下水休憩所を作ろう
共同休憩所の最初の一食は、天井から降ってきた人間用パンによって壊滅した。
どぉんっ!
「うわぁぁ! 食卓が!」
「茸皿が埋まった!」
「二号が下敷きです!」
「俺は無事や! パンが柔らかくて助かった!」
「助かった顔で食うな!」
人間の作業員ハンスが落としたのは、親指の先ほどのパン切れだった。
俺たちには、二階建ての建物が食卓へ直撃したようなものである。
木片で作った小皿が三枚吹き飛び、乾燥茸は白い中身へ埋没。ぷるぴか三号は潰れたパンへ張りつき、幸せそうに汚れを吸っている。
「す、すまん!」
ハンスが慌ててパンを持ち上げた。
今度は大きな指が起こした風で、俺たちの敷物が飛んだ。
「風圧ぅぅ!」
「今度は俺が埋まった!」
チュウタの尻尾だけが布の下から出ている。
休憩所を作り始めて半日。
まだ壁もないのに、事故報告だけは二枚目へ入った。
「同じ場所で飯を食うの、無理じゃないか?」
カイルが人間用の長椅子へ座り、包帯の巻かれた脇腹を押さえる。
「別に仲が悪いからじゃないぞ。俺たちが匙を落とすだけで、お前らには隕石だ」
「匙を落とすな」
「一生?」
「……それは無理だな」
人間だった頃の食卓なら、パンくず一つを気にも留めなかった。
今の俺は、その一粒で三食ぶんを確保できるし、直撃すれば脚を折る。
一緒に食うというのは、同じ高さの机を囲むことではない。
大きさが違うまま、誰も遠慮せず腹いっぱいになれることだ。
「同じ部屋で、別の高さにする」
俺は倒れた小皿の上へ登った。
「人間は上。俺たちは下。ただし別室にはしない。互いに見えて、声が届いて、食い物が降ってこない形だ」
二号がパンの中から顔を出す。
「作戦名、《一緒の飯は高さが違っても一緒》!」
「珍しく、そのままでいい」
「ひねりが足りません!」
「褒めたのに文句を言うな!」
「ひねりのない大将、逆に新鮮です」
「疲れてるだけだ!」
「たまには疲れも役に立ちますね」
「役に立たせるな、休みたいだけだ!」
◇
第一安全所の隣には、使われなくなった資材室があった。
人間には六歩四方。
俺たちには広場だ。
床は乾いているが、壁の下部に古い水染み。天井には細い通気管。奥には錆びた棚が三段と、片脚の折れた長机がある。
「この机を人間用に直す」
セラが脚を測った。
「小さい皆さんの場所は?」
「机の内側だ」
人間用の天板の下へ、回収した鉄板と木片で俺たち用の棚を作る。
同じ机を上下で使う。
人間が椅子へ座れば、その膝の間より少し奥に、地下組の食卓が見える。
食べ物を渡すときは、机の端につけた二段式の昇降皿を使う。
こぼれても、地下組の席へ直撃しないよう、上段の縁には布の受け樋をつける。
「完璧だな」
「まだ線を三本引いただけだぞ」
チュウタが呆れた。
「頭の中ではもう完成してる!」
「大将の頭の中で完成したものは、大体一回爆発する」
「それはピコの装置だ!」
ピコが工具箱から顔を出す。
「今回は爆発しません! 昇降機にばねをつけるだけです!」
「ばねを外せ!」
「まだ見せてません!」
「食器を飛ばす気だろ!」
「どうして分かったんです?」
分かる。
悲しいほど分かる。
ばね式は却下した。
代わりに、指輪回収で使った細い縄と、腐食カニの脱皮殻を削った滑車を使う。
人間側が大きな取っ手を半回転させると、下の小皿がゆっくり上がる。
俺たちが降ろすときは、ネズミ隊二匹が縄を引けばいい。
一度目の試運転。
皿へ乾燥茸を載せる。
「上げます」
フィアが取っ手を回した。
きゅるるる。
小皿は真っすぐ上がり、机の高さを越え、止まらず天井へ激突した。
ぱぁんっ!
乾燥茸が部屋中へ降る。
「茸の雨だぁ!」
二号たちが歓声を上げる。
「喜ぶな! 失敗だ!」
「食べ物を粗末にしないため回収します!」
「床へ落ちる前に食ってるだけだろ!」
止め具が人間の力で抜けていた。
二度目は、鉄の留め具を二本へ増やす。
今度は机の縁で止まった。
カイルが小皿から茸を一片つまむ。
「食っていいのか?」
「毒見なら歓迎する」
「言い方が悪い!」
口へ入れたカイルの顔が渋くなる。
「硬い」
「俺たち用だ。噛み応えが七日続く」
「食事じゃなく携帯家具だろ、これ」
「水へ戻せば柔らかくなる!」
俺も人間側から小さくちぎってもらった黒パンを受け取る。
香ばしい匂いが右触角へ届いた。
一片だけで俺の腹ほどある。
「でかい」
「もっと小さくするか?」
「いや、このままでいい。たまには食い物に囲まれる夢を現実にしたい」
かじる。
外は硬く、中は少し酸っぱい。
うまい。
下水の奥で、人間とネズミとレッドローチと骨とゴキブリが、同じパンを食べている。
妙な光景だ。
でも、妙だからこそ悪くない。
◇
食卓の次は、水場だった。
水路を清掃する者が、汚れた脚のまま休憩所へ入れば、浄化菌床も食料も汚れる。
入口を二つに分ける。
人間側には長靴洗いの浅い槽。
俺たち側には瓶の口を使った六脚洗い場。
回収した青い瓶の首へ細い布を通し、清潔な水を少しずつ染み出させる。
「六本、一本ずつ洗うのか」
チュウタが嫌そうな顔をする。
「お前は四本だろ」
「尻尾も洗うから五本だ」
「数える場所が違う!」
ガーロ隊は列を作り、左前脚から順に洗う訓練を始めた。
二号は右、左、右、左と途中で踊り出し、後ろの三号と絡まって転がった。
「洗い場で組体操をするな!」
「脚が多いんです!」
「今日生えたみたいに言うな!」
ぷるぴか一号が洗い場へ近づく。
「お前は入るな!」
全員で止めた。
清掃スライムにとって、汚れは食事である。
こいつが脚洗い場へ入れば、たぶん喜んで全部吸う。だが、その身体を洗う水まで食われたら永遠に終わらない。
ぷるぴか一号は、ぷるん、と不満そうに揺れた。
「専用の泥皿を作るから待て」
ぷるん。
「返事してるように見えるな」
「大将より素直です」
「先生、どっちの味方だ!」
食料棚は、乾燥区画と密閉区画へ分けた。
薬と黒い石の試料は、食料から最も遠い壁の鉛箱へ入れる。鍵は人間用と小型用を二つ。どちらか一方だけでは開かない。
「二人で開けるのか」
ノーラが感心する。
「危ない物は、一人の判断で触らない」
「大将が一人で触らないためですね」
二号が言った。
「全員のためだ!」
「特に大将のためです」
「俺だけ名指しで規則を作られてる気がする」
「気のせいじゃありません」
「気のせいにしてくれてもいいだろ!」
否定しきれないのが腹立たしい。
壁には五層地図の写し。
赤札、青札、黒札を掛ける報告板。
天井近くにはルビー隊の止まり木。
壁の中にはネズミ隊の寝穴。
食卓の下には俺たちの乾燥棚。
先生用には、頭蓋骨が転がらない凹みつき椅子を作った。
「なぜ頭だけを置く前提なのです?」
「休むとき外してるだろ」
「首が凝るのです」
「骨にも首凝りがあるのか!?」
「気分です」
知らなくてもよかった骨の生活情報が増えた。
◇
一番難しかったのは、匂いだった。
人間には、下水の悪臭を消したい。
俺たちは、匂いが全部消えると危険を察知できない。
香草を焚いた瞬間、俺の右触角が強烈な刺激で丸まった。
「うおおっ! 森が鼻へ突っ込んできた!」
「いい香りでしょう?」
フィアが香草皿を持っている。
「人間にはな! 俺には香りの壁だ! 外の毒臭も腐敗臭も分からなくなる!」
ルビー隊も翼で顔を覆う。
「風が緑色に見える!」
「見えるほど濃いのか!?」
香草は人間側の奥だけ。
小型席との間には、浄化菌を織り込んだ薄布を吊るす。
空気はきれいにするが、外から入る異常な匂いは完全に消さない。
送風口の向きも変えた。
一度目は風が強すぎて、俺たちが食卓ごと壁へ滑った。
二度目は弱すぎて、カイルの靴の匂いだけが部屋へ残った。
「俺のせいにするな!」
「右触角がそう言ってる!」
「左は?」
「まだ休暇中だ!」
三度目。
入口から入った空気が床近くを通り、浄化布を抜け、天井の管へ上がる。
臭いは薄い。
危険な匂いは分かる。
茸の香りも、パンの酸味も残っている。
「これだ」
俺は六本脚を床へ広げた。
乾いている。
風は穏やか。
背中を丸めなくても、人間の靴底が頭上へ来ない。
「完成だ!」
部屋中から歓声が返った。
◇
最初の共同夕食には、仕事中でない者まで集まってきた。
水路局の修理班。
銀狼の牙。
ギルドのノーラ。
薬師マルタ。
俺たち地下清掃隊。
テオはまだ診療所だが、母親が赤い船へ焼き菓子を載せて届けてくれた。
船の横には、子どもの字で札がついている。
『たいちょうたちへ。こんどはおちないところであそびます』
「当たり前だ!」
俺は札へ叫んだ。
「でも元気になったら、船の競争はしていいぞ。上の安全な水桶でな」
「聞こえませんよ」
先生が言う。
「分かってる!」
赤い船は今夜だけ、食卓を回る配膳船になった。
人間側の煮込みから、味の薄い芋と豆を小皿へ分ける。
俺たちの香辛料茸を、ほんの一つまみ人間側へ渡す。
ネズミ隊は固いパンの端を好み、赤翅隊は甘い焼き菓子へ群がり、先生は食べられないのに湯気の前へ座った。
「先生、何してるんだ?」
「食卓の雰囲気を摂取しています」
「便利な身体だな!」
「羨ましいなら死んでみますか」
「勧誘するな!」
カイルは最初、小型席から少し離れて座っていた。
無理に近づけとは言わない。
嫌なものは嫌でいい。
それでも、同じ部屋で食えるところから始めればいい。
二号が昇降皿へ香辛料茸を載せた。
「銀狼の兄ちゃん、追加や!」
「入れすぎるなよ」
「遠慮するな!」
「その台詞でひどい目に遭う予感しかしない!」
皿が上がる。
カイルは受け取り、煮込みへ一欠片だけ入れた。
「……うまいな」
「もっと言え!」
「調子に乗るな!」
「よし、二欠片!」
「勝手に増やすな!」
取っ手を巡って人間とゴキブリが引っ張り合い、昇降皿が上下する。
皆が笑った。
上の机と、下の机。
皿は別。
食べる量も、座る場所も違う。
でも、同じ失敗を笑い、うまいものを渡し合っている。
これが俺の欲しかった共同休憩所だ。
「名前を決めましょう」
ノーラが記録板へ向かう。
二号が立ち上がった。
「《地下で食ったらだいたい仲間亭》!」
「却下!」
「まだ投票してません!」
「長い!」
「《腹いっぱい安全所》」
チュウタが言う。
「飯へ寄りすぎだ」
「《ベルガ第一地下共同休憩所》」
セラが言う。
「正しいけど硬い!」
ガーロが腕を組む。
「第一安全所の隣だから、《帰還亭》でいいだろう」
皆が一度、静かになった。
巡回から帰る。
修理から帰る。
毒の水路からも、魔物の巣からも帰る。
帰って、脚や靴を洗い、同じ部屋で飯を食う。
「それだ」
俺は頷いた。
入口へ、色つきガラスを組んだ札がつけられた。
『帰還亭』
回収した青、緑、赤の瓶片が、ランプの光を柔らかく通す。
下水の壁に、小さな朝焼けみたいな色が落ちた。
◇
夕食が終わり、人間たちが順番に横になった。
俺たちも乾燥棚へ入る。
「大将、今日はちゃんと休んでください」
「分かってる。契約に書いたからな」
「見張りは俺たちが交代する」
ガーロ隊の当番が入口へ立つ。
誰かが起きているから、誰かが眠れる。
当たり前のことを、決まりにして、場所にした。
俺は布切れへ腹をつけた。
石床の冷たさが遠い。
人間の寝息。
ネズミの小さないびき。
赤翅隊の翼が畳まれる音。
二号が寝言で作戦名を歌い、三号に蹴られている。
騒がしい。
安心する。
左触角の痺れまで、少し薄くなった気がした。
そのとき。
こん。
床の奥で、何かが鳴った。
俺は目を開ける。
見張りのガーロも振り向いた。
「修理音か?」
「違う。全員、もう休んでる」
こん。
しばらく間が空く。
こん。
一定だ。
毒牙ウナギを操っていた三十二拍とは違う。
もっと遅い。
六十四拍ごと。
人間の寝息が静かになるたび、床の下から同じ衝撃が来る。
今までなら、水音と作業音へ紛れていた。
水路がきれいになり、全員が止まったから聞こえた。
俺は腹を床へつける。
右触角へ、かすかな匂いが上がってきた。
生肉。
薬草。
そして、黒い石に使われていた、匂いを消す薬剤。
「床の下に部屋がある」
チュウタも起き、石の継ぎ目へ耳を当てた。
「図面にはないぞ」
「俺たちの地図にもない」
六十四拍。
こん。
次に、石の下から何かを引きずる音がした。
ずるるるる。
帰還亭の真下で、誰かが今も餌を運んでいる。




