最初の依頼は薬草一本
冒険者になって最初に学んだことがある。
草は動く。
「あったぞ! 依頼の薬草だ!」
俺が叫んだ。
「大将、それさっきも見たで」
「今度こそ葉の形が同じだ!」
「さっきの草、今はあっちにおる」
「草が歩くわけないだろ!」
俺たちは巨大な葉の根元へ駆け寄った。
葉が、ぶるりと震える。
土の下から細い脚が六本出た。
葉を背負った緑色の虫が、のそのそと逃げていく。
「歩いたぁぁぁ!」
北草原へ入って五分。
俺たちは目的の月雫草を見失い、薬草に化けた虫へ二回騙されていた。
「最初の依頼が草一本だぞ?」
俺は前脚で顔を覆った。
「大型魔物を倒した。村も救った。登録試験も突破した。それなのに草を見つけられないって何だよ! 冒険者としての格が、地面を突き破って地下へ落ちてるだろ!」
「大将、俺たちの町は地下にある」
チュウタが言った。
「では帰ってきた?」
「上手いこと言ってない!」
ベルガ北門から少し歩いたところに、人間が北草原と呼ぶ場所はある。
人間にとっては、腰より低い草が広がる採取場だ。
俺たちには、空を隠す緑の森だった。
草の茎は柱。倒れた枯れ葉は巨大な屋根。細い根が地上へ覗くだけで、越えるのに何十歩もかかる。朝露が葉先から落ちるたび、ぼとっ、ばしゃん、と土がえぐれた。
空は見えない。
風が吹けば、森全体が動く。
目印にした曲がった茎は、次に振り向いたとき別の方向へ傾いている。
草は歩かない。
だが、俺たちの目線では、十分すぎるほど動いていた。
「北はどっちや?」
二号が聞く。
「北草原にいるんだから全部北だ!」
「大将、完全に迷った者の発言ですな」
スケルトン先生が荷車の上から言った。
「先生は分かるのか?」
「分かりません。私は頭だけなので、太陽を見るために上へ登れません」
「自信満々に役に立たないな!」
「自信と有能さは別の骨に入っています」
「骨、一個しかないだろ!」
今回の編成は、クロ、チュウタ、ガーロ、二号、ルビー、ジロ、先生。それから採取班のバグとトトだ。
ピコは留守番である。
薬草を無傷で持ち帰る依頼に、爆発する可能性を持ち込む勇気はなかった。
出発前、オルドから月雫草の見分け方を習った。
葉は細長く、縁に銀色の産毛。
根元に甘く冷たい匂い。
朝露を吸うと、青い筋が浮かぶ。
「簡単そうだ」と思った。
殴ってやりたい。五分前の俺を。
細長い葉など、そこら中にある。銀色の産毛は俺たちの目線だと槍の柵。甘い匂いは草原中の花粉へ混じり、冷たい匂いが何なのか誰も説明できない。
頼みの青い筋は、日が昇って朝露が乾いたせいで消えていた。
「大将」
ルビーが頭上の葉から滑空してくる。
「上から見ても、緑。全部緑。人間はよくこんな場所で草を見分ける」
「お前でも無理か」
「私は飛べるだけ。薬草屋じゃない」
「飛べるのを毎回自慢してるだろ」
「自慢できることは自慢する」
「開き直るな!」
時間は過ぎる。
期限は今日の日没まで。
見つけたあと、根を傷つけず掘り、湿らせたままベルガへ運ばなければならない。ここで昼まで迷えば、採取できても間に合わない。
胸の内側がじりじりした。
最初の正式依頼だ。
薬草一本くらい、と笑っていた人間たちを見返したい。
いや、それ以上に。
俺たちを一つの冒険者隊として認めたブラムへ、「やっぱり無理でした」と帰りたくない。
触角の先が土を何度も叩く。
かつ、かつ、かつ。
「焦るな、大将」
ガーロが言った。
「敵は逃げない」
「さっきの草は逃げたぞ」
「あれは虫だ」
「分かってるよ!」
「なら、薬草が歩かないところから考えよう」
ガーロの言葉に、脚が止まった。
そうだ。
俺は探すことばかり考えていた。
目で葉の形を追い、匂いを嗅ぎ、片っ端から違うと決めていた。
でも、月雫草がどこに生えるのかを考えていない。
「先生。月雫草は、なぜ朝露を吸う?」
「根が浅く、乾燥に弱いからです。水の多い場所では他の草に負け、乾いた場所では枯れる。日陰の縁で、夜露が溜まり、昼には水が引く土地を好むはずです」
「最初に言ってくれ!」
「最初に聞きなさい!」
先生の頭蓋骨を荷車ごと揺らしたい衝動を抑える。
「水の匂いなら分かる」
チュウタが鼻を上げた。
「でも湿地じゃない。夜だけ濡れる場所……」
ジロが土を触り、板へ数字を並べる。
『東の風が夜に冷える。西斜面の葉裏へ露が多い』
ルビーが翅を開いた。
「西斜面なら上から探せる。私が影の長い場所を見る」
「二号、足元の湿りを音で比べろ。チュウタは匂い。ガーロは帰り道へ印。俺は葉の下を走る!」
「作戦名は?」
「いらない!」
「名もなき薬草大捜索!」
「結局つけるのか!」
俺たちは散った。
今度は手当たり次第ではない。
ルビーが上から風を落とす。短い一吹きは乾いた土地。長い一吹きは日陰。二号が茎を叩き、土の含む水分で返る音の鈍さを比べる。チュウタが根元の冷えた匂いを追う。
俺は葉の下を走った。
腹へ伝わる土の温度が、少しずつ変わっていく。
乾いた土は粒がばらばらに鳴る。
湿った土は、脚を置くたび低く沈む。
風の通り道では触角の片側だけが冷える。
人間だったころなら、こんな違いには気づかなかった。
いや、気づく必要もなかった。
靴の底は土を遠ざけ、服は風を薄める。目で見える標識を頼りに歩けばよかった。
今の俺には靴も地図もない。
その代わり、六本の脚全部で地面を聞ける。
触角の左右で、空気の温度を比べられる。
気持ち悪いと思っていた長い触角が、今は世界の形を教えてくれる。
「……こっちだ」
俺は冷たい風へ向きを変えた。
二号の音が同じ方向から返る。
チュウタの匂い印もある。
三つの感覚が、一本の道へ重なった。
草の壁を抜ける。
そこだけ、空が丸く見えた。
倒れた大きな葉が日陰を作り、その縁へ朝露が集まっている。水滴の跡に沿って、小さな青い筋が何本も土から伸びていた。
「あった……!」
細長い葉。
銀色の産毛。
根元から、蜜を冷やしたような匂い。
月雫草だ。
「見つけたぞぉぉぉ!」
俺が叫ぶ。
仲間たちが集まり、歓声を上げた。
「依頼完了!」
「まだや!」
二号が食い気味に止める。
「根を傷つけず採らなあかん」
「分かってる。言わせてくれよ!」
月雫草は、人間の膝より少し低い。
俺たちには塔だ。
しかも根は一本ではない。地表近くへ細い根を何十本も広げ、周囲の草の根と絡み合っている。
チュウタが前脚で土を掻く。
「これは掘れる。でも全部の根を残すなら、周りの土ごと持ち上げるしかない」
「どのくらいの重さだ?」
ジロが根の広がりを測る。
『ネズミ四匹でも、坂道は無理』
「見つけたのに持てない!」
金貨の悪夢が蘇る。
この世界、俺たちへ重さで嫌がらせしすぎでは?
しかも、のんびり考える時間はなかった。
葉の裏から、かり、かり、かり、と硬い音がした。
触角へ、酸っぱい体液の匂い。
「何かいる!」
銀色の産毛の間から、黒い顎が現れた。
根喰い幼虫。
人間の指ほどもある乳白色の虫が、月雫草の茎へ噛みついている。さらに土の中から二匹、三匹。根を食い始めた。
「依頼品を食うなぁぁぁ!」
俺は一匹の背へ飛び乗った。
顎が茎へ食い込む寸前、触角の根元へ雷を流す。
ぱちんっ!
幼虫が身体を反らした。
だが倒れない。柔らかい身体が電気を逃がし、怒って俺へ向く。
「大将、格好よく飛び込んだけど効いてへんで!」
「見れば分かる! 今それを言うな!」
根喰い幼虫が顎を開く。
でかい。
俺の全身を挟める。
さっきまで薬草を見つけた英雄気分だったのに、一秒で餌の気分になった。
「ルビー!」
「もうやってる!」
横から風が叩きつける。幼虫の柔らかい身体が産毛へ押し込まれ、銀色の槍へ絡まった。
ガーロ隊が左右から入り、顎へ布紐を巻く。
チュウタが根元の土を盛り上げ、二匹目を転がす。
二号の高い音が、幼虫の腹を震わせた。
「この虫、低いところへ潜る!」
ジロが動きを読む。
なら、潜らせればいい。
「チュウタ、月雫草の外側へ穴を三つ! 中には繋げるな!」
「根を守りながらか!? 細かい!」
「砂糖二粒!」
「やる!」
安い相棒だ。
三つの穴が開く。
二号が高い音で幼虫を追い、ガーロ隊が布で進路を塞ぎ、ルビーが上から風を落とす。幼虫たちは音と風を嫌い、低い穴へ次々潜った。
「今だ!」
チュウタ隊が土を戻し、穴の入口だけを固める。
殺してはいない。根の届かないところへ移しただけだ。
「食いたいだけなら、別の根を食え!」
俺が穴へ叫ぶ。
「大将、虫に説教しても伝わらんで」
「分かってる! 気分だ!」
これで月雫草を掘れる。
問題は重さだ。
俺は倒れた大葉を見た。
朝露を受けていた、幅の広い葉。表面は水を弾き、裏には太い葉脈が走っている。
「持ち上げるんじゃない」
俺は葉を指した。
「草原そのものに運ばせる」
まずチュウタ隊が月雫草の周囲を円く掘る。根の先へ触れたら止まり、俺たちゴキブリ隊が隙間へ入り、細根一本ずつの向きを確認する。絡んだ別の草の根だけを、ガーロが鎌脚の刃で切る。
根を切るたび、俺の腹がきゅっとした。
依頼品の根ではないと分かっていても怖い。
「右、違う草!」
「切るぞ!」
「待て、下に一本ある!」
「見えない!」
「俺には匂いが違う!」
ゴキブリの触角が、土の中で役に立つ。
一本ずつ確かめ、月雫草を土の塊ごと掘り出した。
大葉の上へ載せる。
買った布で土を包み、朝露を染み込ませる。ガーロが葉脈を鎌脚で整え、チュウタ隊が先端へ紐を結ぶ。
巨大な葉のそりだ。
「名づけて――」
「月雫草運搬一号」
俺が先に言った。
二号が固まる。
「大将が作戦名を……!」
「何その反応!?」
「成長したなぁ」
「上から言うな!」
ルビー隊が葉の下へ風を入れる。
ふわり。
葉の縁が浮いた。
重さが土から抜ける。
チュウタたちが紐を引く。
するする、とそりが草原を滑り始めた。
「動いた!」
「持ち上げずに運べたぞ!」
全員が歓声を上げる。
俺も走り出した。
今度こそ依頼完了――。
正面から風が吹いた。
大葉がばさりと開く。
「あ」
そりが宙へ浮いた。
「飛んだぁぁぁ!」
月雫草を載せた大葉が、俺たちの頭上を滑空する。
紐を持っていたチュウタまで引きずられ、尻尾をなびかせて飛んだ。
「俺、飛べる!」
「喜んでる場合か!」
ルビーが追う。
「風を抜く! 全員、紐へ重し!」
俺たちは紐へ飛びついた。
ガーロ、二号、バグ、トト。先生の荷車まで結ぶ。
「私は重石ではない!」
「今だけは最高の重石だ、先生!」
「褒められていない!」
ルビーの風が横から入り、大葉の傾きを戻す。
ゆっくり。
ゆっくり。
そりが土へ降りた。
土の塊は崩れていない。
葉も折れていない。
根も無傷だ。
俺たちはその場へ倒れ込んだ。
「……採取依頼で空を飛ぶとは思わなかった」
「冒険者っぽかったな!」
チュウタが目を輝かせる。
「お前はぶら下がってただけだ!」
「景色はよかった!」
「俺も見たかった」
「大将、そこなん?」
二号が笑う。
帰り道は、ガーロが残した傷印と、二号の音の反射、ルビーの上空確認をつないだ。もう迷わなかった。
日が傾く前に、俺たちはベルガへ戻った。
ギルドの受付台へ、根を包んだ月雫草が置かれる。
受付嬢と薬師が、葉、根、土の湿りを確かめた。
「根の傷、なし。乾燥、なし。葉の欠損、なし」
薬師が頷く。
「これなら植え直せる。採取成功だ」
胸の奥から、熱いものが一気に上がった。
「よっしゃあああ!」
俺たちは受付台の上で跳ねた。
大声を出し、旗を振り、先生の荷車を持ち上げる。
「なぜ私を胴上げする!」
「軽いから!」
「理由が最低です!」
ギルドの冒険者たちも笑い、杯を掲げてくれた。
大型魔物の討伐とは違う。
世界を救ったわけでもない。
それでも、依頼された一本を、約束どおり持って帰った。
初めて、自分たちの名で仕事を終えた。
冒険者になった実感が、銅板をもらったときより強く胸へ残った。
「報酬と納品の手続きは――」
受付嬢が言いかけたところで、ギルドの扉が勢いよく開いた。
ばんっ!
粉まみれの男が転がり込んでくる。
「助けてくれ! 東穀物庫が食われてる!」
「魔物か?」
ブラムが奥から出てくる。
「殻虫だ! 袋の中にも床下にも、何百匹いるか分からねえ! このままじゃ冬越しの麦まで全滅する!」
穀物。
袋の中。
床下。
俺たちは顔を見合わせた。
そこなら、人間より俺たちの仕事場だ。
俺は月雫草の依頼札へ完了印が押されるのを見届け、新しい札へ前脚を置いた。
「休むんやないん?」
二号が聞く。
「穀物が全部食われたら、報酬をもらっても飯がない」
「せやな」
「それに」
俺は粉まみれの男を見る。
「今度は、探す相手が歩くと最初から分かってる」
クロニア遊撃隊、二件目の依頼。
今度の敵は、穀物の山へ化けていた。




