大田 理恵子
太田 理恵子は中学生だった。しかし学校に通うことはない。
ほとんどの時間をベッドの上で過ごしていたからだ。
ぼんやりと天井を眺めていたら、いきなり真っ白な光が溢れてきた。
そして柔らかい白い手が理恵子の手を握る。
温かな体温が、それが生きている人間の手だと教えてくれた。
「見つけた!」
美しい少女がそう叫んだ。
次の瞬間、理恵子は何もない白い空間にいた。
「な、なんなの?
あなたは一体だれ?ここはどこなの?」
あたふたしている理恵子を見て、少女がため息を吐く。
「いいこと。これから説明することは私たち二人にとって最善の方法なの。
よく聞いて。このままではあなたは死んでしまう。私もね」
銀髪の美しい少女は説明を始めた。
少女の名前はリゼというらしい。
あまりにも美しい銀髪に、こんな場合だと言うのに理恵子は少女の髪色を褒めていた。
少女は自分の銀の髪を、興味なげに触ると、これは幼いからで大人になると黒髪になるのだと言った。
理恵子は褒めたつもりだったが、少女にとっては幼さをあげつらったように聞こえたらしい。
理恵子が謝るとリゼはすぐに許してくれた。
そして説明を再開したのだ。
リゼのお母さまが重傷を負った事。そのままではリゼも殺されていた。
そこでお母さまはこの異空間にリゼを送った。
リゼのお母さまの異能は異世界転移。それなのに禁忌とされている身代わり召喚を行ってしまった。
本来なら理恵子はリゼの身代わりとして殺され、リゼは後で復活するはずだった。
「そんなこと許さないわ」
そう言うリゼを恵理子は誇り高い王女様だと感心して聞いていた。
「私があなたの身体で、あなたの人生を生きてあげる。
お母さまは私が生きることを望まれたのだから」
「だから理恵子 あなたは私の身体に入ってリゼとして生きて!」
「ちょっと何を言っているのか全然わからないわ。
それなら何も交代する必要ないですよね?」
「貴方はちゃんと生きてここにいるではありませんか!
このまま、安全が確認されてから、お帰りになったらいかがですか?」
理恵子としては、精一杯考えたうえでの意見だった。
「あなたね。お母さまの異能をなめているのかしら?
あなたは既に召喚されてしまったのよ。私の身体にね。
お母さまは死んでしまったの。重傷なのに禁忌の魔法を使ったから。」
「それでも身代わり召喚を使ったのは、私を生かす為。
敵が、この瞬間に私を殺しても、私の魂はここにある。
死ぬのは貴方の魂なの。理解できたかしら?
私は、誰かを殺してまで生き延びたい訳ではないのに」
そういったリゼの顔は苦しそうで、悲しそうで、年相応の幼子にみえた。
けれどリゼは誇り高い王女殿下。きりりと顔をあげるとほほえんだ。
「私の身体は、ある船の樽の中に転移させたわ。」
砂漠にオアシスを造りあげた始祖は、海へと続く運河を造った。
砂漠の国への交通路と、豊かな水で国土を肥沃な土地にするために。
広大な川が砂漠の国アストラル皇国と海の国であるセレスティア王国を結んでいる。
そんな話を歌うようにするリゼ。
まるでナイル川のようだと理恵子は思った。
リゼは川が好きだった。
いつか海を見たいと望んでいた。
きっとそれは叶えられるはずだった。
「ねぇ。理恵子。私はお母さまが大好きなの。
そのお母さまに禁忌なんて犯させたくない」
「私もちゃんと生きるわ。理恵子の身体でね。
理恵子にも生きて欲しい。王女として誇り高く。
私とお母さまの名誉を汚したら許さないんだから」
理恵子は驚愕した。できるわけがない。王女になるなんて!
理恵子は庶民も庶民。平凡で凡庸な娘なのだ。
しかもあまり学校にも通っていない。とうてい勤まるとは思えなかった。
リゼは言う。
「私の身体に入ったらきっとあなたは記憶を失う。
私のことも忘れるわね。でも大丈夫。大丈夫なのよ理恵子。
だってあなたは私の半身。ソウルメイトなのだから。
そうでなければあんな状態のお母さまが、召喚なんて成功させられるはずがないもの」
理恵子は思った。
何が大丈夫なものか。
理恵子としては大いに異議を申し立てたいところだけれど、口を開こうとして気が付いた。
自分がずいぶん小さくなっていることを。
そしてどうやら窮屈な樽の中らしいことも。
そうか。既にリゼの身体で生きているのだ。
そこでようやく理恵子は、リゼの言葉を理解した。
戻る方法は無いのだろう。
けれどすべてが他人の出来事の様に感じられる。
リンゴの甘酸っぱい匂いが樽に充満している。
この樽はリンゴの樽なのだろう。
当面飢えや渇きに悩まされることはなさそうだった。
リゼは記憶が消えると言っていたけれど、リゼとの記憶はしっかりと残っていた。
不思議なことに理恵子として生きていた記憶は朧気だったのに。
理恵子はこの状況を冷静に分析し始めた自分に驚いている。
理恵子はこんなにポジティブな人間ではなかったように思う。
どちらかと言えばおとなしい、しいて言えば繊細な子だったはずなのだ。
どうやら自分はリゼになったのだ。
こんな窮屈な樽では眠ることもできないだろう。
そう思っていたが、船の揺れが恵理子を眠りに誘った。
理恵子は周囲の大騒ぎで目を覚ましたのだ。
潮風の匂いが、ここは異国だと告げている。
どこの誰だと聞かれても、理恵子には答えられない。
一応、この体の記憶はある。
リゼが残しておいてくれたんだろう。
けれども、自分がアストラル皇帝の孫娘のリゼだと名乗る勇気は持てなかった。
それに言ったところで、信じては貰えなかっただろう。
理恵子は黒髪だったのに、いつのまにか、すっかり色が抜け落ちて灰色になっていた。
恐怖で白髪になる人もいるというから、ストレスが掛かったのかもしれない。
しかも綺麗な白髪ならまだましだ。
ところどころ、まだらに黒髪が残るみすぼらしい頭だった。
もしかしたら、あの美しいリゼの銀髪と理恵子の黒髪が混じってしまったのだろうか?
魂が入れ替わった影響で。
リゼは好きではなかったらしいけれど、銀髪なら良かったと理恵子は思う。
だってリゼの銀髪はとても綺麗だったから。
髪色が変わったことでは、大いに文句を言いたいのだが、『私たちはソウルメイトなのよ』そういって笑っている少女の顔が懐かしく感じてしまう理恵子だった。




