第八話 黒ウサギの提案
魔宝石。それは超自然エネルギーをもつ魔鉱石から生み出される、所有者の魔力増幅を助ける代物。火、水、木、地、風などそれぞれの属性に特化した色を持ち、所有者の潜在能力に合わせて性質も変化する不思議な宝石だ。
しかし、大元となる魔鉱石自体稀少なもので、そう簡単に魔宝石を手に入れられるほど単純ではない。優秀な魔導士にこそ使用が認められる特権とも呼べるだろう。
錦戸陽出の憧れに近づくためにも必要不可欠かつ、最も遠い場所にある力であった。
「魔宝石試験に興味はないですか?」
そんな中、魔法陣から現れた黒ウサギの獣人が話を持ちかけてきた。張り付いた笑顔のまま。祖父、浩宇が眠る病室の中に降り積もる雪のように強張った空気が肩を撫でる。
陽出を背で隠すように木剣倫吾は黒ウサギを睨む。
「……なんのつもりだくそ野郎。」
黒ウサギは一層口角を釣り上げ、血のように赤い目を尖らせる。
「なぁに、君たちは浩宇殿の教え子なのだろう。ぜひ王宮としてもスカウトしたいのですよ。」
その答えに陽出は肩をびくりと震わせる。そっと、倫吾の背中から覗き込んだ彼の瞳の奥は仄暗くかがやいており、まるでカメラのフォーカスを当てるかのような圧を放っていた。
「別にお前に指図される義理はねぇ。失せろ。」
唸る倫吾に一切動じる様子もなく黒ウサギは笑っていたが、一雫の静寂を吹き飛ばすかのように大きなため息をつく。
「……状況を理解できていないようですね。」
まるで地の底から響くかのような声だった。やれやれと首を振りながら黒ウサギは目の奥をどす黒くかがやかせながら、影を縫い付けるように近づいてくる。
「責任を取れ、と言っているのだ。由緒正しき王国の伝統を穢した貴様らの身内の罪を。」
それは温かみのかけらもない、鋭い刃を突きつけるような目だった。喉笛に向けられたその眼差しに陽出はごくりと唾を飲み込む。
「知らねぇよ、それと試験を受けることと何一つ関係ないじゃねぇか!」
拳に力を入れ鋭く睨み返す倫吾。その握る手は僅かに震え、尻尾はピンと高く釣り上がっていた。
「何を言っている。浩宇殿が倒れた今、賢者の弟子が師の志を継ごうとする!群衆を納得させるにはこの上ない舞台装置となろう?」
けたたましい笑い声とは裏腹に、黒ウサギの瞳は一切の感情が読み取れない。ただ一つだけわかるのは、その瞳に陽出たちは映っていない、王宮という看板だけだった。
どす黒い瞳の先がふと陽出の視線とぶつかり、思わず目を塞ぎじっとしゃがみ込む。こうして隠れてばかり、本当は自分が蒔いた種なのに。なぜ祖父や幼馴染に守られている自分は何もしないのか。自分の攻める声が反芻する。
「……でも、僕、魔法が使えない。」
必死で絞り出した声はあまりにも小さく、空気を僅かに震わせるだけ。しかし、黒ウサギの長い耳はしっかりとその音を拾い上げ、三日月のように笑う。
「それがなんだというのです。むしろ野垂れ死んで『教え子は立派に戦った』とでも言えば世論も称賛の声を上げるでしょう。」
あまりにもズレた回答に陽出は指先が凍える感覚を覚える。倫吾は牙を剥き出しにしながら唸る。しかし、黒ウサギは何一つ怯む様子もなく、懐から紙を二枚取り出し床にばら撒く。
「願書です、書いて使いの者にでも渡しておいてください。それではまた、ひと月後の試験で。」
こちらが口を開く暇もなく、黒ウサギは指を鳴らして黒い煙を再び召喚する。嵐のような渦が部屋を暴れ回り、二人が必死で身を屈めているうちに、風と共に黒ウサギは姿を消してしまった。
残されたのは床に捨てられた二枚の願書とひっそりとした息遣い。抗うことのできない歯車の動きに流されながら、ただ項垂れることしかできなかった。
「受ける必要なんてねぇよ……、帰ろうぜ。」
震える膝に力を入れて立ち上がる倫吾。陽出は依然床の上の願書を見つめていた。いずれは受けたいと考えていた魔宝石試験、その受験資格を得るための切符がそこにある。
だが魔法一つ使えない、自分の身を守る手段すらない現状に目を背くことはできない。試験では知識の他に魔物との戦闘による技術力が試される。きっと、受けたところで恥をかいたり怪我をしたりするのは間違いないであろう。
「おい……、どうなってんだよこれ。」
顔を上げると、倫吾がドアノブに手をかけ扉を叩いていた。ガチャガチャとノブを回したり押したり引いたり、扉は壁のようにピクリとも動く様子を見せなかった。
「やりやがった、あいつに閉じ込められた。」
倫吾は頭を抱え扉を強く叩いた。バンッと大きな音を立てたのに、傷はおろか埃一つ浮かぶ様子がなかった。倫吾はツカツカと床に鎮座する願書を拾い上げ破ろうとするが、王宮から送られてきた封筒のようにシワすらつかなかった。
「……受けるしかない、ってこと?」
やっとの思いで絞り出した陽出の声は、掠れて無機質な部屋の中をほんの僅かに湿らせた。倫吾の顔はみるみると曇っていく。
「受けてどうするんだよ。……君が死んだら俺は。」
願書の片隅には小さく赤字で一言だけ記されていた。
“なお、受験者の生死については保証されないものとする。”
陽出は祖父の側に歩み寄り、そっと手を握る。相変わらず返ってくるのは規則正しい脈拍だけ。開くことのない檻の中、カーテンの隙間から流れてくる夢色にかがやく光だけが静かに少年たちを導いていた。
――
帰りの汽車の中。オレンジ色の彼方から差し込むグラデーションに落ちる影二つ。陽出も倫吾も、重い頭を持ち上げられぬまま口をつぐんでいた。
ガタゴトと揺れる思考は定まらず輪郭を保てない。心の中が深い霧に包まれたかのように、陽出はぼんやりと指先の間を眺めていた。
結局、二人は願書を書いた。書くしかなかった。与えられた手札にはYESしか書いていなかったのだ。陽出の震える字が並んだ紙切れは、死ぬことを厭わない契約書のようであった。
前向きに考えれば魔宝石を手に入れるこれとないチャンスであろう。しかし、敷かれたレールは何一つ舗装されていない峠のようで、ブレーキの効かないトロッコから振り落とされそうな不安が押し寄せる。
「ヒノ、帰ったら魔法の特訓をしよう。」
汽笛があげる悲鳴よりも急な提案だった。倫吾は静かに顔をあげる。
「君を死なせたくない。……もう、道は残されていないんだ。」
倫吾はそっと、陽出の手を握る。震える手とは裏腹に、林檎のように赤い瞳は大樹のような力強さを宿していた。陽出は手を優しく握り返す。それしかできなかった。
汽車はトンネルの中へ入り、車内はゆらゆらと揺れるランプの光が淡くきらめく。ここを抜ければあっという間にノーザンミュウダンに着いてしまう。
永遠のように感じるトンネルの中は一息の合間に走り去り、昨日までの当たり前を全て置き去りにして帰路へと着いた。
――その日の夜
今日の星空は雲が多く、ノーザンミュウダンは眠りについたような深い緑が広がっていた。雲の隙間からさす小さな星あかりは不安を覆い隠すように白い毛布を大地にかけている。
誰もが眠りにつく中、陽出は露出した岩肌を前に手を掲げていた。
「浮かんで……っ!」
岩に置かれた本に慈悲などない。何一つ動くことはなく沈黙が草原を駆け抜ける。
陽出は帰ってきてからすぐ、倫吾とともに魔法の特訓を始めた。力一杯叫ぶ陽出の声に本は応えてくれぬまま、気づけば辺りはすっかり暗くなっていた。
「ヒノ、力みすぎだ。もっと本を心で掴むように意識を向けるんだ。」
そばに立つ倫吾も尻尾はだらんと垂れ下がり、眉間に皺が寄っていた。
「そんなこと言ったってわかんないよ!!」
陽出の張り上げた声がツンとした草原に鋭くこだまする。膝から崩れ落ちるかのようにその場へしゃがみ込み、陽出は目に大粒の雫を溢れさせる。
試験は一ヶ月後。このままでは何も成果をあげられないまま挑むことになってしまう。その焦りと不安が冷静さを奪い無慈悲に時間だけを浪費していく。
「僕……、倫吾みたいにセンスもないし本すらまともに動かせない。もうどうしたらいいのか分かんないよ!」
地面に突っ伏し泣きじゃくる。倫吾は一瞬唇を揺らし、目を瞑りそっと陽出の背中をさする。奥歯を強く噛み締めながら。
――
結局その日は何の成果もあげられず、家に戻った。陽出はベッドで横になりながら、ひたすら天井の木目を数えていた。赤く腫れた目は大きく開かれ、心臓の音はいまだに大きく響いていた。
目を閉じれば黒い怪物が自分に襲いかかる様子が瞼の裏に映し出される。とても眠れる気がしなかった。
「……おじいちゃん。」
寝返りを打ちながら、ぼそりと祖父のことを思い出す。いつも自分が困っている時には必ず助けに来てくれた。追い詰められていた時には乗り越えるためのヒントをくれていた。カラカラと笑いながら。
“何も考えずに大地のきらめきに身を委ねればいいのさ。”
頭の中に柔らかい祖父の声が響く。
「……あ。」
ふと、祖父に連れられて行った森のことを思い出す。
木漏れ日の森だ。ひょっとしたら、あの森に行けば何かヒントを得られるかもしれない。
窓の外から檸檬色の一筋の光が入り込んでくる。いつのまにか東の空から太陽が顔を出し、眠れない夜の終わりを告げる。胸の中にある僅かな希望を胸に、陽出はベッドから飛び降りた。
――
穏やかな緑の風とリズミカルに足元を奏でる小枝たち。陽出は倫吾とともに木漏れ日の森へと足を運んだ。
泉の魔物に取り憑かれた時のことはいまだ朧気なままだが、胸の中にあるぞわりとした感覚だけは鮮明に残っている。事件以降は足が遠のいていたが、それでも一縷の望みを捨て切ることができずにいた。
森の中は奥へ進むに連れ、木肌が抉れザラついた木の幹や枯れ果てた茂みなど目を背けたくなる傷口が目に映る。
「……ごめんなさい。」
ふと、陽出の口からポツリとこぼれてくる。きっともっと生きていたかったはずなのに。目元を服の袖で擦りながら前へと足を動かす。
少し緩くなった地面と緑を失った草木を掻き分け、森の中央にある広場へと足を踏み入れた。
「……ここで、おじいちゃんは。」
陽出はギュッと拳を強く握る。
初めて来た時と違い、広場の中は冷たい静寂が漂い、焦げたにおいがいまだに残っている。
ふと、倫吾は何かを見つけそっと歩み寄り、ゆっくりと片膝をつく。
「……何も失ったものばかりじゃないさ。」
そっと地面に手を添え、陽出に微笑みかける。その手の中には、そよそよと生まれたての若葉が空へ向かって両手いっぱいに手を伸ばしていた。
「ヒノ、……必要なのはセンスじゃない。続けることだよ。そうすれば……きっと泥の中から芽を出すことができるさ。」
倫吾の瞳は、静かに赤く揺れていた。陽出は拳を握ったまま俯く。
「でも……、試験は一ヶ月後だよ?このままじゃ……。」
ドドドド……
風に乗って何かが勢いよく崩れるかのような音が聞こえてくる。川のある方角からだ。
「滝……。」
ふと、事件の直前に拾い上げた石のことを思い出し、ポケットを弄る。コツン、と指先にぶつかるかたまりを掴む。
「これ……、川の中から拾ったんだ。……浮かせながら。」
倫吾は目を丸くして立ち上がる。陽出は小さく頷き、取り出したきらめく石を握りしめる。
居ても立ってもいられず、二人は川の方角へ走り出す。一縷の望みが確かな希望へと変わっていくような気がした。
「ここ……っ、ここで拾ったんだ!」
勢いよく水がぶつかる音と岩肌を撫でるように流れる川。あの日と何も変わらないまま透き通るような水を運び続けていた。
「ここで魔法を使おうとして、それから……。」
ズキリと胸に重い影がのしかかる。
そのまま泉の魔物に飲み込まれた。曖昧な記憶の中、辛うじて輪郭を保っている記憶の一つだ。忘れたくても忘れられない、体の内側からまるで蝋燭の火が凍りつくようなあの感覚が。
ふいに、ポンと陽出の肩を何かが叩く。ハッとして顔を上げると優しく微笑む倫吾の顔。こくりと、小さく頷き陽出はそっと、近くの切り株に本を置き距離をとる。
「……浮かべ。」
あの日のように、目を瞑り手のひらを両手に向ける。水にぶつかる滝の音、飛沫を運ぶ風、そばを行き交う蝶や小妖精、その自然の一部に混ざるように意識を向けながら。
ぱぁぁ……
温かな光が陽出の周りを漂い始める。身体の中から溢れ出す熱に身を委ね、ゆっくりと目を開ける。
輪郭をなぞるように本の周りを光が包み込み、少しずつ宙へと浮かび始める。
「……まだ気を抜くな。そのまま手元まで運ぶんだ。」
口元が緩みかけたその時、倫吾が波長に合わせて囁く。ひたすら念じる。魔力の流れを強く意識しながら腕の中へ。ゆっくり、ゆっくりと。
フッと本を包む光が小さく弾けるのと同時に、陽出は咄嗟に受け止める。ほんの数メートルではあるが、確かに本は陽出の元へ届いた。
「やった……?やったよっ!」
本を強く抱きしめる。まだほのかに温かい表紙は、確かに陽出の腕の中に収まっていた。
「ヒノ!やればできるじゃないか!」
陽出の肩を抱きながら、倫吾も尻尾を振って飛び跳ねる。少し前までの気まずさなど初めから存在しなかったかのように。
せせらぎの音色に聴き惚れるかのように小さな若葉が揺れている。その芽は木々の隙間から漏れる光に向かい、懸命に手を伸ばしていた。いつか実るきらめきに向かって。




