↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
86/90

薬草師オルド

人間の手紙は、風が吹くと空を飛ぶ。


 当たり前だと思うだろう?


 俺もそう思っていた。


 ただし、自分がその手紙の上に乗っていなければ、だ。


「飛ぶ飛ぶ飛ぶ! うわあああ、これ絶対に飛んでいいやつじゃない!」


 ばさああっ!


 オルドの手紙が朝風をはらみ、石の重しを跳ね飛ばした。


 紙の端を押さえていた俺、チュウタ、二号、ルビーも一緒に浮いた。


 地面が離れる。


 一センチ。


 二センチ。


 三センチ。


 人間には、紙がちょっとめくれただけだ。


 俺には崖から放り出された高さである。


「ルビー、風を止めろ!」


「私の風じゃない!」


「飛べるんだから何とかしろ!」


「三匹も乗せた紙は無理よ!」


「俺、紙飛行機は好きです!」


 二号が両脚を広げた。


「これはただの紙だ!」


「気分の問題です!」


「気分で翼は生えない!」


 紙は井戸小屋を飛び出した。


 くるりと傾き、村道を横切る。


 下を歩いていた鶏が、俺たちを見上げた。


 嫌な予感。


 今の俺には《危険超感覚》がある。


 背中の甲殻がぞわっと粟立ち、六本脚が勝手に紙へ張りついた。


「伏せろ!」


 かつんっ!


 鶏のくちばしが紙の端を突き破った。


 穴が開く。


 朝日が穴から噴き込む。


「手紙が食われる!」


「俺らもや!」


「そっちはもっと困る!」


 鶏が二度目の一撃を振り下ろす。


 ルビーが翅を開いた。


 ぶわっ!


 細い風が紙の片側だけを押す。


 紙が縦に立ち、くちばしを避けた。


 俺たちは全員、紙の下側へ滑る。


「右へ寄れ!」


「右ってどっちです!?」


「文字の終わり側!」


「読めません!」


 チュウタが二号の後脚をくわえた。


 俺は紙の繊維へ爪を立て、腹をぺたりと押しつけた。


 風は頭上を抜け、紙だけを持ち上げようとする。その流れが触角へ一本ずつ触れる。左の端が強い。右は井戸壁の陰で弱い。


「全員、右端を下へ引け!」


「はいっ!」


 四匹の重さが片側へ集まる。


 紙は旋回し、井戸小屋の壁へ向かった。


「着地するぞ!」


「壁ですよ!?」


「俺たちには床だ!」


 ばさっ!


 手紙が石壁へ張りつく。


 俺たちは縦になった紙の上を、そのまま六本脚で走った。


「割れ目へ!」


 四匹が石の隙間へ飛び込む。


 直後、手紙が壁から剥がれた。


 ひらひら落ち、鶏の足元へ。


 鶏が首を傾けた。


「手紙!」


 二号が戻ろうとする。


 俺は尻をつかんだ。


「命と手紙、どっちが大事だ!」


「手紙に助けてほしい子のことが!」


 言い返せなかった。


 あの紙がなければ、オルドの孫の病状も頼みも分からない。


 だからといって、鶏のくちばしへ突っ込ませるわけにもいかない。


 俺の触角が、悔しさで石壁を二度叩いた。


 こんな紙一枚も運べない。


 昨日は古代部品を十五匹で運んで得意になったくせに、今日は朝風と鶏一羽に完敗だ。


「くそっ。大きい世界、いちいち腹が立つな!」


「じゃあ、小さくすれば?」


 頭上から声がした。


 鶏より先に手紙を拾ったのは、リリアだった。


     ◇


 リリアは井戸小屋の陰へ座り、手紙を広げた。


 俺たちは石の割れ目へ隠れたまま、彼女の声を聞く。


「『夜の精霊へ。孫のトーマが熱を出した。薬を飲ませても悪くなる。何者か知るつもりはない。話を聞いてくれるなら、日暮れに薬草小屋の裏へ来てほしい』」


「何者か知るつもりはない、か」


 俺が小声で繰り返す。


「昨日、足跡見てたやろ。もうだいたい分かっとるんちゃう?」


 チュウタが言う。


「ゴキブリだと分かって、水まで置いたのか?」


「いい人ですね!」


 二号が嬉しそうに言う。


「まだ決めるな。罠じゃない証拠もない」


「大将、水は飲んだやん」


「……一口だけだ」


「三口でした」


「数えるな!」


 リリアの指が、破れた紙の角をなぞった。


「ここ、鶏にやられたの?」


 俺たちは黙った。


「古代の金属部品は運べるのに?」


 黙った。


「ふふっ」


「笑ったぞ」


「笑ってないわ」


「今、絶対笑った!」


「精霊の声がする気がするけど、私には何も聞こえない」


「共犯め!」


 リリアは手紙を四つに裂いた。


 俺の胸が一瞬ひやりとする。


 だが、彼女は裂いた紙のうち、文字がある一枚だけを壁の割れ目へ差し込んだ。


 小さくなった手紙は、俺たちでも引ける大きさだ。


「これなら飛ばないでしょう」


「助かる」


「何か言った?」


「共犯だと言った!」


「聞こえないわね」


 彼女は立ち上がり、腰の聖剣へ手を置いた。


「日暮れ、私も行く。子どもの病気なら、治癒魔法が使えるかもしれない」


 足音が遠ざかる。


 二号が俺を見る。


「仲間、増えましたね」


「まだ共犯だ」


「共犯も二日続いたら仲間ちゃう?」


「違う……たぶん。いや、そうかもしれないけど、本人へ言うなよ。調子に乗るから」


 口ではそう言った。


 俺の触角は、勝手に彼女の足音を追っていた。


     ◇


 日暮れ。


 薬草小屋の裏には、浅い水皿が一つ。


 干した林檎が一欠片。


 そして、背を向けて座るオルドがいた。


「来たか」


 俺たちは壁の隙間で止まった。


 オルドはこちらを振り返らない。


「足音は四つ。いや、細かすぎて数えられん。声を出せる者が一匹。鼠も一匹おるな」


「何で分かる」


 思わず聞いた。


「鼠は薬草より食い物の匂いを先に嗅ぐ。さっきから林檎のほうで鼻が鳴っとる」


 チュウタが鼻を押さえた。


「罠はないと言ったな」


「言っておらん。水を置いただけだ」


「おい!」


「だが、今も罠はない」


 老人の声は平らだった。


 こっちの怒鳴り声にも、驚かない。


「姿を見せろとも言わん。名を言いたくなければ言わんでいい。わしの条件は三つだ」


「いきなり三つもあるのか」


「一つ。孫を助けるため、知っていることを話せ」


「それは話す」


「二つ。人の食料庫へ勝手に入るな」


「入ってない!」


 オルドは干し林檎へ目を落とした。


 チュウタは、すでに両前脚で抱えていた。


「これは外にあったやつや」


「置いてあった物だ!」


「置いてある食い物は、食うためやろ?」


「お前は交渉中だけでも我慢しろ!」


 オルドの肩が揺れた。


 笑ったのか、咳なのか分からない。


「三つ。大勢で村へ入るときは知らせろ。踏みたくない」


 俺の声が止まった。


 追い払う、ではない。


 燃やす、でもない。


 踏みたくない。


 たったそれだけの言葉が、妙に重かった。


 俺は前脚を一歩出した。


 夕方の光が、触角の先だけを照らす。


「分かった。俺たちにも三つある」


「言ってみろ」


「居場所は勝手に探さない。仲間の姿をほかの人間へ話さない。俺たちが嫌がる薬を撒くときは、先に知らせる」


「最後が切実だな」


「こっちは呼吸を止められないんだ!」


 思わず腹側を押さえる。


 人間のような肺ではない。


 腹の側面に並ぶ小さな穴から、空気が勝手に入る。息を止めろと頭で命じても、この身体は生きるために吸い続ける。


 殺虫薬の霧の中では、それが恐怖だった。


「分かった」


 オルドは短く答えた。


「約束する」


「俺はクロ。こっちはチュウタ、二号、ルビーだ」


「二号?」


「そこは聞かないでください!」


 オルドはとうとう声を立てて笑った。


「ではクロ。孫を診てくれ」


「待て。俺は薬師じゃない」


「井戸の毒を見つけた」


「鼻が利いただけだ!」


「薬を嗅ぎ分けた」


「触角だ!」


「十分だ。薬の知識はわしが出す。治癒は勇者様に頼んだ。お前たちは、人間が気づかん匂いを探してくれ」


 役割を、最初から分けている。


 俺に全部できるとは言わない。


 できることだけを求めている。


「……それなら、やれる」


「最初からそう言え」


「あんた、俺への扱いが二日目とは思えないな!」


     ◇


 トーマは薬草小屋の隣にある小さな家で寝ていた。


 七歳。


 赤い頬。


 乾いた唇。


 額には濡れ布が置かれている。


 リリアが寝台の横へ座り、手のひらへ光を集めていた。


「熱は高い。でも、井戸の毒とは反応が違う」


 俺たちは寝台の裏、木枠の細い亀裂へ隠れている。


 オルドは堂々と部屋にいる。


 人間二人と、見えない四匹の診察だ。


「脈は速い。喉が乾く。指先が震える。腹は痛くない」


 オルドが症状を数える。


「いつから?」


 リリアが聞く。


「昨日の朝、教団から薬をもらった。昼に一杯。夜に一杯。今朝、熱が上がった」


 俺の触角がぴたりと止まった。


「薬を見せてくれ」


 声が寝台の裏から漏れる。


 リリアは何も驚かず、オルドから小瓶を受け取った。


 瓶の口を、床へ近づける。


 一滴だけ木皿へ落とした。


 透明な液体。


 甘い薬草の匂い。


 苦み。


 その奥。


 油花。


 石灰。


 眠り茨。


 俺の腹側の穴が、きゅっと縮んだ。


 殺虫薬の霧が一瞬、記憶の中で戻る。


 喉はないのに、息が詰まった気がした。


「同じだ」


「何と?」


 オルドが聞く。


「井戸小屋に撒かれた薬。薄めて、甘い匂いを足してある。でも、同じ三つが入ってる」


「殺虫薬を、人に飲ませたと言うのか?」


「分からない。人間には薬になる量なのかもしれない。俺たちには一滴でも多すぎる」


 決めつけるな。


 怖かった匂いだからといって、同じものが人間にも毒とは限らない。


 身体の大きさが違う。


 効く場所も違う。


 薬と毒は、量でひっくり返る。


「オルド、この三つを人間へ使うことは?」


「油花は皮膚病に、石灰はごく薄くして水の消毒に使う。眠り茨は痛み止めだ。だが、三つを一緒に飲ませる処方は知らん」


 リリアが液へ光を当てた。


 透明だった一滴の中に、白い筋が浮く。


「魔力を弱らせる反応がある。熱を治す薬じゃない」


「では、解毒を」


「待って」


 リリアがトーマの胸へ手を置く。


「何をどれだけ飲んだか分からないまま、強い浄化をかけると身体まで傷つける。子どもには特に危ない」


 最強の勇者だから、何でも光らせて治せる。


 そんな便利な話ではないらしい。


 リリアの指先がわずかに震えていた。


 助けられる力がある。


 だからこそ、間違えたときの怖さも大きい。


「量を調べる」


 俺は言った。


「瓶の減り方。飲ませた器。口や指に残った匂い。全部見れば、だいたい分かる」


「クロ、頼める?」


「その代わり、俺たちにしか入れない場所は任せろ」


「分かった。任せる」


 迷いのない返事だった。


 胸の奥が、また妙にくすぐったくなる。


「大将、にやけてる?」


 二号がささやく。


「甲殻で分かるわけないだろ!」


     ◇


 俺と二号は、トーマが使った木杯へ入った。


 人間なら指で底をなぞれば終わる。


 俺たちには井戸だ。


 杯の内壁を六本脚で下りる。


 乾いた薬が薄い膜になり、木目の谷へ残っている。


「甘い匂い、強いですね」


「舐めるなよ」


「舐めませんよ!」


「昨日パンを口で拾ったやつを信用できるか!」


「あれは運搬です!」


「胃まで運んだだろ!」


 糸の輪を木杯の底へ置く。


 蜘蛛糸で作った、小さな計量輪だ。


 乾いた薬膜が輪の内側にどれだけあるかを数える。俺たちの脚なら、木目一本ごとの差まで触って分かる。


 一杯目の跡。


 二杯目の跡。


 底にこぼした半杯分。


「二杯全部は飲んでない。一杯半くらいだ!」


 杯の外へ声を飛ばす。


 ルビーが風で声をリリアへ運んだ。


「一杯半!」


 オルドが薬瓶の目盛りを見る。


「なら、油花はこの量。眠り茨は……多い。子どもへ使う量の四倍だ」


「まず吸着薬で胃に残った分を止める。そのあと、弱い光で血へ入ったものを抜く」


 リリアが決めた。


 オルドは炭粉、青月草、乾燥させた浄化苔を混ぜる。


 だが、ここで新しい問題が起きた。


「飲まない!」


 トーマが布団の中へ潜った。


「薬はもう嫌だ!」


 当然である。


 薬を飲んで悪くなった子どもへ、別の黒い薬を飲めと言っている。


 俺だって嫌だ。


 しかも炭粉入りだ。


 見た目は泥。


 匂いは焦げた草。


 味は想像したくもない。


「トーマ、これは違う薬だ」


 オルドが言う。


「じいちゃん、さっきも言った!」


 オルドの顔が止まった。


 正しい言葉が、もう信用されない。


 胸が痛い。


「どうする?」


 リリアが小さく聞いた。


 二号が触角を立てる。


「俺に任せてください」


「何をする気だ」


「夜の精霊です」


「嫌な予感しかしない!」


 二号は木杯の縁へ登った。


 姿は布団から見えない。


 声だけを、ルビーの風が枕元へ運ぶ。


「トーマくーん」


 高く、細く、妙に神秘的な声だった。


 俺は驚いて二号を見る。


 こいつ、やろうと思えばちゃんとできるのか。


「だれ?」


 布団が少し動いた。


「井戸の夜の精霊です」


「ほんもの?」


「ものすごく本物です」


 余計な一言を足した。


「薬、苦い?」


 二号が俺を見る。


 俺は炭薬をほんの少し触角で確かめた。


 苦い。


 とんでもなく苦い。


 ここで甘いと言えば飲むかもしれない。


 だが、次に俺たちの言葉まで信用されなくなる。


「苦い!」


 俺は木杯の陰から叫んだ。


「大将!?」


「ものすごく苦い! たぶん今まで飲んだ中で三番目くらいにまずい!」


「三番目?」


 トーマが顔を出した。


「一番はクロニアの初代茸味噌! 二番はチュウタが塩と間違えて入れた白粉焼き!」


「まだ覚えとったんか!」


「忘れるか! 三日舌がしびれたんだぞ!」


 トーマが、ふっと笑った。


「精霊さんも、まずい薬のむの?」


「飲む! 嫌だ嫌だと言いながら、仲間に脚を押さえられて飲む!」


「大将は逃げるからな」


「チュウタ、今は黙れ!」


「ぼくも、脚押さえてもらう」


 小さな手が布団から出た。


 オルドが握る。


 リリアが反対の手を握った。


「一緒に数えましょう」


「十まで?」


「三までで飲める?」


「五」


「間を取って四」


「勇者様、値切った!」


 俺の声に、トーマがまた笑う。


「いち」


 二号が数える。


「に」


 チュウタが続く。


「さん」


 ルビー。


「よん!」


 俺が叫んだ。


 トーマは鼻をつまみ、炭薬を飲んだ。


 直後、顔がしわくちゃになる。


「にっがあああい!」


「分かる! 俺も匂いだけで腹が逃げそうだ!」


「腹は逃げません!」


「気持ちの腹だ!」


     ◇


 吸着薬が効き始めるまで、リリアは弱い治癒光を細く流した。


 強く治すのではない。


 トーマの身体が自分で毒を外へ出すのを助ける光だ。


 オルドが脈を測る。


 俺たちは寝台の木枠へ六本脚をつけ、振動を数えた。


 速い。


 まだ速い。


 少しだけ、間が長くなる。


「下がってきた」


 俺とオルドが同時に言った。


 顔は見えない。


 だが、老人がこちらへうなずいたのが木枠の震えで分かった。


 一刻後。


 トーマの指の震えが止まった。


 唇の乾きも少し戻る。


 熱はまだある。


 だが、苦しそうだった呼吸が、眠る子どもの呼吸へ変わった。


 オルドの肩から力が抜けた。


「助かったの?」


 リリアが俺たちの隠れる木枠へ聞く。


「今夜は見張る。薬が抜けきるまでは安心できない」


「それでも、さっきよりいい」


 オルドが言った。


 その声が一度だけ詰まる。


「ありがとう」


 俺の触角が下がった。


 感謝されると、どうしていいか分からない。


 パンなら運べる。


 壊れた桶なら直せる。


 ありがとうは、どこへ置けばいい。


「俺だけじゃない」


 結局、いつもの言葉が出た。


「オルドが薬を作った。リリアが量を決めて光を使った。二号が飲ませた。チュウタとルビーも――」


「大将は杯の底を嗅いだ」


 二号が言う。


「言い方! もっと格好いい部分を選べ!」


「薬量調査です」


「最初からそれでいい!」


 笑いが小さな部屋へ戻った。


 トーマは眠ったまま、ほんの少し口元を上げた。


     ◇


 夜半。


 オルドは教団の薬瓶を机へ並べた。


 一つではない。


 五本。


 どれにも白い炎の印が押されている。


「これは全部、村へ配られた物だ」


「五本も?」


「熱が出た者へ飲ませろ、と。井戸の毒から身を清める薬だと言われた」


 リリアが栓を一つずつ開ける。


 俺たちは机の裏を登り、瓶の口へ触角を向けた。


 一つ目。


 同じ匂い。


 二つ目。


 同じ。


 三つ目。


 もっと濃い。


 四つ目。


 眠り茨が強い。


 五つ目。


 瓶の底に、白い粉が沈んでいる。


 北管を詰まらせた粉と同じ、魔力を吸う匂い。


「井戸の毒じゃなかった」


 俺の脚先が机を掻いた。


 かり、かり、と乾いた音がする。


 止めようとしても止まらない。


 毒の井戸を直した。


 水はきれいになった。


 なのに、人を守ると言って配られた薬が、子どもを倒した。


 腹が立つ。


 怖がる人へ「清める」と言えば、誰だって飲む。親なら子どもへ飲ませる。それを分かっていて、量も揃っていない薬を配った。


「これを配った者は、薬の濃さが違うと知っていたのか?」


「調べる」


 リリアの目から笑みが消えた。


「でも先に、飲んだ人を探す。責めるのは、そのあと」


 俺は脚を止めた。


 そうだ。


 怒るのは簡単だ。


 今夜まだ、同じ薬を飲もうとしている家があるかもしれない。


「オルド。村で薬を受け取った家、全部分かるか?」


「分かる。だが、今から一軒ずつ回れば教団に気づかれる」


「なら、気づかれないように回る」


 二号の触角が、ぴんと立った。


「ついに、あの作戦ですね!」


「どの作戦だ」


「姿を見せず! 薬を届け! 食べ物を置き! 壊れた物まで直して、村中から感謝される!」


「最後の二つは今夜いらない!」


「名づけて――ごんぎつね作戦!」


 部屋が静かになった。


 オルドが眉を寄せる。


「狐なのか?」


「ゴキブリです!」


「作戦名と種族が一つも合ってない!」


 二号は胸を張った。


「細かいことはええんです!」


「ええんです、じゃない! まず薬を止めるぞ!」


 その夜。


 ラナ村の床下を、二十四本どころではない脚音が走り始めた。


 かさかさかさかさ――。


 嫌われ者の足音は小さい。


 けれど今夜は、誰かが毒を飲むより、きっと速い。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。