毒牙ウナギを追え
毒牙ウナギは、鉄格子を二本目まで噛み折った。
がぎんっ!
太い鉄棒が根元から曲がり、水路の壁へ突き刺さる。
次に、紫色の牙が俺たちへ向いた。
「伏せろ!」
口の奥から毒水が噴く。
びしゃあっ!
ガーロがダンの盾片を立てた。
紫の飛沫が銀色の表面へ当たり、じゅううっ、と湯気を上げる。
弾かれた一滴がガーロの前脚へ落ちた。
「ぐっ!」
黒い甲殻の下へ、紫の筋が走る。
「ガーロ!」
俺は盾片を越えて前へ出ようとした。
「来るな!」
ガーロの怒声に、六本脚が止まる。
毒牙ウナギは鉄格子の隙間へ頭をねじ込んだ。
長い身体が水中で折れ曲がる。
人間一人を丸ごと巻けそうな胴。
鱗は黒く、油を塗ったように光っている。
両顎から生えた二本の牙だけが、病人の斑点と同じ紫色だ。
「下がれ! 格子がもたない!」
ノーラが水門の鎖を引く。
上から補助格子が落ちる。
がしゃんっ!
ウナギの鼻先を挟む寸前、長い身体が後ろへ滑った。
速い。
前へ泳ぐときより、後ろへ逃げるほうが速い。
濁った水の奥へ黒い尾が消える。
残った毒だけが、薄い紫の筋になって取水路へ広がった。
「追うな!」
今度は俺が全員を止めた。
「飲用水へ入れるな! 取水路二番を閉じろ!」
チュウタ隊が側面の土を崩す。
土壁が水路へ落ち、毒水の先へ茶色い堤を作る。
ルビー隊が風で浄化菌布を広げる。
ガーロは盾の後ろへ座り込んだ。
前脚が震えている。
「見せろ」
「かすっただけだ」
「その台詞を言うやつは、大体かすっただけじゃない!」
俺は傷んだ左触角を忘れ、そちらから近づいた。
ガーロの身体へ肩からぶつかる。
「痛っ!」
「大将のほうが重傷に見えるぞ」
「壁とお前の区別が一瞬つかなかっただけだ!」
「俺を壁扱いするな」
「冗談を言えるなら死ぬなよ」
言った声が、自分でも嫌になるほど掠れた。
ガーロは俺の触角へ前脚を当てた。
「死なん。毒は吸って流せる。だが、あれは濃い。二滴目は受けられん」
「一滴目だって受けるな」
「盾の後ろに大将がいた」
「だからって――」
言い返せない。
俺だって同じ位置なら、同じことをした。
それが腹立たしい。心配させたことも、格好いいと少し思ってしまったことも、全部まとめて腹立たしい。
「次は誰も毒を受けない罠にする」
「それなら従う」
先生が中和薬を前脚へ塗る。
紫の筋はそれ以上広がらなかった。
◇
毒牙ウナギを水中で殺す案は、最初に捨てた。
「死ねば毒袋が破れます」
先生が試料瓶を光へ透かす。
「取水槽全体へ今の十倍は流れるでしょう。さらに、解毒薬を作るには変質していない毒と、毒を生む組織が必要です」
「生け捕りか」
「できれば」
「できれば、の顔じゃないぞ。絶対やれの顔だぞ」
「四十三人が待っています」
「五十一人になった」
伝話板の向こうからマルタが訂正した。
「西水へ切り替える前に飲んだ人が、時間差で発症してる。テオの熱もまだ上がってる」
五十一。
数字が喉へ引っかかる。
焦れば罠が雑になる。
でも、ゆっくり考えている間にも誰かの熱が上がる。
俺は床を前脚で何度も掻いた。
「大将、石に穴が開きますよ」
二号が言う。
「開いたら俺を埋めろ。今、焦ってる」
「自分で分かってるなら、役を分けましょう」
ガーロが調査隊を並べた。
「追跡は二号。水路変更はチュウタ。毒処理は俺と先生。大将は考えろ」
「考えるだけ?」
「走り回られるより早い」
「俺、隊長だぞ?」
「だからだ」
言い切られた。
悔しい。
だが、もっと悔しいのは、俺一匹の焦りでまた誰かを毒へ立たせることだ。
「分かった。まず、あいつの動きを知る」
二号たちは床へ伏せた。
取水槽から、三十二拍ごとにぬるりとした振動が返る。
泳ぐ。
止まる。
また三十二拍。
「規則正しすぎますね」
二号が金属管で同じ拍を叩く。
かん、かん。
細かく刻み、三十二。
水の奥で、どぷん、と大きな尾が動いた。
「音へ寄ってくる!」
「音じゃない」
俺も腹を床へつける。
二号の金属音が空気を鳴らしても、ウナギは動かない。
管を石へ当て、振動が水へ伝わったときだけ動く。
「水中の震えを獲物だと思ってる。しかも同じ間隔を追う」
俺たちは木片へ小石を結び、水へ浮かべた。
二号が縄を三十二拍で引く。
木片が水面を揺らす。
黒い影が近づく。
だが、直前で止まった。
鼻先が水面へ出る。
匂いを嗅ぎ、木片へ背を向けた。
「振動だけじゃ足りない」
チュウタが言う。
「生き物の匂いも見てる」
「誰かを餌にするのはなしだ」
「大将、もう赤い船を持ってきてますよ」
二号が俺の後ろを指した。
テオからもらった赤い木の船。
今は安全な水と冷却布を運ぶ旗艦である。
「まさか、これへ乗れと?」
「船長でしょう?」
「俺を餌にしないと言った直後だぞ!」
「餌ではありません。船長つき囮です」
「言い換えても同じだぁぁ!」
だが、生き物の匂いが要る。
船へ俺たちが乗り、三十二拍を出せば、ウナギは追う。
水路の外へ誘えば毒袋を破らず捕まえられる。
「……乗るのは俺だけじゃない」
「巻き添えを増やすんですか?」
「操船、拍、索敵が要る! 二号と三号も乗れ!」
「大将、一匹では怖いと正直に」
「役割分担だ!」
「僕も怖いです!」
「なら三匹で怖がれ!」
「三人集まれば勇気になりますか」
「ならない! 怖いが三倍に増えるだけだ!」
「じゃあ何のために集まるんです」
「せめて一緒に怖がりたいんだよ!」
船長会議は、全員怖いという結論でまとまった。
◇
一回目の捕獲罠は、開始十二秒で食い破られた。
取水槽から整備用の乾き水路まで、赤い船を縄で引く。
その先へ、麻布と銅線の網を張った。
二号が船底を三十二拍で叩く。
俺と三号が左右の櫂代わりに金属片を動かす。
「船長、右です!」
「右へ切る!」
「大将の右と船の右が反対です!」
「またか! 船へ右って書け!」
「水の上で今から!?」
黒い背が近づく。
水面が左右へ盛り上がる。
「来たぁぁ!」
縄が引かれ、赤い船が乾き水路へ滑る。
毒牙ウナギも尾をうねらせて追う。
頭が網へ入った。
「閉じろ!」
ガーロ隊が左右の縄を引く。
麻布が黒い胴へ巻きつく。
捕まえた。
そう思った瞬間、ウナギが後ろへ泳いだ。
前へ追うより速い。
網の入口から、するん、と頭だけを抜く。
二本の牙が麻布を挟む。
ぶちぶちぶちっ!
銅線ごと網が裂けた。
「網、高かったんだぞぉぉ!」
「大将、前にも糸を惜しんでましたね!」
「冒険者は経費も惜しむんだ!」
ウナギの尾が船を打った。
ばしゃんっ!
赤い船が横転する。
俺たち三匹は水へ投げ出された。
冷たい。
上下が分からない。
腹の小さな呼吸孔を閉じる。
ゴキブリは泳ぎの達人じゃない。
六本脚をいくら動かしても、水だけが逃げる。
黒い胴が真下を通った。
紫の牙がこちらへ向く。
「船底へ!」
俺たちは逆さになった赤い船の空気へ潜り込む。
次の瞬間、牙が船底へ突き刺さった。
がつんっ!
木が裂け、先端が目の前へ出る。
「テオの船がぁぁ!」
「命を心配してください!」
「両方だ!」
ルビー隊の風が水面を持ち上げる。
チュウタの尻尾が船の縄を引く。
俺たちは船ごと岸へ転がった。
一回目、完全失敗。
網は破れ、船底には牙穴が二つ。
毒牙ウナギは悠々と取水槽へ戻っていった。
「覚えてろぉぉ!」
俺は濡れた床を叩いた。
「相手は水の中です。聞こえませんよ」
「分かってる! 悔しいから言ってるんだ!」
◇
失敗して分かったことが三つある。
ウナギは網へ入る。
後ろへ抜ける。
牙は赤い船へ深く刺さる。
「だったら、網の入口を前後へ二つ作る」
俺は裂けた麻布を輪に並べた。
「どちらへ泳いでも、次の袋へ入る。牙は船へ刺さったままにする」
「船ごと餌にするのか?」
チュウタが穴を覗く。
「船底の内側へ銅板を貼る。牙が木を抜いて銅板へ食い込めば、すぐには外れない」
「船長は?」
「牙が刺さる前に降りる!」
「そこだけ必死やな」
二号が言う。
「当然だ!」
二重網の外側は、新しいギルド布を使う。
詰まりから拾った古布は内側の囮だけ。
銅線は輪ではなく、交差させて引くほど締まる編み方にする。
チュウタは乾き水路の出口へ、二段の土門を作った。
一段目で水だけ逃がす。
二段目でウナギの身体を止める。
ルビー隊は毒飛沫を取水槽側へ戻す風路。
先生とガーロは中和布を持って待つ。
「ガーロ、前へ出すぎるな」
「二滴目は受けん」
「一滴もだ」
「命令か?」
「頼んでる」
ガーロは少し黙り、触角を下げた。
「分かった。大将も船と沈むな」
「誰が沈むか!」
「一回沈んだ」
「あれは試験航海だ!」
「横転を試す予定だったのか?」
「後から予定になった!」
◇
二回目。
赤い船が取水槽へ出る。
船底の穴には、銅板の栓。
俺、二号、三号が乗る。
今度は船首へ青、船尾へ白の糸を結んだ。
「右は?」
「船長の赤い外套側!」
「最初からそうしてくれ!」
二号が三十二拍を刻む。
かん、かん、かかん。
水の奥で、黒い影が曲がった。
「来る!」
赤い船が走る。
後ろから水面が迫る。
甘い鉄臭が触角を焼く。
怖い。
ゴキブリの本能が、明るい水面から離れろ、隙間へ逃げろと六本脚をばらばらに動かす。
でも、船の上には隙間がない。
逃げるなら前だ。
仲間が作った罠の中へ、敵より先に走る。
「乾き水路まで十!」
三号が叫ぶ。
「九、八――船長、牙!」
紫の二本が水面から出る。
「全員、降りろ!」
俺たちは左右の壁へ飛んだ。
直後、ウナギが赤い船へ噛みつく。
ばきぃっ!
牙が木を抜き、内側の銅板へ食い込んだ。
縄が船ごとウナギを引く。
乾き水路へ黒い巨体が滑り上がった。
一つ目の網が頭を包む。
ウナギは後退する。
二つ目の袋へ入る。
「今だ、締めろ!」
ガーロ隊が交差縄を引く。
銅線が黒い胴へ沿って締まる。
ウナギが身体を打ちつけた。
どばぁんっ!
石床が揺れ、俺たちは壁へ張りつく。
毒水が口から飛ぶ。
ルビーの風が飛沫を後ろの隔離槽へ押し返す。
「土門、一段目!」
チュウタが支えを抜く。
どどどっ、と水だけが左右の細溝へ逃げる。
ウナギの身体が乾き水路へ残る。
「二段目!」
厚い土壁が尾の後ろへ落ちた。
逃げ道が閉じる。
ガーロ隊が牙へ中和布を巻く。
先生が冷却術を重ねる。
黒い胴の暴れ方が、少しずつ弱くなった。
「捕獲!」
俺たちの歓声が乾き水路へ響いた。
生きている。
毒袋も破れていない。
誰も二滴目を受けていない。
ガーロの前脚も、紫の筋が薄くなっている。
「船は?」
二号が聞く。
毒牙ウナギの口には、赤い船がまだ刺さっていた。
船底に牙穴二つ。
側面に尾の打ち跡。
塗装は半分剥げた。
「……直せる」
「テオに何て言うんです?」
「大冒険して強くなった」
「物は言いようですね」
「嘘じゃない!」
◇
先生とマルタは、捕獲から一刻で最初の解毒薬を作った。
牙の根元から採った毒を千倍に薄める。
青月草、苦根粉、浄化菌液を一滴ずつ加える。
一作目は、紫の泡を天井まで吹いた。
診療所へ戻った俺たちの頭上から、泡が雪のように降る。
「また紫か!」
「大将、似合いますよ」
「嬉しくない!」
二作目は透明になったが、マルタの試験石を溶かした。
「人間へ飲ませる物だぞ!?」
「だから試験石で止めたの!」
「止めてくれてありがとう!」
三作目。
青月草を煮ず、冷たいまま絞る。
苦根粉を半分。
浄化菌液は最後に入れる。
毒の紫が薄い青へ変わり、試験石を傷めず消えた。
最初に飲むのは、症状の重い大人へ少量。
熱と脈を測りながら待つ。
紫の斑点が薄くなった。
呼吸も落ち着く。
「効いてる」
マルタの声が震えた。
次にテオ。
母親が小さな匙で飲ませる。
しばらくして、毛布の中から汗が出た。
高熱がゆっくり下がる。
「苦い」
テオが顔をしかめた。
「文句を言えるなら効いてる!」
「隊長が飲んでよ」
「俺なら一滴で腹がいっぱいになる!」
「ずるい」
「身体が小さい利点だ!」
「さっきまで欠点みたいに言ってましたよね」
「都合で変わる! それが利点の本質だ!」
「屁理屈まで元気になりましたね」
診療所に笑いが戻った。
解毒薬は五十一人ぶん作れる。
毒牙ウナギを殺さず捕まえたから、毒の型に合う薬を間に合わせられた。
先生は残った毒試料をしまい、隔離槽のウナギへ鑑定光を向けた。
「おかしい」
「何が?」
「毒の生成が止まりません。普通の毒牙ウナギなら、落ち着けば牙の色も薄くなるはずです」
黒い胴の内側で、何かが脈打っている。
三十二拍。
どくん。
三十二拍。
どくん。
毒袋の裏に、鱗とは違う硬い角が一瞬だけ浮いた。
艶のない黒。
ウナギの身体へ、自然にはない何かが埋め込まれていた。




