初めての正式報酬
正式報酬は、俺たちを吹き飛ばした。
「へっ――」
二号の触角が、ぴんと伸びる。
「へっ、へっ、へっくしょぉぉぉん!」
くしゃみと同時に、腹へ溜めていた音響魔法が暴発した。
バァンッ!
ギルドの受付台へ強い振動が走り、色とりどりの香辛料を載せた小皿が一斉に跳ねた。
赤い粉が舞う。
黄色い粉も舞う。
茶色と黒まで舞う。
「全員、息を――止められない!」
ゴキブリは腹の横にある気門で呼吸する。
人間みたいに鼻を摘まめない。
そもそも摘まむ指がない。
粉は空気と一緒に、身体の横から遠慮なく入ってきた。
「へくしっ!」
「くしゅん!」
「うおおお、腹が辛い!」
「なんで腹からくしゃみが出るんだよぉぉ!」
俺たちは受付台の上を転げ回った。
ルビーが慌てて風を起こす。
「外へ飛ばす!」
「待て、強くするな!」
「もう出した!」
ぶわっ!
四色の粉が渦を巻き、受付台からギルドの酒場へ飛んだ。
人間の冒険者たちが一斉に振り返る。
一拍。
「「「へっくしょん!」」」
酒場が全滅した。
「初報酬でギルドを制圧したぞ!」
チュウタが目を輝かせる。
「制圧じゃない! 事故だ!」
夕方の冒険者ギルドは、くしゃみと罵声と笑いに包まれた。
「誰だ、火椒粉を撒いたのは!」
「鼻が燃える!」
「酒へ入ったぞ! 辛い!」
「それはそれで旨い!」
「飲むのかよ!」
ブラムは粉まみれの髭を払い、俺たちを見下ろした。
「報酬を選ぶ前に、店を一軒敵へ回す奴は初めて見た」
「二号が悪い」
俺たちは一斉に二号を指した。
「仲間に売られた!」
「くしゃみへ魔法を乗せるな!」
「勝手に乗ったんや!」
「腹まで芸人になるな!」
受付嬢は笑いを堪えながら、小皿を片づけた。
「香辛料の見本は、蓋つきの瓶に入れ直しますね」
最初からそうしてほしかった。
いや、二号が顔を近づけなければよかった。
俺たちがギルドへ持ち帰ったのは、二つの依頼の成果だ。
一本目は、根も葉も無傷の月雫草。
二つ目は、東穀物庫から捕獲した殻虫の女王、成虫二百六十三匹、卵七十四個、脱落した殻の欠片。それに穀物の選別記録。
管理人ホードの署名つき完了札もある。
「まず月雫草の採取依頼」
受付嬢が、小さく切った完了札を俺たちの前へ置いた。
「依頼どおり一本。根の傷なし。植え直しも成功しました。報酬は銀貨六枚分です」
周囲の冒険者から拍手が起きた。
薬草一本。
銀貨六枚。
人間なら数日の宿と食事になる程度だという。
俺たちにとっては、銀貨一枚を運ぶだけでも四匹いる。
やっぱり硬貨はいらない。
次に穀物庫。
「緊急害虫討伐と穀物選別。健康な穀物七割、飼料へ回せるもの二割、廃棄一割。冬備蓄の九割を用途つきで救ったため、基本報酬に特別加算。銀貨九枚分です」
今度の拍手は、さっきより大きかった。
「さらに素材買い取り」
解体職人が、捕獲樽の横へ立つ。
「殻虫の背殻は軽く、乾燥に強い。小瓶の蓋、薬匙、防虫箱の内張りに使えます。女王の殻は大きいが、捕獲時の傷がほとんどない」
ガーロの触角が上がった。
「傷なし」
「お前が嬉しそうにするところか?」
「素材価値が上がる」
「完全に冒険者へ染まってる!」
素材は銀貨四枚分で買い取られた。
合計、銀貨十九枚分。
昨日までなら数字だけ聞いても、よく分からなかった。
でも今は違う。
塩一袋が銀貨二枚。
つまり塩なら九袋半。
「塩、九袋……」
俺の脳裏に、白い山が九つ並んだ。
袋が破れる。
雪崩が来る。
クロニアが埋まる。
「塩は駄目だ!」
思わず叫んだ。
「大将、誰も塩を買う言うてへん」
二号が鼻を擦りながら言う。
「想像しただけで怖いんだよ!」
ブラムが受付台へ指を置く。
「全部を今使う必要はねえ。前と同じく預けてもいい。だが初報酬だ。一つくらい、自分たちで選んで持ち帰れ」
蓋つきの小瓶が並べられた。
赤い火椒粉。
黄色い金根粉。
茶色い香樹種。
黒い胡椒粒。
白い乾燥ニンニク。
香辛料は高い。遠い南方や山地から運ばれ、料理だけでなく薬や保存にも使うからだ。
それでも人間用の一瓶は、俺たちなら何か月も使える。
「全部ほしい」
チュウタが言った。
「さっき砂糖から頭を離せと言われたばかりだろ」
「今日は香辛料だ」
「対象を変えただけだ!」
俺たちは瓶の周りを歩いた。
蓋が閉まっていても匂いは分かる。
火椒粉は鼻の奥を刺す。辛いというより、危険を知らせる匂いに近い。
金根粉は土と木の根、少し苦い薬の香り。
香樹種は温かく、甘い。噛めば肉や茸の臭みを消すらしい。
黒胡椒は鋭く、乾燥ニンニクは――。
「強っ!」
触角を近づけただけで後ろへ転んだ。
「大将、弱い」
ルビーが笑う。
「お前も嗅いでみろ!」
ルビーが近づく。
一秒後、無言で三歩下がった。
「強い」
「認めるの早いな!」
先生は薬効を調べ、ジロは使用量と保存期間を計算した。ガーロは料理への使いやすさ。ルビーは地下で匂いが籠もらないか。チュウタは純粋に味。
二号は瓶へ妙な名前をつけ始めた。
「赤は『腹から火ぃ出る粉』」
「出ない」
「黄は『土味きらきら粉』」
「売れなくなる!」
「黒は『くしゃみ第二号』」
「お前の番号を増やすな!」
「白は『ニンニクの覇王』」
「急に格好いい名前つけるな!」
「一番強かったから敬意を払った」
「くしゃみに敬意はいらない!」
俺たちだけでは決まらない。
そこで、受付嬢が香辛料を一粒ずつ湯へ溶かし、乾いたパンへ染み込ませてくれた。
人間用のパンを、さらに小さく削る。
試食会だ。
火椒粉。
「辛ぁぁぁぁ!」
チュウタが受付台を駆け回る。
「水! 水!」
「辛いときは油です!」
先生が言う。
「先に言え!」
金根粉。
「苦い」
「でもあとが甘い」
「薬っぽいな」
香樹種。
全員が黙った。
「……うまい」
ガーロが低く言う。
焼いた木の実に似た香りが、パンの甘さを引き出している。
黒胡椒。
二号がくしゃみをした。
今度はルビーが即座に頭を押さえ、音魔法の暴発を止めた。
「へぶっ!」
「学んだ」
「俺の扱い、危険物やん!」
「正しいだろ」
乾燥ニンニク。
強い。
でも、噛んだあと身体が温かくなる。冬の保存食へ少量使えば、味も体温も助けそうだ。
議論の末、香樹種を一瓶。火椒粉、金根粉、黒胡椒、乾燥ニンニクは小さな試供瓶を一つずつ選んだ。
支払いは銀貨一枚分にも届かない。
残りはギルドへ預ける。
「もっと買えるぞ?」
ブラムが言う。
「最初から使い切ると、次に欲しい物が出たとき困る」
俺は煤板へ描いた。
「それに、食堂で試してから決めたい」
オルドがいなくても、受付嬢は少しずつ俺たちの絵を読めるようになっていた。
「了解しました。残額は、クロニア遊撃隊の預かりに追加します」
彼女は小さな銅札へ、二つの依頼完了印を打った。
こん、こん。
金属へ刻まれた二つの印。
三件を問題なく終えれば、仮登録から正式登録になる。
あと一件だ。
「おめでとうございます、クロニア遊撃隊。初めての正式報酬です」
受付台の周りから拍手が起きた。
俺は旗を立てた。
銅製の登録証が青い糸で揺れ、こん、と軽い音を立てる。
胸がいっぱいになった。
金額ではない。
誰かに恵んでもらった食料でも、夜中にこっそり拾ったパンくずでもない。
依頼を受け、仲間と考え、失敗し、やり直し、約束どおり届けた。
その結果として、俺たちの名義で得た報酬だ。
「やったな」
チュウタが俺の横へ立つ。
「ああ」
「砂糖、買い足していい?」
「感動を返せ!」
ブラムが笑った。
「報告、納品、査定、報酬選びまで問題なし。二件完了だ。次で正式登録だな」
その言葉を聞いた瞬間、仲間たちが騒ぎ出した。
「次は大物を!」
「高い素材!」
「食える依頼!」
「砂糖の出る魔物!」
「そんな魔物はいない!」
「世界は広い。諦めるな、大将」
「俺を説得するな!」
香辛料箱を載せ、俺たちはクロニアへ帰った。
帰路の荷馬車でも、蓋を何度も確かめた。
二号が近づくたび、ルビーが離す。
「信用ないなぁ」
「さっきギルド全体をくしゃみさせた」
「一回だけや」
「一回で十分だ!」
クロニア食堂では、報酬箱を囲んで百匹以上が待っていた。
「冒険者隊、帰還!」
旗を見せると、歓声が天井へ跳ね返った。
子どもたちが二つの完了印を数える。料理班は香辛料瓶を見て触角を伸ばす。ラットキングは威厳ある顔で立っていたが、香樹種の匂いが漏れた瞬間、鼻が動いた。
「王よ。気になる?」
俺が聞く。
「国の新たな物資を確認しているだけだ」
「味見は?」
「統治者の責務だ」
「一番に食べたいだけだろ」
「責務だ」
二回言った。
記念宴会の料理は、薄切り茸と麦の香り焼きに決まった。
東穀物庫でもらった麦を砕き、塩と水で薄い生地にする。ガーロが鎌脚包丁で茸を切り、料理班が香樹種を削る。
「どれくらい入れる?」
料理長が聞く。
「人間のパン一切れに、一粒だった」
「では、この鍋なら三粒?」
「待て」
俺は人間と俺たちの大きさを考える。
パン一切れが、こちらでは百匹分。
なら香樹種一粒で、十分すぎる。
「半粒から試そう」
「大将、弱気」
「初日に国民全員をくしゃみさせたくない!」
半粒を砕く。
鍋へ入れる。
香りが、ふわりと広がった。
「薄い?」
チュウタが言う。
「まだ食べてないだろ」
「匂いで分かる」
「お前の舌を基準にすると国が破産する!」
試しに一枚焼いた。
ガーロが切り分ける。
俺たちは慎重に齧った。
塩味のあとに、温かい香りが鼻へ抜ける。
茸の土臭さが消え、麦の甘みが前へ出た。
「……うまい」
今度の沈黙も、味が言葉を追い越したものだった。
チュウタが、目を見開く。
「大将」
「なんだ」
「一粒で、いつもの飯が知らない飯になった」
「そうだな」
「もう半粒」
「感動した直後に増量するな!」
結局、鍋全体には一粒を使った。
料理は百二十人分。
人間の一瓶なら、何度宴会ができるか分からない。
配膳が始まる。
ゴキブリ族も、ネズミ族も、レッドローチ族も、骨人も同じ料理を囲んだ。依頼へ行った者は失敗談を大げさに語り、留守を守った者は塩袋の小分け記録を自慢する。
二号が薬草そりの歌を歌う。
「飛んだ葉っぱに、ぶら下がるネズミぃ――」
「そこを強調するな!」
チュウタが麦の皿を持って追いかける。
ガーロは殻虫女王を無傷で捕らえた話をするたび、「あの殻はいくらになった」と付け足す。
先生は月雫草の生態を講義しようとするが、頭蓋骨の上へ料理を置かれた。
「私は食卓ではない!」
「皿が足りなかった」
「新しい布を四百巻きも作ったでしょう!」
「布は皿になりません、先生の頭は平らです」
「平らだから選ばれたのか!」
「光栄に思ってください」
「思えるか!」
笑いが広がる。
俺は赤い外套を背負ったまま、その真ん中にいた。
この匂い。この振動。この騒がしさ。
これが、俺たちの報酬だ。
銀貨の額より、食卓へ新しい味が増えたこと。
依頼へ行った者も残った者も、同じ鍋を囲んで笑えること。
明日から「またあれを食べたい」と言えること。
暮らしが一つ、先へ進んだ。
「大将」
ガーロが小さな杯を寄せる。
「初仕事に」
「全員帰還に」
ルビーも杯を上げる。
「香辛料に!」
チュウタが続く。
「お前だけ目的が違う!」
「「「乾杯!」」」
木の実殻の杯が触れ合う。
こつ、こつ、こつ。
小さな音が、食堂いっぱいへ重なった。
その宴会の途中。
地上連絡口の鈴が、ちりん、ちりん、と鳴った。
オルドからの伝話板が光る。
『ベルガ、急ぎ。貴族の指輪、排水溝へ落下。小型隊を希望』
食堂が静まった。
次で正式登録。
しかも、なくした物を探す仕事だ。
俺は薬草探しで迷った自分を思い出す。
「……今度は動かないよな?」
伝話板へ、追加の文字が浮かんだ。
『排水溝の奥で、光る物が動いたとの証言あり』
二号が笑った。
「動くらしいで」
「なぜ毎回、探し物が歩くんだよ!」




