまま生徒会室に向かった。
メアリーのダンテへの恋心は、その日のうちに生徒会の知るところとなった。興味本位ではなく、貴族間の婚姻はそのまま政治に直結するからだ。
「ダンテ。これは秘匿事項だが、お前個人にも関る事だから教えてやる。お前たちもいいな。これは第1級秘匿事項だ」
「はい」全員が声をそろえる。メアリーの恋が第1級秘匿事項に触れる。
いったいどういう事だろう?
「皇帝レオニス・フォン・アストラルには、兄がいた。名前はソラ。臣籍降下して今のアスト宰相となった方だ。」
「弟が皇帝になった?しかしアストラル皇家は長子相続が基本では?」
ダンテが聞いた。
「ソラはアストラル皇家の血筋ではない。異世界からの落ち人だ。異世界人はたぐいまれな異能や魔力を持つ。それゆえ皇家に取り込まれたのだ。実際アスト宰相は、よく仕事を全うしている」
「それが第1秘匿事項なのですか?」
ミカエルが不思議そうに聞いた。
確かに異世界人は珍しい。しかしアスト宰相は老齢で、もう先も長くはないだろうし、アストラル皇帝を支え続けている。秘匿するほどのことだろうか?
「いいや、秘匿事項はそれではない。アスト宰相の妻、フウカさまの事だ」
「フウカさま?」
皇子が敬称で呼ぶなんて。いったいどうしたのだろう?
「フウカ様は、風龍の最後の生き残りだ。正確に言えばメアリーさまも、アスト宰相とフウカ様の娘で風龍だから、最後の生き残りはメアリーさまになるが」
一同はあまりの事に声も出ない。
「風龍は哀れな生き物で、自分の力では生きる事が出来ない。結婚して番の魔力を貰う事で生き延びる事が出来る」
「しかも龍化すら出来ないし、寿命もその番と同じになる。
通常ならば龍の番として生き延びればよいのだが、もう一つ致命的な欠点があって、他の龍は、唯一の牝龍だと言うのに、番に選ばなかった。だからほぼ絶滅したのだ」
「風龍が産むのは、風龍だけだ。黒龍や青龍、あるいは人間と結婚しても、生むのは、必ず牝の風龍。それが知れ渡ってから、龍は人間を番にするようになった」
「では風龍は何が出来るのですか。自分では生き残れない。子孫も風龍しか生まれないのならば!」
「風龍の異能は結界。その結界はどんなに強い雄龍にも破られない。もちろんそのためには番の魔力が必用だし、番が必要なだけの魔力を持つ人間が、そもそも稀だ」
「フウカ様も死にかけていたところを、アスト宰相に救われた。異世界人だったアスト宰相は、膨大な魔力を持っていたから風龍を救えたのだ」
「そしてアスト宰相は自分の血筋を残すことを望んでいない。フウカを娶るときにその覚悟をしたのだ。アスト宰相家は絶家となる」
「ただメアリー姫の事だけは憂いている。膨大な魔力持ちで、しかも後継を産めない女を娶る男はいないからな」
「どうなるのですか。娶る男がいない場合メアリー姫は?」
ダンテがかすれた声で聞いた。
「メアリーの命は、あと数年だ。父であるアスト宰相が、魔力を与えているがそれでも15歳まで、持っても16歳を迎えることは出来ない」
「それじゃぁ」
ダンテの言葉をアーサー皇子が遮った。
「辺境伯家が風龍を娶ることは許可出来ない。辺境伯家を絶家にするわけにはいかないからな」
「殿下。俺には弟がいます!」
ダンテが叫んだ。
「辺境伯家の継嗣はお前だ!ダンテ。よく考えろ。弟に辺境伯家を託せるかどうか?お前が一番理解している筈だ」
「見殺しにしろとおっしゃるのですか?メアリー姫には何の罪も無いのに」
「後継者を生めぬ!それが罪だ。貴族ならば分かるはずだ」
そう切り捨てたアーサーは、穏やかな声でダンテに言った。
「メアリ-姫は、13歳だ。あと2年しか生きられぬ事は、本人が知っている。もしもその恋心に応える気があるなら、残り2年。思い出を作ってやれ。だがそれ以上は望むな。いいな」
その厳しさに生徒会室は静寂に包まれた。
聖女であるサトリなどは目に、既に涙をいっぱいに貯めている。
バタン!大きな音をたててダンテが部屋を飛び出した。
リゼがそっと婚約者であるアーサーの頬に両手を添えた。
「辛くはありませんか?」
アーサーはリゼの手を取りそっとその掌に口付けを落とした。
「ありがとう。大丈夫だよ」
サトリも自分の婚約者であるノアを見上げて呟いた。
「大丈夫でしょうか?」
「信じるしかないだろう」ノアは呟いた。
ミカエルが部屋を出ようと動く。
「何をするつもりだ」ノアが呼び止めた。
「警護ですよ。友を守ります」そうしてにっと笑って出ていった。
部屋には、静けさだけしか残らなかった。




