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罠か、善意か

「踏み潰せ!」


 ガーロの脚が、監視札へ振り下ろされた。


「待て!」


 俺は身体ごと飛び込んだ。


 前脚で札を抱え、地面を転がる。


 がつんっ!


 ガーロの脚が、俺の触角すれすれへ落ちた。


 土が弾ける。


「大将!?」


「危ないだろ!」


「それは俺の台詞だ! 何で札をかばう!」


「話を聞け!」


「札は喋らねえ!」


「俺の話だ!」


「話なんぞ、あとで聞く! 今は危険を消す!」


 ガーロの声には、いつもの余裕がない。


 右翅を失ってから、危険の芽を早く摘む癖がついている。


 俺はそれを知っている。


 知っているから、余計に止めたかった。


 白炎印の金属札が、俺の胸元で脈打つ。


 とくん。


 とくん。


 光の糸は村の北へ伸びたまま。


 こちらの位置を、誰かへ知らせている。


「もう知られたかもしれない! だから壊す!」


 ガーロがもう一度脚を上げた。


 ルビーが横から押さえる。


「壊した瞬間に反応が返る札かもしれないわ」


「なら土へ埋める!」


「埋めても光は北へ伸びています」


 二号が指した。


「じゃあどうする!」


「まず落ち着け!」


「大将が一番落ち着いてねえ!」


 その通りだった。


 札を抱えた六本脚が震えている。


 レンが俺たちを売ったのかもしれない。


 その考えを認めたくなくて、勢いだけで札を守った。


 ガーロは仲間を守るため、最短で危険を壊そうとした。


 どちらも怖いのだ。


 怖さの向きが違うだけだ。


「……悪い」


 俺は札を乾いた葉の上へ置いた。


「信じたいから壊したくない。それだけで飛び込んだ」


「大将」


「でも、信じたいと、信じていいは別だ。調べる」


 ガーロの脚がゆっくり下がった。


「次からは先に言葉で止めろ。脚より先に触角が動くのは、大将の悪い癖だ」


「善処する」


「善処て、絶対直らんやつやん」


 チュウタが混ぜっ返す。


「どうやって」


「札を使う」


「こっちを探す道具だぞ」


「だから、探させる」


 二号の触角が上がる。


「罠に罠をかけるんですね!」


「そうだ」


「名づけて――」


「今は黙ってろ!」


「せめて仮称だけでも!」


「却下!」


     ◇


 監視札は、魔力を持つ生き物が触れると光の糸を伸ばす。


 触れた瞬間、甲殻の内側がぴりっと痺れた。


 電気とも違う、冷たい針で触角の根を撫でられるような感触だ。


 ゴキブリの俺。


 レッドローチのルビー。


 ネズミのチュウタ。


 誰が触っても同じだった。


「じゃあ、これ使こたら逆に相手を騙せるんちゃう?」


 チュウタが目を輝かせる。


「向こうには何が分かる?」


 チュウタが札を木の枝で押す。


「少なくとも方向。もしかしたら距離も」


「数は?」


「一匹ずつ触ってみよう」


 俺が触れる。


 光は一本。


 ガーロが隣へ触れる。


 少し太くなった。


 二号。


 さらに太い。


「俺の魔力、太いんですね」


「威張るところじゃない」


「地味に嬉しいです」


「人数まで分かる!」


「まずいな」


「いや、使える」


 俺は札を見つめた。


 向こうが知るのは、触れている魔力の大きさだけだ。


 誰が触れているかまでは分からない。


「一匹分の魔力を札へ流し続けて、村の外へ動かす。向こうは俺たちが逃げたと思う」


「誰が運ぶ?」


 ガーロが聞く。


「足の遅い生き物じゃ、追いつかれる。速い生き物へつけたら、今度は止められない」


「俺が背負って走ります!」


 二号が胸を張る。


「お前が一番足が速くない」


「気持ちは誰よりも速いです!」


「気持ちで教団は撒けない!」


「行進する鳥です!」


 二号が胸を張る。


「いない鳥を作戦へ入れるな!」


「おるで」


 チュウタが南畑を指した。


 根食い虫を追い出した空き地。


 そこに、昨日の鶏がいた。


 発酵茸を食べた幼虫を、さらに食べに来たらしい。


 地面を二歩進み、横を向き、土を蹴る。


「本物の行進する鳥です!」


「行進してない! ただの鶏だ!」


「じゃあ、鶏に謝ります」


「鶏に謝る時間があったら次を考えろ!」


「札を鶏につけるん?」


 チュウタが聞く。


「駄目だ。教団が札を追えば、鶏が危ない」


「ほな、何につける?」


 答えは、俺たちの足元を通った。


 ぬめえっ。


 巨大なナメクジだ。


 人間には手のひらほど。


 俺たちには、光る粘液を引く巨大荷車である。


 湿った日陰を求め、村の外の森へ進んでいる。


「遅すぎません?」


 二号が言う。


「追う側を森までゆっくり歩かせるには、ちょうどいい」


「襲われたら?」


「札は粘液の上へ置くだけ。人が近づいたら糸を引いて外す」


「誰が見張る?」


「俺が――」


 全員の触角がこちらを向いた。


 しまった。


「と言いたいところだが、ルビーと赤組二匹に頼む」


「成長したわね」


「その言い方、腹が立つな!」


 ルビーが笑った。


「大将、留守番中は大人しくしてくださいね」


「暴れる予定はない!」


「さっき暴れかけてました」


「あれは仲間を守るためだ!」


 監視札へ、魔力を含ませた白粉菌糸を一本巻く。


 菌糸は、ガーロの身体から白い芯を抜いたときにも使った。十一拍の召集波をしばらく覚えていたように、触れた魔力を短時間だけ残す。


 今夜は、俺の雷を一匹分だけ覚えさせた。


 札を乾いた葉へ載せ、ナメクジの粘液へ浮かべる。


 光の糸が森へ動き始めた。


「行った」


「名づけて、なめくじ精霊大逃走!」


「精霊を増やすな!」


     ◇


 北の道から、白い袖の男が二人現れた。


 監視札の光を追っている。


 一人は昨日、清め薬を捨てろと言い間違えた男だ。


 もう一人は、細い杖を持っている。


 杖の先から、札へつながる白い糸が伸びていた。


「反応は?」


「村の南から森へ移動中です。小さいが、魔力を持つ生物が複数」


「精霊ではない。害虫の群れだ」


「追いますか?」


「後でいい。先に、接触した人間を確かめる」


「今、二人はレンを追う。赤組二匹はナメクジの見張りを続けて」


 ルビーが風の糸へ三拍を送り、こちらへ戻った。


 俺たちは道端の石垣に隠れ、二人を見送った。


「レンを疑ってる」


 ルビーが言う。


「最初から見張られてたんか?」


 チュウタの鼻が動く。


「あの二人、レンの家の匂いがする。藁と林檎」


 監視札を置いたのはレンではない。


 少なくとも、教団はレンを信用していない。


 だが、それだけでは罠でない証拠にならない。教団と示し合わせ、わざと疑われている芝居をしている可能性もある。


 考え始めれば、何でも疑える。


 疑うことに慣れすぎると、助けられる相手まで見逃す。


 だから見る。


 言葉より、今から何をするかを見る。


「レンを追うぞ。ただし距離を取る」


     ◇


 レンは母親と二人で、麦の刈り残しを束ねていた。


 昨夜眠ったぶんを取り返すように、休まず働いている。


「少し休みなさい」


 母親が言う。


「平気だよ」


「昨日もそう言って、畑で寝たんだろう」


「今日は夜警ないから」


「精霊探しなんて、村長も物好きだよ」


「母さん」


 レンの声が少し強くなる。


「悪く言うなよ。畑を助けたのは、本当なんだから」


「精霊を見たのかい?」


「見てない」


 即答だった。


 俺の胸が少し軽くなる。


「今の、演技には見えへんな」


 チュウタが小声で言う。


「なら、少しは信じていいのか」


「少しはな」


 レンは麦束を荷車へ載せた。


 その背後。


 白い袖の男が石垣の向こうへ隠れている。


 杖の男はさらに後ろ。


「尾行が下手ですね」


 二号が言う。


「人間から隠れるには十分なんだ」


「俺たちから見れば頭が出てます」


「それを人間に教えてやる義理はない」


「教えたら仲良くなれます?」


「なれない、多分捕まる!」


 五センチの高さから見ると、石垣は壁だ。


 だが、壁の隙間を通れば、向こう側にいる人間の靴も、垂れた袖も、全部見える。


 大きい身体は、隠れる場所まで大きく必要になる。


 小さい俺たちには、石一つの影で十分だ。


「デカいって、不便ですね」


 二号がしみじみ言う。


「今だけ言うな、普段は俺たちのほうが不便だらけだろ」


「今だけは勝ってます!」


「先回りする」


 俺たちは石垣の内部を走った。


 人間の足より速い。


 レンの荷車が村道へ出る前に、道角へ着いた。


 教団の男が手へ何か持っている。


 小さな金属札。


 贈り物の下にあったものと同じだ。


「もう一枚ある」


 男はレンとすれ違うふりをした。


「畑仕事、ご苦労」


「……どうも」


 肩を軽く叩く。


 その瞬間、札をレンの外套裏へ貼った。


 レンは気づかない。


 男が去る。


「見たな」


 俺は言った。


「見ました」


「あいつ、知らんかったんや」


 チュウタが息を吐く。


 胸の奥に残っていた硬いものが、やっと崩れた。


 信じてよかった。


 いや、違う。


 信じたいから決めつけず、仲間と確かめた。


 その結果、信じていいと分かった。


 そのとき、ルビーの風糸が細く震えた。


 三拍。


 間を置いて五拍。


「南の囮班から。教団がナメクジへ近づいた」


「後でいい言うてたやん!」


 チュウタが振り返る。


「別の二人が森側へ回ったみたい」


「札だけ外せ!」


 俺は風糸へ合図を返した。


 だが、五拍がもう一度来る。


 危険。


 切れない。


 乾いた葉が粘液へ張りつき、札ごとナメクジの背へ絡んだらしい。


「ナメクジを置いて逃げろ、とは言えないな」


 ガーロが言った。


「俺たちが勝手に囮へしたんだ。最後まで助ける」


「でも、レンも追わなきゃ」


 二号の触角が南と北の間で揺れる。


 身体は一つ。


 助けたい相手は二方向。


 また俺が走ろうとすると、ルビーが先に翅を開いた。


「レンの尾行は黒組とネズミ組が得意。空き地は私の風が要る。私が戻る」


「一匹で?」


「赤組二匹がいる。一匹じゃない」


 俺がいつも言われる言葉を、先に返された。


「……頼む。ナメクジも三匹も、全員戻れ」


「もちろん」


 ルビーが石垣を蹴り、低く滑空した。


 あとで聞いた話では、教団の二人はナメクジを火ばさみでつかもうとしていたらしい。


 赤組は正面から戦わなかった。


 一匹が木の実を教団の背後へ落とす。


 こつん。


 二人が振り向いた一瞬に、もう一匹が葉の端を噛み切る。


 それでも札だけが粘液へ残った。


 最後にルビーが細い風を地面へ叩きつけ、札を枯れ枝へ巻き上げた。


 枯れ枝は雨水の細流へ落ちる。


 監視の光は、今度は川下へ走った。


 教団の二人は、魔力札を追って森の奥へ駆けていった。


 ナメクジは何も知らず、苔を食べ続けたという。


 俺たちの囮にされ、最後まで俺たちの事情など知らない。


 それでいい。


 協力を頼んでもいない命へ、危険だけを押しつけて終わるところだった。


 ルビーが戻ったとき、その話を聞いて、胸の奥へ刺さっていた小さな棘が一つ抜けた。


 守るべき相手を、囮にした。


 それでも見捨てず、最後まで確かめた。


 小さな命一つでも、雑に扱わない。


 それが、俺たちのやり方だ。


「なめくじ精霊、逃走成功です!」


 二号が喜ぶ。


「精霊にするな。本人は苔を食べてただけだ!」


「一番強い人ですね」


「人でもない!」


「じゃあ、なめくじ様?」


「様なんて呼んだら図に乗るぞ、ナメクジは」


「乗りません、多分」


「多分て、ちょっと不安が残る言い方やな」


 チュウタが笑う。


「札を外すぞ」


「今?」


 ガーロが聞く。


「レンが家へ入ったら、外套だけ残る。そのときに――」


 言い終える前に、別の足音が来た。


 北から三人。


 白い袖。


 先頭は、ヴァルガの側近だった。


「レン」


 名を呼ばれ、若者が止まる。


「何ですか」


「昨夜、南畑で異形を見たな」


 レンの顔が固まった。


「見てません」


「今朝、異形へ食料と塩を置いた」


「……何の話です」


「とぼけるな。穢れに通じた者は、村へ災いを入れる」


 男たちがレンの両腕をつかんだ。


「離せ!」


 荷車が傾く。


 麦束が道へ落ちた。


 母親が駆け寄る。


「息子が何をしたんです!」


「教団の確認が済めば戻す」


「どこへ連れていく!」


「浄めの小屋だ」


 レンの外套裏で、監視札が白く光った。


「証拠はここにある」


 男は、自分たちで貼った札を剥がして見せた。


「異形の魔力に触れた印だ」


「そんなの、知らない!」


「言い訳は小屋で聞く」


 腹の奥が煮えた。


 自分たちで札をつけ、自分たちで証拠だと言う。


 俺の脚が石垣を掻く。


 今すぐ飛び出したい。


 男の足へ雷を流したい。


 二号の前脚が、無言で俺の後ろ脚を押さえていた。


 止めろとは言わない。


 ただ、行かせない力だけがそこにあった。


 だが、ここで姿を見せれば、レンが隠していたことまで確定する。


 村人の前で戦えば、教団は俺たちを敵にできる。


「大将」


 ガーロが前へ出た。


「命令を」


「今は追う」


 声が震えた。


「居場所、見張り、入口、鍵。全部見てから助ける」


「すぐ助けないんですか?」


 二号が悔しそうに聞く。


 その声には、いつもの茶化しがなかった。


「すぐ行きたい!」


 思わず声が漏れた。


「でも、勢いだけで飛び込んで、レンも仲間も捕まったら何の意味もない! 悔しいけど、今は見る。覚える。絶対に取り返すために!」


 触角が石へ当たる。


 痛い。


 それでも目を離さない。


 レンは白い袖の男たちに囲まれ、村の北へ連れていかれる。


 途中、一度だけ振り返った。


 南畑の柵。


 干し林檎を置いた場所を見る。


 助けを求めたわけではない。


 俺たちを呼べば、存在がばれると分かっているのだ。


 だから何も言わず、前を向いた。


「追うぞ」


 俺たちは石垣の裏を走り出した。


 一度は疑った人間を助けるために。


 今度は、姿を見られるかもしれない夜へ向かって。

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