スライムを掃除道具に
掃除用に分けた一匹目のスライムは、掃除を始める前に地図を食べた。
「青糸がぁぁ!」
第一安全所の壁へ伸ばしていた帰還糸が、灰色の小さな身体へ吸い込まれていく。
ずるずるずるっ。
スライムの中で、青い糸が麺のように丸まった。
「待て! それは汚れじゃない! 帰り道だ!」
俺は糸へ飛びついた。
引く。
スライムも引く。
小さいくせに力が強い。
六本脚を床へ広げても、ずるずる前へ運ばれる。
「誰か手伝え!」
二号が俺の腰を掴む。
三号、四号、五号、六号が続く。
一列になって引っ張る。
スライムの口がどこにあるか分からない。
だが、明らかに向こうも譲らない。
「これは俺たちの糸だ!」
ぶるんっ。
「返事だけは立派だな!」
チュウタが青糸の途中を噛み切った。
「あっ!」
スライムが勝った。
青糸の半分を飲み込み、満足そうに震えている。
「なんで切った!」
「お前らまで食われそうだっただろ!」
「糸がもったいない!」
「命と比べろ!」
「糸も買った物だぞ!」
「命はもっと高いです」
「値段の話じゃない!」
「値段の話にしたのは大将です」
「そうだった! でも今は撤回する!」
正式冒険者になると、命と経費を同時に惜しむようになる。
成長したのか、みみっちくなったのか、自分でも分からない。
俺は青糸を腹に入れたスライムを見た。
「掃除道具一号、失格」
二号が金属管を鳴らす。
「名前は《ぷるぴか一号》です」
「いつ決まった!?」
「今です」
「失格したあとにつけるな!」
ぷるぴか一号は、俺たちの怒鳴り声を無視して壁の赤い印へ向かった。
色粉まで食う気だ。
「止めろぉぉ!」
掃除計画、開始一分で地図が消滅しかけている。
◇
旧沈殿槽へ封じた汚泥スライムは、一晩で何十年分もの油泥を食べた。
石壁は元の灰色へ戻り、錆びた工具は表面だけきれいになった。
ダンの盾片も底から出てきた。
泥一つ残らず磨かれ、昨日より銀色に光っている。
「カイルへ返したら、俺たちが磨いたことにしよう」
「嘘やないですか」
「スライムは俺たちが誘導した!」
「では共同作業です」
「半分くらい俺たちの手柄でいいな」
「三割です」
「値切るな!」
「相場です」
「手柄に相場があるのか!?」
「あります、大将の主張はいつも高すぎるので」
「じゃあ四割まで!」
「三割五分で手を打ちます」
「急に商人みたいになったな!」
問題は、巨大なままでは使えないことだ。
沈殿槽の中なら汚れを食べる。
外へ出せば地図の糸、木の札、気門覆い、食料まで食べるかもしれない。
地下室の掃除スライムより、さらに食欲が強い。
「倒すべきです」
水路局の若い作業員が言った。
「また溢れたら、今度こそ町へ出ます」
「危険なのは分かる」
ノーラは腕を組み、観察窓を見た。
「だが、これだけの油泥を人の手で取れば一か月かかる。作業員も何人か倒れる」
「だから、小さくして制御する」
俺は言った。
「失敗したら?」
「もう一度、槽へ戻す」
「戻らなかったら?」
「俺たちが止める」
自信は半分。
残り半分は、昨日見た性質だ。
汚泥スライムは人間を狙わない。
汚れへ寄る。
石と金属は残す。
なら、食べる量と進む範囲を決めれば使える。
「試験は三段階にする」
先生が光板へ書く。
「一、冷却分割。二、餌の選別。三、停止方法。どれか一つでも失敗すれば運用しません」
「地下室でやったやつだな」
「あのときは十二匹を一匹へしてから戻しました」
「思い出させるな」
「今回は一匹を小さく分けます」
「順番が逆なら安心だ」
「本当に?」
「言ってから不安になった!」
水属性魔石を沈殿槽の外壁へ固定する。
氷塩はない。
代わりに、北の給水管から流れる冷水を細い銅管へ通す。
ルビー隊の風で管を冷やす。
先生とセラが水の輪を作る。
チュウタ隊は槽の中へ仕切り板を差し込む。
俺たちゴキブリ隊は、灰色の巨体に浮かぶ核を数える。
「核、二十四!」
昨日は波一つに見えた。
冷えると、内側に小さな光が浮かんだ。
一つの魔物ではない。
二十四匹が混ざり、巨大な流れになっていた。
「一匹ずつに戻すぞ!」
二号が二十四拍を鳴らす。
かん、かん、かかん。
核ごとに違う振動を与える。
仕切り板を入れる。
灰色の身体へ細いくびれができる。
ぷるんっ。
一匹目が分かれた。
俺たちの倍くらいの大きさ。
冷却籠へ入る。
二匹目。
三匹目。
八匹目で、ルビーの風が強すぎた。
冷水が槽から跳ねる。
俺たち全員へ落ちた。
ばしゃっ!
「冷たぁぁ!」
六本脚が一斉に縮む。
ゴキブリの身体は寒さに弱い。
関節が動かない。
腹の節まで硬くなる。
「私たちは平気よ!」
ルビーが得意げに翅を鳴らす。
「赤いのは熱に強いだけだろ!」
「あんたたちよりは寒さにも強いわ!」
「今だけ代わってくれ!」
「床を這う役は嫌!」
「その言い方は種族へ刺さる!」
「事実です」
「事実でも言い方があるだろ!」
「じゃあ、床を這う専門職の方々」
「余計に酷くなった!」
濡れた俺たちをガーロ隊が乾いた布へ包む。
作業を交代する。
俺一匹が全部やる必要はない。
ルビー隊が冷却を調整し、二号が拍を続け、チュウタが仕切りを押す。
俺は布の中から数える。
格好はつかない。
だが、仲間が動く音は頼もしい。
二十四匹、すべて分割できた。
◇
第二試験。
石床へ六種類の物を置いた。
油泥。
腐った野菜。
乾いた木片。
鉄片。
新しい布。
青い帰還糸。
「最後はいらない!」
俺が言う。
「何を誤食するか確認が必要です」
ジロが平然と答える。
「俺の大事な糸だぞ!」
「一寸だけです」
「長さの問題じゃない!」
冷却籠から一匹出す。
のちの《ぷるぴか一号》である。
そいつは真っ先に油泥へ進んだ。
身体へ取り込み、黒い汚れを灰色へ変える。
次に腐った野菜。
ここまではいい。
木片は無視。
鉄片も無視。
新しい布を少し舐め、離れた。
最後に青糸へ向かった。
「やっぱり食うのか!」
「糸に手油がついてます」
先生が鑑定する。
「製作時の油と、何度も触れた汗へ反応しています」
「地図に使えないじゃないか」
「洗えば?」
セラが言った。
青糸を温水と灰汁で洗う。
乾かす。
別の一匹へ置く。
今度は無視した。
「食べる物を選べるんじゃない」
俺は言った。
「汚れだけを選んでる」
服や縄や地図を先に洗えば、清掃路へ残せる。
人間の手垢や油がついた道具は、籠へ避難させる。
掃除前の準備が必要だ。
便利だから放す、では駄目だった。
第三試験。
停止方法。
最初は空の殻籠をかぶせた。
スライムは隙間から出た。
二回目は塩線。
嫌がって止まったが、水へ溶けると越えた。
三回目は冷水。
動きは鈍る。
しかし水路全体を冷やすのは無理だ。
「餌をなくせば止まるんじゃないか」
チュウタが言う。
「下水で汚れを全部なくすほうが無理だ!」
「掃除が成功したら止まるだろ」
「成功するまで止められない道具は怖い!」
ぷるぴか一号が、壁の赤い印へ近づく。
その手前には、第一安全所へ置いた浄化菌床がある。
緑色の菌糸へ触れた。
灰色の身体が、びくっと縮んだ。
動きを止める。
反対側へ戻った。
「嫌いなのか?」
先生が菌床の小片を置く。
スライムは近づかない。
「浄化菌は、腐敗魔素を先に分解します。食べられる汚れの匂いが消えるのでしょう」
「壁に菌を塗れば、柵になる!」
俺たちは浄化菌水で細い線を引いた。
輪の中へスライムを入れる。
越えない。
線が乾くと少し近づく。
湿らせ直せば、また離れる。
停止方法、成功。
「あとは二十四匹、全部戻せれば運用できます」
ジロが言った。
「戻す?」
俺は試験場を見た。
数える。
一、二、三。
十九、二十、二十一。
「三匹いないぞ」
「大将が数え間違えたんちゃいます?」
「二十四までは数えられる!」
「百人前の宴会で蜂蜜芋を二個取りました」
「それは数えたうえで取ったんだ!」
余計に悪かった。
消えた三匹を探す。
一匹は木箱の裏。
一匹は水桶の下。
最後の一匹は、チュウタの食料袋へ張りついていた。
「俺の乾燥茸!」
チュウタが袋を抱えて逃げる。
スライムが伸びる。
「止まれ! 味見係の非常食だ!」
「味見係は認めてない!」
「じゃあ俺の私物だ!」
「依頼へ私物の茸を持ち込むな!」
追いかける俺たちの横で、ジロが無表情に記録する。
「清掃体は油、腐敗物、食料臭へ反応。行方不明時、隊の食料を調べる」
「そんな探し方を手順に残すな!」
チュウタは浄化菌線を飛び越えた。
追っていたスライムは線の前で止まり、悔しそうにぶるぶる震えた。
食料袋は守られた。
「菌線、完璧だな!」
「俺の逃げ足も褒めろ!」
「ネズミがゴキブリの前で逃げ足を自慢するな!」
「種族関係なく、逃げ足は俺の誇りだ!」
「誇るところ、そこでいいのか?」
「他に誇れるところが少ないんだよ!」
「自覚あったんですね」
しかし、見失う問題は残る。
汚泥の中へ入れば、灰色の小さな身体は背景へ溶ける。
二十四匹そろわないまま放せない。
先生が薄い木の輪を作った。
身体を締めつけない大きさ。
その輪へ番号を刻み、洗浄済みの色石を一粒つける。
スライムの身体へ通すと、粘液が輪を包んだ。
嫌がらない。
移動も邪魔しない。
「首輪みたいだな」
「首はありませんけど」
「じゃあ腹輪?」
「腹も分かりません」
「全身輪でいい!」
二十四匹へ一番から二十四番までつける。
同じ灰色の塊に見えていたが、動きを見れば違った。
一号は何にでも真っ先に近づく。
二号は一号の後ろをついていく。
三号は菌線ぎりぎりまで寄っては戻る。
十七号は石の隙間ばかり好む。
「こいつらも、一匹ずつ癖がある」
俺が言うと、ガーロが頷いた。
「同じに見える群れなどない」
その通りだ。
全部を便利な道具として数えるだけでは、また見失う。
危険な魔物でも、一匹ずつ動きを知れば扱い方が分かる。
「運用時は番号を呼び、開始前後に二十四匹を確認する。見失ったら次の区画へ進まない」
「大将、一号の正式名は?」
二号が聞く。
「小型浄泥体一号!」
ぷるぴか一号が俺の前脚へ寄った。
「……呼びやすいほうでいい」
「負けましたね」
「違う! 現場判断だ!」
「食べ物は汚れ、道は洗う、柵は菌!」
二号が金属管を鳴らす。
「ぷるぴか清掃隊、正式結成!」
「名前はまだ認めてない!」
ノーラと作業員たちは、笑いながらも手順を全部記録していた。
◇
二十四匹を、最初の短い支線へ放した。
入口と出口には湿った浄化菌線。
洗えない道具は撤去。
色糸は灰汁で洗浄済み。
俺たちは壁と天井から監視する。
「清掃開始!」
灰色の小隊が進む。
油を食べる。
腐った苔を取り込む。
石の隙間へ入った髪、布屑、食べ残しを剥がす。
後ろに、元の石色が現れる。
匂いが変わった。
腐敗臭が薄くなり、濡れた石と水の匂いが戻ってくる。
塞がっていた細溝から、水が一本流れた。
ちょろちょろ。
昨日まで聞こえなかった、軽い音だ。
「流れた!」
作業員たちが歓声を上げる。
俺たちも壁を叩く。
一匹のスライムでは大波だった。
二十四匹に分け、道と止め方を作れば、街の掃除隊になる。
最弱だと思った身体を、役割で変えた俺たちと少し似ている。
「ぷるぴか一号、やるじゃないか」
二号が得意げに俺を見る。
「名前は認めない」
「もう呼びましたよ」
「今のは個体名だ! 隊名は別だ!」
「区別してるつもりでも、もう定着してます」
「まだ抵抗の余地はある!」
「ないと思います」
「ある! 俺が諦めるまではある!」
抵抗が苦しい。
ノーラは正式記録へ《小型浄泥体・清掃一号隊》と書いた。
二号はその横へ小さく《ぷるぴか隊》と書き足した。
公的名称と呼び名、両方が残った。
「戻す係、立候補は?」
「今日はもう十分働きました」
「全員同じこと言うなよ!」
「働いた者から先に言う権利があります」
「その権利、勝手に作るな!」
「掃除が終わったら、菌線の内側へ戻せ!」
二十四匹は、油泥を追って支線の奥へ進む。
曲がり角の向こうから、硬い物を削る音がした。
がり。
がり、がりっ。
スライムの進みが止まる。
灰色の小さな身体が、一斉にこちらへ戻ってきた。
「今度は何から逃げてる?」
俺は触角を向けた。
暗闇から、巨大な鋏が一本現れた。
石壁ごと噛み砕く。
ばぎんっ!
浄化菌の柵が引かれた石片ごと、床へ落ちた。
便利な掃除道具を手に入れた直後、掃除する壁そのものを食う魔物が出てきた。




