蝙蝠洞窟の合同討伐
何百枚もの翼が開いた瞬間、洞窟の天井が落ちてきた――ように見えた。
「伏せろぉぉ!」
俺は床へ腹を叩きつけた。
カイルたちも身を沈める。
次の瞬間、黒い塊が頭上を通り過ぎた。
ばさっ、ばさばさばさっ!
翼が空気を殴るたび、俺の触角が後ろへ折れる。六本脚で石へしがみついているのに、薄い身体の下へ風が潜り込み、腹から持ち上げようとした。
「浮く! 俺が浮く! まだ何もしてないのに!」
「大将、外套!」
赤い外套が風をはらんだ。
身体ごと後ろへ引っ張られる。
「またこれかぁぁ!」
前話で一度踏まれた外套が、今度は立派な帆になった。
格好よさを買ったつもりだった。
危険を買っていたらしい。
俺は結び目を外し、外套だけを飛ばした。
赤い布へ三匹の風鳴り蝙蝠が食いつく。
「俺より外套が人気だ!」
「喜ぶところですか!?」
「悔しいところだよ!」
大盾が床へ落ちた。
ずしんっ!
ダンの盾が風を二つに割り、その陰へ俺たちが飛び込む。
「クロニア隊、全員いるか!」
ガーロの声。
「一、二、三――」
番号を数え始めた瞬間、洞窟の奥から声が返った。
『一、二、三――』
「あっちにもガーロがいるぞ!」
「いねえ!」
風鳴り蝙蝠は金属音だけではない。
声まで真似する。
しかも少し遅れ、違う方向から返す。
『クロ、右だ!』
カイルの声が左奥から聞こえた。
「俺はここだ!」
本物のカイルは盾のすぐ後ろにいる。
『右だ! 右だ! 右だ!』
偽物の声が三方向へ増えた。
「お前の声、腹立つほど増えるな!」
「俺のせいじゃない!」
洞窟に入って十秒。
作った合図は全部盗まれ、隊長の声は増殖し、俺の外套は蝙蝠の昼飯になった。
合同討伐、早くも大成功の予感が一切ない。
◇
風鳴り蝙蝠は、ただ増えすぎただけの魔物だ。
北鉱村の銀坑道へ続く洞窟に住みつき、鉱夫が入るたび音で追い返す。
依頼は全滅ではない。
群れの半数以上を洞窟北側の広い空洞へ移し、主坑道へ戻らないよう入口を仕切る。攻撃してくる個体だけを討伐し、翼膜と音袋を素材として回収する。
「蝙蝠は羽虫を食う」
出発前、村長はそう言った。
「いなくなれば畑が困る。多すぎれば鉱山が困る。人間ってのは勝手だと笑ってくれていい。だが、どっちも暮らしに必要なんだ」
笑えなかった。
俺たちだって、食料を食い尽くす相手は追い出す。
全部を殺す以外の方法があるなら、そちらを選びたい。
問題は、その蝙蝠たちが俺たちの声まで武器にしていることだ。
「一度、外へ出るぞ!」
カイルが叫ぶ。
『外へ出るぞ!』
『出るぞ!』
『出るぞ!』
三つの偽物が、別々の方向へ飛ぶ。
銀狼の牙の足が一瞬迷った。
その一瞬へ、蝙蝠が突っ込む。
「ダン、盾!」
今度の声は本物か。
疑っている暇はない。
ダンが大盾を振る。
ごうっ、と空気が押され、蝙蝠五匹が壁へ逸れた。
セナの矢が二本飛ぶ。
先頭の翼膜を傷つけ、地面へ落とす。
倒れた蝙蝠へガーロ隊が網をかけた。
「捕獲一! いや二! 待て、網の下で増えた!」
「増えてねえ、重なってたんだ!」
フィアが光の膜を広げる。
俺たちの頭上へ、半透明の屋根ができた。
きぃぃん!
高い鳴き声が膜を叩く。
光が波打ち、音の鋭さが少し丸くなった。
「長くは保ちません!」
「十分だ! 全員、入口へ!」
カイルが後ろ向きに下がりながら剣を振る。
俺たちは訓練通り、その足の進路から離れた。
「カイル、左後ろに五号!」
「聞こえた! 右へ下がる!」
名前を呼ぶ。
動きを言う。
蝙蝠も声を真似する。
それでも、本物の足は約束した方向へ動く。
俺たちはその振動を床から拾う。
声が嘘でも、踏み出した足は嘘をつかない。
合同隊は一匹も一人も欠けず、洞窟入口まで戻った。
追ってきた蝙蝠は日差しへ触れる寸前で旋回し、暗闇へ消える。
俺は安全な岩陰へ転がり込んだ。
「撤退しただけなのに、ものすごく達成感がある……」
「討伐数、二匹です」
二号が冷静に言った。
「半数を移すんだよな?」
「推定四百八十匹です」
「あと二百三十八匹か」
「倒すのは攻撃個体だけです。移動は別」
「そこだけ急に優しく訂正するな。どっちにしても遠い!」
カイルが地面へ座り込む。
剣は抜いたまま。
額に汗が流れている。
「あいつら、俺の声で指示を出しやがった」
「俺の声も真似された」
「お前のは騒がしくて分かりやすかった」
「どういう意味だ!」
「偽物のほうが落ち着いていた」
言い返そうとして、言葉が止まった。
悔しい。
確かに洞窟の偽物は、俺より聞き取りやすかった。
「次は俺も落ち着いて喋る」
二号とチュウタが顔を見合わせる。
「無理やな」
「無理だな」
「試す前から諦めるな!」
俺は触角で地面を何度も叩いた。
負け惜しみではない。
たぶん。
◇
洞窟前へ地図を広げた。
カイルたちが持つ人間用地図には、主坑道と北空洞だけが描かれている。
俺たちが一度入って拾った振動を、ジロが小石で足した。
「天井裏に細い亀裂が三本。主坑道の左壁へ空洞が一つ。蝙蝠の羽ばたきは、北より西が多いです」
「西に群れの中心がある?」
セナがしゃがむ。
俺たちへ近づく前に、ちゃんと名前を呼んだ。
「クロ、地図を見てもいい?」
「もちろんだ」
セナの指先が地図の上で止まる。
「北空洞へ追うなら、群れの西側へ回り込む必要がある。でも人間用の道はない」
「俺たちなら天井裏から行ける」
「それだけじゃ駄目よ」
ルビーが翅を広げた。
「群れを押す風が要る。でも洞窟で強い風を使えば、あんたたちまで転がる」
「訓練で転がったな」
「二十八名まとめて飼葉桶へ入りました」
「そこは忘れろ!」
ルッツが吊り糸を取り出す。
訓練で、人間には弱すぎる風を測った糸だ。
「俺の風を細い管へ通す。出口を蝙蝠の後ろに作れば、クロたちへ当てずに群れだけ押せる」
「風の道を作るのね」
ルビーの触角が上がった。
「人間にしては、いい案じゃない」
「褒められた気がしない」
「ちゃんと褒めてるわ。半分くらい」
問題は合図だった。
声は真似される。
金属管も真似される。
光は曲がり角の向こうへ届かない。
「音を使わなければいい」
カイルが言う。
「洞窟の中で、どうやって離れた隊へ伝える?」
「地面だ」
カイルは剣の鞘で岩を叩いた。
ごつっ。
音が空気へ響く。
同時に、鈍い震えが俺の六本脚へ届いた。
「蝙蝠は空気の音を真似る。床の下までは叩けない」
俺は腹を岩へつけた。
鞘の震えは、空中の反響より早く来る。
一度。
少し遅れて、洞窟が偽物の音を返す。
「使える」
二号が嬉しそうに管を持ち上げた。
「空耳撃退・床ドンドコ大作戦!」
「その名前は使えない」
「なんでですの!」
「作戦中に『床ドンドコを始めろ』って言ったら、そこだけ真似されるだろ!」
「ほな、無言で始めたらええ」
「名前をつけた意味は!?」
作戦名は却下。
やることは採用した。
地面を一回叩けば前進。
二回で停止。
三回で風。
細かい指示は、叩く場所で変える。
右壁、中央床、左壁。
俺たちは空気の音を無視し、脚へ直接来た振動だけを信じる。
人間側は耳栓をする。
フィアの光膜を耳と首へ薄く張り、蝙蝠の高音を弱める。
「耳を塞いで戦うのか」
ダンが言う。
「怖い?」
俺は聞いた。
「怖い。だが、お前たちは床を見ている」
「お前たちは頭の上を見てる」
ダンが大盾を一度鳴らした。
今度は挑発ではない。
行こう、という合図だった。
◇
二度目の突入。
先頭はダン。
盾の陰にカイル、セナ、ルッツ、フィア。
俺たちは盾の下端に設けた小さな台へ乗る。床との隙間は俺たち一匹分。踏まれず、振動も直接拾える。
「人間の盾に乗って進軍か」
「大将、偉くなりましたね」
「俺の椅子より揺れるけどな!」
洞窟へ入る。
偽物の声が飛ぶ。
『右だ!』
『戻れ!』
『クロ、助けて!』
最後の声に触角が跳ねた。
仲間の声で助けを呼ばれる。
偽物だと分かっていても、六本脚がそちらへ動きかける。
腹立たしい。
俺たちの信頼を、勝手に餌にするな。
中央床から、一回の震え。
本物の前進合図。
「行くぞ」
声には出さず、前脚で隣を叩く。
合図が一匹ずつ伝わる。
銀狼の牙が進む。
蝙蝠の群れが襲う。
セナの弓が鳴った。
ひゅっ、ひゅひゅっ!
三本の矢が、先頭の翼膜だけを正確に射抜く。
落ちた個体をゴキブリ隊が網へ引く。
上から来る群れは、ダンの盾が受ける。
重い衝突が連続し、盾裏の台まで震えた。
俺の腹が石へ押される。
苦しい。
だが、ダンの腕は下がらない。
「今度はこっちだ!」
俺たちは天井の亀裂へ入った。
狭い。
羽ばたきの風が届かない。
人間には指一本も入らない隙間を、俺たちの薄い身体が滑っていく。
岩粉が腹へ入り、脚の付け根を擦る。翅を畳み、触角まで後ろへ寝かせなければ進めない。
人間だった頃の感覚が、今でも叫ぶ。
そんな隙間へ自分から入るな。
詰まったら終わりだ。
けれど、外で俺たちを待つ足音がある。
カイルたちの剣と盾が、下で群れを引きつけている。
俺は後脚で岩を蹴った。
「五号、苦しくないか」
「大将の尻が近いこと以外は!」
「今それを言うな! 俺だって三号の顔しか見えない!」
「顔だけでも見えるだけましです」
「後ろは何が見えてるんだ」
「大将の尻です」
「それしかないだろ!」
狭所潜入の格好よさは、隊列が長くなるほど減っていく。
亀裂の先で空気が変わった。
湿り気。
獣の匂い。
そして、石の粉ではない柔らかな振動。
群れの西側へ出た。
風鳴り蝙蝠が何十匹も、天井から逆さにぶら下がっている。
その奥に、普通の三倍はある大きな個体がいた。
胸元の音袋が、鼓のように膨らんでいる。
「あいつが声を集めてる」
俺たちの叫びを覚え、群れへ返していた親玉。
風鼓蝙蝠。
俺たちへ気づき、音袋が膨らむ。
ここで鳴かれれば、狭い亀裂の中へ音が直撃する。
「二号!」
「分かってます!」
二号が音袋へ向けて、金属管を思い切り叩いた。
かぁんっ!
風鼓蝙蝠が同じ音を返そうと、胸を震わせる。
その一瞬。
俺は脚へ雷を集め、岩へ流した。
ばちっ!
空気ではなく、天井そのものが震える。
風鼓蝙蝠の爪がずれた。
「落ちろ!」
ガーロ隊が左右から粘着糸を引く。
巨体が天井を離れた。
真下で待っていたカイルが、剣の腹を振り上げる。
斬らない。
銀の刃で巨体を受け、その勢いのまま北側へ打ち返す。
「ルッツ!」
右壁から三回の振動。
風の合図。
ルッツの魔法が細い通風管へ入る。
ルビー隊が出口の向きを整える。
ごおおっ!
圧縮された風が群れの西側から噴き出した。
俺たちには当たらない。
銀狼の牙の背にも当たらない。
天井へぶら下がっていた蝙蝠だけが、一斉に北へ流される。
風鼓蝙蝠が鳴いた。
きぃぃぃぃん!
偽物の声ではない。
群れを呼ぶ、本物の声だ。
散っていた蝙蝠たちが親玉を追う。
黒い濁流が主坑道を離れ、北空洞へ飛び込んでいく。
「仕切り!」
チュウタが土魔法を放つ。
北空洞の入口へ、土と砕石の壁がせり上がる。
上部には蝙蝠が出入りできる細い穴を残す。
下は鉱夫が通る主坑道と分ける。
最後の一群が壁を越えた。
洞窟から、偽物の声が消えた。
俺たちは互いの本物の息遣いを聞いた。
「やった……」
フィアが耳栓を外す。
「もう喋っていいのか?」
カイルが俺を見る。
「好きなだけ喋れ」
「お前は黙っていてもいいぞ」
「勝った直後にそれを言うか!」
笑い声が洞窟へ響く。
今度返ってきたのは、ただの反響だった。
捕獲個体十二。
討伐個体七。
北空洞へ移した群れ、推定三百以上。
主坑道の音は静まり、翌日から採掘を再開できる。
合同討伐は成功だ。
「赤いの、返してやる」
カイルが剣先を上げた。
そこへ、蝙蝠に食いつかれた俺の外套が引っかかっている。
穴だらけだった。
「俺の格好よさが!」
「風通しはよくなった」
「前向きに言えば許されると思うなよ!」
俺が外套へ駆け寄った、そのときだった。
ぴしっ。
腹の下へ、ごく細い震えが走った。
笑い声に紛れ、人間には聞こえない。
俺の触角が止まる。
もう一度。
ぴし、ぴしっ。
天井で、風鼓蝙蝠を落とした亀裂が広がっていた。
「全員、走れ!」
岩盤が割れた。
ず――ずずずず……ズガァァンッ!
巨大な石塊が、洞窟の中央へ雪崩れ落ちる。
カイルが俺たちの小型旗を掴み、入口側へ投げた。
ダンが盾を立て、ゴキブリ隊を押し出す。
白い粉塵が視界を塗り潰した。
石と石が噛み合う音が腹を殴る。
俺は転がり、入口側の床へ叩きつけられた。
「カイル!」
返事はない。
粉塵が少しずつ沈む。
目の前には、洞窟を完全に塞ぐ岩の山。
こちら側にいるのは、俺たちクロニア遊撃隊とチュウタ。
向こう側には、銀狼の牙の五人。
勝った直後に、仲間を壁の向こうへ置いてきた。
俺は穴だらけの外套へ前脚を食い込ませた。
「嫌いなまま、終われるかよ」




