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地上と地下、二つの戦線

ガーロの背中から、白い粉が噴き出した。


 ふしゅうううっ!


 片翅の付け根にある古傷が開き、甲殻の隙間から白い煙のような粒が溢れる。


「ガーロ!」


 俺は駆け寄ろうとした。


「来るな!」


 ガーロが吠えた。


 直後、地面へ落ちた粉が赤い一族の魔力へ反応する。


 ぴしっ。


 白い筋が泥の上を走り、ルビーの脚へ伸びた。


「下がれ!」


 俺は身体ごとルビーへぶつかる。


 二匹で転がった場所を、白い筋が通り過ぎた。


 菌布へ触れる。


 じゅっ。


 布に残っていた魔力が吸われ、鮮やかな緑が灰色へ変わった。


「何なの、これ!」


「白い粉だ! 魔力へ寄ってくる!」


 リリアがガーロへ手を伸ばした。


「治癒魔法を――」


「待て! 光を入れるな!」


 遅かった。


 指先から落ちた金色の光へ、白い粉が一斉に飛びつく。


 ざざざざっ!


「きゃっ!」


 粉は治癒の光を食い、さっきの倍へ膨らんだ。


 ガーロの脚が折れる。


「ぐっ……!」


「光を切れ!」


 リリアがすぐ魔法を止める。


 俺は濡れ布を広げ、粉の上へかぶせた。


「ルビー、風は使うな! 二号も音魔法禁止! 魔力を出すほど増える!」


「では歌わず応援します!」


「普通に喋るのも少し静かにしろ!」


「ガーロさん、頑張ってください!」


「声がでかい!」


「これが最小です!」


 ガーロの身体が震える。


 苦しいはずなのに、口元が少し笑った。


「こいつは……本当に、静かにできんな」


「笑ってる場合か!」


「大将も、声がでかいぞ」


「俺はいいんだ!」


「何でです?」


「今は理由を考えてる暇がない!」


     ◇


 白い粉は、本来なら浄化材だ。


 水の毒を吸い、右廃粉管から再処理炉へ送られ、洗ってもう一度使われる。


 だが再処理炉が止まり、判定装置まで壊れた。


 今は毒だけでなく、生き物の魔力まで汚れと見なして奪う。


「何でガーロの身体から出る!」


 濡れ布越しに古傷を見る。


 白い粒は外から付いたのではない。


 甲殻の奥から、脈を打つたび押し出されている。


「大将。女王ムカデの毒、覚えてるか」


 ガーロが荒い息で言う。


「忘れるか! お前が死にかけた毒だぞ!」


「あの後も、傷が疼く時があった。北の白管へ近づくとな」


「何で黙ってた!」


「毒傷の後遺症だと思った」


「思ったなら言え! 痛い、かゆい、腹が減った、何でも言え!」


「腹が減った」


「今は最後だけ我慢しろ!」


 二号が硬焼きを一片出した。


「口へ入れます?」


「死にかけへ凶器を渡すな!」


 俺は怒鳴りながら、怖かった。


 触角がガーロの弱い振動を拾う。


 いつも重い前脚。


 戦いの前には全員の装備を一匹ずつ確かめる脚。


 宴会では俺の失敗談に合わせ、床を叩いて笑う脚。


 その振動が、今は薄い。


 同じ姿に見えるなんて、人間の目なら言うかもしれない。


 違う。


 ガーロはガーロだ。


 片翅で、硬焼きが好きで、俺より頑固で、仲間の名前を全部覚えている。


 この振動を、別の誰かで埋められるわけがない。


「絶対に死なせない」


「当然だ」


 ガーロが答える。


「地上隊へ入った初日に死んだら、一生笑われる」


「死んだら一生は終わってる!」


「なら死なない」


「最初からそう言え!」


     ◇


 先生へ聞く。


 それが一番早い。


 問題は、地下隊が伝話板を持って三番路へ入った後だということだった。


 地上側の板を倒木から引っ張り出す。


 古代文字は光っている。


 だが像が出ない。


 塔が動き始めてから、空気の中の魔力が北へ引かれている。


「こちら地上! ピコ、聞こえるか!」


 板へ触角を置く。


 ざざっ。


『……じょ……き……』


「返事がある!」


『……大将の顔……近す……』


「第一声が苦情!?」


 像が一瞬だけ映る。


 俺の顔が板一面へ拡大されていた。


 自分で見ても怖い。


 黒い複眼。


 細かく動く口。


 画面外から伸びる触角。


「これ、人間へ見せたら駆除されるな……」


「今さら気づいたんです?」


 二号が言う。


「お前も同じ顔だ!」


「俺の方が愛嬌あります!」


「どこに!?」


「触角の先が少し曲がってて、そこが可愛いって言われたことあります」


「誰に言われた!」


「自分にです!」


「自己申告、証拠にならない!」


 通信が消えた。


「お前と顔の話をしてる場合じゃなかった!」


「大将から始めました!」


 もう一度、魔力を流す。


 板の縁が熱くなるだけだ。


 クロニアまで届く前に、塔の炉心へ吸われている。


「直接届かないなら、管を使う」


 俺は倒木の床下を指した。


 操作塔からクロニアへ、白い管が続いている。


 薬と粉を送る敵の道だ。


「あの管へ、こっちの声を流す」


「白い粉の道よ?」


 ルビーが言う。


「だから魔力をそのまま流さない。振動だけだ」


 二号を見る。


「出番ですか!」


「小声のな」


「俺の才能を一番狭いところで使う!」


「声量じゃなくて正確さを見せろ!」


 地上側の魔法陣を作る。


 中央に伝話板。


 北へ伸びる白管の上へ、水で濡らした菌糸を置く。


 右にルビー。


 左に俺。


 真ん中に二号。


「作戦名は――」


「いらない!」


「《天と地を結ぶ愛の歌》」


「勝手につけた!」


「大将、始めますよ!」


「聞け!」


 一回目。


 俺が微弱な雷を流す。


 ぱちっ!


 二号が低い音を重ねる。


「ううううう……」


 ルビーが風で菌糸を震わせる。


 伝話板が光った。


 次の瞬間。


 ばきんっ!


 菌糸が弾け、三匹の顔へ白い粘液が飛んだ。


「苦い!」


「口を開けてた大将が悪い!」


「歌ってた二号へ言え!」


「俺は歌うために開けてました!」


「俺は驚いたんだ!」


「一番無駄!」


 二回目。


 雷を半分。


 音を二倍。


 風を細く。


 今度は板の像が百個へ分かれた。


 百匹の先生の頭が、同時に怒鳴る。


『『『私の顔で遊ぶな!』』』


「怖い怖い怖い!」


 リリアが聖剣を抜く。


「敵じゃない! 全部先生だ!」


「それはそれで怖いよ!」


 三回目。


 俺たちは一度、全部止めた。


「向こうの振動がない」


 ルビーが言う。


「こちらから押すだけでは、塔へ取られる。地下からも同じ拍で返してもらわないと」


「どうやって先に伝える?」


 二号が聞く。


 俺は白管へ腹をつけた。


 奥から微かな揺れが来ている。


 一、二、三。


 休み。


 一、二、三。


「チュウタだ」


「分かるん?」


「あいつ、穴を掘る時いつも三回掻いて一回止まる」


 匂いは届かない。


 姿も見えない。


 それでも、歩き方や掘り方は分かる。


 長く一緒にいれば、名前を呼ばなくても仲間の振動が分かる。


「二号。三拍で返せ」


「了解!」


「一、二、三――まだ地味ですね」


「今は地味でいい!」


 管を叩く。


 三回。


 止める。


 三回。


 地下から返事が来た。


 ど、ど、ど。


 チュウタの土魔法が、管の内側を支える。


 地上でルビーの風が菌糸を張る。


 二号の音が二つの拍を合わせる。


 俺の雷が、その道へ細い光を走らせた。


 ぱあんっ!


 伝話板の上で、青い輪が開く。


『こちら地下! 大将、また何か壊したんか!』


 チュウタの声が、今度ははっきり届いた。


「まだ壊してない!」


『まだ?』


「言葉の綾だ!」


『ガーロさんは?』


 ピコの声が割り込む。


 俺は笑うのを止めた。


「古傷から白い粉が出た。リリアの光で増えた。濡れ布で押さえているが、振動が弱い」


 板の向こうで、先生が何かを倒す音。


『ガーロの毒吸収だ!』


「何?」


『女王ムカデの毒を吸った時、傷口に付着していた廃粉まで体内へ取り込んだのだ。炉心の召集波が、粉だけを引き戻している』


「どうすればいい!」


『無理に抜けば傷が裂ける。魔法で治せば粉へ餌を与える。菌床の吸着液を細い糸へ染み込ませ、召集波に合わせて少しずつ外へ導け』


「菌床液ならある!」


 赤風巣の再建に使った白粉菌床。


 雨水で薄め、蜘蛛糸へ染み込ませる。


「ガーロ、傷へ入れるぞ」


「やれ」


「痛いぞ」


「大将の作戦は、だいたい痛い」


「俺のせいみたいに言うな!」


「今回は大将のせいではない」


「急に素直になるな。怖くなる!」


     ◇


 召集波は、十一拍ごとに来た。


 操作塔の歯車と同じだ。


 二号が数える。


「一、二、三、四――」


 ルビーが菌糸を張る。


 リリアは魔法を使わず、指先で濡れ布の端を押さえる。


 人間の指は大きすぎる。


 だが動かさず支えるなら、俺たち百匹分より安定していた。


「十――来ます!」


 十一。


 ぶるっ!


 ガーロの身体から白い粒が浮く。


「今!」


 俺は六本脚で蜘蛛糸を引いた。


 前脚は傷口。


 中脚は糸の角度。


 後ろ脚は地面をつかむ。


 一本でもずれれば、粉が傷へ戻る。


「出ろ……出ろって! お前の家はガーロの中じゃない!」


 白い塊が、糸へ吸いつく。


 ずるっ。


 一粒出た。


 二粒。


 三粒。


 四度目の波で、糸が切れた。


「うわっ!」


 白い塊が俺の顔へ飛ぶ。


 ルビーの風が横から叩き、濡れ泥の皿へ落とした。


「風、使うなって!」


「今は粉が身体から離れた!」


「先に言ってから助けろ!」


「言ってたら大将の顔に付いてたわよ!」


「それはもっと嫌だ!」


 泥の皿へ発酵液を落とす。


 しゅわあっ。


 粉が泡を出し、丸い灰色の塊へ固まった。


 湿った穴へ封じる。


 五度目。


 六度目。


 最後に、ガーロの甲殻の奥から爪ほどの白い芯が出た。


 菌糸へ絡みつき、泥皿へ落ちる。


 召集波が来ても、ガーロの身体はもう光らない。


「振動は?」


 俺は腹を地面へつけた。


 どく。


 どく。


 弱い。


 でも、さっきより重い。


 いつものガーロの足音が、少しずつ戻ってくる。


「大将」


「何だ」


「腹が減った」


「二号! 硬焼きを持ってこい!」


「さっき凶器って!」


「水でふやかせ!」


「あれ、ふやけますかね?」


 リリアが疑う。


「勇者が諦めるな!」


 ガーロが笑った。


 俺はその振動を腹いっぱいに聞いた。


     ◇


 地上と地下の共同魔法陣は、夕方までに形になった。


 地下側ではチュウタが白管へ土の輪を作る。


 ピコが伝話板を置き、先生が古代文字を調整する。


 地上側ではルビーの風が菌糸を張り、二号の三拍が道を開き、俺の雷が文字を運ぶ。


 長い会話はできない。


 送れるのは、一度に十文字ほど。


 最初にクロニアから届いた文字は、こうだった。


『ガーロ いきてる?』


 ピコだ。


 俺は板へ打ち返す。


『いきてる 腹へった』


 すぐ返事。


『いつものガーロだ』


 町中の笑い声まで、管を通って地上へ届いた気がした。


 地上と地下。


 姿は見えない。


 同じ食卓も囲めない。


 でも、言葉が届けば、一匹で怖がらなくていい。


「二つの戦線、開始だ」


 地上では、赤風巣の周りへ濡れ菌布の壁を張る。


 操作塔を二交代で監視する。


 リリアは村の熱病患者を診て、処理薬が届く家を記録する。


 地下では、菌盾を三重から五重へ増やす。


 チュウタたちは、地上へ抜ける二本目の道を掘る。


 先生とピコは、北管停止用の鍵を作る。


 伝話板へ次々と短い言葉が届く。


『菌布 たりない』


『赤風巣 半分送る』


『食料 たりない』


『硬焼き 送る』


『それ以外で』


「何でだ!」


 ガーロが怒る。


「地下でも凶器扱いされ始めたな」


「保存性は最高だ!」


「食べられないほど保存されても困る!」


 二号が板へ勝手に送る。


『硬焼き 敵へ投げる』


「新兵器にするな!」


 返事。


『採用』


「採用された!?」


「ほら見てください、大将の反対より現場の判断が早い」


「現場、暴走しすぎだろ!」


「暴走じゃなくて即断です」


「都合よく言い換えるな!」


 笑いながら、手は止めない。


 離れているからこそ、何を任せるかが見える。


 地下の守りは地下の仲間へ。


 地上の目は俺たちへ。


 人間の村はリリアへ。


 一匹で全部はできない。


 最初から、する必要もなかったのだ。


     ◇


 三日目の夜。


 二本目の地上路が開いた。


 出口はラナ村の外れ、人間の井戸小屋の床下だった。


 チュウタが最初の偵察へ上がる。


 俺は地上拠点で伝話板を見張っていた。


 青い輪が光る。


 一、二、三。


 いつもの土振動。


『大将 井戸きた』


「成功だ!」


 二本目の道。


 約束した三つの逃げ道へ、一歩近づいた。


 俺たちは触角を上げて喜ぶ。


 すぐ、次の文字が浮かんだ。


『水 くさい』


 笑いが止まる。


『魚 しんでる』


 そして最後に、チュウタから四文字が届いた。


『井戸 毒』

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