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精霊は乾燥棚も直す

朝になったら、依頼が山になっていた。


 比喩ではない。


 本当に山だった。


「椅子、籠、鍋、靴、車輪、戸板……何で扉まで外して持ってきた!?」


 井戸小屋の壁際。


 俺たちの頭上へ、壊れた道具が積み上がっている。


 一番上には、蝶番の外れた木の扉。


 少し風が吹くたび、山全体がみしりと揺れた。


 木屑が落ちる。


 鍋がずれる。


 車輪が、ゆっくりこちらを向く。


「大将」


 二号が車輪を見上げた。


「あれ、転がってきません?」


「言うな」


 ぎいっ。


「大将」


「言うな!」


 ごろんっ。


「逃げろおおお!」


 車輪が道具の山から落ちた。


 人間なら、子どもの玩具ほどの小さな車輪だ。


 俺たちには、縦に走る城壁である。


 石床を跳ねる。


 ごっ、ごっ、ごっ!


 着地のたび、六本脚へ地震が来る。


 俺は右へ走った。


 チュウタは左。


 二号は迷って真ん中。


「何でそっちだ!」


「右と左が混んでたんで!」


「車輪の道を空けてどうする!」


 ルビーの風が横からぶつかる。


 車輪が少し傾いた。


 そこへチュウタが小石を蹴り込む。


 がつんっ!


 車輪は小石へ乗り上げ、二号の手前で倒れた。


 ばたあんっ!


 石床から粉塵が輪になって広がる。


 二号の白い狐尻尾だけが、車輪の下から出ていた。


「二号!」


「尻尾だけです!」


「まだつけてたのか!」


 二号は車輪の横から平然と出てきた。


 薄い身体のおかげで、倒れた車輪と床のわずかな隙間へ入ったらしい。


「ゴキブリでよかったです」


「その言葉をそんな場面で聞きたくなかった!」


「危険とゴキブリの特技、紙一重です」


「紙一重にもほどがある!」


     ◇


 村人は、修理してほしい道具の横へ供え物を置いていた。


 椅子にはパン二切れ。


 鍋には豆五粒。


 靴には干し果実。


 扉には小麦粉の袋。


「交換のつもりなんだな」


 俺は道具の山を見上げた。


 昨日まで、正体不明の精霊へ感謝を置いていた。


 今日は、自分たちから頼みたい物と、払える物を一緒に置いている。


 恵みではない。


 仕事だ。


 俺たちの小さな脚へ、村の暮らしから用事が来た。


 うれしい。


 いや、うれしいけど!


「多すぎる!」


「全部直せば、食料たくさんです!」


 二号が山の周りを回る。


「これ全部直したら、俺たち森の精霊やのうて、森の便利屋です!」


「もっと格好悪くなった!」


「全部直す前に冬が来る!」


「冬支度も頼まれるかもしれません!」


「仕事が増える未来を明るく言うな!」


 オルドが、道具の隙間へ細い木札を差し込んだ。


「まず、これを頼みたい」


 札には、大きな棚の絵が描かれている。


「村の共同乾燥棚だ。薬草と穀物を干す。三日前の雨で脚が傾き、風板も動かん」


「棚なら、ここにないぞ」


「大きすぎて運べん」


「この山より大きいのか!?」


「村の納屋一つ分だ」


 俺の触角が下がった。


「帰っていいか?」


「今夜また雨だ」


 オルドの声から冗談が消えた。


「乾かなければ、トーマに使った青月草も、冬の咳止めも腐る。麦も黴びる」


 薬草と食料。


 どちらも、村全体の命へつながる。


 椅子の座り心地も大事だ。


 鍋の取っ手も大事だ。


 だが、今夜までに一つしか直せないなら、選ぶものは決まっている。


「乾燥棚を先にやる」


「供え物は?」


 チュウタが聞いた。


「棚の分は、オルドが薬草をくれるそうだ」


「食べられる?」


「薬だ」


「味は?」


「苦い」


 チュウタの鼻がしぼんだ。


「椅子にせえへん?」


「命の優先順位を味で変えるな!」


     ◇


 共同乾燥棚は、村の東にあった。


 でかい。


 納屋一つ分という言葉は正しかった。


 四本の太い柱。


 三段の網棚。


 横には風を通すための木板が並び、上には雨よけの屋根が突き出している。


 人間には簡単な設備だ。


 俺たちには、三階建ての巨大遺跡である。


「あれを起こすんですか?」


 二号が傾いた柱を見上げる。


「無理だ」


「早い!」


「俺たち全員で押しても、人間の小指一本分も動かない」


 正面から大きさへ挑めば負ける。


 悔しいが、それが現実だ。


 俺は柱の根元へ入った。


 木と石台の間に、細い隙間がある。


 触角を差し込む。


 湿った木屑。


 鉄錆。


 古い油。


 さらに奥へ薄い身体を滑り込ませる。


「中が空洞だ!」


 柱そのものが折れているのではない。


 柱を支える石台の内側で、木のくさびが割れていた。


 人間には見えない場所だ。


 棚の重さを受ける小さな部品だけが壊れている。


「全部持ち上げなくていい。中のくさびを替えれば、傾きは戻せる!」


「どうやって替えるん?」


「今から考える!」


「いつものやつですね!」


「胸を張るところじゃない!」


 応援を呼んだ。


 黒組八匹。


 赤組十匹。


 ネズミ族三匹。


 薬草師一人。


 勇者一人。


「二十三人、いや、二十一匹と二人か」


 二号が指を折って数える。


「六本脚だと指が足りません!」


「触角も使え」


「触角で数えたら、なんか怒られてる気分になります!」


「なぜだ!」


「最後の二人、力が違いすぎない?」


 ルビーがリリアを見上げる。


「リリアに棚を持ち上げてもらえば終わるんじゃないか?」


 俺が言うと、リリアは柱へ手を当てた。


「持ち上げられるけど、夜中に共同棚が浮いたら、村中が起きるわ」


「浮くのか……」


 最強勇者の力は、便利を通り越して少し怖い。


「じゃあ、人間にはできない方法で直す。俺たちは中へ入る。リリアは棚が倒れないよう、外からほんの少しだけ支えてくれ」


「ほんの少しね」


「浮かすなよ!」


「分かってるわ」


 笑っている。


 不安だ。


     ◇


 第一作業。


 割れたくさびを抜く。


 チュウタが柱の隙間へ前歯を入れた。


 がりっ。


「硬っ!」


 木は水を吸い、石のように固まっている。


 黒組が蜘蛛糸を巻き、八方向から引く。


 赤組が乾いた風を送り、木の水分を抜く。


「もう一回!」


 ぎり、ぎり、ぎりっ。


 くさびが一息ぶん動いた。


 同時に棚全体が傾く。


 みしししっ!


 頭上の網棚から、乾燥途中の薬草が降ってきた。


「うわっ!」


 赤い葉。


 青い花。


 黄色い粉。


 俺たちは一瞬で薬草へ埋まった。


 触角へ匂いが押し寄せる。


 苦い。


 甘い。


 辛い。


 鼻という場所はないのに、頭の中で全部が爆発する。


「どこだ、みんな!」


「ここや!」


「どこだ!」


「薬草の下!」


「全員そうだ!」


 リリアが外から棚を支えた。


 きしみが止まる。


 ルビーの風が、積もった薬草を吹き飛ばす。


 俺たちは葉の山から這い出した。


 二号の頭には黄色い花。


 チュウタの尻尾には青い蔓。


 俺の背中には、眠り草が一枚張りついている。


「大将、いい匂い」


 ルビーが言う。


「嬉しくない!」


「森の精霊らしくなりました!」


 二号が笑う。


「ゴキブリの匂いが全部消えたんじゃないか?」


 俺は仲間へ触角を向けた。


 いつもなら、傷の油、食べた物、巣の土で一匹ずつ分かる。


 今は全員、薬草の塊だ。


 自分の仲間が匂いで分からない。


 思ったより怖い。


 すぐ隣にいるのに、一瞬だけ知らない群れへ見えた。


「返事しろ! 全員、名前を言え!」


 黒組と赤組が次々に名を返す。


 一匹ずつ。


 声と足音で数える。


 全員いる。


 腹の奥に入った力が、やっと抜けた。


「大将、匂いが戻るまで名札つけます?」


 二号が薬草の葉を持ち上げる。


「お前は狐尻尾で分かる!」


     ◇


 割れたくさびを抜き、新しい乾燥枝を差し込んだ。


 チュウタが土台の土を締める。


 黒組が内側から蜘蛛糸を交差させる。


 リリアが支える力を少しずつ抜いた。


 棚は倒れない。


 傾きも戻った。


「第一作業、成功!」


 小さな歓声が柱の中へ響く。


「大将、薬草まみれでも指揮官の風格ありますよ」


「風格じゃなくて眠り草の匂いだろ」


「眠り草の指揮官、悪くないです!」


「悪い、普通に悪い!」


 次は風板だ。


 乾燥棚の横板には、角度を変える小さな歯止めがついている。


 錆びて動かず、風が入らない。


「錆を落として、板を全部開けば乾くんじゃない?」


 ルビーが言った。


「全部開けてみよう」


 俺たちは錆へ酸茸の汁を塗った。


 一刻待つ。


 チュウタが歯止めを押す。


 ぎ、ぎ、ぎいっ。


 木板が開いた。


 二枚。


 三枚。


 十枚。


「ルビー、風を入れてくれ!」


「任せて!」


 赤組十一匹が翅を開く。


 夜風を細く集め、棚の下段へ送った。


 最初は、薬草がふわりと揺れた。


「いいぞ!」


 次に、葉が浮いた。


「少し強い!」


 その次。


 棚一面の薬草が、まとめて飛んだ。


 ばさああああっ!


 赤、青、黄の葉が、屋根を越えて夜空へ舞う。


「強すぎるううう!」


「全部開けろって言ったの、クロよ!」


「風の強さまで全部にするな!」


「先に言いなさいよ!」


 薬草の雨が村道へ降る。


 窓辺。


 井戸。


 鶏小屋。


 村長の家の屋根。


「回収! 一枚もなくすな!」


「何枚あるんです!?」


「知らん!」


「無茶です!」


「飛ばしたやつが言うな!」


 黒組は壁を走った。


 ネズミ組は地面を追う。


 赤組は空中で葉を蹴り、乾燥棚の方向へ戻す。


 俺は一枚の大きな青月草へ飛びついた。


 葉ごと風に持ち上げられる。


「また飛ぶのかあああ!」


 朝の手紙に続いて、今夜は薬草である。


 ゴキブリへ翼はない。


 だが、身体が軽すぎて、何に乗っても飛んでしまう。


 俺は葉の縁を六本脚でつかみ、身体を左右へ振った。


 右へ傾く。


 風が葉の裏へ入る。


 落ちない。


 逆に上がった。


「違う違う! そっちは空だ!」


 ルビーが横へ並んだ。


「葉の先を下げて!」


「どれが先だ!」


「細いほう!」


「両方細い!」


「私を見て、同じ向き!」


 ルビーが翅を傾ける。


 俺も身体を傾けた。


 葉が風を逃がし、ゆっくり高度を下げる。


 乾燥棚の屋根へ着地した。


「飛んだ……俺、今、飛んだぞ!」


「葉に運ばれただけ」


「一瞬くらい夢を見させろ!」


「着地は三点」


「六本脚全部ついた!」


「格好悪い」


「注文が多い!」


 下では二号が、薬草集めの拍を歌っていた。


「赤い葉は右! 青い葉は左! 黄色い粉は――」


「吸うな!」


「歌詞が急に注意書き!」


「二番、作ります?」


「一番も止めろって言っただろ!」


 葉を追いかける俺たちの足跡が、村道に妙な模様を描いていた。


     ◇


 飛ばした薬草は、全部回収した。


 一枚だけ鶏が食べたが、オルドは「あれは腹の薬だから構わん」と言った。


 鶏は満足そうだった。


 俺たちは満足していない。


「風を通せばいいと思ってた」


 俺は乾燥棚の下で、開いた板を見上げた。


「通しすぎたら、乾く前に全部なくなる」


「失敗ですね」


 二号が言う。


「大失敗だ」


「ほな、どうする?」


 チュウタが隣へ座る。


 責めない。


 笑いもしない。


 次を聞いている。


 俺は風板の内側へ触角を向けた。


 開くか閉じるか、二つしかないから駄目なのだ。


 風が強い日は狭く。


 弱い日は広く。


 雨が降れば閉じる。


「板の角度を三段にする。それと、飛んだ葉を受ける網を後ろへつける」


「網なら、昨日直した穀物網の編み方が使える」


 ミナが言う。


「雨は屋根の端から横へ吹き込むわ」


 ルビーが屋根を調べる。


「葉の雨受けをつければ、下の樋へ流せるで」


 チュウタが土台を指す。


「それだ」


 失敗が、必要な部品を全部教えてくれた。


 風板へ三つの歯止め。


 後ろへ細い回収網。


 屋根の横へ、大葉を重ねた雨受け。


 流れた水は壺へ落とす。


 黒組が歯止めの内部へ入る。


 赤組が風の強さを三段階で試す。


 ネズミ組が樋の傾きを土で調整する。


 リリアは屋根を支え、オルドは薬草を種類ごとへ戻す。


 二号は拍を取る。


「弱い風、いーち! 普通の風、にーい! 大将を飛ばす風、さーん!」


「三段目の名前を変えろ!」


「薬草全部なくなる風!」


「もっと悪い!」


 夜明け前。


 三段風板が完成した。


 弱い風では全開。


 普通の風では二段目。


 強い風では一段目。


 回収網が、浮いた葉だけを受け止める。


 オルドが同じ青月草を、古い側と直した側へ置いた。


 一刻待つ。


 古い側の葉は、まだしんなりしている。


 直した側は、ぱきりと小さな音を立てて折れた。


「乾燥時間は、およそ半分だ」


 オルドが言った。


 歓声が上がる。


 俺たちは棚の内部にいるから、人間には聞こえない。


 でも木が震えた。


 二十一匹分の脚が跳ね、巨大な棚全体を小さく鳴らした。


「やったぞ!」


「薬草も麦も守れる!」


「パンも乾かせます!」


「パンは乾かすな! せっかく柔らかいんだぞ!」


     ◇


 朝。


 村人たちは、真っすぐに立った乾燥棚を見上げた。


 風板を一段ずつ動かす。


 回収網を引く。


 雨受けから壺へ水を流す。


「前より使いやすいぞ」


「誰が、こんな仕掛けを?」


 オルドは何も言わない。


 リリアも、少し離れた場所で笑っているだけだ。


 俺たちは柱の中へ隠れ、村人の声を聞いた。


 修理跡はほとんど消した。


 余った糸も、削った木屑も、薬草の足跡も片づけた。


 ただし、三段風板の横には小さな絵を残した。


 弱い風には板三枚。


 普通の風には二枚。


 強い風には一枚。


 文字が読めなくても使える。


「精霊が絵まで描いた!」


 トーマが嬉しそうに叫ぶ。


 熱は下がり、まだ毛布を羽織っている。


 その顔を見た瞬間、夜通し動いた六本脚の疲れが少し軽くなった。


「精霊なら、なぜ姿を隠す」


 低い声がした。


 村長だ。


 白い髭を短く整え、乾燥棚の柱へ手を当てている。


「井戸を直し、薬を止め、道具まで直す。善いものなら、人前へ出ればいい」


「怖がりなんじゃないか?」


 村人が言う。


「それとも、人には見せられない姿なのか」


 俺の触角が止まった。


 村長は棚の内側をのぞいた。


 暗がりにいる俺たちとは、板一枚。


「今夜から夜警を増やす。捕まえはせん。正体を確かめるだけだ」


「捕まえる人の言い方ですね」


 二号がささやく。


「静かに」


 村長の指が、俺たちの頭上を通った。


 触角一本ぶん先。


 俺は腹を木へ押しつける。


 薄い身体が、影と同じ厚さになる。


 指は気づかず去った。


 外で、村長が夜警の名を呼び始める。


 一人。


 二人。


 三人。


 増えていく。


 俺は仲間を見た。


「今夜から、修理より難しい仕事が増えたぞ」


「夜警と鬼ごっこですね!」


 二号が嬉しそうに触角を振る。


「何で喜んでるんだ!」


「作戦名、考えていいです?」


「駄目だ!」


「じゃあ、こっそり考えるだけです」


「それも駄目だ!」


 こうして森の精霊は、村人を助けるより先に、村人から逃げる準備を始めることになった。

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