三種族食堂
朝飯が、俺の頭上を飛んでいった。
「伏せろおおお!」
ごんっ!
黒くて丸い塊が石壁へ突き刺さる。
茸焼きだ。
正確には、深根ネズミ族の保存用・岩窯茸焼き。
硬い。
投げれば武器になるくらい硬い。
「料理を投げるな!」
「投げてへん! 噛んだら弾けたんや!」
二号が口元を押さえながら抗議した。
「どういう噛み方をしたら壁まで飛ぶんだよ!」
「こっちが聞きたいわ! 歯ぇないんやぞ!」
「せめて投げる前に言え!」
「投げてへんて言うてるやろ!」
「じゃあ弾丸みたいに飛んできたのは幻覚か!?」
「幻覚上等、朝から硬すぎるんやこの焼き方!」
そうだった。
俺たちゴキブリ族は、人間やネズミのように大きな食べ物を前歯で齧り割れない。口元の小さな顎で削り、細かくし、少しずつ飲み込む。
硬く焼いた保存食は長持ちするが、俺たちには岩である。
いや、岩の方がまだ水で濡らせば諦めがつく。
「朝から壁を食べさせる気か!」
「食べ物だ!」
バルグが怒鳴り返す。
深根の槍隊長は、同じ茸焼きを前歯でばきんと割った。
「ほら、普通に食える」
「その立派な前歯を基準にするな!」
「お前らこそ、昨日から茸粥ばかり出すな。腹へ溜まらん」
「茸粥を悪く言うな! 柔らかい、温かい、味が染みる! 朝の王様だぞ!」
「昼も夜も同じ王を出すな!」
「王に失礼だろ!」
「飯の話だよな!?」
朝食配給所の中央で、ゴキブリ族とネズミ族が睨み合っていた。
原因は簡単。
町が大きくなった。
元からいた上層ネズミ族。
ガルダン王の深根ネズミ族。
ガーロが率いてきたゴキブリ族。
そして骨先生が一体。
全員で食料を作り、保存し、同じ配給所へ運ぶようになった。そこまではよかった。
問題は、同じ物を同じ食べ方では食べられないことだ。
「食べられるだけありがたい、って言うのは簡単なんだけどさ」
俺は壁から茸焼きを引き抜こうとした。
抜けない。
前脚二本で抱え、中脚で壁を踏ん張り、後脚で押す。
「ぬぬぬぬ……!」
六本脚を全部使っても動かない。
「大将、食べ物に負けとるで」
「今、救出中だ!」
「何を?」
「壁を!」
ガーロが横から茸焼きを蹴った。
ぼこんっ。
壁の欠片ごと取れた。
「壁が負けた!」
「これ、食堂で出したらあかんやつやろ」
全員が黙った。
その時、配給所の隅で、からん、と小さな音がした。
先生の顎骨が落ちた音だった。
『私は何も食べられないので、せめて顎を参加させてみた』
「余計に寂しくなってる!」
『茸粥の香りは分かる。味は分からない』
「先生用の朝飯、誰も考えてなかった……」
骨だから食べられない。
当たり前すぎて、今まで誰も困り事として数えていなかった。
先生は食卓へ座るだけで喜んでいた。だから俺たちも、それでいいと思っていた。
『気にするな。三十年、食事どころか話し相手もいなかった。今は十分だ』
「その言い方をされると、気にするしかない!」
「決めた!」
俺は壁つき茸焼きの上へ乗った。
「全員が同じ物を食べる食堂はやめる!」
「閉鎖か?」
バルグが眉を寄せる。
「逆だ。食べられない物が違っても、同じ食卓へ来られる食堂を作る!」
「茸粥を残してくれるなら賛成や!」
「硬焼きもだ!」
『香りも頼む』
「注文が一気に増えた!」
地下大食堂計画が始まった。
まず、食べられない物調べ。
長い石台へ食材を並べ、町の住民へ一口ずつ試してもらう。
ただし、本当に危険な物は先生とミナが先に確認する。未知の茸を勢いで食べるのは料理ではない。賭けだ。腹を賭けるな。
「深根の硬焼き、ゴキブリ族は?」
「削るのに半日!」
「上層ネズミ族は?」
「食べられるけど、幼い子は歯が痛い」
「深根は?」
「もっと硬くてもいい」
「壁でも食ってろ!」
「あれは石だ!」
「区別はつくんだな!」
次。
ゴキブリ族の茸粥。
「ゴキブリ族は?」
「うまい!」
「上層ネズミ族は?」
「うまいけど、三杯食べても腹が空く」
「深根は?」
「飲み物」
「粥だ!」
「噛む物がない」
「文句が多い!」
次。
眠り茸の香辛粉。
「ゴキブリ族は?」
「触角が痺れる!」
「ネズミ族は?」
「少量なら身体が温まる」
『私は?』
「先生は匂いを嗅いで」
『眼窩しかない』
「どうやって茸粥の香りが分かったんだよ!」
『魔力の揺れを、便宜上そう呼んだ』
「急に難しい!」
次は、ミュルから買った赤実。
「ゴキブリ族は?」
「甘いけど皮が硬い!」
「ネズミ族は?」
「皮ごと美味い」
「先生は?」
『匂いだけで十分幸せだ』
「先生の幸せ、ハードル低すぎません?」
『香りだけで生きてきた者を舐めるな』
調べれば調べるほど、違いが出る。
身体の大きさ。
歯の有無。
必要な水分。
匂いへの強さ。
殻の育ち方。
病気の時に食べられる物。
ゴキブリ族の幼体は柔らかい粉粥を好み、成虫は薄い板状の乾燥食も削れる。ネズミ族の子どもは硬焼きへ憧れるが、歯が育つ前に無理をすると欠ける。先生は何も飲み込めないが、料理から立つ魔力と熱を楽しめる。
同じ町に住んでいても、腹の中までは同じにならない。
「全部別々に作るんか?」
二号が食材表を見上げる。
「そんなことしたら鍋が二十個いるぞ」
「洗うの誰や」
「今、全員が目を逸らしたな?」
俺も逸らした。
「大将が言い出したんやろ!」
「俺は呼吸孔へ水が入るから皿洗いに向いてない!」
「うちら全員や!」
「そうだった!」
「じゃあ交代制にするか」
「交代表、また俺が作るのか?」
「作ったら今度は絶対に裏まで埋めるなよ」
「一回で信用ゼロにされてる!」
そこでチュウタが、三つの皿を並べた。
「別々に完成させるんじゃなくて、途中まで一緒に作ったら?」
「途中まで?」
「茸と根菜を柔らかく煮る。そこで三つへ分ける。ゴキブリ族には潰して粉を足す。上層の子どもには小さく切る。深根には硬焼きと木の実を入れて煮詰める」
「同じ鍋から、三種類!」
「先生の分は、湯気を別の器へ集める」
『私にもあるのか』
「香りだけの汁や」
二号が胸を張る。
「汁はどこ!?」
「細かいこと言うな。先生用・香り汁や!」
『ぜひ頼む』
試作一号。
大鍋へ茸、根菜、安全確認済みの青月草、少量の塩。
チュウタが土魔法で鍋台を固定し、俺が雷で金属板を温める。二号が歌で煮える時間を数え、ガーロが巨大な混ぜ棒を動かす。
「もっと火を!」
「雷だ!」
「茸がまだ硬い!」
「俺の腹側はもう熱い!」
「大将が焼けとる!」
「俺を料理するな!」
金属板から飛び降りる。
薄い身体は狭い場所へ入れるが、熱も早く伝わる。腹の節がじんじんする。人間だった頃なら鍋の取っ手を離せば終わりだった。今は六本脚の半分が熱い床へついている。
「濡れ石を足場へ置こう」
ピコが持ってきた小石を並べる。
「助かる! 天才!」
「今日は昼寝したから元気」
「やっぱり予定へ昼寝は必要だ!」
「ピコ、昼寝の効果すごいな」
「大将も寝たら?」
「今、鍋の番で忙しい!」
「忙しいのに眠そうな声してる」
「それは湯気のせい!」
煮えた具を三つへ分ける。
一つ目は、茸と根菜をとろとろになるまで潰したゴキブリ粥。
二つ目は、小さな具を残した上層煮込み。
三つ目は、深根用の木の実入り濃厚煮込み。
最後に、鍋の蓋から出る湯気を細い金属管へ集める。管の先には、先生の青い魔力石を入れた空の椀。
『温かい』
先生の眼窩に青い光が灯った。
『茸。青月草。少し焦げた金属。それから、クロの殻』
「最後の匂いは消して!」
「大将、具になっとったん?」
「なってない!」
味見。
俺はゴキブリ粥へ口をつけた。
柔らかい。
茸味噌の塩気が広がり、根菜の甘さが後からくる。
「うまい!」
バルグは深根煮込みを噛む。
「柔らかすぎる」
「木の実を入れただろ!」
「もっと顎へ来る物を」
「顎へ来るって何だよ!」
硬焼きを小さく砕いて入れてみる。
ばきん。
バルグの目が輝いた。
「これだ」
「分からない! でも満足したならいい!」
試作一号は、ほぼ成功。
ただし問題が一つ。
三種類の椀が同じ色で、誰の物か分からない。
「匂いで分かるやろ」
「混ざってる!」
「じゃあ印をつける」
ピコたちが、椀の縁へ形の違う木札を結んだ。
丸は柔らかい粥。
三角は小さな具。
四角は硬い具。
穴あきの丸は香り汁。
「文字が読めなくても、触れば分かる」
ガーロが傷札式の薄板を足した。
「僕の発明も採用です」
「おお!」
「昨日は幼体班に負けましたが」
「そこは言わなくていい!」
次は席。
ネズミ族用の大机は、ゴキブリ族には崖だった。
ゴキブリ族用の狭い隙間席は、ネズミ族が頭を入れたところで抜けなくなった。
「押せ!」
「痛い痛い! 耳が折れる!」
「引け!」
「どっちだよ!」
最後はチュウタの尻をガルダン王が押し、俺たちが髭を引いて救出した。
「食堂で遭難するとは思わなかった」
「入る前に広さ見ろよ!」
「茸粥の匂いがしたんだよ!」
「匂いに釣られて遭難するネズミ、前代未聞やろ」
「腹が減ってたんだよ!」
「大将も似たようなもんやろ」
「俺は釣られて遭難まではしてない!」
「壁に埋まった実績はある」
「今日は関係ない!」
そこで、大机の脚へ細い棚を何段もつけた。
上はネズミ族。
下はゴキブリ族。
先生は椅子へ座ると骨盤が滑るので、背中を支える溝つき席。
別々の高さだが、中央の大鍋は全員から見える。
「同じ机なのに、上下がある」
ジロが記録板へ書く。
「上下はあっても、偉さじゃないぞ」
「分かっています。身体に合う高さです」
「ならよし!」
「大将の席は一番下です」
「どうして!」
「三回落ちたので」
「安全上の理由なら反論できない!」
「三回とも大将のせいですけどね」
「反論はしないが追い打ちはやめてくれ!」
三日後。
地下大食堂が開いた。
看板には、皿を囲むネズミの尾、ゴキブリの触角、先生の骨指が描かれている。
ピコたち幼体が受付。
二号が注文歌。
「丸はとろとろ、三角ころころ、四角はばきばき、穴あき先生、湯気だけ満タン!」
「最後だけ量がおかしい!」
「湯気だけ満タンって、どういう状態や」
「先生の器が空に見えて、実は幸せでいっぱいってことだよ」
「詩的か!」
「二号の歌のわりに真面目な返しやめろ」
深根の戦士が丸い札を取り、ゴキブリの幼体が四角い札へ手を伸ばす。
「待った!」
俺は間へ入った。
「それ、ものすごく硬いぞ」
「食べてみたい」
「駄目とは言わない。でも、そのままじゃ口を痛める。粥へ一欠片だけ入れて、柔らかくしてからだ」
「うん!」
逆に、バルグがゴキブリ粥を一口試す。
「……味は悪くない」
「だろ!」
「硬焼きを十二枚つけろ」
「それはもう別の料理だ!」
笑い声が食堂へ広がる。
食べられない物を隠さなくていい。
嫌いな味へ無理にうまいと言わなくていい。
俺たちは違う腹を持ったまま、同じ鍋から自分に合う一皿を受け取る。
先生の香り汁から青い光が立ち、幼体たちがその光へ自分の茸をかざす。先生は一つずつ香りを言い当てた。外すと幼体が大喜びする。
『これは青月草だ』
「干し苔!」
『また外したか』
「先生、味音痴!」
『味覚そのものがない』
「強い言い訳だ!」
「先生、もう一回勝負しよう」
『何度やっても外れる予感しかしない』
「勝つ気ゼロ!」
『経験に基づく判断だ』
俺は茸粥を削りながら、触角を揺らした。
茸味噌の匂い。
熱い湯気。
ネズミ族の歯が硬焼きを割る音。
ゴキブリ族の細い脚が棚を走る振動。
骨指が椀を叩く、からからという拍子。
人間だった頃、家族で囲んだ食卓を思い出す。
同じ料理を食べることだけが、家族じゃない。
今日あったくだらない失敗を話し、食べる速さの違う相手を少し待ち、最後の一欠片を誰へ渡すかで揉める。
そういう時間が、食卓なのだ。
「大将、泣いとる?」
「湯気が触角へ染みただけだ!」
「目ぇちゃうんや」
「細かいな!」
「大将、最後の茸焼きもらうで」
「それは駄目!」
「泣きながら食い意地張るな!」
俺と二号が一欠片を引っ張り合う。
その時だった。
がたん。
食堂の端で、椀が落ちた。
「ガーロ?」
ガーロが席から滑り落ちていた。
前脚が震え、片翅が床へ張りついている。
「おい、どうした!」
俺は茸焼きを放り出して走った。
「近づくな!」
ミナの鋭い声が飛ぶ。
白髭の薬師がガーロの椀を嗅ぎ、濡らした細枝を汁へ入れた。
枝の先が、紫色へ変わる。
「毒だ」
さっきまで笑い声で満ちていた食堂から、音が消えた。
俺の触角だけが、床の向こうから近づく震えを拾う。
がたん。
別の席で、二匹目が倒れた。




