荷馬車の床下護衛
荷馬車の床下は、護衛が乗る場所ではない。
少なくとも、振り落とされるまではそう思っていた。
「うわぁぁぁぁ!」
俺の六本脚が木板から離れた。
身体が宙へ浮く。
頭上には荷台。
真下には、石混じりの街道。
巨大な車輪がすぐ横で回り、土と小石を巻き上げている。
一つでも当たれば、俺の薄い身体なんて煎餅になる。
前脚を伸ばす。
届かない。
「縄!」
二号が叫んだ。
腰へ結んだ蜘蛛糸が張る。
俺の身体は荷馬車の後ろで、洗濯物のように揺れた。
「止めてくれぇぇ!」
「止めたら襲撃されます!」
「じゃあ引っ張れぇぇ!」
二号たちが蜘蛛糸を引く。
俺は床下へ戻された。
木板へしがみつく。
六本脚のうち四本が震えていた。残り二本は震える余裕もなく、板のささくれへ食い込んでいる。
「大将、護衛開始から三分です」
「知ってる。俺の勇気はもう一日分使った」
「帰ります?」
「帰ったら報酬が出ない!」
正式冒険者とは、命より銀貨を先に数える生き物らしい。
俺たちだけかもしれない。
◇
西街道で荷馬車が二台、立て続けに襲われた。
積み荷は薬草、乾燥肉、布、油。
護衛も御者も魔物を見ていない。
聞いたのは、床下で何かを削る音だけ。
その直後に車輪が外れ、横転した荷馬車へ森から魔物が群がった。
今回の依頼は、三台の商隊をベルガから西の宿場町まで守ること。
依頼主の商人ドランは、丸い腹と細い目を持つ男だった。
俺たちを見て最初に言った。
「荷物を食べないか?」
俺は答えた。
「契約書へ書いてある報酬のほうが好きだ」
ドランは笑い、その場で前金を一枚増やした。
話の早い商人は好きだ。
前金はもっと好きだ。
商隊の地上護衛は、槍使い三人と弓使い二人。
荷馬車の周囲と森を警戒する。
俺たちクロニア遊撃隊二十八名は、三台の床下と車軸へ別れて張りつく。
第一車はガーロ隊。
第二車はルビー隊。
第三車は俺、二号、チュウタ、先生を中心とした混成隊。
荷台の上には人間用の呼び鈴。
床下には、俺たち用の小さな金属管。
一回鳴らせば異常なし。
二回は速度を落とせ。
三回は停止。
鳴らし続けたら、数える暇もない危険だ。
「大将、最初から鳴らしてませんでした?」
「あれは俺の悲鳴だ。合図には数えるな」
荷馬車が石を踏む。
床板が跳ねる。
俺の腹へ、木の振動が直接響く。
どどどどどどどど。
六本脚が勝手に細かく跳ねる。
触角を板へ当てても、車輪の音しか聞こえない。
地面を見るため顔を下へ出せば、小石が弾丸のように飛んでくる。
匂いも、馬の汗、車軸の油、乾いた土、積み荷の香辛料が混ざっていた。
「これで、どうやって敵を探すんだ」
「依頼を受ける前に考えなかったんですか」
「床下なら得意ですって、全員に見られたんだぞ」
「大将、見栄で受けましたね」
「報酬も見た」
「もっと悪いです」
文句を言っても、荷馬車は止まらない。
俺は板の震えを聞き続けた。
最初は全部が同じ騒音だった。
やがて、繰り返しが分かってくる。
右の車輪は、石を踏むたび少し高い音を出す。
左の車輪は、半回転ごとに金具が鳴る。
馬の蹄は四拍。
御者の尻が板へ落ちるのは、深い穴を越えたときだけ。
「御者の尻まで聞き分ける冒険者になるとはな」
「誇ってください」
「絶対に嫌だ」
規則が分かれば、違う音を探せる。
俺は金属管を一度鳴らした。
異常なし。
第一車から一回。
第二車からも一回。
俺たちは走る床下で、互いの返事をつないだ。
街道の左右には背の高い草が揺れている。
人間の護衛たちは森へ目を向けたまま進む。
昼前、最初の休憩所へ着いた。
床下から降りた俺たちは、全員そろって地面へ腹をつけた。
「動かない地面だ……」
「素晴らしい」
「揺れないって、こんなに幸せなのね」
ガーロまで無言で床を撫でている。
「大将、地面を口説いてます?」
「口説いてる。今、俺の一番好きな相手だ」
「浮気者め」
地上護衛の槍使いが、俺たちを不思議そうに見た。
「何をしてるんだ?」
「大地へ感謝してる。お前も今のうちにしておけ」
「はあ」
分かっていない顔だ。
人間は地面が動かないありがたさを知らない。
休憩の間に、車軸と床板を調べた。
第一車、異常なし。
第二車、異常なし。
第三車の後ろ側に、油とは違う匂いがあった。
酸っぱい。
木の内側から、湿った土のような臭いがする。
「さっきはなかった」
二号が床板へ触角を当てた。
「中からです」
板には針ほどの穴が一つ開いていた。
人間なら傷とさえ思わない大きさ。
俺たちには、立派な洞窟の入口だ。
五号が頭を入れる。
「奥へ続いてます! 新しい削り跡!」
「敵は街道から乗ってきたんじゃない」
先生が穴の縁を骨指でなぞった。
「出発前から、荷馬車の中に潜んでいたのでしょう」
俺は積み荷を見上げた。
ベルガの倉庫で荷を積んだときには、すでに床板の中へいた。
道の途中で車軸を壊す。
横転させる場所も、外の魔物と決めている。
「伏兵だ」
全員の触角が穴へ向いた。
「ドラン! 積み荷を全部降ろせ!」
俺が叫ぶ。
オルドが人間の言葉で伝える。
商人は首を振った。
「ここで降ろせば日が暮れる! 次の休憩所まで進めない!」
「床の中に魔物がいる!」
「床板を外すなら、積み荷を降ろすしかないぞ!」
荷物を降ろせば、予定が遅れる。
ここは森の入口だ。
日が暮れれば、別の魔物まで寄ってくる。
止まって安全とは限らない。
「俺たちが入る」
「大将、さっきの穴、かなり狭いです」
「だから俺たちの仕事だ」
俺は赤い外套を外した。
粘液の小瓶も、冒険者証の旗も外す。
何も背負わず、腹を床へ押しつける。
ゴキブリの身体が、信じられないほど薄くなる。
嫌になる。
人間だった頃の常識が、腹の底でまだ悲鳴を上げる。
板の中へ入るなんて、完全に駆除される側の動きだ。
だが、今はこの薄さが必要だ。
「行くぞ」
俺、二号、三号、四号が穴へ入った。
木の隙間は肩幅ぎりぎり。
頭を下げることも、身体を回すこともできない。
進むには六本脚を前後へ小さく刻み、腹を擦って押し込むしかない。
暗い。
触角の先が壁へ曲がる。
木屑が気門へ貼りつく。
「誰だ、後ろから押してるの」
「三号です」
「俺の尻を押すな」
「止まると全員止まります」
「分かった。押せ。だが感想は言うな」
前方から、かり、かり、という音がした。
俺たちは止まった。
音が近づく。
二本の黒い顎が、暗がりから現れた。
平たい虫。
頭だけが大きく、鋸のような歯を持っている。
背には湿った土が固まった殻。
「道喰いシロアリです」
先生の声が伝話糸から届く。
「木材を食べますが、普通は森から出ません。こんな統率された潜伏は――」
「考えるのは捕まえてから!」
道喰いシロアリが突っ込んできた。
逃げられない。
左右は木。
上下も木。
後ろには仲間。
俺は頭を下げた。
黒い顎が触角を掠める。
「痛っ!」
前脚で顎の根元へしがみつく。
中脚で相手の首を挟む。
後脚は壁を蹴る。
六本全部を別々に使って、俺は身体を捻った。
狭い。
だから、敵も向きを変えられない。
「押せ!」
三号と四号が後ろから俺を押す。
俺は道喰いシロアリごと前へ突っ込んだ。
板の空洞が広がる。
そこに、十匹いた。
「一匹じゃない!」
道喰いシロアリたちは、車軸を固定する木栓の周りへ集まっていた。
すでに半分以上が削られている。
さらに、板の穴から緑色の細い糸が外へ伸びていた。
糸の先は街道の草むらだ。
引けば合図になる。
車輪が外れる時を、外の仲間へ知らせる仕組みだ。
「頭いいじゃないか」
感心したくはない。
だが、こいつらはただ腹が減って木を食べているんじゃない。
待ち伏せを組んでいる。
「床下班、戦闘! 木栓が危ない! 荷馬車をゆっくり出せ!」
金属管を二回鳴らす。
第二車、第一車へ合図が伝わる。
荷馬車が再び動き始めた。
「止めるんじゃないの!?」
四号が叫ぶ。
「外に仲間がいる! 止まれば囲まれる!」
「動いたら俺たちが揺れます!」
「そこは我慢しろ!」
床板が震える。
狭い空洞で、俺たちもシロアリも一斉に転がった。
戦いどころではない。
一匹へ掴まれば、別の一匹が俺の後脚へ噛みつく。
二号がそいつの触角を引く。
三号が木屑を蹴り上げる。
四号が伝話糸を身体へ巻かれ、なぜか敵二匹をまとめて縛る。
「大将、取れません!」
「そのまま捕獲しろ!」
「僕も捕獲されてます!」
さらに大きな石を踏み、全員が天井へ叩きつけられた。
「荷馬車護衛、二度とやらない!」
「報酬がよかったら?」
「そのとき考える!」
木栓が、みしりと鳴った。
時間がない。
敵を全部倒すより、木栓を守る。
「二号、音を外へ送れ! チュウタに木栓の真下を土で支えさせろ!」
「床下を走ってるんですよ!」
「地面の土を跳ね上げるんだ!」
二号が管を連打する。
チュウタから、短い一打が返った。
『無茶を言うな』
よく分かる音だった。
「やれ!」
長い二打が返る。
『あとで殴る』
荷馬車の下で土が盛り上がった。
車輪の後ろから巻き上がった土が、木栓の隙間へ詰まる。
完全には支えられない。
だが、ぐらつきが止まった。
「今度は俺たちだ!」
俺は触角へ雷を集めた。
木の中で強く撃てば、荷馬車ごと燃える。
一番弱く。
敵ではなく、緑の合図糸へ。
ぱちっ。
火花が走る。
糸が縮れた。
草むらへ送るはずの振動が、床板の中へ逆流する。
道喰いシロアリたちが一斉にそちらを向いた。
「今だ! 外へ追い出す!」
俺たちは四匹で走った。
狭い板の中では、敵も横へ逃げられない。
二号の音で前を迷わせ、三号と四号が木屑を後ろから押す。
俺は先頭の尻へ体当たりした。
「冒険者の初仕事より、シロアリの尻を押す仕事のほうが多くないか!」
「数えないほうが幸せです!」
十匹が一列になって穴へ押し出された。
外ではガーロ隊が待っていた。
粘着苔の網が広がる。
道喰いシロアリは、一匹残らず網へ飛び込んだ。
「床下、確保!」
俺たちは穴から顔を出した。
その瞬間、森から鳴き声が上がった。
緑の合図糸は動いていない。
だが、待ち伏せていた側が荷馬車の接近に気づいた。
草むらから、棘だらけの狼が六頭飛び出す。
地上護衛の槍が並ぶ。
弓が鳴る。
一頭が矢をかわし、第三車の馬へ向かった。
「右前方!」
俺たちは床下から叫ぶ。
御者には聞こえない。
二号が金属管を右へ強く打つ。
荷台の鈴が鳴る。
御者は迷わず手綱を左へ切った。
狼の爪が空を切る。
ルビー隊の風が土煙を巻き上げ、ガーロ隊が狼の足元へ粘着苔を投げる。
地上護衛の槍が、止まった狼の鼻先へ並んだ。
残り五頭は追ってこなかった。
十匹の伏兵を失い、待ち伏せが崩れたと分かったらしい。
森へ逃げていく。
「追うな!」
護衛長が叫んだ。
「荷馬車を守れ!」
いい判断だ。
俺たちも敵を倒しに来たわけじゃない。
積み荷と全員を、宿場町まで届けるために来た。
◇
夕方、三台の荷馬車は一台も横転せず、西の宿場町へ着いた。
けが人なし。
積み荷の損失なし。
捕獲した道喰いシロアリ十匹は、木材腐食液の素材として買い取り対象になった。
壊れかけた木栓は、耐熱粘液を塗って応急補修した。昨日の大失敗が、今日の車輪を守ったのだ。
商人ドランは俺たちの旗を指先へ載せた。
「荷を食べないどころか、荷馬車を食う虫を捕まえたな」
「疑った分、報酬を増やしてくれていいぞ」
「前金で増やしただろう」
「前金は過去。追加報酬は未来だ」
「小さいのに欲が深い」
「身体が小さいから、一枚で全員が喜べる」
ドランは笑い、銀貨を一枚追加した。
やった。
欲は言葉にすると、たまに銀貨になる。
ベルガへ戻った翌朝。
ギルドの掲示板に新しい共同依頼が貼られた。
蝙蝠洞窟の群れ討伐。
音を使う魔物が相手のため、地上と地下、両方の索敵役が必要。
ブラムは俺たちの旗を持ち上げ、隣の卓へ向いた。
「クロニア遊撃隊と組んでもらう」
そこには銀色の狼を刻んだ胸当てを着た、五人の冒険者がいた。
先頭の若い剣士は、俺たちを見た。
顔が固まった。
椅子ごと一歩下がった。
「無理だ」
「早いな」
「俺は虫が嫌いだ」
「安心しろ」
俺は赤い外套を直し、白い紐のついた旗の横へ立った。
「俺も、お前のその態度はもう嫌いだ」
ギルド中が静まり返る。
男の眉が上がる。
俺の触角も上がる。
初対面の挨拶としては、たぶん最悪だった。
ライバルとの出会いとしては、なかなか悪くない。




