気絶したミカエル
目の前に皇子と公子が並んでいるのを見たミカエルは、棒立ちになったがすぐに逃げようと後ろを振り返った。
だが、バタンと軽やかな音をたてて扉が開き、ダンテが愛剣を携えて入って来た。腰にあったはずの剣を右手に携え、のんびりとした様子で扉に寄り掛かっている。
前門の虎、後門の狼とは、まさしくこのような場面に使う言葉だろう。
とうとうミカエルは自棄になったらしい。
「皇子殿下、公子殿下方にご挨拶申し上げます。いきなり部屋に押し掛ける形になり申し訳ございません。すぐに出ていきますので、お許し下さい」
そう言って丁寧に礼をすると、なんとか部屋を出る口実を捻りだした。
「お招きしたのはこちらだ。そう気を遣う事もないよ。君は正式な生徒会の役員なのだからね。そろそろ役員会議の時間だ。時間通りにやってくるなんて真面目なんだね」
ノアがにこやかに笑っているが、その様子は獲物を前に舌なめずりしているようにしか見えない。
元々青ざめていたミカエルの顔は益々青くなり、いまや息も絶え絶えの様子だった。
ノアはミカエルが正確に時間通りにやって来たと言ったのだ。それはミカエルがノアの手の平の上で躍っていたという証明だった。
「酷すぎるだろう。俺で遊んでいたのかよ。やっぱり高位貴族なんてろくなものじゃない」
ミカエルの言葉は実感が伴っていたし、その内容についてはその場にいた全員の気持ちが一致した。 確かにノアは半端なく楽しんでいたのだから。
「だから言ったじゃない。ノア、相手を追い詰めすぎてはいけないと。ミカエルを見て頂戴。あのままじゃ気を失いかねないわ」
「サトリ、そうなったら君が治癒してくれるだろう。僕の愛しい聖女さま」
そう言ってノアはサトリの指先にキスを落とした。いかにも甘やかなその様子は、悪名高い冷徹な軍師の面影は無かった。
さやさやとした衣擦れの音とともにリゼもその姿を現した。
「アーサー。あなたも貴方よ。後輩を追い詰めて楽しむなんて。ノアを止められるのは貴方だけだって事を少しは自覚なさってください」
たしなめるようにアーサーに声を掛けたのに、アーサー皇子はいそいそと己の美しい婚約者をエスコートすると、丁寧に椅子に座らせた。
「ごめんよ。でも相手はノアだしさぁ。大丈夫だよ。ミカエルも諦めた筈だしね」
全員が当たり前のように席に着くと、棒立ちになっているミカエルにその視線が注がれた。
このまま立っていれば、珍獣でも見るように観察されるだけだと気がついたらしい。ミカエルもしぶしぶ末席に着いた。
「ダンテ先輩。ありがとうございます。時間通りだ。さすがですね」
ノアに褒められてダンテはぶっきらぼうに返事をした。
「別に構わんが。こいつはかなり面倒な魔法を使うぞ。俺も手こずったからな。面倒になってぶん殴って抱えてこようかと、何度も思ったのだが、ノアが自分の足で歩いてこさせろと言うからな。我慢したのだ」
「な、何だって?あれでも余裕なのか!」
ミカエルは思わず叫び、ここがどこだか思い出したのだろう。慌てて自分の口を両手で覆った。
密やかな笑い声が興った。皆、ミカエルに同情している。ダンテにここまで言わせたミカエルの実力が劣っている訳ではないのだが、今それを言ってもミカエルには受け入れられないだろう。
リゼが立ち上がり、ゆっくりと茶を入れ始めた。
ぽこぽこと湯が沸き立つ音。湯気が立ち上り茶の香りが漂う。
そっとサトリが全員の前に、サンドウィッチやプティフール、ショコラなどを並べた。
リゼが全員にお茶を配ると、ミカエルはもうすっかり諦めてしまった。
王女さま手づからお茶を入れるのだ。もう逃げられないのだろうと観念した。
そのミカエルの心境の変化をノアは正確に読み取っている。
「割と素直なんだな。人の差配も出来るし聡明だ。君も既に仲間になったのだから、不敬罪を気にする必要はない。質問は一つだ。お前はアーサー皇子に忠誠を誓えるか!」
最後の言葉には裂帛の気合が込められていたから、思わずミカエルは立ちあがった。そして静かにアーサーを見つめ、跪いて騎士の礼を取る。
「私、ミカエル・フォン・ポアロはこの命を、我が主アーサー皇子に捧げます」
その真摯な騎士の誓いに応えるようにアーサーは立ちあがった。
先ほどまでの穏やかさは影を潜め、堂々とした威風を纏いアーサーは尋ねた。
「その命、僕が貰い受ける。覚悟はあるのだな?」
アーサーが覚悟を確かめるように尋ねた。
「二言はございません」きっぱりと言い切ったミカエルにアーサーは頷いた。
「誓言、確かに受け取った」
その瞬間。ミカエルは自分の体内に何者かの力が入り込んだのを知った。
それは確かにミカエルの心臓を覆ったが、自分の魔力が確実に強まったことも知った。
「すまないが、君が誓言を違えたら、その瞬間に君の命は途絶える。だが僕の守りもまた君を守るだろう。これで君は僕の身内になった。友だと思って気楽に喋ると良い」
そこにリゼが小さなビロードの箱を持って来てミカエルに渡した。
ミカエルは跪いたままその箱を開けると、中には黒いイヤリングが片方だけ入っていた。
いつの間にか、ダンテが傍に立っていた。
「さぁ、友よ。立つがよい。俺が装着してやる」
ミカエルが立ちあがると、ダンテはその黒い石をミカエルの左耳に押し当てた。魔法が掛けられているらしく、その石はミカエルの耳に吸い付くように収まってしまった。
「これは黒龍の守護のイヤリングを模したものだ。本物ではないが、見る者が見れば君がアーサー皇子の側近だと分かる。アストラル皇国のいかなる場所にも自由に出入りできる。それにわずかだが守護魔法も付与されている」
「これが僅かですって?状態異常無効化、毒の無効化、精神制御無効化、しかも防御魔法まで組み込んでいる。その上にこれ、僕の居場所を常に把握していますよね」
皆が大笑いしている。そして全員の左耳にお揃いの黒いイヤリングがあるのが見えた。さっきまでは見えなかったのに。
どうやらこれは、このイヤリングを所持している者だけが見ることが出来るらしい。つまりこのイヤリングを装着している者は、無条件に信頼できるという事だ。
「僕とアーサー、リゼとサトリのものは、古龍クラウス様の手によるものだ。僕がそれを模したものを作らせて、今のところそれを与えたのは、君とダンテだけだから君は誇ってもいいよ」
ノアが自慢そうに言うが、ミカエルはうんざりした様子を隠そうともしない。
「どうなんでしょう?これってうっかりすると、地獄への片道切符のようにも見えてしまうのですが」
「ああ。本当に嬉しいね。君のようなものが、同期にいるなんて。ミカエル、君の魔力は神聖魔法だよね。だからミゼラブル教会の法王になって貰うよ」
「ノア!いくら何でも、僕はしがない男爵家の子息にすぎません。どうしたら法王に成れるなんて思うのですか!」
ミカエルの言葉に、ノア以外は全員が賛同した。ミゼラブル神殿の法王という立場は、ある意味アストラル皇帝の地位すらも上回る。一介の貴族の子弟が狙える地位ではないのだ。しかもミカエルは元は平民。無茶としか思えない。
「ねえ、ミカエル。ミゼラブル教団の法王の地位は、その神聖力次第です。圧倒的な神聖力を身に付ければよい。この3年間の学院生活でね」
「それに僕らはミゼラブル法王に貸しがあってね。法王はかなりのお年だが、君が学院を卒業する前に、くたばることも無いだろう。卒業したらミゼラブル法王に直接仕えさせるから、そこで法王から学ぶといいよ」
そしてノアは悪い顔をした。
「聞いていないのかな。君は男爵子息ではない。ポアロは子爵に昇爵したからね。君が卒業する頃には、伯爵になっている。高位貴族の仲間入りだ。身分に不足は無いだろう?」
ミカエルは、遠のく意識の中でそれを聞いた。
ミカエルが倒れると、慌ててサトリが治癒を掛ける。
「ノア、やりすぎです。この少年は貴族になったばかり。平民の意識を、まだ引きずっているのに、法王になれだなんて!」
サトリに叱られても、ノアは怯まなかった。
「だって、こいつならやれるから言っただけだ。それに聖霊団はしつこい。法王をこちらで用意するぐらい、しても良いだろう?」
良いのか?本当に?ノアが言うと素晴らしい計画のように聞こえるから不思議だ。
皆の目がアーサーに集中した。ノアの暴挙を止められるのはアーサー皇子しかいないからだ。
「うーん。まあいいんじゃないか? ノアが計画をたてたのだから。ポアロ伯爵子息は、3年後には法王の従卒になって、法王死後は次代の法王に成るだろう。ありがたいことではないか」
アーサーが止めなかったから、ミカエルの未来は決定してしまった。
本人の意識はまだ戻らないが、戻らない方が幸せかもしれない。少なくともアーサー皇子のとどめの一言は聞かずにすんだのだから。
時計の秒針がカチカチと音をたてる。
その音だけが、妙に大きく生徒会室に響いていた。




