昇格祝いは百人前
D級へ昇格した瞬間、俺たちは冒険者証に潰された。
「重い! 待て、置くな! ゆっくり、ゆっくりぃぃ!」
どずんっ。
鉄縁のついた新しい証が、ギルドの卓へ置かれた。
その下から、俺たち二十八匹の脚がはみ出している。
「大将、生きてます?」
「六本中、四本は生きてる! 残り二本は考え中だ!」
「俺の尻尾も挟まった!」
なぜかチュウタまで下にいる。
「お前は持ち上げる側だっただろ!」
「昇格祝いだと思って触ったら倒れたんだよ!」
「触った瞬間に嫌な予感はしなかったのか!」
「したけど、触ってから考える性格なんだ!」
「先に考えろ!」
ガーロが下敷きのまま吠える。
「大将こそ、指揮官なら先に危険予測を出すべきでは?」
「予測した! 『重そうだから触るな』って言った直後にお前が触った!」
「言われると触りたくなる年頃なんです」
「何歳だ、お前!」
ギルド長ブラムが額を押さえた。
「昨日、岩盤から全員を救い出した隊とは思えんな」
「岩盤は自分から祝ってこなかった!」
受付係三人が証を持ち上げる。
俺たちは卓へ転がり出た。
新しい冒険者証は、昨日までの銅製より一回り大きい。縁が黒鉄で補強され、中央にDの文字が刻まれている。
人間なら片手で持てる。
俺たちには、門だ。
「昇格したら装備が重くなるなんて聞いてないぞ!」
「普通は喜ぶところだ」
包帯だらけのカイルが、杖をついて笑っている。
左脚はまだ治りきっていない。
それでも昇格審査を見届けると言って、銀狼の牙全員で来た。
「C級様は余裕だな」
「D級になったばかりの後輩には優しくしてやる」
「一日早く冒険者になっただけで先輩面してた俺へ、それを言うか!」
「やっと自分の恥ずかしさに気づいたか」
「気づいてない! 今でも先輩だ!」
昇格早々、冒険者証とC級冒険者に踏まれかけている。
前途は明るい。
たぶん。
◇
昇格審査は、戦闘試験ではなかった。
朝から俺たちは、ギルドの大卓へ並べられた報告書と向き合った。
薬草採取。
「あの根っこ、掘るのに三回逃げられました」
チュウタが報告書を指でなぞりながら思い出し笑いをする。
「植物が逃げるのか」
「逃げたというか、俺が滑って毎回落としたんだ!」
穀物庫の殻虫。
排水溝の指輪。
「あれは俺が流されかけた回だ」
「流されて英雄面するな、指輪を離しかけただろ」
「離してない! 握力の限界に挑んでただけだ!」
巨大スライム。
荷馬車護衛。
蝙蝠洞窟。
戦った記録だけではない。
持ち帰った素材の数、けが人、壊した物、修繕費、追加で得た物、報酬の分配まで書かれている。
マルタの地下室については、紙が二枚多かった。
「そこだけ被害報告が長いな」
カイルが言う。
「成果報告も長い!」
「薬瓶を三本割った」
「高級素材を銀貨三十六枚分作った!」
「偶然だろ」
「偶然を売れる形にしたのは実力だ!」
「マルタさんの悲鳴も査定に入れてください」
二号が横から口を挟む。
「どの項目に入るんだ、それ!」
「精神的被害枠です」
「そんな枠、報告書のどこにもない!」
「今作りました」
勝手に増やすな。
だが誰も否定しない。あの日のマルタの叫びは、たしかに銀貨換算しがたい価値があった気がする。
俺は前脚で卓を叩いた。
振動は小さすぎて、人間には届かなかった。
悔しい。
こういうときだけ身体の大きさが味方をしない。
二号が隣で金属管を叩いた。
かんっ!
「大将が机を叩きました」
「通訳するな!」
「迫力が足りなかったんで足しました」
「余計に恥ずかしい!」
ブラムが報告書の最後を指で叩く。
「D級へ必要なのは、強い魔物を倒すことだけじゃない。依頼の目的を理解し、自分たちで判断し、予想外の事態から戻り、報告と精算まで終えることだ」
「全部やったぞ」
「薬草一本を根ごと運び、冬の麦九割を残し、指輪と巣の魔物を回収した。失敗作は被害を弁償できる素材へ変えた。荷馬車は積み荷を失わず、洞窟では他隊五名を救助した」
聞いているうち、触角が勝手に上がる。
俺たち、けっこう働いたな。
一つずつは泥臭かった。
薬草に逃げられ、麦袋の中で転がり、指輪を前に水へ流され、スライムに洗われ、荷馬車から吊り下がり、蝙蝠には声を盗まれた。
格好いい場面より、悲鳴を上げていた時間のほうが長い気もする。
それでも、全部の依頼で全員帰った。
腹を減らして待っている仲間のところへ、報酬を持って帰った。
「クロニア遊撃隊を、特例D級相当へ認定する」
ブラムが言った。
「個体ではなく隊全体で一組。登録構成員は二十八名。指揮交代、追加構成員、装備変更は報告すること。受けられる依頼はD級まで。ただし狭所、偵察、救助、衛生管理については、一段上の共同依頼へ参加を認める」
「衛生管理?」
「地下室を掃除したからか?」
「掃除というか、事故現場を清掃した、が正確では」
ジロが訂正する。
「正確さはいらない、格好よさが欲しい!」
「工房を半分食われた!」
「最後は前よりきれいになった」
「床もなくなったけどな!」
「床は買い替えの依頼を出したので、次の稼ぎ口が増えたと考えてください」
ジロが感情のない声で言う。
「前向きすぎる!」
「後ろ向きより銀貨が入ります」
反論できない。
昇格理由へ余計なものが混ざっている。
だが、異議はない。
俺たちは新しい証を見上げた。
大きすぎる。
重すぎる。
持ち歩けば、戦う前に疲れる。
「旗へ結ぶのは無理だな」
ガーロが言う。
「二十八匹で背負う?」
「冒険より運搬が主な仕事になります」
「半分に切るか」
「登録証を切るな!」
受付係が悲鳴を上げた。
結局、新しい証はギルドで保管することになった。
俺たちの旗には、D級を示す黒鉄色の細い鎖を一本だけ結ぶ。
白い紐の横で、鎖が光った。
ほんの少し重くなった旗を、二号が掲げる。
「クロニア遊撃隊、D級相当!」
「おおおおっ!」
二十八匹の声。
ネズミ隊の声。
赤翅隊の翅音。
ギルドにいた冒険者たちの拍手。
人間の手が鳴るたび、卓の上まで空気が震える。
怖くない。
あの音が俺たちへ向けられていると分かるからだ。
黒い身体も、六本脚も、細い触角も、何一つ変わっていない。
見た目だけなら、初めてこの世界で目覚めた朝と同じだ。
なのに今は、この身体でここへ立っていることが少し誇らしい。
「大将、泣いてます?」
二号が覗き込む。
「泣いてない」
「触角の根元、濡れてますよ」
「さっき水を飲んだ!」
「顔から?」
「うるさい!」
感動が三秒で壊れた。
長持ちしない。
だから、たぶん俺たちらしい。
◇
「昇格祝いに何を買う?」
その一言で、審査より長い会議が始まった。
今回の合同依頼の報酬は、基本報酬が銀貨二十枚。
主坑道を翌日から再開できる状態へ戻した追加報酬が十枚。
捕獲した風鳴り蝙蝠十二匹と、討伐した七匹の翼膜・音袋が、暫定で十四枚相当。
合計四十四枚。
銀狼の牙とクロニア遊撃隊で分ける。
治療費とダンの壊れた大盾の修繕費は、依頼中の事故としてギルドの共同補償から出る。
「半分ずつでいい」
カイルが言った。
「救助分を追加しろとは言わないのか?」
「言ったら、お前は討伐で人間側が多く戦ったと言い返すだろ」
「よく分かってきたな」
「面倒だから半分だ」
「同意する。だが、捕獲網は俺たちの物だから洗浄費は――」
「まだあるのか!」
「言い出したのはお前だぞ、追加を要求しないのかって」
「言ったことを覚えてて突いてくるな!」
「覚えてるのが参謀の仕事だ」
ダンが後ろで盾を鳴らして笑った。
「カイル、諦めろ。お前が墓穴を掘る速度は、チュウタの掘削隊より速い」
「味方だろ、お前!」
「味方だから見てて楽しいんだ」
十分後。
報酬は銀貨二十二枚ずつ。
捕獲網の洗浄は銀狼の牙が行う。
代わりに風鳴り蝙蝠の糞は、クロニアが肥料素材として全部引き取る。
「最後の条件、いるか?」
カイルが嫌そうな顔をした。
「農園が喜ぶ」
「俺たちは洗わないぞ」
「分かってる。そこまで共同作業を深める気はない」
報酬の使い道は、工具、薬、保存容器、工房の低い薬札。
残りは預金。
そして、祝いの料理。
「人間用の豪華盛り合わせ、一皿ください!」
俺はギルド併設食堂の料理長へ頼んだ。
料理長は眉を上げる。
「一皿でいいのか?」
「一皿がいいんだ」
「百人前を頼むのかと思ったぞ」
「俺たちにとっては、一皿が百人前だ!」
料理長は腕を組み、しばらく俺たちを見た。
「面白い。皿の中身を選ばせてやる」
選べる料理は六種類。
香草焼き肉。
川魚の揚げ物。
蜂蜜芋。
卵焼き。
白パン。
豆と根菜の煮込み。
「全部!」
俺、チュウタ、二号の声が重なった。
「一皿に入るか!」
料理長に怒られた。
選択は三つまで。
ここから戦争になった。
「肉だ!」
ガーロ隊。
「蜂蜜芋!」
チュウタを含むネズミ隊。
「魚! 油! ぱりぱりの端!」
ルビー隊。
「卵焼きは子どもが食べやすいです」
先生と学校組。
「白パンは百等分しやすい」
ジロ。
「煮込みなら汁も使える!」
俺。
誰も譲らない。
報酬の交渉より真剣である。
「多数決にするぞ!」
「種族ごとの人数が違います!」
「好物へ平等な投票権とは何ですか!」
「料理に役職を持ち込むな!」
「隊長命令で肉に決める!」
「その命令、聞きません」
「即座に拒否するな!」
言いたいことを全員が同時に言う。
料理長が包丁の背で調理台を叩いた。
がんっ!
静かになった。
「薄く切れば、六種類全部載る」
俺たちは顔を見合わせた。
「最初から言ってくれ!」
「三つ選べと言ったのはそっちだ!」
「お前らがどこまで揉めるか見たかった」
料理長が笑っている。
やられた。
食い物で遊ばれた。
悔しいが、六種類全部食べられるなら許す。
◇
夕方、料理がクロニアへ届いた。
人間用の大皿一枚。
俺たちには、広場いっぱいの宴会場だった。
香草焼き肉の一切れが、厚い壁のように立っている。
川魚の揚げ物は、黄金色の丘。
蜂蜜芋は甘い湯気を上げる岩山。
卵焼きは黄色い畑。
白パンは柔らかな崖。
煮込みの汁は、大皿の縁に沿った茶色い川になっていた。
「汁が来るぞぉぉ!」
皿を少し傾けただけで、煮込み川が広場へ流れた。
ゴキブリ隊が逃げる。
ネズミ隊が葉の堤を置く。
ルビー隊が風で流れを曲げる。
先生の頭蓋骨が鍋代わりの殻へはまり、川の真ん中を流れてきた。
「私を食器にしないでください!」
「誰も入れてない! 自分で流れてきた!」
「先に助けなさい!」
「先生、泳ぎ得意そうですね」
「骨に得意も苦手もありません! 沈むだけです!」
二号が呑気に言ったそばから、先生の頭蓋骨がぐるんと汁の中で一回転した。
昇格祝いは開始十秒で治水工事になった。
俺たちは笑いながら、煮込みを百個の小さな椀へ分けた。
肉を細い刃で切る。
魚の衣を一片ずつ割る。
蜂蜜芋をチュウタが尻尾で潰し、百個の甘い玉にする。
卵焼きとパンを重ね、食べやすい大きさへ切る。
人間の一皿から、きっちり百人前ができた。
残った端と汁へクロニアの茸を足せば、まだ何十人も食べられる。
「一、二、三……九十九、百」
ジロが最後の椀を置く。
「百人前、完成です」
歓声が上がった。
役職順ではない。
強い順でもない。
子ども、高齢者、治療所の者から先に取る。
残った仲間は、好きな料理の列へ並ぶ。
「肉の端は俺のだ!」
ガーロが叫ぶ。
「大将、右端が一番香草ついてます!」
二号が先に走る。
「情報を言いながら取るな!」
俺も走る。
六本脚で本気だ。
D級冒険者の誇りも何もない。
香草の濃い肉片一つをめぐり、隊長と偵察役が皿の上を全力疾走する。
二号が先に着いた。
「勝った!」
その背後から、ガーロが肉片ごと二号を持ち上げた。
「では半分ずつだ」
「三等分だ!」
俺が飛びつく。
頭上を影が横切った。
「四等分にしましょう!」
ルビーが翅音とともに急降下してくる。
「後から来て取り分に入るな!」
「飛べる者の特権です!」
四匹で転がり、煮込み汁へ落ちた。
べしゃっ。
一拍。
広場中が笑った。
「D級が煮込みに沈んだぞ!」
チュウタが腹を抱えている。
「昇格を取り消せ!」
ルビーが翅を鳴らす。
「うるさい! この汁は報酬だ! 全身で味わってる!」
「負け惜しみが苦しいですよ、大将」
肉は四等分した。
濡れた俺たちも、葉で四回拭かれた。
食べる。
笑う。
誰かが一皿を空にすれば、別の誰かが自分の分を少し置く。
銀貨を手にしたときより、ずっと報酬を受け取った実感があった。
自分が強くなったから嬉しいんじゃない。
みんなの椀が、昨日より少し豪華だから嬉しい。
それを言葉にしたら、また二号に綺麗すぎると言われそうだ。
だから黙って蜂蜜芋をもう一個取った。
「大将、二個目です」
「見てたのか!」
「綺麗なこと考えてる顔して、手だけ動いてました」
「俺の内心を勝手に読むな!」
やっぱりばれた。
◇
宴会の途中で、銀狼の牙がやって来た。
ダンは新しい仮盾を背負い、セナは右腕をまだ吊っている。カイルも杖をついていた。
食卓は別。
約束通り、人間用の台を広場の端へ用意した。
カイルは百個の小椀と、煮込みまみれの俺を見た。
「D級の祝いにしては汚いな」
「お前たちの席だけ、汁を多くしてやる」
「いらん」
「遠慮するな、仲間だろ」
「その言葉を汁の押し売りに使うな」
カイルは別の食卓へ座った。
俺たちから三歩分離れている。
前より近い。
食べ始めてしばらくすると、ルッツが自分の皿を持ってこちらへ来た。
「クロ、ここまで近づいていいか?」
「いいぞ」
セナとフィアも続く。
ダンは盾を食卓代わりに置き、その上へ料理を並べた。
カイルだけが元の場所に残った。
俺は呼ばない。
急がせない。
蜂蜜芋を一粒、人間側の小皿へ置くだけにした。
カイルはしばらく見ていた。
やがて杖を持ち、自分で台を一歩だけ近づけた。
「一歩だけだ」
「二歩分あるぞ」
「戻すぞ」
「一歩です! 立派な一歩です!」
二号が食い気味に言う。
「お前に言われると腹が立つ」
「なぜですか」
「理由はない。ただお前に褒められると調子が狂う」
「褒めてるのに理不尽です!」
それでもカイルは戻らなかった。
二つの食卓は別のまま。
笑い声は、同じ場所へ混ざった。
宴が終わる頃、ギルドから素材査定の追加便が届いた。
小さな箱の中に、風鳴り蝙蝠の音袋が七つ並んでいる。
明日、加工法を決めるため、先生とマルタへ見てもらう予定だった。
「一つだけ、重いですね」
先生が音袋を持ち上げる。
ぶよぶよした袋の中で、何か硬い物が転がった。
ころっ。
切れ目から、黒い欠片が落ちる。
宴会の灯りを吸うような、艶のない石だった。
俺の触角へ、冷たい魔力の震えが刺さった。
さっきまで騒いでいた仲間たちが、一斉に黙る。
「これ、ただの石じゃない」
昇格祝いの最後に出てきたのは、誰も注文していない戦利品だった。




