人形の持ち主
「人形の目を茸味噌で直すな!」
俺は二号の前脚を叩いた。
「黒くて丸いでしょう!」
「乾いたら縮む! 匂う! 何より女の子が泣く!」
「味噌嫌いの可能性?」
「目から食べ物の匂いがする人形を喜ぶ子はいない!」
「俺は喜びます!」
「お前基準で人間の子どもを測るな!」
《地上の我が家》の瓶倉庫。
十三名が片目の布人形を囲んでいる。
青い服は泥だらけ。
茶色い糸髪は半分ほどけ、左目の黒石がない。
持ち主へ返す。
そこまでは全員一致した。
問題は、どう返すかである。
「人間の道へ置けばいい」
ルビーが言う。
「置いた瞬間、通りがかりの誰かに踏まれる」
「踏まれる前提で話すな!」
「前提じゃなくて統計です」
「統計を取るほど踏まれてるのか、俺たち!?」
「踏まれる」
「石垣の上」
「鳥に持っていかれる」
「家の前」
「そこまで運ぶ間に俺たちが踏まれる!」
「屋根の上」
「誰がどうやって登るんだ!」
「二号なら登れそうです」
「なぜ俺!」
「一番浮くから、風に運ばせやすいかと」
「浮くって重さの話だよな!? 馬鹿にしてないよな!?」
「否定ばっかりやん!」
「全部本当に危険なんだよ!」
人形は俺とほぼ同じ背丈。
布だから軽いが、一匹で担げば前が見えない。
人間なら拾って終わりの距離も、俺たちには草の森を越える輸送任務になる。
「先に持ち主を探す」
俺は人形の服へ触角を当てた。
子どもの匂いは新しい。
昨日か、今日もこの辺りへ来ている。
「トワとクルは石垣から見張り。チュウタは匂いを追える?」
「菓子の匂いが強い。いける」
「ルビーは空から」
「怪我人使うん?」
「飛べとは言ってない。瓦の上から見てくれ」
「分かっとるやん」
「毎回言われてるからな!」
「成長!」
「その言い方、ガーロにもされた!」
ガーロが後ろで頷いた。
「事実だ」
「二匹で俺を育てるな!」
「三匹目、募集中ですか?」
「募集してない! これ以上育て役が増えたら俺の威厳が保守整備される!」
「保守整備、必要そうですけど」
「今それ言うな!」
◇
人形は返す前に修理した。
勝手に直していいか迷った。
けれど髪の糸は、このまま運べば全部ほどける。
先生の右手が蜘蛛糸の細針を持つ。
『なぜ古代技師の私が裁縫を』
「指先が一番器用だから」
『褒めれば何でもやると思うな』
「先生しかできない」
『そこを押さえていろ。二号、糸を引きすぎるな』
「やるんですね!」
『必要だからだ!』
先生が糸髪を縫い直す。
ミナとジロが布の裂け目を菌糸で閉じる。
目は、黒い木の実の種を磨いて使うことになった。
「大きすぎない?」
二号が種を人形へ載せる。
「顔の半分が目です!」
「怖い!」
「よく見える!」
「人形は見ない!」
クルが種を薄く削る。
トワが元の右目と同じ大きさまで磨いた。
先生が左へ縫いつける。
左右で少し形が違う。
でも、両目がそろった。
「笑ってるみたいになったな」
俺は人形の顔を見る。
娘の美羽も、兎のぬいぐるみを大事にしていた。
片耳が曲がり、洗っても薄茶色の汚れが残っていた。
新しいのを買おうと言ったら、娘は怒った。
『この子がいいの。新しい子じゃなくて、この子』
物は同じ形ならいい、という話ではない。
一緒に眠った夜、転んだ時に抱えた跡、名前を呼んだ回数。
その子でなければ戻らないものがある。
「大将?」
チュウタが俺の触角へ髭を当てる。
「止まっとるで」
「娘を思い出した」
「人形、持っとった?」
「兎のやつ。片耳が曲がってて、何度直してもすぐ戻る」
「直さん方がよかったん?」
「いや。直すと喜ぶ。でも次の日には自分で曲げるんだ」
「何で?」
「それがその子らしいから、だって」
「人間の子、難しいな」
「俺も最後まで分からなかったよ」
分からないままでも、笑う顔は知っていた。
この人形の持ち主にも、その顔を返したい。
「よし。運ぶぞ」
二号が人形を担ぐ。
「《お人形帰宅大作戦》!」
「珍しく分かりやすい!」
「採用!?」
「採用!」
二号が喜び、足元の糸へつまずいた。
人形ごと倒れる。
「開始前に転ばすな!」
◇
持ち主は、すぐ見つかった。
七歳ほどの少女が、石垣の向こうで草を分けている。
「ルルー……どこ?」
人形の名前らしい。
赤茶色の髪を二つに結び、膝へ泥をつけている。
一人ではない。
少し離れた場所に村の少年二人。道の向こうには大人もいる。
姿を見せれば騒ぎになる。
「あの子だ」
チュウタが鼻を動かす。
「匂い、同じや。ずっと探しとる」
「匂い、混じっとる。同じ子が何往復もしとる」
チュウタが鼻筋へ皺を寄せた。
「よっぽど大事なんだな」
「大将も同じ顔しとったやろ」
「どの顔だ」
「娘のもん探す時の顔」
図星すぎて何も言い返せなかった。
少女がまだ石垣の反対側を探している間に、人形を見つけやすい切り株へ運ぶことにした。
人形を葉台車へ載せる。
前をチュウタ、ニイ、トトが引く。
左右で俺たちが車輪を支え、ルビーは風で草をどける。
「急げ! フィアが戻ってくる前に!」
「人形、右へ傾いてます!」
二号が後ろから叫ぶ。
「押し戻せ!」
「俺の位置からは無理!」
「じゃあ何で報告係になった!」
「全体が見えるから!」
「見えるだけか!」
小石を越える。
ごとっ。
人形の左腕が台車から落ち、草へ引っかかった。
「止まれ!」
「急に止まれへん!」
台車が横を向く。
人形が草の茎へ抱きついた姿勢で止まった。
「ルルーが逃げたみたいやな」
「縁起でもないこと言うな!」
全員で腕を外し、今度は胸へ安全糸を結ぶ。
「人形に安全帯、要るん?」
「さっき落ちただろ!」
「俺らより装備いいです!」
「お前もつけてる!」
「俺のは細いです! 人形の方が太い糸!」
「太さで嫉妬するな!」
「命綱の格差、地味に悔しいんです!」
二度目は順調だった。
切り株まで、あと十歩。
空から羽音が来た。
ばさっ、ばさばさっ!
「鳥!」
地面へ大きな影が落ちる。
村の鶏だ。
黄色い目が、人形の糸髪を見つけた。
「巣材と思っとる!」
ルビーが叫ぶ。
くちばしが降る。
がつんっ!
人形の頭をくわえ、持ち上げた。
「返せえええ!」
「大将、鶏に言葉通じない!」
「知ってるけど言わずにいられるか!」
安全糸が張る。
反対端は葉台車へ結んである。
台車ごと鶏へ引かれた。
「うわあああ!」
チュウタたちが縄へつかまる。
俺、ガーロ、二号も続く。
十三名全員が、巨大な鶏と綱引きになった。
「負けるな!」
「力の差、考えろ!」
「勝てる気がしない!」
「なら、くちばしを開かせる!」
二号が羽音をまねた。
ばさばさばさっ!
別の鶏が近づく音。
人形をくわえた鶏が、周囲を見る。
まだ放さない。
「もっと大きく!」
「腹がかゆくなる!」
「後で掻いてやる!」
「約束ですよ!」
二号が音響魔法を強める。
ばさばさっ!
こけえええっ!
背後から縄張り争いを挑む雄鶏の声。
鶏が驚いて鳴き返す。
「こけっ!?」
くちばしが開いた。
人形が落ちる。
「ルビー!」
「三割!」
風が人形の服へ入り、落下方向を変えた。
チュウタが葉台車を下へ滑り込ませる。
ぼふっ!
青い布人形が台車へ戻った。
「確保!」
「逃げろ!」
鶏が偽物の雄を探している間に、草の根へ飛び込む。
切り株へ置く計画は中止。
空から見える場所は危険すぎる。
「人間へ返すのに、人間より先に鳥と戦うとは……」
俺は人形の髪を確かめた。
先生が直した糸は切れていない。
「二号、よくやった」
「腹、掻いて!」
「本当にかゆいの!?」
「人間声より鳥声の方がかゆい!」
「どんな仕組みだ!」
「分かりません! でも鳴くたびに背中がむずむずするんです!」
「治療費、茸蜜でいいか?」
「即決していただけると助かります!」
「値段の交渉が早すぎる!」
二号の腹を前脚で掻く。
「そこ、右!」
「誰の右!?」
「俺の右!」
「向き同じだろ!」
危機を越えたのに、最後は二号の腹の位置で揉めた。
「置いて待つのはやめる」
俺は言った。
「フィアが倒木の近くへ来た時、入口から直接押し出す。鳥へ見つかる時間を作らない」
「人間に見つかる時間は?」
「一瞬だけだ!」
「大将の一瞬、靴一歩分あります」
「今度は本当に一瞬でやる!」
少女は倒木へ近づいてくる。
俺たちの寝床だ。
「全員、中へ!」
人形を瓶倉庫から通常路へ運ぶ。
前をチュウタとニイ。
左右を俺と二号。
後ろをトトとガーロ。
狭い管を、布の身体が完全に塞ぐ。
「前、見えない!」
「右!」
「誰の右!?」
「人形の右!」
「人形、こっち向いとる!?」
「知らない!」
「また右で揉めてる!」
少女の足音が近づく。
とすっ、とすっ。
人間の子どもの足でも、地面全体が揺れる。
「ルルー?」
声が倒木のすぐ外。
俺たちは止まる。
人形の頭だけが、寝床の入口から出ていた。
「まずい!」
巨大な指が入口へ伸びる。
「三番路へ逃げる!」
「人形は?」
「置いていく!」
「ここで?」
少女が人形の髪へ触れかける。
入口は猫対策で曲げてある。
人形の身体が中へ引っかかり、抜けない。
「押せ!」
「見つかるで!」
「このまま引っ張られたら、俺たちも出る!」
全員で人形の足を押す。
少女が頭を引く。
「せえの!」
すぽんっ!
人形が外へ抜けた。
同時に俺たちは後ろへ団子になって転がる。
「あった!」
少女の声が弾けた。
「ルルー!」
布人形が巨大な腕へ抱きしめられる。
俺たちは入口の暗がりから見た。
少女は人形の顔へ頬をつける。
泥も、古い染みも気にしない。
「ごめんね。もう落とさないから」
声が震えていた。
笑っているのに、目の端が濡れている。
「目、直ってる……」
新しい黒種の左目へ触れる。
「誰か、直してくれたの?」
倒木の奥へ顔を近づける。
俺の六本脚が逃げる形へそろった。
でも、少しだけ待つ。
少女の瞳は俺たちを探している。
怖がってはいない。
「ありがとう」
小さな声が、寝床の中へ届いた。
胸の代わりに腹の奥が痛む。
美羽も探していた兎を見つけた時、こんな顔をした。
俺が棚の裏から取っただけなのに、宝物を救った英雄みたいに抱きついてきた。
今は抱きつかれるどころか、見つかったら悲鳴を上げられる身体だ。
悔しい。
いや、寂しい。
違う。うれしい。
感情が触角の中で絡まり、どれが先か分からない。
「大将」
二号が小声で言う。
「返せてよかったですね」
「ああ」
「作戦、大成功」
「ああ」
「俺の名前も聞こえた?」
「今それ聞くな!」
泣けない目の代わりに、触角で二号を叩いた。
◇
少女はフィアという名前だった。
道の向こうから、少年が呼ぶ。
「フィア! 浄化祭の飾り、手伝わないと怒られるぞ!」
「今行く!」
フィアは人形を抱いたまま立つ。
その背後では、白い布と薪が運ばれている。
浄火教団の祭り。
人形が戻った喜びと、明日の危険が同じ景色にある。
「浄化祭、止めるぞ」
俺は仲間へ言う。
「この子が笑ってる村を、教団の火事場にはさせない」
「人間には見つからず?」
ジロが聞く。
「できれば」
「弱い条件ですね」
「今度こそ偵察だけで終える!」
「確率、十四パーセント」
「上げるって言っただろ!」
その時、少し遠くから女性の声がした。
「フィアー! 見つかったの?」
若い声。
明るくて、少し慌てていて、最後の音だけ妙に上がる。
俺の触角が止まった。
六本脚から、力が抜ける。
風は草を揺らし、花と土と人間の匂いを運んでくる。
その全部を押しのけて、声だけが身体の奥へ入った。
ゴキブリの耳がどこにあるかなんて知らない。
それでも、聞き間違えるはずがないと思ってしまった。
聞いたことがある。
違う。あるはずがない。
でも、その呼び方、その息の継ぎ方を、俺は知っている。
「リリア姉ちゃん!」
フィアが人形を掲げた。
「ルルー、見つかった!」
草の向こうから近づく足音。
俺の記憶の奥で、もう二度と聞けないはずの娘の声が重なった。




