↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
87/91

ごんぎつね作戦

「狐の尻尾が、抜けません!」


「だから要らないと言っただろ!」


 作戦開始三分前。


 カサカサ二号は、薬草小屋の壁穴へ尻から挟まっていた。


 身体は穴の向こう。


 頭も向こう。


 こっちに見えているのは、白い綿毛を束ねた尻尾だけである。


 ごんぎつね作戦だから、狐の尻尾が必要らしい。


 意味が分からない。


 分かりたくもない。


「そもそも、なぜ狐なんだ」


「物語です! 夜、こっそり薬を届けて、正体を明かさず去る話です!」


「知ってるが、あの話、最後は撃たれるやつだろ」


「撃たれません! 今日は撃たれない話にします!」


「話を都合よく変えるな!」


「引っ張るで!」


 チュウタが綿毛をくわえた。


「待って待って! 尻尾だけ取れます!」


「むしろ取れろ!」


「衣装の大事なところです!」


「衣装じゃなくて荷物だ!」


「大将、押して!」


 穴の向こうからルビーの声。


 俺は二号の尻へ前脚を当てた。


 いや、何をやってるんだ俺は。


 村の十二軒に毒薬がある。


 今夜中に服用を止めなければならない。


 オルドの孫はまだ熱がある。


 リリアとオルドは、村の表側から薬を回収している。


 緊迫した夜だ。


 なのに俺は、狐になりたいゴキブリの尻を押している。


「せーの!」


 ぐぐぐっ。


 二号の腹が穴を抜ける。


 綿毛の尻尾が石へ引っかかる。


 ぶちんっ!


「あっ」


 二号だけが向こうへ飛んだ。


 白い尻尾はチュウタの口に残った。


 穴の向こうで、軽い衝突音。


 からん、ころころころ。


「薬皿に落ちた!」


 ルビーが叫ぶ。


「作戦開始前に薬をこぼすなあああ!」


 俺たちの最初の仕事は、狐の救助ではなく、床へ散った青月草の丸薬を拾うことになった。


     ◇


 薬草小屋の机には、村の地図が広げられていた。


 オルドが薬を受け取った十二軒へ、薬草の葉を一枚ずつ置いている。


「赤い葉は、すでに熱が出た家。黄色は、薬を飲んだが症状なし。緑は、まだ飲んでおらん」


 赤が三軒。


 黄色が四軒。


 緑が五軒。


「赤を先にリリアとオルドが回る。黄色は俺たちが薬の量を調べて、必要なら吸着薬を置く。緑は飲む前に止める」


「どうやって止めるん?」


 チュウタが聞いた。


 人間へ姿を見せるわけにはいかない。


 床下から声を出せば、二号が精霊扱いされたように大騒ぎになる。


 教団へ知られれば、薬を隠されるかもしれない。


「これを置く」


 オルドが小さな紙片を十二枚並べた。


 大きな赤い印。


 薬瓶の絵。


 その上へ太い斜線。


 文字が読めない者にも分かる。


 裏には、オルドの薬草印が押してある。


「これだけでは信じない家もあるわ」


 リリアが言った。


「教団の薬をやめて、夜に置かれた紙を信じろと言うんだから」


「だから、安全な薬も一緒に置く」


 オルドは青月草と炭粉の丸薬を指した。


「飲んだ量に応じて、白糸一周、二周、三周の印をつけた。勝手に飲ませるな。紙を見て、家の者が選べるように置け」


「食べ物もです!」


 二号が手を挙げた。


「なぜだ」


「薬は空腹で飲んだらあきません。あと、狐は食べ物を置くものです!」


「お前、ごんぎつねの最後を知ってるのか?」


「知りません!」


「元気に答えるな!」


 だが、空腹の話は間違っていない。


 熱が出た家では、畑へ出られない。料理もできない。昨日もらったパンを全部こちらへ回すつもりはないが、運搬中に崩れた欠片なら、まだ保存袋にある。


「赤い三軒へ、パンと干し果実をつける」


「やった!」


「二号が食べるんじゃないぞ」


「信用が低い!」


「昨日から上がる理由がない!」


 役割を分けた。


 第一隊は俺、チュウタ、二号、黒組のミナとクル。


 床下から黄色の四軒を回り、残った薬の匂いと量を調べる。


 第二隊はルビーと赤組六匹。


 屋根と木壁を使って緑の五軒へ警告を届ける。


 第三隊はオルドとリリア。


 堂々と玄関から赤の三軒を診る。


「隊の名前は?」


 二号が聞く。


「いらないだろ」


「絶対いります! 勇者様の隊が『正面隊』やのに、俺らが『第一隊』はさみしいです!」


「じゃあ何にするんだ」


「『床下電光石火隊』!」


「長い!」


「クルが噛みそうです」


「噛みません」


 クルが即答した。


「第三隊だけ道が広い!」


 二号が不満を言う。


「身体もでかいからな」


「俺らも玄関から行きたいです!」


「踏まれるぞ」


「やっぱり床下が落ち着きます!」


 切り替えが早い。


 俺も同じだった。


 人間だった感覚では、暗い床下へ入るのは怖い。狭い。汚い。何がいるか分からない。


 今は違う。


 壁が近いと安心する。背中へ天井が触れるほどの隙間なら、巨大な靴も鳥のくちばしも入らない。触角が左右の壁へ触れ、道の幅を教えてくれる。


 ここは、俺たちの道だ。


「全隊、夜明け前に戻る。見つかったら戦わず逃げろ。薬より命が先だ」


「作戦名、言ってません!」


「言わなくていい!」


「ごんぎつね作戦――開始!」


 二号の声だけは、やたら格好よく床下へ響いた。


     ◇


 一軒目。


 黄色の葉が置かれた、パン屋の家。


 問題は、床下が熱いことだった。


「あっつ! 腹が焼ける!」


 かまどの余熱が石床へ残っている。


 人間には心地よい暖かさだろう。


 俺たちには、巨大な焼き板だ。


 六本脚の先から熱が上がる。


 腹側の呼吸孔が乾き、空気を吸うたび熱風が入った。


「急げ! 止まると焼きゴキブリになる!」


「パン屋で焼かれるなら本望です!」


「本望とか言ってる場合か! 脚から匂い立ってきたぞ!」


「香ばしいでしょう?」


「香ばしくない、焦げてる、それは焦げてるやつだ!」


「俺は嫌だ!」


 チュウタが土魔法で薄い湿り土を前へ押し出した。


 俺たちは、その上を走る。


 足元だけが少し冷える。


「大将、右!」


 ミナの声。


 床板の隙間から、薬の匂いが落ちている。


 柱を登る。


 薄い身体を木枠と壁の間へ滑り込ませる。


 棚の上に白炎印の瓶があった。


 瓶の中身は、半分。


「飲んでる」


 俺は口へ触角を近づけた。


 昨日の朝、二杯。


 今朝、一杯。


 乾いた木栓から、三度開けた匂いがする。


 身体全体で匂いを読むと、頭の中が薬草だらけになる。甘さ、油、眠り茨、触った人間の汗。便利だが、好きな能力ではない。


 ゴキブリへ生まれ変わっていなければ、こんなことはできなかった。


 ゴキブリになったから、毒の瓶へ自分から近づいている。


 誇っていいのか、嘆くべきなのか、今夜も答えは出ない。


「量は三杯。症状がないなら、一周丸薬を一個。紙と一緒に置く」


 クルが丸薬を押す。


 薬瓶の隣まで運んだ。


 そのとき、棚が揺れた。


 ずしん。


 天井から粉が落ちる。


 パン屋の男が起きてきた。


「水……」


 巨大な手が、棚へ伸びる。


 指が瓶をつかんだ。


「今飲む気だ!」


「紙、まだ置けてへん!」


 チュウタが紙片を押す。


 間に合わない。


 瓶が持ち上がる。


 俺は蜘蛛糸を木栓へ投げた。


「引け!」


 五匹で糸を引く。


 俺たちの力では瓶は止まらない。


 止める必要もない。


 木栓だけが、少し傾いた。


 中の薬が瓶口へ流れる。


 男が口元へ運ぶ直前。


 ぽたっ。


 一滴が指へこぼれた。


「うわっ、何だ?」


 男が瓶を棚へ戻す。


 手を拭くため、背を向ける。


「今だ!」


 チュウタが紙片を瓶の正面へ立てた。


 二号とミナが丸薬を押し出す。


 クルが木栓へ赤い糸を巻く。


 男が振り向いた。


「……飲むな?」


 紙の絵を読む。


 裏返し、オルドの印を見る。


 丸薬をつまんだ。


「オルドじいさんか?」


 俺たちは棚の裏へ隠れる。


 男は毒薬を飲まなかった。


 代わりに水を汲み、丸薬を一つ口へ入れた。


「一軒目、成功!」


 二号が小声で拳を上げる。


「まだ三軒ある。あと、その白い粉は何だ」


 二号の背中が真っ白だった。


「パン粉です」


「いつ拾った!?」


     ◇


 二軒目と三軒目は、簡単だった。


 簡単といっても、俺たち基準である。


 人間の寝返りで床が揺れ、隙間へ積もった灰が崩れ、途中で巨大な箒が頭上を通った。


「箒だ、伏せろ!」


 全員が床へ張りついた。


 毛先が頭上をかすめ、風だけが六本の脚を撫でていく。


「掃除、こんな夜中に?」


「寝ぼけとるんやろ」


「箒を怖がるゴキブリって、ちょっと様にならないな」


「様になる怖がり方があるなら教えてください!」


 ミナが小声で数を数え、クルが薬瓶の残量を布へ書き写す。


 それでも、薬量を調べ、紙と丸薬を置いた。


 四軒目。


 村の外れに住む母親と、二人の子どもの家。


 ここだけ、薬瓶が見つからなかった。


「匂いはある」


 俺の触角には、眠り茨の甘い刺激が刺さっている。


「棚にはない。机にもない。寝台の下にもない」


「もう飲みきった?」


 ミナが聞く。


「違う。匂いが新しい」


 壁を走る。


 天井梁を渡る。


 匂いが強い方向へ進む。


 木箱の上。


 布で包まれた小さな荷物。


 薬瓶ではない。


 一杯分ずつ、紙へ染み込ませた薬だ。


「持ち運び用やな」


 チュウタが鼻を近づける。


「明日の畑へ持っていくつもりか」


「大将」


 二号の声が低い。


 床の向こうで、子どもが咳をした。


 母親が起きる。


「水、飲む?」


「お薬も」


「畑へ出る前に、今夜のぶんを飲もうね」


 布包みへ手が伸びた。


「まずい!」


 俺たちは紙片を押した。


 だが、木箱の上は遠い。


 床から壁を登り、梁を渡り、箱の側面を上がらなければ届かない。


 人間の手は一秒で届く。


「間に合わん!」


 チュウタが壁を蹴る。


 二号が息を吸った。


「歌うなよ」


「でも!」


「……歌え」


「え?」


「子どもを起こすくらい、でかく歌え!」


 二号の触角が跳ねた。


 次の瞬間、音響魔法が床下から壁へ走った。


「飲んじゃだめえええええ――!」


 声が木の柱を震わせる。


 ぼわん、ぼわん、と家中の器が鳴った。


 母親の手が止まる。


 子どもが布団から飛び起きる。


「今、歌った!」


「森のほうから?」


「夜の精霊だ!」


「位置の判定が雑で助かった!」


 俺たちはその隙に箱を登った。


 紙片を布包みへ突き刺す。


 赤い斜線が見えるよう、糸で立てた。


 母親が紙を手に取る。


「この薬……飲むなって?」


 二号は返事をしなかった。


 代わりに、壁の向こうからルビーの風が届いた。


 窓がひとりでに開く。


 森の薬草の匂いが部屋へ流れ込んだ。


 母親は子どもを抱き寄せた。


「明日、オルドさんへ聞きに行こう」


 布包みを棚の奥へしまう。


 俺たちはそろって腹を床へ落とした。


「間に合った……」


「大将、歌え言いましたね」


 二号がにやにやする。


「緊急時だけだ!」


「公認ですね」


「違う!」


「けど、正直助かった。あと二秒遅かったら、俺の脚じゃ間に合わんかった」


 チュウタがぽつりと言う。


 言われて初めて、自分の脚が震えていたことに気づいた。


 人間の子どもが薬を飲む一秒前。


 あの一秒は、ゴキブリの脚では絶対に届かない距離だった。


 届いたのは、二号の声のおかげだ。


「二号、次からは最初から歌え。もったいぶるな」


「さっき止めたのは大将です!」


「前言撤回する!」


「調子いいなあ!」


     ◇


 問題は、二号の歌が一軒で終わらなかったことだ。


 音響魔法は壁を伝い、村の道まで響いた。


 犬が吠える。


 窓に灯りがつく。


「今、声がしたぞ!」


「森の精霊じゃないか?」


「井戸の精霊だろ!」


「どっちでもいい、外を見ろ!」


 村人が次々と家を出る。


 その村道へ、白い袖の男が二人入ってきた。


 浄火教団だ。


「夜中に何の騒ぎです!」


 一人が叫ぶ。


「清め薬を飲んではいけないという声が」


 母親が紙片を持って出た。


 教団の男の顔色が変わる。


「それは偽物です。薬を捨てなさい!」


「捨てるのは紙じゃないのか?」


「薬を――いや、その紙を!」


 言い間違えた。


 村人たちが互いの顔を見る。


 教団の男は母親から紙を奪おうとした。


 その手首を、リリアがつかんだ。


「何を捨てるの?」


 赤い三軒を回り終えたところらしい。


 外套の裾には夜露。


 指先には治癒光が残っている。


「勇者様。これは、村を惑わす何者かの――」


「薬を飲んだ三人に、同じ震えと発熱が出ていたわ」


 リリアが遮る。


 オルドも後ろから来た。


「薬瓶ごとに濃さが違う。子どもには多すぎる量だ」


「素人の判断です!」


「わしは四十年、村の薬を作っとる」


「教団の清めは、普通の薬とは――」


「なら、あんたが飲めばいい」


 村人の一人が薬瓶を差し出した。


 教団の男が黙る。


「井戸を直したのも、薬を止めたのも、あんたたちじゃない」


 別の女が言った。


「夜の精霊だ」


「森から歌が聞こえたぞ」


「薬草の匂いもした」


「なら、森の精霊じゃないか?」


 話が勝手に育っていく。


 俺たちは木箱の陰から聞いていた。


「井戸から森へ昇格しました!」


 二号が喜ぶ。


「場所が変わっただけだ!」


「次は空の精霊を目指します!」


「お前は飛べないだろ」


「尻尾があれば飛べます!」


「さっき穴に挟まった原因を忘れたのか!」


 教団の男たちは、村人に囲まれて退いた。


 薬瓶は全部、オルドが預かることになった。


 赤い三軒の病人も、今夜は安定している。


 勝った。


 誰も斬らず、誰も薬を飲まず、十二軒すべてに間に合った。


 胸の奥が熱い。


 脚が疲れて震えているのに、今すぐもう一周走れそうな気がした。


     ◇


 夜明け前。


 俺たちは薬草小屋へ戻った。


 各隊の成果を並べる。


 回収された毒薬十二本。


 使わなかった丸薬四個。


 余った警告紙二枚。


 空になったパン袋。


「パン、全部配れたんだな」


「二号の背中に一欠片ついてるで」


 チュウタが指した。


 二号が振り返ろうとして、その場でくるくる回る。


「どこです?」


「犬か!」


 ルビーが前脚で取り、半分に割った。


 一つを二号へ。


 もう一つを俺へ放る。


「隊長のぶん」


「俺は何も運んでないぞ」


「全員を戻した」


 短い言葉だった。


 俺はパンを受け取った。


 全員がいる。


 ミナも、クルも、赤組の六匹も。負傷者はなし。薬を吸った者もいない。


 成功を数えるより先に、帰ってきた顔を数える。


 それが一番、腹の奥へ効く。


「食べるぞ。今日は働いた!」


「大将、今日も、です」


「細かい訂正をするな!」


「二号、パンの欠片、もう半分自分で食べてますよね」


「証拠がありません!」


「口の周りが証拠だ」


 ルビーに指摘され、二号は慌てて触角で口元を拭った。


 拭った先から、また新しいパン粉が落ちる。


「無限に湧いてくるやつだ……」


 チュウタが半分あきれた声を出す。


 オルドが温かい薬草茶を、水皿へ少しだけ注いだ。


 俺たちには池ほどある。


 みんなで縁へ並び、一口ずつ飲む。


 苦い。


 だが、トーマの薬よりはましだ。


「二号」


 俺は言った。


「作戦名だけは、悪くなかった」


 二号の触角が跳ね上がる。


「歌も?」


「あれは一回だけだ」


「第二番があります!」


「ない!」


「ごんごんごん、夜の森から――」


「歌うな!」


 薬草小屋の壁が、笑い声と下手な歌で震えた。


 外では、目を覚ました村人が、井戸のそばへ新しい木札を立てていた。


『森の精霊へ。ありがとう』


 その下には、修理してほしい桶と、壊れた乾燥棚が置かれていた。


「桶の次は棚か……」


「精霊、忙しいですね」


「他人事みたいに言うな、お前も精霊の一員だろ」


「俺は歌担当です!」


「配達もしただろ!」


「……依頼、増えてないか?」


 俺の触角が下がる。


 オルドが茶を飲みながら答えた。


「信用とは、頼まれることだ」


「椅子まであるぞ!」


「人気者はつらいな、森の精霊」


「俺たちはゴキブリだあああ!」


 村人には届かない小さな叫びが、朝の床下へ景気よく響いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。