第九話 魔宝石試験へ
緑うたう風の丘。巨人の拳ほどの岩の前に人間と柴犬獣人の少年が向き合っていた。
「……動けぇ!」
手のひらを広げ、必死で魔力を送る錦戸 陽出。岩を押し込むイメージをひたすら向け続ける。
ズッ…ズズ……
微かに土が盛り上がるような音は聞こえてくるが、ほとんどその姿に変わりはない。ため息をつきながらヘナヘナと陽出は座り込む。
「つ、疲れた……、も……もぅ無理ぃ。」
棒のように張った腕を振りながら、陽出は草の上に寝転がる。
柴犬獣人、木剣 倫吾はそばにしゃがみ陽出の顔を覗き込む。
「ほらほら頑張れ、試験は明後日だぞ。」
容赦ない現実に陽出は白目を剥く。
魔宝石試験、陽出と倫吾が今回受ける国一番の試験だ。諸外国からも受験者を募るほどの規模の大きなもので、一人前の魔導士に必要な魔宝石を手に入れる唯一の手段だ。
受験が決まってもうすぐ一ヶ月。陽出は倫吾の協力を仰ぎながら慣れない魔法の鍛錬に明け暮れていた。
「あぁぁ……、筆記試験の勉強もしないとなのに……。これじゃあ受かんないよぉ……。」
頭を抱え、ジタバタと脚を動かす陽出。どれだけもがいても刻々と刻み続ける時計の針は止まってくれやしない。
倫吾はそっと、陽出の肩に手を置き微笑む。
「ほら、まだ動いてねぇぞ。」
指さす方向には鎮座し続ける岩石。丘の上を冷たい風が走り去る。陽出は回りそうな目を瞑りよたよたと立ち上がるのであった。
――その日の夜
月明かりが差し込む部屋の中、陽出は表紙の硬い本を何冊も開いては睨めっこをしていた。
ランプの灯りは微笑むように揺れ、チリチリと火が小さな粉を振り撒くようにその命をきらめかせていた。
コンコン
「入るぞ、ヒノ。」
ポットを片手に倫吾が扉を開ける。
「もう夜遅いぞ、そろそろ寝ないと明日起きれねぇよ。」
そう言いながらも、カップに紅茶を注ぐ。ふわりとアールグレイの香りが辺りを包み込む。
「ありがとう、あと少しだけやったら寝るから。」
ページをめくりながら陽出は紅茶を受け取る。ほんのり香る甘い柑橘の香りを口の中で転がしながら、一枚の紙にびっしりと書き連ねた文字と本を見比べる。
すっかり紙はよれ、ひび割れたシワと端は黒く汚れていた。それでも陽出は穴の空いた瓶を埋めるかの如く、机に齧り付いていた。
「あんま詰めすぎるんじゃないぞ。……おやすみ。」
ぽんと肩を優しく叩き、倫吾は部屋を出る。そんな彼に手を振りつつ、陽出は再び本へ目を落とす。
「『魔宝石の源は魔鉱石、数百年に一度だけ地表に現れるが場所は定かではなく希少な存在』……。」
文章を声に出して読み、ひたすら紙に書き写す。魔法を使えるようになる前からずっとやってきたことだ。家の中にある本は大抵目を通したし、内容を覚えているものがほとんどだ。
それでも、その内容をいざ試されるとなると答えられる自信がない。もし……を考えてしまいますます本を閉じることができなくなる。
「『魔宝石…は、所有者の……性質に…よっ……て』」
それでも、人間には限界がある。だんだんと、本を読む声にブレーキがかかり始める。うつらうつらと船を漕ぎ出す陽出は、揺らぐ頭の重さに耐えられず目の前の本に頭から飛び込むのであった。
――
辺り一面に香る懐かしいスパイスの匂い。セピア色に広がる温かみのある空間に、陽出は立っていた。
「ここって……。」
久しぶりに見た夢の世界。キョロキョロと周りを見渡すと次第に聞こえ始めるトントンと包丁でにんじんを切り分ける音。
振り返るとつぎはぎの目立つエプロンを着たお団子頭の女性。陽出は声をかけようと近寄るが不意に足を止める。
「おかあさん!ぼくもてつだうよ!」
とてとてと歩いてくる白い半袖の少年。女性の腰の高さくらいしかないその体を精一杯乗り出して、シンクに顔を覗かせている。
「ありがとう。――は隠し味を入れてくれる?」
女性はポケットからミルクキャンディの包みを渡し、そっと少年を抱きかかえる。包みの中から白く光るキャンディを取り出してポイっとカレーの中に投げ入れる。
「――のお陰で美味しくなるよ。ありがとうね。」
女性は優しく少年の頭を撫で微笑む。
二人の姿は次第に遠くなり、陽出が届かぬ声をかける暇もなくあっという間に見えなくなった。いつまでも残る笑い声を響かせながら。
――
目が覚めると再び本の上。鳥の囀る音を耳に、胸の切なさと一筋の涙が頬を伝う。幸せな夢を見ていたはずなのに、なぜか胸は冷たく張り裂けそうだった。
目を擦り肩を触ると、ふと陽だまりの香りを纏っていることに気がつく。
「あ……。」
倫吾だろうか、昨夜まで置いてあったティーカップがない代わりに、薄手の毛布が肩にかけられていた。
優しく毛布を握り締め、陽出は立ち上がる。試験を明日に控える中、ふっと丸まった背中がピンと伸びた気がした。
――
まだほのかに青く染まりきらない空の下、ガタゴトとノーザンミュウダンをかける汽車の音が鳴り響く。ときおりタイヤの擦れる高い悲鳴に緊張が走る。
「いよいよ今日かぁ……。」
車窓の景色を眺めながら、陽出は分厚い手帳をめくってはため息をつく。
「『同じ種類の魔宝石でも所有者によって属性も性質も変わる』……、『魔鉱石の鉱山は王宮で管理されているものがほとんど』……。」
目を見開いて囁くように文字列を読み上げる陽出。その声に抑揚はなく、あたかも呪文を唱えるかの如く繰り返し続けていた。
「おいおい、今更詰め込もうったってもう手遅れだろ?」
呆れた声で倫吾は苦々しく笑う。
「それに君は十分すぎるくらい頑張ってたろ。今は気持ちを落ち着ける方に集中しとけって。」
ひらひらと手を振る倫吾の手は脱力しており、これから起こることが全て茶番とでも言うかのようにあっけらかんとしていた。
「そういうリンゴこそ……、不安じゃないの?」
手帳で口元を隠しほっぺたを膨らませる陽出。倫吾はハハッと渇いた笑みを浮かべながら首を振る。
「あの黒ウサギの野郎の鼻明かしてやれるいい機会だ。不安もクソもねぇよ。」
「……ぶれないねぇ。」
ふふっと小さな笑みが、陽出の口からビー玉のようにこぼれ落ちる。
再び陽出は手帳に目を落とす。不思議と先ほどよりも字の震えが引いているような気がした。
「ほら、見えてきたぞ。」
窓の外に広がるカラフルな屋根の群れ、ひと月前に訪れた王都パーリンズだ。
「今できることをやるんだよ、ヒノ。」
陽出の手を取り握りしめる倫吾。その手は優しく力強く、赤くきらめく瞳は、まっすぐと陽出を見つめていた。
――
「すごい人だねぇ……。」
試験会場の熱気に陽出は思わずたじろぐ。
舞台となる王宮を訪れたのはひと月ぶりになる。まだ朝早くだというのに、既に大広間には溢れんばかりの人、人、そして人。自分のような人間の他に、獣人やドワーフ、鬼、リザードマン、更にはエルフなど多種多様な種族で賑わっていた。
加えて自分よりずっと長生きしていそうな老人や、自分の半分くらいの年齢の女の子まで年齢の幅も広い。
「この人たち、みんな試験受けるんだよね。」
陽出はごくりと唾を飲み込む。
「わざわざ諸外国から受けに来る連中も多いからな。こっからごっそり落とされるのがほとんどなんだ、全く大した試験だぜ。」
吐き捨てるように倫吾は手を振る。
この中から大勢が篩にかけられる。選ばれた人物にしか与えられない権利を得るために、皆きっといくつものストーリーを背負っているのだろう。仲間と楽しそうに話している集団や隅っこで青ざめながら座っている者、ただ開始を静かに待ち続ける者など様々だ。
「ヒノ、リラックス。」
ポンと肩を撫でる倫吾。気づくと肩に強く緊張が走っていた。陽出は頬をたたき軽く息を吸う。
周りの空気に飲まれてはならない。できることは全てやってきたはずだ。何度も何度も、自分に言い聞かせる。
「……ありがとう、もう大丈夫。」
ふっと笑ってみせる。一人じゃない、とにかく今はできることをこなすだけだ。
――パッ
突然、会場の灯りが一斉に消え、周囲はざわめきに包まれる。その刹那、天井に突然深い緑色に光る魔法陣が浮かび上がる。
「受験者諸君、よくぞ参られた。」
その声が響いた瞬間、背筋に冷たい針を刺されたような感覚が走る。
まるで品定めされているような視線。
「……随分と、出来の悪そうな年だ。」
ざわめきが一瞬で凍りつく。
黒い煙の中から現れたのは、あの黒ウサギだった。
――え、誰……?まさか試験官?
――浩宇さまじゃないの……?
眉をひそめながらも黒ウサギは二、三回ほど咳払いをし、高々と叫ぶ。
「今試験の試験官を務める大臣のラバニ・バビットだ。以後お見知り置きを。」
黒ウサギ、ラバニは右手を胸に、足を引いてお辞儀をする。
パラパラと徐々に拍手が集まる中、倫吾はキッと睨みをきかせる。陽出は震える己の手を宥めるように握りしめる。
「建国以来続く当試験では例年通り、貴殿らの知識及び魔法技術を試す!存分にその力量を発揮したまえ!」
次の瞬間、受験者らの足元に緑色の魔法陣が出現する。
「な、なにっ!?」
そう叫んだのも束の間、あっという間に陽出の周りに黒い煙が勢いよく湧き出て、瞬きの間にすっかり暗闇の中。
ゴォォッと吹き飛ばされそうな渦に思わず目を瞑り、恐る恐る目を開けると目の前には木製のテーブルと白い紙、そして万年筆。
――これより学科試験を開始する。
脳内に響くラバニの声に思わず周囲を見渡す。辺りは無機質な壁に覆われ自分一人。さっきまで大勢いたはずの受験者たちの気配はかけらも残っていなかった。
「……そっか、僕だけなんだ。」
ふと、紙に目を落とすとフッと文字が浮かび上がる。
【問一:魔宝石の特徴を書き記せ】
陽出は小さく息を吸い、頬を勢いよく叩く。
「……うん、大丈夫。」
耳の中に響く弦を弾いた音を振り払うように呟く。陽出は万年筆を強く握りしめた。




