地下学校、開校
地下学校の看板が、先生の頭へ落ちた。
ごんっ。
『……開校初日に、教師を潰す学校があるか』
「先生、頭だから潰れてません!」
『問題はそこではない!』
「先生、痛くないんですか」
『骨だから響くだけで痛みはない』
「痛くないなら早く出てきてください」
『潰れて出られんと言っておるだろう!』
木片で作った看板の下から、先生の眼窩だけが青く光っている。
看板には大きく《まなび穴》と書いてあった。
二号が歌いながら吊るしたのだが、蜘蛛糸の結び目を最後まで締めていなかったらしい。
「忘れへんうちに校歌を考えてた」
「看板を忘れるな!」
「学校では失敗から学ぶんやろ?」
「始まる前に教材を作るな!」
チュウタが看板を持ち上げ、俺が先生の頭を引き出す。
地下学校、開校。
最初に学んだことは、《頭上の固定具を確認する》だった。
白燼王アバドン。
三十年前の浄化設備。
安全制限を外した王命。
記録室には、俺たちが知らない文字と仕組みが山ほど残っている。
先生だけが全部読もうとすれば、時間がかかる。
先生が倒れれば、また知識が一匹分の頭蓋骨へ閉じ込められる。
「知ってる奴を増やそう」
俺が提案すると、ガーロはすぐ頷いた。
「戦いでも、合図を知る者が一匹では隊が止まる」
ガルダン王も尻尾を床へ置く。
「記録官が一匹では、ジロが眠れん」
「現在、睡眠は足りています」
ジロが答える。
「ただし、大将の予定変更が一日三回を超えると不足します」
「俺が原因!」
「実績です」
学校で教えるのは、四つ。
読み書き。
数と量。
危険の印。
生活魔法と安全作業。
「先生は誰?」
ピノが聞く。
「エルド先生!」
「一人だけ?」
「俺も教える!」
「大将、何を?」
「生き残り方!」
「授業中に走り回るだけでは?」
ジロが冷たい。
「ちゃんと教えられる! 水場の見分け、逃げ道の作り方、敵の振動、それから――」
「話が長くなる授業やな」
二号。
「お前は歌で記号を教えろ!」
「任せとき!」
『不安しかない』
先生の眼窩が細くなった。
教室は、広場の東側に作った。
ネズミ族が中央へ低い土台。
ゴキブリ族には壁際の細い棚。
幼体は前。
大人は後ろ。
先生は全員から見えるよう、頭だけ一番高い台へ置かれた。
『なぜ身体を外す』
「後ろの生徒から見えないので」
『普通は台を高くする!』
「頭だけなら軽い!」
『学校が始まっても扱いが変わらん!』
最初の生徒は、幼体二十三匹。
ピノ、ニニ、クク。
その中に、背へ薄い灰色の縞がある小柄な幼体がいた。
名簿にはピコとある。
普段は声が小さく、食事の列でも一番後ろ。
だが、先生が古代文字の板を出した瞬間、二本の触角が誰より高く上がった。
『まず危険印からだ』
先生が四枚の札を並べる。
青い水滴。
赤い火。
白い渦。
黒い交差線。
『青は安全な水。赤は熱。白い渦は廃粉。黒い交差線は立入禁止』
「覚えた!」
ピノが言う。
『まだ一度しか聞いていない』
「歌にしたら覚えるで!」
二号が金属片を鳴らす。
「青は飲め飲め、赤は焼け焼け、白は――」
『待て!』
先生の声が教室へ響いた。
『赤は焼けではない! 近づくな!』
「歌いやすさ優先で」
『命を後回しにするな!』
「修正します!」
「最初から真面目に作れよ」
「真面目に作ったら覚えにくいんや、これがコツやねん」
「コツの方向が間違ってる!」
二号は歌詞を作り直す。
「青は飲む前、先生確認。赤は熱いで、触ったらあかん。白は濡れ布、黒は戻れ――」
「長い!」
「全部大事や!」
歌は三回で全員へ広がった。
青を見ると、水を飲む前に先生確認。
赤は触らない。
白は濡れ布。
黒は戻る。
幼体たちは触角を左右へ振りながら歌う。
ネズミ族の子どもは尻尾で拍を取る。
先生は最初こそ眼窩を細めていたが、四回目には骨指で拍を刻んでいた。
「先生、乗ってる!」
『授業効果を測っているだけだ』
「足先も動いとるで」
『見るな!』
覚えた印を、本物の町で探す授業も始まった。
「危険印探し競走!」
俺が叫ぶ。
『競走ではない。見つけても触るな』
「一番多く見つけた班へ、茸味噌焼き一枚!」
『話を聞け!』
食べ物がかかった瞬間、子どもだけでなく大人まで走り出した。
「青い水滴、浄水路に一つ!」
「赤い火、燻製穴に二つ!」
「黒い交差線、工事中の壁に三つ!」
ピノとニニは、声を掛け合いながら見つけた場所を板へ写す。
ククは競走へ混ざらず、先生のそばへ残った。
「クク、探さないの?」
「ここにもある」
ククが看板の裏を指す。
落ちた看板を固定し直した場所に、小さな赤い火印が描かれていた。
「火?」
『違う。色が似ているだけで、これは古い固定注意印だ』
「歌と形が違う」
「本当だ。炎の先が丸い」
俺は近づき、触角で溝をなぞった。
似ている。
でも同じではない。
急いで走っていたら、赤だけ見て火だと決めていた。
「印も、色だけで決めたら駄目だな」
『その通りだ。形、場所、周囲の状況をそろえて読む』
「クク班、一点!」
「一匹でも班?」
「小さい声を先に見つけた班だ!」
戻ってきた二号が胸を張る。
「俺らは十個見つけたで!」
「全部、本当に同じ印?」
「……七個くらいは」
「確認してない!」
調べ直すと、二号の十個のうち三個は茸の染み、一個はガルダン王の足跡だった。
「王様の足跡を危険扱い!」
「踏まれれば危険や」
「理屈だけは通る!」
競走の勝者は、数ではなく全部を確かめたククになった。
茸味噌焼きは、一匹で食べず全班へ小さく分けた。
「分けたら、次の授業になるよ」
ククが言う。
ちょうど次は、数と量だった。
次は数と量。
水は木の実の殻一杯。
茸味噌の塩は骨定規の線まで。
菌床の交換は、白い糸が三分の二まで灰色になった時。
「三分の二って何?」
ニニが聞く。
先生が菌床の絵を三つへ分ける。
『同じ大きさが三つ。そのうち二つだ』
「茸三枚のうち二枚食べる?」
「一枚残るな」
チュウタが答えた。
「一枚、誰が食べる?」
「授業が配給会議になった!」
「一枚を三等分すればいい」
「誰が切るん」
「手先が器用な奴」
「それ、俺やないか」
結局、二号が切り分け係に任命された。
でも、食べ物で説明すると全員がすぐ覚えた。
三分の一。
半分。
四分の一。
おやすみ玉を切り分けるたび、分数の授業だけ異様に集中が高い。
「最後は食べていい?」
『正解した者からだ』
先生が言った瞬間、大人の見物人まで前へ出た。
「授業へ参加する気、なかっただろ!」
「食べ物が出るなら別だ」
ガルダン王まで筆記板を持っている。
「王様が幼体へ混ざった!」
「学びに年齢も身分もない」
「格好いいこと言いながら、おやすみ玉を見てる!」
午後は、俺の生き残り授業。
「敵に追われた時、一番最初に何をする?」
「逃げる!」
幼体全員が答えた。
「正解! ただし、どこへ逃げる?」
「狭いところ!」
「一つじゃ駄目だ。出口を三つ探す!」
俺は床へ簡単な道を描く。
右。
左。
上の亀裂。
「人間の靴が落ちてきたら、右へ――」
「人間の靴って何?」
ピノ。
「足へ履く、大きくて硬い物だ」
「人間は足の上に足をつけるの?」
「違う! 足を守る殻みたいな――」
「脱皮する?」
「しない!」
「何本脚?」
「二本!」
「少なっ!」
教室中から驚きの声。
「二本で倒れない?」
「たまに倒れる!」
「弱い!」
「身体は俺たちより何十倍も大きいから!」
「脚が二本しかないのに?」
「じゃあ人間、転びやすい?」
「転びやすい! でも起き上がるとすぐ怒る!」
「怒る前に殻へ隠れたらええやん」
「殻、ないんだよ人間!」
「かわいそう……」
「人間の脚の話は終わり! 今は逃げ道!」
授業はすぐ脱線した。
次は鳥。
羽がある。
飛べる。
くちばしで食われる。
「ガーロも飛べた?」
幼体の一匹が聞く。
「短い距離ならな」
「先生になれる?」
「飛び方は教えられん。だが、飛べなくなった後の曲がり方なら教えられる」
「習いたい!」
ガーロの周りへ幼体が集まる。
俺の授業なのに!
触角が悔しさで床を二度叩いた。
「大将の授業も面白いで、たぶん」
「たぶんって言うな!」
「本当は面白い。主に大将が転ぶところが!」
「それ授業と違う、見世物だろ!」
「俺も壁走りなら教えられる!」
「大将、女王ムカデに負けたで」
「二号! それは一回だけ!」
「落とし穴でも壁走られた」
「二回だった!」
子どもたちが笑う。
悔しい。
ものすごく悔しい。
俺はその場で最速の壁走りを見せようと飛び出した。
一歩。
二歩。
三歩。
壁際の黒い交差線へ突っ込んだ。
「大将、立入禁止!」
幼体全員が歌う。
「黒は戻れー!」
「授業した俺が最初に違反!」
急停止して後ろへ戻る。
拍手が起きた。
「今のは、標識を見落とした悪い例!」
「本当?」
「今決めた!」
「零点、二回目?」
「一回目、覚えてるのか!?」
「記録済みです」
ジロが涼しい顔で答えた。
先生の採点板へ《零点》と刻まれた。
最後は生活魔法。
火花を一つ。
土壁を指一本分。
風で茸粉を皿から皿へ。
強い魔法を出す授業ではない。
鍋を焦がさず、天井を落とさず、先生の頭を飛ばさない。
『最後の条件は誰のためだ』
「全員の安全です!」
『主に私の安全だ!』
ニニの風が、茸粉を一筋だけ動かす。
ピノの触角へ青い火花が灯る。
ククは魔法が出なかったが、火花を出した者の周りへ濡れ苔を置いた。
「クク、何してる?」
「消火係。魔法が出なくても必要」
「満点!」
俺が叫ぶ。
『採点するのは私だ』
「先生は?」
『満点だ』
「同じだった!」
「先生、俺の火花の点数は?」
『まだ聞いていないのに答えてほしそうな顔をするな』
「顔で分かるんですか!?」
『長い付き合いだ』
一日の授業が終わる。
子どもたちの板には、覚えた印がいっぱいだ。
大人たちは見物しながら、おやすみ玉だけ食べた。
「では、抜き打ち試験を始める」
先生が言った。
大人たちの動きが止まる。
「誰の?」
『大人の』
「俺たちも!?」
『食べた者は全員だ』
ガルダン王が残った玉を、そっと皿へ戻した。
『もう遅い』
「先生、王へも容赦ない!」
第一問。
白い渦印を見たら、最初に何をする。
「燃やす!」
バグ。
『不正解』
「逃げながら歌う!」
二号。
『半分不正解だ』
「舐めて確かめる!」
チュウタ。
「相棒、何を学んできた!?」
「舐めたら不正解なんは分かってた。味が気になっただけや」
「気になっても舐めるな!」
正解は、距離を取り、濡れ布で呼吸孔と接触面を守り、知らせる。
幼体は全員正解。
大人、全滅。
第二問。
木の実の殻一杯の水を、二つの畑へ同じ量ずつ分ける。
「半分!」
「どうやって測る?」
「気持ちで!」
俺。
『零点』
「言ってから間違いだと思った!」
「気持ちで測るの、ロマンあるやろ」
「ロマンで畑が枯れたら困る」
幼体は小さい殻二つへ一度移し、同じ高さまでそろえた。
大人、また全滅。
第三問。
先生が赤い煙を、教室の隅から少しだけ出した。
「火事だ!」
大人たちが一斉に出口へ走る。
同じ入口へ詰まった。
「押すな!」
「王の尻尾を踏むな!」
「大将が壁を走って抜け駆けした!」
「俺は避難路を示そうと!」
「示すなら自分が最後に出ろ!」
「体が勝手に先に動いたんだよ!」
「隊長の建前、崩れるの早すぎるで」
幼体たちは歌わない。
ククが黒い戻れ印を置く。
ニニが細い避難路へ一列で入る。
ピノは最後に人数を数える。
「幼体、二十三。全員いる!」
先生が煙を止めた。
『試験終了。幼体、合格。大人、全員補習』
「王も?」
『補習だ』
「大将も?」
『お前が一番長い補習だ』
「学校を提案したのに!」
「提案者が賢いとは限りません」
ジロが無表情で刺してくる。
教室は、子どもたちの笑い声で揺れた。
悔しい。
触角を曲げて、床へ顔を伏せたい。
でも、俺が間違えた時に止められる者が二十三匹増えた。
それは、ちょっと――いや、かなり嬉しい。
「明日もやるぞ!」
「補習を?」
「学校を! 補習も受ける!」
大人たちから、嫌そうな声と笑いが同時に上がった。
夕食後。
先生は、今日の最後の問題を一枚だけ壁へ貼った。
保守通路から持ち帰った、古代文字の短い一文。
『読めた者は、明日の授業で発表しろ』
「先生、まだ教えてない字が入ってる!」
『調べるのも学びだ』
大人たちは文字板を囲む。
ガルダン王が上下を逆にする。
チュウタが匂いを嗅ぐ。
二号は節をつけようとする。
「誰も読んでない!」
その後ろから、小さな声がした。
「……王命、発令」
振り返る。
灰色の縞を持つ幼体、ピコが文字板を見上げていた。
「読めるの?」
「少しだけ。こっちが王。これが命令。先生の記録板に同じ形があった」
先生の眼窩が、大きく光る。
『私は、その字を今日教えていない』
「見て覚えた」
ピコは次の文字へ触角を向けた。
「地下浄化設備、建造……」
大人全員が読めなかった古代文を、一番小さな生徒が続きを読み始めた。




