失敗作は高級素材
失敗を笑い飛ばした直後、鉄扉が外れた。
「会議、終了ぉぉ!」
早い。
俺たちの第二回作戦会議、わずか八秒で強制閉会である。
蝶番を引きちぎった鉄扉が、階段を滑ってきた。
俺たちは左右へ散る。
扉は床を削り、マルタの作業机へ激突した。
ばきん、と嫌な音がする。
「ああっ、三か月かけて作った自動攪拌台!」
「悲しむのはあとだ! 青いのが来るぞ!」
地下室から巨大スライムが盛り上がった。
階段の幅に合わせて身体を細め、青い舌のように這い出してくる。
こいつも狭い場所が得意らしい。
勝手に親近感を持たせるな。
俺たちの仕事が減らない。
「出口を閉じる!」
マルタが工房の表扉へ走る。
俺と二号たちは、巨大スライムの前へ並んだ。
前に立って分かった。
熱い。
成長促進薬と熱変換液を吸った身体が、蒸し風呂のような空気を吐いている。
腹の下が乾く。
気門へ入る空気まで熱く、触角の先についた粘液が固まり始めた。
「大将、十二匹へ戻す方法は!?」
「今から考える!」
「会議で決まったのは目標だけですか!」
「八秒しかなかったんだぞ!」
青い壁が倒れてくる。
「散れ!」
俺たちは床を走った。
六本脚が同時に滑る。
正しく言えば、走っているのに一歩も進まない。床に残った粘液が脚先へ絡み、俺の身体だけがその場で忙しく揺れた。
「嘘だろ! 六本もあるのに全滅か!」
二号が横から体当たりする。
俺は粘液の薄い場所まで転がった。
直後、青い塊が床を覆う。
「助かった!」
「あとで一回です!」
「貸し借りを数える余裕はあるんだな!」
スライムは俺たちを追わなかった。
壊れた攪拌台へ覆いかぶさる。
油汚れが、見る間に消えた。
散らばった木屑まで取り込み、金属の軸だけをぴかぴかに磨いて吐き出した。
「……掃除用としては優秀じゃないか」
「だから失敗作なの!」
マルタが表扉へ板を打ちつけながら叫ぶ。
「汚れがなくなると、床の塗料や壁の接着剤まで食べ始めるのよ!」
巨大スライムが床板を舐めた。
板と板の間の膠が消えた。
床が一枚、落ちた。
「家ごと掃除する気だ!」
仕事熱心にも限度がある。
俺は机の脚を駆け上がった。
高い場所から見ると、巨大スライムの中で色の違う薬が渦を巻いている。
中心は金色。
外側は赤。
ところどころ紫と緑。
十二匹分の核らしい小さな光が、ばらばらに浮かんでいた。
だが光は近づいては離れ、一定の場所に留まらない。
「マルタ! 普通のスライムはどうやって分かれる!」
「栄養をいっぱい食べたら勝手に!」
「今、食わせたくないものまでいっぱい食ってる!」
「じゃあ冷やして! 動きが鈍れば核を切り分けられる!」
「切ったら増えないか?」
「温かいまま切ると増える! 冷やせば分かれる!」
温かいと増える。
冷たいと分かれる。
似た言葉だが、結果の差が恐ろしい。
俺たちが一斉にマルタを見た。
「先に言って!」
「聞かれなかったから!」
「冒険者は錬金術師の頭の中まで探索できない!」
冷やす。
問題は、その方法だ。
地下室には熱変換液が広がり、スライム自身も熱を出している。水をかけても、ぬるい蒸気が増えるだけだろう。
ルビーの風なら表面は冷やせる。
だが樽ほどの身体、その中心までは届かない。
「クロ!」
入口から聞き慣れた太い声がした。
ギルド長ブラムが、両腕で大きな樽を抱えている。
後ろには受付係と冒険者が三人。
「工房が揺れたと通報があった! 状況は!」
「俺たちが十二匹を一匹にした!」
「簡潔でよろしい!」
怒鳴られた。
褒められてはいない。
「逃げた者は!」
「なし! けが人もなし! 工房は半分食われかけ!」
「なら先に止める! 説教と弁償の相談はそのあとだ!」
ありがたい。
あとが怖いが、今はありがたい。
ブラムたちが樽から水を撒く。
巨大スライムが、嬉しそうに広がった。
「水を飲ませただけだ!」
「見れば分かる!」
「大将、あれを!」
二号が旗を振った。
旗の根元には、大きな青緑色の石が結ばれている。
昨日、排水溝で回収した水属性魔石。
ギルドで査定するため、俺たちが運んできたものだ。
水門が開いたとき、あの石は巣の流れを強めていた。
「水を動かせるなら、熱も運び出せるか?」
先生が魔石へ骨の指を当てた。
「可能性はあります。ただし、冷たい水が要ります」
「あります!」
マルタが床下の扉を指した。
「冬用の冷却庫! 氷塩も三袋!」
「地下室の下に、まだ部屋があるのか」
「錬金術師は冷たいものも熱いものも必要だから!」
「危険なものを上下で挟むな!」
文句は止まらない。
しかし、道は見えた。
俺たちは冷却庫へ走った。
人間には腰ほどの深さしかない穴も、俺たちには氷の洞窟だ。
白い霜が壁を覆い、青い氷塩の袋が三つ積まれている。
一歩入っただけで、触角が固まった。
「寒っ!」
「大将、片方はもう固まってます」
「あれは粘液だ!」
ゴキブリの身体は寒さに弱い。
脚が鈍る。
腹の節が縮む。
人間だった頃なら手をこすればよかった。今は六本脚をこすろうとして二本ずつ絡まり、盛大に転んだ。
「欠点が多いな、この身体!」
「夏は元気ですよ」
「今ほしい励ましじゃない!」
「夏になったら文句言わんといてくださいね」
「夏まで生き延びたら文句を言う権利をやる!」
チュウタの掘削隊が冷却庫から工房の四隅へ細い溝を掘る。
ルビー隊が空の樽から薄い金属板を外し、風板を作る。
先生とマルタが水属性魔石へ冷却の術式を刻む。
ゴキブリ隊は氷塩を一粒ずつ運んだ。
人間の爪ほどの粒が、俺たちには重い岩である。
「砂糖は落とした。塩は落とすなよ!」
チュウタが言う。
「誰のせいで砂糖が落ちたと思ってる!」
「俺だよ! だから言ってんだ!」
開き直りが強い。
だが、さっきまで落ち込んでいた声に力が戻った。
それでいい。
失敗を忘れるな。
失敗だけを背負うな。
運べるものは、みんなで運べばいい。
「第一冷却溝、完成!」
「風板、右へ三枚!」
「魔石の接続、できます!」
準備の間にも巨大スライムは工房を食べ続けた。
本棚の脚が消える。
天秤台の油が消える。
マルタの靴底についた泥まで、青い糸が伸びて舐め取った。
「ひゃっ!」
「靴は脱げ!」
「昨日買ったばかりなのに!」
「工房ごと失うよりましだ!」
マルタが靴を投げる。
巨大スライムが追う。
「そのまま中央へ誘導しろ!」
四本の冷却溝が交わる場所へ、靴を置く。
巨大な青い身体が工房中央へ集まった。
広がっていた端が戻り、樽のように盛り上がる。
「今だ! 水!」
ブラムたちが樽を傾けた。
水が四本の溝へ流れる。
氷塩を越え、冷気を含み、青緑色の魔石へ吸い込まれた。
先生が叫ぶ。
「クロさん、雷を一度だけ!」
「今度こそ、薬瓶へ飛ばすなよ!」
触角を魔石へ当てる。
青い火花が弾けた。
水属性魔石が強く光る。
冷たい水が、細い輪となって巨大スライムの周囲を回り始めた。
ルビーが風を送る。
冷気が青い身体へ押し込まれる。
表面が曇った。
動きが遅くなる。
「効いてる!」
俺たちは歓声を上げた。
巨大スライムが震え、身体の一部を細く伸ばす。
冷却の輪から逃げようとしている。
「逃がすな!」
ガーロ隊が冷えた布を持って壁を走る。
赤翅隊が上から風を押す。
ネズミ隊が土の堤を盛る。
俺たちが床の隙間へ入り込む青い糸を一本ずつ押し戻す。
冷たい。
粘液が脚の関節へ入り、動かすたびにぎしぎし固まる。
気門の周りへ薄い氷が張る。
苦しい。
それでも、十二個の核が見え始めた。
金色の渦が止まり、光の粒がそれぞれ別の場所へ沈む。
「マルタ! どこを切る!」
「核と核の真ん中! でも刃物は駄目、増えるかもしれない!」
「また先に言わなかったな!」
「今言った!」
切らずに分ける。
なら、押す。
俺は腹を床へつけた。
巨大スライムの震えが、六本脚を通して伝わる。
ぶるん。
ぶるるん。
十二個の核が、それぞれ違う速さで揺れている。
その間に、震えの弱い線がある。
「二号! 俺の合図を音にしろ!」
「何拍です!」
「十二拍! 一つずつずらせ!」
「一番面倒なやつ!」
二号が金属管を叩く。
低い音が床を走った。
一拍目。
最初の核が震える。
二拍目。
二つ目が少し遅れて震える。
核と核の間へ、細いくびれが生まれた。
「そこだ! 布を入れろ!」
ゴキブリ隊が冷却布を押し込む。
チュウタ隊が左右から土板を立てる。
ぷるんっ。
青い塊が一つ、無傷で分かれた。
「一匹!」
歓声が上がる。
まだ十一匹分ある。
「次!」
二号の音が速くなる。
二匹目。
三匹目。
四匹目。
途中で冷却布が抜け、一度くっついた。
俺と三号が挟まれ、青い粘液の中で顔を合わせた。
「大将、また洗われてます」
「あとで数えてやる!」
外から引かれ、二匹で転がり出る。
五匹目。
六匹目。
水がぬるくなれば氷塩を足す。
風が乱れればルビー隊が位置を変える。
核が重なれば、全員で音を止めて待つ。
急がない。
置いていかない。
失敗しても、戻してやり直す。
最後の一匹が分かれたとき、工房には十二個の青い山が並んでいた。
「十二!」
二号が金属管を高く鳴らす。
俺たちはその場へ倒れた。
六本脚が冷えすぎて、一本も動かない。
だが、全員いる。
工房は三分の一ほど床板を失ったが、建っている。
マルタは青い粘液にまみれた靴を拾い、突然その匂いを嗅いだ。
「待って」
「まだ何かあるのか」
「この粘液、熱変換液と強化膠が完全に混ざってる」
「悪い知らせか?」
マルタは返事をせず、粘液を木片へ塗った。
小さな火を近づける。
木片は燃えなかった。
次に折り曲げる。
薄い膜が伸び、木片のひびを塞いだ。
さらに自分の手の小さな擦り傷へ、一滴だけ塗る。
傷口が透明な膜で覆われ、血が止まった。
マルタの青い眉が、これ以上ないほど上がった。
「耐熱、補修、止血。しかも水で洗えば剥がせる」
「つまり?」
「高級錬金素材よ!」
ブラムが腕を組む。
「値はつくのか」
「普通の浄粘液の、最低でも十倍!」
工房が静かになった。
チュウタが砂糖袋を見る。
俺が壊れた床を見る。
二号が十二匹を見る。
「……弁償できる?」
「攪拌台を金で作り直しても余る!」
その瞬間、歓声で残った瓶が揺れた。
「喜ぶな! 棚から離れろ!」
全員で伏せた。
何も落ちなかった。
今度こそ、俺たちは笑った。
◇
査定の結果、十二匹から安全に採れる粘液は銀貨換算三十六枚。
工房の修繕費と薬品代を引いても、依頼報酬の五枚を大きく上回った。
マルタは追加報酬として、耐熱粘液を小瓶一つと、クロニア用の低い位置から読める薬札を作る約束をくれた。
「次から瓶は一段ずつ固定します」
「次があるのか」
「優秀な冒険者を見つけたから!」
「俺たち、出入り禁止にならないの?」
「失敗を商品に変えられる人は貴重よ」
嬉しい。
嬉しいが、褒められる場所が少しおかしい。
ギルドへ戻ると、ブラムは報告書の一番下へ太い字で書き加えた。
『小型種族用の依頼では、注意札も小型種族用に用意すること』
俺たちだけの失敗にしない。
次に同じ身体の誰かが来たとき、同じ瓶を落とさない仕組みにする。
白い旗紐の横へ、耐熱粘液の小瓶を結ぶ。
正式登録後、最初の依頼は大成功だったか。
大失敗だったか。
「報酬が出たから大成功でいいだろ」
チュウタが言う。
「工房を食われたマルタの前でも言えるか?」
「銀貨三十六枚って聞く前なら言えねえ」
「聞いたあとなら言うのか」
その答えを聞く前に、ギルドの扉が開いた。
旅装の商人が飛び込んでくる。
「護衛を頼む! 西街道で、荷馬車が二台続けてやられた!」
ブラムが立ち上がる。
「襲った魔物は?」
「見ていません。護衛も御者も、何かが床下へ入った音しか聞けなかったと」
全員の視線が、俺たちへ集まった。
人間には見えない。
床下へ入る。
なるほど。
「次の仕事、俺たち向きじゃないか?」
俺は固まっていた六本脚を一本ずつ鳴らした。
粘液退治の次は、走る荷馬車の床下だ。
正式冒険者の仕事は、休む暇まで掃除してくれるらしい。




