鬼ごっこ
長い夏休みが終わると、新入生が入って来て、アーサー達は2学年に進級した。
入学式にはアーサーが在校生代表として挨拶をした。アーサーは皇子だから、これは公務みたいなものだ。
ノア公子、リゼ王女、そして聖女サトリも入学式に参加した。
アーサー達は生徒会に入ることになったので、役員として入学式に参加せざるを得なかったのだ。
生徒会長はアーサーだが、副会長は3学年のダンテ・フォン・クリスト辺境伯公子だった。
辺境伯は公爵と同等なのでノアと同格になる。そして不思議なことにノアはダンテに限って先輩と呼び掛けていた。
それは爵位に敬意を払ってという事ではない筈だった。なぜならノアは公爵家公子に対してでも先輩とは呼ばなかったのだから。
「ダンテ先輩、相変わらずの重装備ですね。重くないのですか?それ」
ノアはダンテを揶揄ったのだが、ダンテはいたって生真面目にぼそりと返事をした。
「いや、慣れているからな。重くはない」
いくら辺境伯家が武門の家柄で、辺境を守る家系だとしても、入学式ですら、大剣を腰に差しているのは、いささかやりすぎだと思われた。
けれどもダンテは授業中ですら、愛用の大剣を手放そうとはしない。
剣士科の騎士志望者だって、通常は剣を指輪などに空間魔法を付与して持ち歩く。
使おうと思えばいつでも剣を取り出すことが出来るのに、ダンテは絶対にそんな真似はしなかった。
理由を聞いても「慣れているからな」というばかりなのだ。
きっと剣を魔力を使って取り出す、その僅かの隙すら許せないのだろうが、ダンテはそうは言わない。
もしもそう言ってしまえば、他の剣士たちの面目を潰してしまうだろう。 ダンテは自分が正しいとは絶対に言わないが、頑固に最善を尽くそうとする。
そんな不器用な頑固さをノアは愛したし、自分にはない長所だと本気で尊敬しているのだ。決して本人に言うつもりは無かったけれど。
生徒会の面々は壇上に並んでいたから、新入生たちは、憧れの皇子や王女を見ることが出来て、少しばかり浮ついている。
リゼとサトリに憧れの眼差しを送る男子生徒や、アーサーとノアに熱い視線をおくる女生徒の熱気で、入学式は盛り上がっている。
そこにノアが不審そうな目を向けた。
「おかしいな」
「どうした、ノア。何か不審な点でも?」
アーサーが気軽な調子で語り掛ける。このふたり、主従ではあるが従兄弟同士でもある。
しかも夏休みに、とある作戦を共に成功させた事で、その絆は盤石になっている。
「少し気になった事があるのだ。白星達が、かなり貴族に列せられたことは知っているだろう?アーサー」
「ああ、白星が国家の正式な諜報団に決まったとき、僕がお祖父様の名代で爵位を授けたからな。かなりの数の子弟が、平民の通うアストラル学園から、貴族の通う、ここアストラル学院に転校したはずだ」
「そうだ。その数はゆうに30名は超える筈だ。転入生たちは学年に関わらず、この入学式に参加している筈なんだ」
ノアはそう言って目顔で新入生たちをよく見るように、アーサーを促した。
「いつもの入学式と変わらないが……。なるほど、確かに変だな。平民出身者が30名も参加しているのに、その気配が全くない。完全に貴族たちに溶け込んでいる。どういうことだ?」
「なかなか有能な奴がいるようじゃないか。面白いね」
ノアがうっそりと笑ったので、アーサーは、まだ知らない誰かの為に瞑目した。
気の毒だが、ノアが有能と認めた相手の未来には地獄が待っている。ノアは褒めて育てるタイプではないし、能力があれば限界までそれを使う。
最近は能力の半分くらいの力で、余白を残したのんびりとした暮らしに憧れる者も多いのだが、ノアはそれを決して許さないだろう。
鍛えて、鍛えて、鍛え上げて、生き残るために必死の努力をさせる。そして自分でも知らなかった高見まで押し上げてしまうのだ。
気の毒に。平民のままの方がきっと幸せに暮らせただろうが、まぁこれも運命だろう。アーサーはそう思うとすぐにそれを忘れてしまった。
ノアが目を付けたのだ。後はノアがなんとかする。それだけの事だったから。
そしてそんな事は知らないミカエルは、そっと安堵の息を吐いていた。
父親から貴族、それも高位貴族の恐ろしさを叩き込まれたミカエルは、その情報を白星の子弟たちに共有させた。
何が足を掬うことになるかも分からないのだから、平民出身者に目を付けられたくはなかった。だから貴族たちと違和感なく溶け込めるように、訓練してこの入学式に臨んだのだ。
ミカエルはそっと周囲の気配を探った。 問題ない。白星の子弟全員が少しの興奮と僅かの興味と、うんざりするような退屈さを纏っている。
それが貴族子弟のほとんどが纏う空気感だったから、ミカエルの仲間たちは、すっかり貴族たちの中に埋没している。
だがミカエルは、壇上の紺色の髪を持つ少年の瞳が、自分を見たのに気がついた。ミカエルはすこしヒヤッとしたが、すぐに退屈そうな空気を纏ってみせたから、その視線はすぐにミカエルから離れていった。
ミカエルはその視線の事を忘れようとしたが、何だか嫌な感じだった。手のひらにじっとりと汗をかいている。
何も起きてはいないはずなのに、ミカエルはその視線が自分を掠めた時、他よりほんの少し長く見られたような気がしたのだった。
そんな逡巡さえ冷静に観察されていたのだが、ミカエルはまだそれを知らない。
見つけた!ノアはにやりと笑った。
あの少年は、やはりまだまだ甘かった。仲間思いなのだろうが、あんなふうに気配を探ってはいけなかった。
アーサー皇子やリゼ王女に付けられていた護衛役の漆黒の梟が、瞬時に監視体制に入ったのだ。そのおかげでノアは探るべき相手をすぐに見つけ出すことが出来た。
梟たちはあの少年の素性と、気配を探った理由をすぐに理解したらしい。梟の気配はすぐに平時に戻ったし、なんなら微笑ましい気配までする。
ノアがアーサーに目線を送る。
アーサーが微かに指で梟を呼び寄せた。この梟は公式に警護としてアーサー皇子に下賜されていたから、命令権はアーサーにあった。
アーサーとリゼには、1名ずつ梟が与えられている。どうせかなりの数の梟達が監視と警護でつけられているが、彼らは皇帝直属だ。アーサーやリゼに従うことはない。
ただ正式に下賜されている梟だけは、個人で使えるのだ。
アーサーの望みはすぐに叶った。
「あの者は白星の長、ランドルフ・フォン・ポワロ男爵の長子、ミカエル・フォン・ポワロ。固有魔法は珍しい光。今回、入学した平民組をまとめ上げたようです」
「それだけか?」アーサーの声は厳しい。
調べればすぐに分かる事だけ報告するのならば、漆黒の梟を使う意味がない。
「平民組からは既に長として認められています。光魔法ですが、治癒だけではなく、浄化の魔法を薄く展開して、それを探査に使用したり、光魔法で綱を編み、それで人を捕縛するなど、ありえない魔法の使い方をしています。その大部分は神聖魔法です」
アーサーが頷いたので、梟は影に潜んだ。
「ノア、さすがに君が見込んだ者だね。神聖魔法使いだそうだ。サトリと同じ力なのに、使い方が面白過ぎるだろう。どうやって浄化を探査に使ったのだ?」
「簡単だよ。浄化魔法を限りなく薄く広げてみろ。人がいれば浄化が発動するじゃないか」
「なるほどね。しかしなかなかそんな発想はできないぞ。ノア、奴をどうするつもりだ」
「決まっているだろう。アーサー。捕まえて生徒会に入れて酷使するのさ」
ノアが実に楽しそうなので、アーサーも安心した。
この従兄弟殿は、退屈するとろくな事はしない。退屈のあまり暴き出した貴族達の不正の数々をコレクションして、そのカードをどこで使うか考えるのが趣味なのだ。
そんな事をするぐらいなら、後輩で遊んでもらう方が、ずっと健全だとアーサーは思った。
そのおもちゃとして選ばれてしまった少年については、あらかじめ冥福を祈っておくことにする。
実際、有能な側近はいくらでも欲しいアーサーなのだ。
そこから1ヶ月。驚くことにノアの罠を、ミカエルは1ヶ月も逃げきったのだ。そのたびに嬉しそうに笑うノアの顔を見せてやりたいと、アーサーは思った。
ミカエルがその有能さを見せれば見せるほど、捉えた後の仕事量は大いに増えるだろう。さっさと諦めればいいのにとアーサーは思った。
ミカエルは諦めるつもりはないようだ。高位貴族は恐ろしいと思い込んでいるのだろう。
探査魔法は、どんどん精密になり、光魔法で影使いと同じように、自分の姿を消してしまう方法も編み出した。強い光の中に入り込むことで己の姿を消した。
ミカエルの有利な面は、高位貴族は魔力が多いことだ。
ミカエルは魔力が多いものが近づくと、すぐに逃げ出してしまう。
捉えられて命令されれば、ミカエルに拒否権はない。
だからひたすら逃げ出した。
ノアがてこずっているのを見て、アーサーは言った。
「ノア、あいつを王宮にでも呼び出してやろうか?」
ここアストラル学院は建前上、生徒間の平等をうたっている。実際にはそんな訳は無かったが。
けれども王宮に呼び出せば、ミカエルは逃げられない。
ノアが冷たい視線で、アーサーを睨んだので、アーサーは黙った。
ただ、珍しくノアがてこずっているので手伝おうとしたのに、毛虫でも見るような視線を送られたのだ。
「僕は楽しんでいるだけだ。猫がネズミをいたぶるようにね。最近はミカエルにも余裕はなくなった。何度かチェックをかけて、わざと逃がしてやっているからね。」
そしてゆっくりとカウントダウンを始めた。
「5,4,3,2,1」
カチリと小さな音がして、誰かが、恐る恐る入って来た。
後ろを気にしながら、ゆっくりと。
どうやら後ろから追ってくるのはダンテ辺境伯公子のようだ。
彼が動くと腰の大剣が微かに音をたてる。
その音が聞こえるたびに、ミカエルの顔はいよいよ青ざめて、唇を強く噛んでいた。なるべく音をたてないようにそっと扉を閉める指は、微かに震えていた。
まぁ、相手は武門の誇り高い辺境伯の長子だ。ここまで逃げるのも必死だったのだろう。ハアハアと息を弾ませていた。
そして前を見て、棒立ちになったまま動かなかった。 入って来たのはミカエルだった。
彼は追いかけられて逃げ惑い、魔力の気配がないこの部屋に隠れたつもりだった。
けれどこの部屋は、貴族どころかアストラル皇国皇子と、魔王のような顔で笑っているノアが待ち構えていたのだ。




