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害虫から守護隊へ

ベルガ初の地下種族専用門は、開いた瞬間に俺を空へ射出した。


 ばちんっ!


「なんでだぁぁぁ!」


 前脚で押した小扉が勢いよく跳ね返り、俺の腹を下からすくった。


 黒い身体が地面を離れる。


 人間の膝。


 腰。


 胸の高さまで上がった。


「飛べた!」


 ルビーが歓声を上げる。


「これは飛行じゃない! 建築事故だ!」


「着地は自分で!」


「無責任な空の先輩!」


 翅を開く。


 羽ばたけない。


 でも落ちる向きだけは変えられる。


 俺は空中で身体をひねり、セラの工具箱へ――


 ごしゃっ!


 頭から突っ込んだ。


 釘と留め具の山が鳴る。


「大将、生きてるか?」


 チュウタが箱を覗く。


「今、英雄から建築資材へ降格した」


「門の蝶番にちょうどいい黒い部品だな」


「取りつけるな!」


「錆びにくそうやし、意外と長持ちしそうですけど」


 二号まで釘の山から顔を出す。


「品質保証をするな! 俺は部品じゃなくて隊長だ!」


「保証書、書きます?」


「いらん!」


 東点検口の工事は、開始から十五分で中断した。


 原因はピコの自動開閉ばねである。


「触れたら軽く開くはずでした!」


 ピコが図面を抱えている。


「俺が軽すぎたんだよ! 門じゃなくて投石器になった!」


「投ゴキ器ですね」


「先生まで名前をつけるな!」


「記録に残ります」


「残さなくていい歴史もあるんだよ!」


「せやったら、次の弾は誰にします?」


 二号が真顔でばねを見つめる。


「弾じゃない、隊長だ! あと次はない!」


「安全第一ですね」


「今言うことか!?」


 ばね式は即刻外した。


 祭りの翌朝。


 俺たちは約束通り、東点検口の通気格子を専用小門へ作り替えている。


 雨を防ぐ庇。


 水が一気に入らない二重扉。


 外から魔物が鼻先を入れられない金網。


 俺たちが六本脚で押せる軽さと、人間の靴がぶつかっても壊れない強さ。


 注文だけ並べると、ものすごくわがままな門である。


「小さくて、軽くて、頑丈で、雨に強くて、誰でも使えて、敵は通さない」


 セラが指を折る。


「黒い技師殿。これを半日で?」


「祭りで大勢に見られた。今日中に形だけでも作りたい」


「格好つけてますね」


「先生、もっと柔らかく言えないのか!」


「見栄を張っています」


「直しただけだ!」


 その通りだった。


 昨日まで俺たちは、人間用扉が空くまで壁際で待つしかなかった。


 専用門ができれば、巡回班がいつでも出入りできる。


 怪我人を運ぶときも、巨大な鉄扉を開ける必要がない。


 これは祝祭の飾りではない。


 明日から命を守る設備だ。


 だから急ぎたい。


 でも、急いで俺が次々飛ぶ門を作ったら意味がない。


「……半日で完成は取り消す。今日中に三回試す。使える門になるまで、格好は後だ」


「よろしい」


 先生が頷く。


「最初からそう言わせるつもりだっただろ」


「記録ですので」


「それ、ジロの台詞だ!」


     ◇


 古い通気格子を外すため、まず周囲の石を調べた。


 人間用の鉄扉が開閉するたび、床へ大きな振動が走る。


 格子の上部はその振動でひび割れていた。


 外から見ると細い線。


 俺たちには、身体が丸ごと入る谷だ。


「このまま格子だけ抜いたら、上の石が落ちる」


 俺はひびへ触角を入れた。


 乾いた粉。


 奥に湿気。


 右の石は軽い。


 左はまだ壁へ噛み合っている。


「チュウタ、右側を先に掘るな。下へ支えを入れる」


「昨日回収した腐食カニの殻脚がある」


「使えるか?」


「使えなくても使える形に削る」


「頼もしいけど怖い言い方だな」


 カニの脱皮殻を三本、扇状に置く。


 人間側からはセラの修理班が木枠を支える。


 ゴキブリ隊は格子の裏へ入り、錆を削る。


 ネズミ隊は石の重さが変わる振動を読む。


 ルビー隊は粉が内部へ舞わないよう、外向きの風を送る。


「右上、軽くなった!」


 チュウタが床を二回叩く。


「人間班、持ち上げろ!」


 格子が一寸上がる。


 俺たちが下の錆を掻き出す。


 鉄の味が触角へ刺さる。


 背中へ冷たい外気が入る。


「あと半寸!」


 セラたちが力を入れた。


 ぎぎぎっ。


 格子が石から抜ける。


 その裏側に、文字が彫られていた。


『害虫侵入防止格子』


 全員の動きが止まった。


 二号が文字を下から読む。


「俺らを防ぐ格子やったんか」


「昔の用途です」


 セラが申し訳なさそうに言う。


「水路の通気口ですから、小動物が入らないように」


「間違ってない」


 俺は前脚で錆びた文字をなぞった。


 ゴキブリは家へ入れば嫌われる。


 食べ物を汚すこともある。


 病を運ぶと思われる。


 今さら、その全部を嘘だと言う気はない。


 この格子を作った者は、街を守ろうとしただけだ。


 でも――腹の奥が、むずむずする。


 俺たちはこの格子の向こうへ入り、街の水を守った。


 子どもを助けた。


 熱病を止めた。


 その帰り道で、まだ《侵入防止》と呼ばれるのは、やっぱり悔しい。


 触角が文字を二度叩いた。


「削りますか?」


 セラが聞く。


「いや」


 俺は格子を見上げた。


「残そう。昨日まで何だったかも、今日から何になるかも、両方分かるようにする」


 二号が首を傾げる。


「腹立たへんの?」


「腹は立つ。ものすごく立つ。できればこの鉄を噛んで文字を消したい。でも、消したら最初から歓迎されてたみたいになる。それも違う」


 最初から皆が優しかったわけではない。


 俺たちも、最初から信用される働きを知っていたわけではない。


 怖がられ、怒鳴られ、逃げられた。


 それでも仕事を一つずつ終え、飯を一緒に食い、名前を呼ばれるようになった。


 その変化は、隠さなくていい。


「古い格子を小門の内側へ使う。文字はそのまま。ただし、その下へ今日の札をつける」


「何て書く?」


 チュウタが聞いた。


「まだ決めてない!」


「そこは格好よく決めろよ!」


「途中まで考えたんだよ!」


「案、出しましょか?」


 二号が触角を伸ばす。


「聞くだけ聞く」


「《元・害虫、現・隊長》」


「格が下がってる!」


「《踏まれても這い上がる者たちの門》」


「長い! あと重い!」


「なら《飯は譲らん》」


「途中から本音が出たな!」


 いい話をしても、最後まできれいには決まらなかった。


     ◇


 二号機は、手動の重り式にした。


 小扉へ結んだ細縄を引けば開く。


 手を離すと、木の実の殻へ入れた砂の重りがゆっくり下がり、扉が閉まる。


 閉まる速度は十拍。


 幼体でも通れる。


 敵が後ろから追ってきても、扉は自動で戻る。


「試します!」


 ピコが縄を引く。


 小扉が開く。


 一拍。


 二拍。


 三拍。


 重りが途中で止まった。


「閉まらないぞ」


「砂が湿って固まりました!」


「下水で砂を重りにするなぁぁ!」


 外は晴れていても、地下入口は湿る。


 砂を乾燥豆へ替える。


 今度は二号が一粒食った。


 重さが減り、扉が八拍で閉まった。


 通りかけた三号の尻を挟む。


「痛い!」


「二号ぉぉ!」


「一粒だけや!」


「一粒で仲間の尻が挟まった!」


「食料を設備に使うほうが悪い!」


「食ったやつが言うな!」


 豆も却下。


「なら俺が重り役を」


 ガーロが胸を張った。


「お前が扉の裏で立ってるつもりか」


「毎回、開閉のたび押し返す」


「一日中それだけの仕事になるぞ!」


「忠義に仕事量は関係ない」


「関係あるだろ! ガーロ専用扉なんて誰も通れない!」


 最終的に、回収した陶器片を同じ大きさへ削り、重り箱へ詰めた。


 食えない。


 湿気で固まらない。


 一枚ずつ抜けば閉まる速度を変えられる。


 三度目。


 俺が縄を引く。


 扉が開く。


 外の青線から、雨受けの下を通り、内側の金網扉へ。


 十拍で後ろが閉じる。


 内扉を押す。


 帰還亭へ続く乾いた道が開いた。


「成功だ!」


 歓声が上がる。


 俺は前脚を高く掲げた。


 その頭へ、庇へ残っていた水滴が落ちた。


 ぽちゃんっ!


「冷たぁぁ!」


「雨受け、短いですね」


 先生が言う。


「成功を取り消す! 庇を伸ばせ!」


 三度では終わらなかった。


 四度目で、本当に完成した。


     ◇


 門の横には、低い位置の呼び鈴をつけた。


 小型種族が金属板を三回叩けば、地上の見張り台にも同じ振動が伝わる。


 人間側から呼ぶときは、大鐘ではなく細縄を引く。俺たちの腹をひっくり返さない弱い音が、床へ三回届く。


 青線は東広場から小門まで延びた。


 途中の交差点には、小型種族の目線で読める札。


 人間用には、靴を止める大きな青板。


 門番は人間一人、地下組二匹の混成当番。


「出入りの記録は名前で」


 ノーラが低い記録台を置く。


「数だけでは駄目ですか?」


 三号が聞く。


「戻らなかったとき、誰を探すか分からないでしょう」


「それなら名前だ」


 俺は即答した。


「数だと、俺、二匹分に数えられそうで嫌や」


 二号が言う。


「なんでだよ」


「態度がでかいから」


「お前が言うな!」


 誰かが横で吹き出した。


 人間の目には、黒いゴキブリが何匹も同じに見えるかもしれない。


 でも俺には、三号の右触角の曲がりも、四号の少し遅い後脚も、ガーロ隊の一匹ずつ違う匂いも分かる。


 役目が同じでも、帰りを待つ相手は一匹ずつ違う。


「入るとき一名、帰ったら一名。全員の名へ二つ印をつける」


「大将の名前には、飛んだ回数も書きます?」


 二号が聞く。


「書くな!」


「昨日二回、今日一回」


「数えるな!」


 記録台の試し書きへ、勝手に《飛三》と記された。


 あとで消す。


 絶対に消す。


     ◇


 夕方、小門の完成式へ市民が集まった。


 昨日ほど大きな祭りではない。


 水路局の作業員。


 東区の商人。


 救助された六人。


 テオと家族。


 銀狼の牙。


 皆、仕事や買い物のついでに足を止めたような格好でいる。


 その自然さが、かえって嬉しかった。


 特別な日にだけ見る珍しい虫ではなく、明日もこの門を使う隣人として見られている。


 魚売りが細長い青銅板を持ってきた。


「札だ。市場の連中で金を出した」


「文字は?」


「俺たちで決めた。嫌なら直す」


 布が外された。


『ベルガ地下守護隊専用門』


 俺は読んだ。


 もう一度読んだ。


 触角が止まる。


「掃除隊じゃないのか」


「掃除して、水を守って、子どもを守って、作業員を守った」


 ハンスが言う。


「俺たちには守護隊だ」


 古い格子の裏には、《害虫侵入防止》の文字。


 新しい門の表には、《地下守護隊》。


 鉄一枚ぶんの厚さを挟んで、同じ黒い身体の呼ばれ方が変わった。


「大将、何か言わんの?」


 二号が肘でつつく。


「今、考えてる」


「遅い!」


「急に来たんだよ! もっとこう、礼の言葉とか、街との未来とか、格好いいやつを――」


 テオが先に叫んだ。


「隊長、通ってみて!」


「お、おう」


 助かった。


 いや、逃げた。


 俺は新しい縄を引いた。


 小門がゆっくり開く。


 青線の上を、クロニア遊撃隊が進む。


 俺。


 ガーロ隊。


 二号たち。


 チュウタとネズミ隊。


 ルビーと赤翅隊。


 先生は頭蓋骨専用台車。


 ぷるぴか隊は番号順。


 一匹ずつ門を越えるたび、人間側の誰かが名前を呼んだ。


「クロ!」


「ガーロ!」


「チュウタ!」


「二号!」


「先生!」


 俺の胸が、じわじわ熱くなる。


 名言なんか出なかった。


 出なくていいと思った。


 代わりに、門の内側から振り返る。


「ありがとう! でも門を作って終わりじゃない! 壊れたら一緒に直せ! 青線へ荷物を置くな! あと二号へ勝手に食い物を渡すな、仕事中に食う!」


「最後だけ俺への苦情や!」


 笑いが起きた。


 それでようやく、俺も笑えた。


     ◇


 完成祝いは帰還亭で開いた。


 市場から届いたのは、保存できる固焼きパン、燻製魚、塩漬け豆。


 道も飯も、両方もらった。


 二号は早速、固焼きパンへ《守護隊》の文字を彫ろうとした。


「食い物で記念碑を作るな!」


「食べられる称号です!」


「腹へ入ったら消えるだろ!」


「心に残ります!」


「消化にもいいらしいで、称号は」


「今考えた設定だろ!」


「バレました?」


「バレバレだ!」


 チュウタがすでに端をかじっている。


「文字を彫る前に《守》がなくなったぞ」


「お前も食うな!」


 騒ぎの最中、外の呼び鈴が三回鳴った。


 こん。


 こん。


 こん。


 完成後、最初の来客だ。


 俺たちは全員で小門へ向かった。


 外にいたのは、王都記録院の紺色外套を着た老人だった。


 両手で鉛箱を抱え、顔色を失っている。


「クロニア遊撃隊の方々は、こちらか」


「俺が隊長のクロだ」


 老人はしゃがみ、鉛箱を青線の外へそっと置いた。


「ギルドから送られた黒い魔石の写しを鑑定した」


 箱の蓋へ、三本爪に囲まれた黒い滴の印が描かれている。


「これはただの古い魔道具ではない」


 老人の指が震えた。


「三年前、勇者に滅ぼされた魔王軍の軍用刻印だ」

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