天才幼体ピコ
俺が作った特別授業の予定表が、ピコの上へ倒れた。
ばさっ。
「ピコが予定に埋まった!」
「大将、どれだけ書いたんや!」
「朝は古代文字! 昼は浄化設備! 夕方は魔法陣! 夜は復習!」
「寝る時間がない!」
チュウタが葉板を持ち上げる。
下から、灰色の縞を持つ小さなゴキブリが出てきた。
ピコは怪我こそしていないが、触角の先まで予定の炭粉で黒くなっている。
「大丈夫か!?」
「重かった」
「ごめん!」
「予定も重い」
「幼体に二重の意味で怒られた!」
「大将、次からは表に書く前に俺へ見せろ」
「なんで?」
「量で人が壊れるのが分かるからや」
「経験者は語る、みたいな顔するな!」
地下学校の初日。
大人全員が読めなかった古代文を、ピコは途中まで読んだ。
先生が一度見せた記録板の文字を、形の似た部分から推測したという。
天才だ。
古代浄化設備の謎を解くため、今一番欲しかった力だ。
俺は嬉しくなった。
嬉しくなりすぎた。
その結果が、朝から夜まで隙間のない特別予定表である。
「今、二十六日後の地上開放までに全部覚えてもらおうと思ってる」
「全部って?」
ピコが聞く。
「先生が読める古代文字、制御盤、白い管、魔法陣、星図、それから――」
「クロ」
チュウタが低い声で止めた。
「何だよ」
「ピコへ聞いた?」
「何を?」
「それだけ習いたいか」
俺の口が止まる。
「才能があるんだぞ。今覚えれば、町のみんなを助けられる」
「助けたいと、全部の時間を使いたいは同じ?」
「それは……」
ガーロが葉板を読む。
「競走の時間がない」
「一時的に減らせば――」
「茸味噌づくりも」
「勉強の後で――」
「昼寝もないで」
二号が、葉板の端を前脚で叩く。
「幼体から昼寝を奪うな!」
「そこまで書く場所がなかったんだ!」
「予定表の裏、空いとるやろ」
「裏まで埋めたら怖いだろ!」
「表は怖くないと思ったん?」
言われてみれば、怖い。
小さな葉へ、字がびっしり。
俺の触角でも、一番下まで読む前に疲れる。
でも、急ぎたい。
白燼王アバドンの命令。
先生の失われた記憶。
二十六日後に開く地上への道。
ピコが読めれば、危険を先に知れる。
「時間がないんだよ」
俺の前脚が、予定表の同じ場所を何度も掻く。
「俺たちは知らないせいで、白い粉に殺されかけた。読める奴が増えれば、次は間に合う。だから、早く――いや、違う。だからって、ピコ一匹へ全部渡すのは違う。でも他に読める奴が……ああ、もう!」
自分で言いながら、触角が絡まりそうだ。
ガルダン王が石台から下りた。
「急ぐ理由は分かる」
「なら」
「だが、昨日作った学校の目的は何だ」
「知ってる奴を増やす」
「一匹へ知識を詰め込むことではない」
正しい。
ものすごく正しい。
正しいから腹が立つのではない。
自分でも分かっていたことを先に言われたのが、悔しい。
「王様、いつも正しいこと言うタイミングが憎らしいわ」
「役目だ」
「その返し方も憎らしい!」
「……ピコ」
俺は六本脚を折り、幼体と同じ高さへ腹をつけた。
「何をしたい?」
「古代文字、読みたい」
「全部?」
「全部読めたら、面白そう」
俺の触角が上がる。
「ほら!」
「でも、競走もしたい」
すぐ下がった。
「茸味噌も混ぜたい。ピノたちと隙間探しもする。寝る」
「最後、大事!」
「全部やる」
「時間、足りる?」
「一緒にすればいい」
ピコは予定表の裏へ回った。
炭の先で、丸い車輪みたいな絵を描く。
「文字を覚える道具を作って、競走する」
「道具?」
「古い文字を写して、走った先で同じ札を探す。正解したら、次の部品がもらえる。最後に全部つないで、何か作る」
「遊びと勉強を一緒にするんか」
二号が触角を揺らす。
「発明競争!」
「面白そう!」
俺は即答した。
「大将、予定表は?」
「裏返して競技場の地図にする!」
「変わり身が速い!」
「その変わり身の速さ、指揮官としては長所やで」
「褒めてる?」
「ちょっとだけ」
第一回、古代文字発明競争が始まった。
参加は幼体だけではない。
大人も参加する。
というか、大人の方が本気だった。
「大将班は、雷式文字写し機!」
俺は薄い金属板へ古代文字を置き、上から炭紙を重ねた。
雷を流せば、形だけ下へ焼きつくはずだ。
「鍋の次は文字を焼くん?」
「今回は計算してる!」
「誰が?」
「俺が!」
「不安が増えた!」
チュウタ班は、土印式。
文字の溝へ柔らかい泥を押し、固めて判子を作る。
「古代文字が読めなくても、形をそのまま持ち帰れる」
「相棒、賢い!」
「クロと組まなければ、僕はいつも賢いよ」
「余計な一言!」
二号班は、音響式。
文字ごとに違う音をつけ、歌えば思い出せるようにする。
「王は低い音。水は高い音。命令は、どどーん!」
「最後、音が大きいだけ!」
ガーロ班は、傷札式。
同じ形を殻片へ切り抜き、触角で触って覚える。
目が届かない暗闇でも読める。
「格好いい!」
「大将班より実用的です」
ジロが言う。
「まだ俺のは動いてない!」
「それが不安です」
「ジロはどの班を応援してる?」
「統計上、幼体班の勝率が最も高いです」
「もう結果まで見えてるのかよ!」
「経験則です」
幼体班は、ピコ、ピノ、ニニ、クク。
使うのは、小さな木の輪、柔らかい粘土、二本の棒。
ピコは作り方を説明せず、全員へ一つずつ試してもらう。
「大将、見ないで」
「どうして!」
「真似するから」
「大人を信用して!」
「予定表で埋めた」
「まだ覚えてる!」
俺は蜘蛛糸の線より外へ追い出された。
競争開始。
最初の課題は、《水》の文字を写す。
「雷式、起動!」
触角へ魔力を集める。
弱く。
薄く。
パチッ。
金属板から青い火花が走った。
炭紙へ、水の形が――。
ぼっ!
炭紙が燃えた。
「消せえええ!」
チュウタが土をかぶせる。
火は消えた。
文字も消えた。
「また土の下!」
「大将班、失敗一号!」
ジロが記録する。
「まだ一回目!」
チュウタの土印式。
泥を文字へ押す。
ぐっ。
土魔法で固める。
ぼこんっ!
力が強すぎ、文字板ごと土柱の上へ持ち上がった。
「写すどころか、原本を天井へ送った!」
「大将の火を消した時、力が残ってた!」
「俺のせい!?」
「誰のせいでもいい、止めろ!」
「止め方が分からへん!」
「今考えろ!」
土柱が途中で割れる。
文字板は落ちる前に、ガーロ隊が蜘蛛糸で受け止めた。
「大人班、失敗二号」
「二号は俺や!」
「呼んでない!」
その二号班。
「水の文字は、みーずー、ぽたぽた、飲む前確認――」
音響魔法を乗せる。
金属管が歌を増幅した。
きいいいいんっ!
音が高すぎ、茸味噌壺の蓋が三つ同時に飛んだ。
ぽんっ!
ぽぽんっ!
「発酵壺が歌に返事した!」
「また爆発!?」
「今回は蓋だけや!」
「十分駄目!」
「二号、歌詞にツッコミどころ多すぎるねん」
「ツッコミ待ちで作っとる部分もあるで!」
「わざとだったのか!」
茶色い匂いが競技場へ広がる。
大人たちが走り回る中、幼体班は静かに木の輪を文字板の上へ転がした。
輪には柔らかい粘土が薄く巻かれている。
盛り上がった文字の形が、粘土へへこみとして残る。
次に、別の平たい粘土板へ輪を転がす。
へこんだ形が、今度は浮き上がった。
「写った!」
ピノが叫ぶ。
水の文字が、きれいに複製されている。
「爆発なし!?」
俺は驚いた。
「どうしてそこへ驚くの」
ニニが呆れる。
「発明の一回目は爆発する流れかと!」
「大人だけ」
ピコが言った。
「大人だけ度、高すぎる」
「否定できない!」
「せめて反論してや」
「反論する元気もない!」
「ぐうっ!」
悔しさで触角が丸まりそうだ。
ガーロの傷札式も成功した。
ただし一文字作るのに時間がかかる。
幼体班のころころ写し機は、次々と文字を複製する。
王。
命令。
地下。
浄化。
同じ文字を別々の場所へ置き、参加者が正しい札を探して走る。
ゴキブリ族は壁の札。
ネズミ族は土の中。
先生は古代文の意味を確認する。
一つ覚えるたび、次の部品が渡される。
最後に集まった部品は、長い柄、丸い鏡、細い糸、魔光苔。
「何を作る?」
ククが聞く。
「高い文字を見る道具」
ピコは部品をつなぐ。
柄の先へ鏡。
糸を引けば角度が変わる。
魔光苔で暗い壁を照らす。
人間用の高い制御盤も、床から読める文字鏡が完成した。
「一つの競争で、写す道具と見る道具ができた!」
「遊ぶ時間もあった」
ピコが胸を張る。
「昼寝は?」
「今から」
「完璧な予定!」
俺の朝から夜までの特別授業は、葉板ごと丸められた。
代わりに、ピコたちの発明競争を週に二回。
古代文字の授業は一日一刻。
遊びと昼寝は削らない。
ピコが一匹で読むのではなく、ころころ写し機で全員分の札を作る。
「俺、急ぎすぎた」
俺はピコへ頭を下げた。
「町を助ける力を見つけた途端、ピコの時間を町の物みたいに考えた。悪かった」
「大将も競争したかった?」
「したかった!」
「次も参加していいよ」
「本当に!?」
「火を消す係も一緒に」
「信用が戻り切ってない!」
競技は、発明品を作ったところで終わらなかった。
ピコが最初に言った通り、複製した文字札を町のあちこちへ置き、正しい順番で探す競走が始まったのだ。
「王、水、地下、浄化! 四枚取ったら戻ってきて!」
「よし、今度こそ大人のすごさを見せる!」
俺は六本脚で床を蹴った。
速さなら負けない。壁と天井も走れる。人間だった頃、娘の運動会で転びそうになりながら走った記憶はあるが、今の俺には脚が三倍ある。単純計算なら三倍速い。計算が合っているかは知らない。
「大将、《地下》を通り過ぎたで!」
「えっ!?」
「速すぎて札を見てへん!」
「速度競技じゃなかったのか!」
「文字探し競走や!」
「じゃあ何のために脚が速いんだ!」
「速さは武器や。使いどころを間違えとるだけ」
「今日、使いどころ間違えてばっかりだ!」
急停止した六本脚が絡み、腹から茸干し場へ滑り込む。
干し茸の香りが身体中へついた。
「《王》の札、いい匂いになった」
ピコが俺の背から札を一枚取る。
「それ、いつ乗せた!?」
「大将が転んだ時」
「負けたうえに運搬台にされた!」
幼体たちは腹を床へつけて笑った。
俺も悔しくて、でも笑った。触角で文字の角をなぞる。目で見れば似ている古代文字も、盛り上がり方、炭の匂い、置かれた場所の空気まで一緒に覚えると、別のものとして身体へ入ってくる。
ゴキブリの学び方だ。
人間用の高い机へ並んで座り、眠気を我慢して覚えるだけが授業ではない。走って、転んで、触って、匂いを嗅いで、間違えた奴をみんなで笑う。笑われた奴も、次の札を見つければすぐ笑う側へ戻れる。
「もう一回!」
「大将、今度は火ぃ禁止な」
「走るだけで燃えるわけないだろ!」
「念のためや」
「信用の回復、いつ頃や思う?」
「聞くな! 答えが怖い!」
俺の信用は、火より早く消えていた。
でも、次がある。
その次もある。
今日だけで全部覚えなくていい。
ピコが楽しく学び続ける方が、俺たちの知識は長く残る。
夕方。
ころころ写し機で複製した昨日の古代文を、教室の全員で読む。
先生が一文字ずつ指す。
『王命』
「王の命令」
全員が繰り返す。
『地下浄化設備』
「白い管と炉」
『建造』
「作る」
ここまでは昨日、ピコが読んだ。
次の文字で、大人たちは止まる。
ピコが触角を文字鏡へ近づけた。
「地上……疫病……」
先生の眼窩が揺れる。
「地上の水源、毒性魔素により使用不能」
「続きは?」
俺が聞く。
ピコは文字板を上下へ動かし、欠けた部分を別の記録板と比べる。
「白燼王アバドンの王命により、地下浄化設備を建造する」
教室が静かになった。
白い粉は、最初から地下の生き物を殺すために作られたのではない。
地上で広がった病と、毒に変わった水を救うための設備だった。
「アバドンは、地上を助けようとした?」
チュウタが言う。
『少なくとも、最初の王命はそう読める』
先生の答え。
「でも後で、安全制限を外した」
「なぜ?」
ピノの質問に、答えられる者はいない。
ピコが文字板の一番下を指した。
「続きがある。でも、この先の板がない」
「どこにある?」
『記録室ではなく、王命を受けた主制御室だ』
先生が古い地図を開く。
第二浄化炉の中心。
まだ白い粉が満ち、扉も開いていない場所へ、青い印がついた。
地上への道が開くまで、あと二十五日。
次の授業場所は、教室ではなく古代炉の主制御室になりそうだった。




