黒い魔石
黒い石へ雷を流した瞬間、七つの音袋が俺の悪口を言い始めた。
『大将、話が長い』
『見栄で依頼を受けた』
『砂糖を落とした』
『外套のほうが人気』
『煮込みに沈んだ』
「誰だぁぁ! こんな言葉を覚えさせたのは!」
俺はギルドの鑑定室で叫んだ。
七つの音袋が、卓の上でぶるぶる震えている。
『誰だぁぁ!』
『覚えさせたのは!』
『話が長い』
最後だけ何度も混ざる。
「そこを繰り返すな!」
二号が腹を抱えて転がった。
「あかん、洞窟より正確になってます!」
「笑うな! 半分はお前が言ったんだろ!」
「半分も言うてません。四割くらいです」
「十分多い!」
「ワイの声真似、上達したでしょう」
「上達した方向が間違ってる! なんで悪口だけ完璧になるんだ!」
「得意なことしか伸びひんのですわ」
「それ、生き方として大丈夫か!」
錬金術師マルタは、笑いすぎて青い眉を押さえている。
先生だけが真剣な顔で――頭蓋骨なのでいつも同じ顔だが――黒い石を見ていた。
「もう一度、弱い雷をお願いします」
「俺の尊厳がまた攻撃されるぞ」
「尊厳も鑑定対象にしますか?」
「値がつかないからやめておく」
「自分で言って悲しくないですか」
「悲しいが、値をつけられるよりましだ」
「安値でも査定してほしいんですか?」
「してほしくない! どっちにしても傷つく質問はやめろ!」
悲しい。
だが、それより黒い石だ。
昨日、昇格祝いの最後に風鳴り蝙蝠の音袋から落ちた。
爪の先ほどの欠片。
艶がなく、灯りを吸うように黒い。
触角を近づけるだけで、冷たい魔力の震えが入ってくる。
自然の石ではない。
それだけは、俺の身体でも分かった。
「やるぞ」
触角の先へ魔力を集める。
ぱちっ。
青い火花が黒い石へ触れた。
普通の魔石なら、自分の属性に合わせて光る。
排水溝で拾った水属性魔石は、水色に輝いて周囲の水を動かした。
こいつは光らない。
俺の雷を吸い込む。
一拍遅れて、黒い波が七つの音袋へ同時に広がった。
『大将、話が長い』
七つ全部が同じ声で言った。
「だから、なぜそれを選ぶ!」
「石が本質を見抜いてるんちゃいます?」
「敵より先にお前を黙らせるぞ!」
「黙らせる方法、あります? ワイ喋るの得意なんで」
「得意げに言うな! 今その特技のせいで怒られてるんだぞ!」
マルタが涙目で笑いながら止めに入る。
「二号、少しだけ静かにしましょうか」
「マルタさんまで大将側につくんですか」
「石が怖いから静かにしてほしいだけよ」
「一番正直な理由や……」
怒鳴りながらも、腹の下が冷えた。
七つの袋が、一つの命令で同時に動いた。
洞窟の群れと同じだ。
四百匹以上が、風鼓蝙蝠の声へ揃って動いた。
あれは生き物の習性だけではなかったのかもしれない。
◇
鑑定室へ並べた素材は四種類。
黒い石。
風鳴り蝙蝠の音袋七つ。
捕獲個体から抜けた毛と糞。
比較用の水属性魔石。
マルタが黒い石を銀の挟みで持ち上げる。
「重さは見た目の二倍近い。硬さは鉄より下、普通の魔石より上。削ると黒い粉が出るけど、匂いはなし」
「匂いがないのか」
俺は触角を伸ばした。
魔力の冷たさはある。
石そのものの匂いは、確かにほとんどない。
洞窟、獣、土、金属、加工油。
周りの匂いだけが、薄い表面へ張りついている。
「自然の物なら、何かの匂いが残る」
「石に匂いなんてあるの?」
マルタが聞く。
「俺たちにはある。水の石は川底と苔。火の石は乾いた鉄と焦げた土。これは……」
「大将は魔石のソムリエなんです」
「変な肩書をつけるな」
「合ってるやん、今ちゃんと利き石やってたし」
「それは仕事だ、酒の講釈じゃない!」
もう一度嗅ぐ。
何もない。
不自然なほど、消されている。
「作ったあと、匂いを抜いてる」
マルタが隣室から、捕獲した風鳴り蝙蝠を二匹連れてきた。
それぞれ別の竹籠へ入っている。
一匹は天井へ逆さにぶら下がり、もう一匹は果物を齧っていた。
「生きた個体では試したくなかったけど、弱い魔力だけ。一度でやめる」
「苦しみ始めたら、すぐ石を離せ」
「もちろん」
俺たちは籠の下へ、柔らかい布を敷いた。
先生が黒い石を二つの籠の間へ置く。
マルタが指先ほどの魔力を流した。
石は光らない。
黒い波だけが、床を薄く撫でた。
二匹の蝙蝠が同時に顔を上げた。
右へ向く。
左へ向く。
翼を一度だけ開く。
まったく同じ動きだ。
「止めろ」
俺の声が、自分で思ったより低くなった。
マルタが魔力を切り、先生が石へ鉛の蓋をかぶせる。
二匹の動きはすぐ別れた。
一匹はまた果物へ戻り、もう一匹は不機嫌そうに音袋を鳴らす。
二号が籠の前へ蜜水を一滴ずつ置いた。
「悪かったな。もうやらへんから」
蝙蝠は蜜を舐めた。
声を真似して俺たちを散々困らせた相手だ。
それでも、誰かの命令で身体を勝手に動かされていいわけじゃない。
腹の下を冷たい怒りが這った。
「群れが異常に揃っていたのは、風鼓蝙蝠の能力だけじゃない。この石が親玉の音を命令へ変え、全部へ流してたんだ」
先生が黒い石の切断面を光へ向けた。
「表面をご覧ください。細い線が三層あります」
俺たちには見上げるほどの断面だ。
黒い層。
灰色の層。
中心に、さらに黒い粒。
自然に割れた石なら、こんなに整わない。
「魔力を吸う外殻、命令を整える中層、中心に記録核」
先生の骨指が止まる。
「古代の軍用魔道具に似ています」
「古代設備の部品か?」
「いいえ。白光炉より新しい。三年前まで存在した魔王軍が、魔物の群れを統率するために使った加工法です」
鑑定室の空気が変わった。
二号も笑うのをやめる。
カイルたち銀狼の牙は、壁際で腕を組んでいた。
魔王は三年前、勇者に倒された。
人間たちはそう言っている。
俺たちが地下で暮らしていた頃の話だ。
「残り物ってことか?」
カイルが聞く。
「可能性はあります」
先生は答えた。
「戦争中にばら撒かれた石を、蝙蝠が飲み込んだ。群れの中で長く働いていた。それだけなら説明できます」
「それだけなら?」
「この石の切断面は新しい」
マルタが銀の針で縁を撫でる。
黒い粉が、ほんの少し落ちた。
「古い欠片なら角が丸くなる。音袋の中で擦れていたなら、なおさら。でもこれは、割られてから数か月も経ってない」
「誰かが最近、蝙蝠へ食わせた」
俺の口から出た言葉が、卓へ落ちた。
誰もすぐには拾わなかった。
「北鉱村の誰かでしょうか」
しばらくして、二号がいつもの軽さを消した声で言う。
「分からない。人間かもしれないし、別の何かかもしれない」
「別の何かって、何ですか」
「それも分からない」
分からないことだらけだ。
だが一つだけはっきりしている。
誰かが、俺たちの仲間になりかけていた蝙蝠を、道具として使った。
明るい昇格祝いの翌日だ。
冒険者になって、報酬を稼いで、仲間が増えた。
世界はどんどん楽しくなると思っていた。
いや、楽しくなっている。
この黒い石一つに、全部を暗くさせてたまるか。
「なら調べる」
俺は前脚を石へ向けた。
「誰が置いた。何のために群れを動かした。見つけた俺たちの仕事だ」
「勝手に新しい依頼を作るな」
ブラムが鑑定室へ入ってきた。
「依頼はギルドが出す」
「出してくれるのか?」
「そのために来た」
話が早い。
俺はこの男が好きだ。
報酬の次くらいに。
「蝙蝠洞窟の再調査。黒い石と同じ物がないか、投入口、足跡、魔力痕を探す。銀狼の牙とクロニア遊撃隊の共同依頼だ」
カイルが鼻を鳴らす。
「D級になったばかりの後輩を連れていくのか」
「昨日、その後輩に掘り出された先輩が言うな」
「借りは競争で返すと言った」
「じゃあ、手掛かりを先に見つけたほうが勝ちだ」
「乗った」
ブラムが依頼書を書き終える前に、勝負が決まった。
「報酬の分配は?」
「半分だ」
「見つけた側が六割!」
「昨日半分で揉めなかっただろ!」
「昨日は昨日、今日は今日!」
ブラムが依頼書を俺たちの間へ差し込んだ。
「五割ずつ。見つけた側には、俺が夕飯を一品つける」
「やる!」
「安いな、お前」
「食卓へ持って帰れる報酬を笑うな!」
◇
蝙蝠洞窟は、昨日より静かだった。
北空洞から羽ばたきは聞こえる。
主坑道へ出てくる個体はいない。
チュウタの仕切り壁が働いている。
鉱夫たちは入口近くから崩落石を片づけていた。
俺たちは別の場所を調べる。
風鼓蝙蝠がぶら下がっていた西空洞。
銀狼の牙は地面の足跡と壁の傷。
俺たちは岩の隙間と匂い。
「勝手に荷物へ入るなよ」
カイルが言う。
「約束は守る。手掛かりを見つけても泣くなよ」
「泣くのはお前だ」
二隊が同時に走り出した。
人間の歩幅は大きい。
一歩で俺たちの何十歩も進む。
「ずるいぞ!」
「競争を言い出したのはお前だ!」
「ルビー、追い風!」
「広範囲魔法は合図後だ!」
「今、合図した!」
「自分だけに使うな!」
「規則は守ってます、合図してから吹かせただけです!」
「風の方向がお前だけに都合いいだろ!」
「大将の頼み方が上手かっただけです!」
合同規則を競争へ悪用しながら、西空洞へ着いた。
カイルたちは地面を調べる。
俺は壁へ上る。
昨日、風鼓蝙蝠がいた場所には、爪跡と黒い毛が残っている。
匂いは獣と糞。
黒い石の無臭な気配は分からない。
「何もないぞ」
チュウタが床を嗅ぐ。
「人間の足跡も、魔族の匂いもねえ。蝙蝠の匂いが濃すぎる」
「こっちも古い爪跡だけだ」
カイルが答える。
競争していても、情報は隠さない。
勝つことより、依頼を終えるほうが先だ。
俺は天井へ触角を向けた。
空気が流れている。
昨日、ルッツの風を通した亀裂とは別だ。
細く、一定で、外の乾いた土の匂いを運んでくる。
「上に穴がある」
ゴキブリ隊で壁を走る。
高さは人間の頭より上。
岩と岩の間に、丸い縦穴が開いていた。
自然な割れ目ではない。
縁が削られ、筒の形になっている。
俺たちなら通れる。
人間の腕は入らない。
「入るぞ」
「待て待て、先に俺が見てきます。大将は隊長やから危険は部下に譲るべきです」
「急に殊勝なこと言うな。怪しい」
「一番乗りの手柄が欲しいだけです」
「本音が漏れてるぞ!」
「バレました?」
「隠す気もなかっただろ!」
「クロ、待て」
カイルが下から声をかける。
「何だ」
「戻る時間を決めろ。十分で返事がなければ、こっちから掘る」
「俺たちを心配してるのか?」
「依頼を取られると困る」
「はいはい。十分だ」
言い方は腹立たしい。
でも、約束を作って待つことを覚えている。
俺たちは縦穴へ入った。
土が柔らかい。
脚の爪へ、細かな黒い粒がつく。
「大将」
二号が触角で示した。
穴の壁に、黒い擦れ跡がある。
筒か棒のような物を通した跡。
上へ進む。
土の天井を抜け、草むらへ出た。
洞窟の裏山だ。
足元には、小さな鉄筒が落ちていた。
先端に黒い粉が残っている。
誰かが地上から筒を差し込み、黒い魔石の欠片を洞窟へ落とした。
「見つけた!」
俺たちは歓声を上げた。
「これで夕飯二品確定です!」
「気が早い! まだ手掛かりの段階だ!」
「気が早いほうが美味しく食べられます」
「理屈になってない!」
直後、草むらの向こうからカイルの声がした。
「こっちも見つけたぞ!」
人間用の迂回路を走ってきた銀狼の牙が、布切れを掲げている。
黒い粉がついた厚手の手袋。
鉄筒を扱った者が落としたらしい。
「どっちが先だ!」
「俺たちだ!」
「声を出したのは俺だ!」
「証拠へ触ったのは俺たちだ!」
「夕飯は二品にしてもらえ!」
競争は引き分けになった。
悔しい。
相手も同じ顔をしている。
「次は絶対勝つ」
カイルが手袋を握りしめて言う。
「次があるのか、この競争」
「あるに決まってる。負けっぱなしは性に合わない」
「引き分けだって言ったろ!」
「俺の中では負けだ」
変なところで負けず嫌いだ。
でも、そういう相手のほうが張り合いがある。
ブラムの財布だけが負けた。
◇
黒い手袋に、持ち主の匂いは残っていなかった。
薬品で消されている。
鉄筒にも印はない。
だが、黒い魔石が偶然ではなく、最近誰かに投入されたことは証明できた。
ギルドは北鉱村と周辺の街道へ警戒依頼を出した。
捕獲した蝙蝠は、黒い石を外してから落ち着いた。
命令の波が消えれば、普通の群れへ戻れる。
それは嬉しい発見だった。
石を外せば、全部倒さなくて済むかもしれない。
「夕飯は何だ?」
俺はブラムへ聞いた。
「茸の揚げ物と塩焼き魚だ」
「やった!」
「引き分けなのに喜ぶな」
カイルが横から口を挟む。
「お前も夕飯もらったろ」
「もらったが、喜び方が幼稚だ」
「幼稚で美味いなら文句ないだろ!」
「魔王軍式の石を見つけた直後とは思えんな」
「腹を減らしたまま不安になっても、いい案は出ない」
怖いものは怖い。
誰かが地下の魔物へ命令を流している。
でも俺たちには、今日の食卓と、明日調べる仲間がいる。
なら、前を向ける。
食堂へ向かおうとしたとき、ギルドの表で鐘が鳴った。
短く三回。
緊急依頼の鐘だ。
扉が開く。
泥と悪臭にまみれた男たちが、担架を運び込んできた。
「地下水路だ!」
先頭の作業員が叫ぶ。
「ベルガの地下水路で魔物が増えてる! 東の排水門が塞がった! 狭い枝管にも入り込んで、俺たちじゃ手が出せない!」
担架の上には、腕へ噛み傷を負った水路作業員。
その長靴へ、黒い泥がついている。
俺の触角が、一度止まった。
泥の奥から、あの石と同じ冷たい震えがした。
食卓へ帰る前に、次の大仕事がこちらへ走ってきた。




