クロニア遊撃隊、誕生
「人間が一人、本当に潰されかけている!」
俺が叫ぶと、見物人の笑いが消えた。
倒壊訓練家屋の二階は、白い蒸気に包まれていた。
ぼきっ、みしみしみし……。
太い柱が軋み、傾いた床から細かな木屑が降る。人間なら埃と呼ぶ量だ。俺たちには木片の雨だった。
「試験中止! 全員退避!」
試験官が叫ぶ。
退避?
柱の下には、人がいる。
「大将!」
ガーロが俺の前へ出た。
「勝手に飛び込むな。役目を言え」
昨日の約束を覚えている。
くそっ。格好よく一匹で突っ込むところだった。
でも今は、それでは遅い。
「二号、音で全員を三班へ! ルビーは上から被害を見ろ! チュウタは地面の沈みを調べろ! ガーロは入口を守って、戻る者を数えろ!」
「大将は?」
「中へ行く!」
「やっぱり行くんかい!」
「人間の息が止まる前に、隙間を見つける!」
今度は誰も止めなかった。
二号が腹を床へつけ、短く鋭い音を走らせる。
カカッ、カカッ、カァン!
二十八名の脚へ、振動の命令が届いた。
救助班は二回。偵察班は三回。掘削班は低い一回。
人間の怒鳴り声が飛び交う中で、俺たちだけは迷わず動き始めた。
「おい、虫どもを止めろ!」
試験官の一人が靴を踏み出す。
「踏むな!」
ブラムの声が訓練場を揺らした。
「人間は外から梁を支えろ! 中の状況は、あいつらに任せる!」
その一言で、道が開いた。
俺は壊れた壁の隙間へ飛び込む。
熱い。
白い蒸気が触角へまとわりつき、匂いを薄める。湿気が翅の隙間へ入り、背中が重くなる。床板は斜めに傾き、表面を水滴が流れていた。一滴が俺の横へ落ちる。
ばしゃんっ!
水の塊が弾け、横から殴られたような風圧が来た。
「ただの訓練場が、なんで災害迷宮になるんだよ!」
「大将、右!」
ガーロ隊の一匹、バグが叫ぶ。
倒れた棚の陰から、指が見えた。
巨大な五本の指。そのうち二本がわずかに動いている。
「ここだ!」
返事はうめき声だけだった。
新人冒険者の胴へ、折れた柱が斜めに乗っている。胸は潰れていない。だが右脚が床との間に挟まれ、動けない。柱をどけようと腕を伸ばすたび、二階全体がみしりと沈む。
「動くな!」
俺の声は届かない。
男がもう一度、柱を押す。
「動くなって!」
俺は指の上へ駆け上がり、爪の根元へ微弱な雷を落とした。
ぱちっ。
「痛っ!」
男の腕が止まる。
「何かいる……?」
俺はもう一度、二回だけ叩く。
安全の合図。
伝わらなくてもいい。動きを止めてくれればいい。
触角を床へつける。
柱の重さは一本だけではない。上の梁と繋がり、外側の壁へ力が逃げている。人間が正面から持ち上げれば、梁が回転して二階が落ちる。
下から支える場所が必要だ。
チュウタの掘削班が床下から顔を出した。
「大将! 土台の下、右は空洞だ! 左なら掘れる!」
「左から柱の真下へ穴を通せ! ただし床を抜くな!」
「注文が細かい!」
「人命救助だ、我慢しろ!」
「終わったら砂糖二粒!」
「今、値上げ交渉するな!」
チュウタたちは消えた。
上からルビーの声が届く。
「屋根、あと三分くらい! たぶん!」
「たぶんをつけるな!」
「私は建築屋じゃない!」
「知ってる!」
二号の歌が外へ状況を伝える。言葉をそのまま届けるのではなく、長い音は危険、短い連打は持ち上げ、低い震動は停止。村の炉で使った通信方法だ。
外から、どすん、と同時に足が踏み込まれる。
ブラムたちが外壁を支えた。
床の揺れが少し弱くなる。
「支えが来た! ピコ、何か柱の下へ入れられる物は?」
「買った鉄線!」
「線でどうする!」
「巻けば柱!」
「作る時間が――」
「もう作った!」
ピコとゴキブリ隊が、細い鉄線を何十重にも巻いた束を運んできた。昨日買ったばかりの線材だ。人間なら指で曲げられる太さでも、何十本も束ねれば俺たちには頑丈な支柱になる。
「一度目は爆発しなかったのか?」
「鉄線は爆発しない!」
「お前が触ると不安なんだよ!」
鉄線束を柱の下へ入れるには、数ミリの隙間が足りない。
数ミリ。
人間には誤差。
俺たちには、越えられない壁だ。
悔しくて、脚が床を掻いた。
ここまで来て。場所も分かった。支えも作った。外には力のある人間がいる。それなのに、ほんの少し高さが足りない。
身体が小さいことは、いつも武器になるわけじゃない。
俺の五センチでは、柱を一ミリも持ち上げられない。
「大将」
ガーロが柱の継ぎ目を見ていた。
「昨日の鎌脚を使う」
「切ったら崩れるぞ」
「切らない。薄い先だけを差し込み、くさびにする」
白炎殻獣から一本だけ残した鎌脚。
ガーロが調理用の刃に加工した、あの脚だ。
薄く、硬く、熱にも強い。
「包丁を持ってきたのか?」
「旅先で腹が減ると思って」
「目的は間違ってるが、最高だ!」
ガーロが鎌脚の刃を隙間へ滑らせる。ゴキブリ隊が背を並べ、その下へ入った。チュウタの穴が柱の真下へ届く。
「外へ合図! 一度だけ持ち上げろ!」
二号が音を放つ。
カァン!
外でブラムが叫ぶ。
「今だ、上げろ!」
人間たちが梁へ肩を入れた。
ぎぎぎぎぎっ!
木が悲鳴を上げ、柱がほんの少し浮く。
ガーロ隊が鎌脚を押す。
チュウタ隊が下から土を盛る。
俺たちが鉄線束を滑り込ませる。
「入った!」
「下ろせ!」
柱が鉄線束へ乗る。
ずしんっ!
床を走った震動で、俺たち全員が跳ねた。だが支えは潰れない。柱の下に、人間の脚を抜く隙間ができた。
「引けぇぇぇ!」
外から伸びた縄が新人冒険者の胴へ巻かれる。
男の身体が、ゆっくり柱の下から抜けた。
最後の靴が隙間を越えた直後、鉄線束がぐにゃりと曲がる。
「全員、退避!」
二号の音が連続する。
俺たちは来た道へ走った。
ガーロが後ろから一匹ずつ名前を呼ぶ。
「バグ! トト! ピノ! 二号! ピコ!」
「おるで!」
「いる!」
「俺も!」
チュウタ隊が床下から飛び出す。ルビー隊が窓を抜ける。最後に俺とガーロが壁の隙間を越えた。
その瞬間。
バキバキバキッ――ズガァンッ!
二階の床が落ちた。
板と丸太が噛み合い、白い蒸気と木屑が窓から噴き出す。地面を伝う衝撃が腹を持ち上げ、俺たちはまとめて土の上へ転がった。
「点呼!」
ジロが木札を叩く。
二号の音が一度、二度。
各班が返す。
ガーロが最後の名を呼んだ。
「二十八名、全員帰還!」
訓練場が静まり返った。
やがて、救出された新人冒険者が担架の上から手を上げた。
「助かった……あの、小さい連中に、助けられた!」
歓声が爆発した。
「やりやがった!」
「柱の下へ入ったぞ!」
「あの歌、合図だったのか!」
さっきまで笑っていた冒険者たちが、今度は拳を上げている。
俺の六本の脚から力が抜けた。
怖かった。
間に合わないかと思った。
身体が小さすぎることが、死ぬほど悔しかった。
でも、一匹の小ささを、二十八名の得意と人間の力で埋めた。
助かった。
全員、帰ってきた。
「大将」
ガーロが俺の背を叩く。
「泣くならあとにしろ。試験が残っている」
「これで合格じゃないのか!?」
ブラムが腕を組んでいた。
「本物の救助は文句なしだ。事故の原因は、蒸気管の留め具が腐っていたこと。ピコのせいじゃねえ」
「ほら!」
ピコが胸を張る。
「お前の場合、疑われる理由がある」
「ひどい!」
「だが試験は三つと言った」
ブラムが二枚目の木札を上げる。
「次は偵察だ」
鬼か、この男。
休憩に、せめて水一滴くらい寄越してほしい。
第二試験は、訓練場の障害物に隠された五枚の赤札を見つけ、配置を地図へ記すことだった。
制限時間は十五分。
ただし札には触れてはいけない。罠の位置も記録する。
「偵察だけなら楽勝や!」
二号が先頭へ出る。
「作戦名は『赤札丸見え大作戦』!」
「隠れてるから試験なんだよ!」
鐘が鳴る。
ルビー隊は上空へ。俺たちは壁と障害物の裏へ。チュウタ隊は地面の振動を読む。
赤札は、人間の目線で隠されていた。
木箱の上。
丸太の裏。
網の向こう。
だが俺たちは、下から見る。隙間から見る。天井側から見る。
一枚目は三十秒。
二枚目は一分。
三枚目は砂場の罠の奥。砂の下に板があり、踏むと網が上から落ちる。チュウタが土の密度の違いを嗅ぎ分けた。
四枚目は水路の橋の下。ルビーが水面へ風を当て、揺れる赤い反射を見つけた。
五枚目だけがない。
「残り三分」
試験官が告げる。
俺の触角へ、わずかな墨の匂いが届いた。
赤札の塗料ではない。
新しい黒墨だ。
匂いを追うと、訓練場の地図を持つ試験官へ辿り着いた。
「まさか」
俺はその靴を登る。
「うわっ、何だ!?」
腰の革袋。その裏側に、赤札が貼ってあった。
動く目標。
人間は場所だと思い込む。俺たちは匂いで物を追う。
「五枚目、発見!」
オルドが俺の指した場所を叫んだ。
見物人がどよめく。
さらに二号が、五枚の位置だけでなく、試験官三名の歩いた経路まで音で地図へ刻んでいた。ジロが距離を補い、ルビーが上から形を直す。
完成した地図には、赤札、罠、逃げ道、死角、足跡まで描かれていた。
「……合格」
試験官が悔しそうに言った。
「もっと嬉しそうに言え!」
第三試験は素材回収。
浅い泥場の中央に、青い卵が一つ置かれた。薬の材料になる魔鳥の殻を模した物で、割らず、汚さず、外へ運べば成功だ。
俺たちには樽ほど大きい。
泥は腹の高さまである。入れば気門が塞がる。
しかも泥の下には、動く縄が仕込まれていた。近づく者の脚へ絡む模擬触手だ。
「最後くらい簡単にしてくれ!」
「依頼先は簡単にしてくれねえぞ」
ブラムが笑う。
腹立つ。正しい。もっと腹立つ。
俺たちは買った布を細く裂き、泥の上へ敷いた。ルビーが風を送り、布を水面へ張る。ゴキブリ隊が薄い身体で布の上を走り、動く縄の位置へ一日塩を少しずつ落とす。
塩を吸った縄の表面が滑りを失い、泥の中で動きが鈍る。
「買い物が試験装備になったぞ!」
「砂糖も使う?」
「使わない!」
卵へ到着。
だが持ち上がらない。
予想通りだ。
「持ち上げる必要はない。浮かせるぞ!」
チュウタ隊が泥場の縁から細い水路を掘る。ルビーが風を逆へ送り、泥の表面を卵の下へ集める。ガーロ隊が布を卵へ巻き、二号の音で同時に引く。
卵が、ごぽっ、と泥から浮いた。
その下へ、ピコが薄い金属板を滑り込ませる。
「運搬そり、完成!」
「爆発は!?」
「しない!」
ネズミ隊が岸から紐を引く。
卵を載せた金属板が、するすると布の道を滑った。
動く縄が最後に一本、布へ絡む。
ガーロが鎌脚で縄の結び目だけを断った。
卵が泥場を越え、乾いた土へ乗る。
割れていない。
汚れていない。
鐘が鳴った。
カァァン!
「第三試験、合格!」
俺たちは卵の周りへ集まった。
二十八名。
一匹も欠けていない。
今度は点呼の前に、匂いと足音で分かった。
「全員帰還!」
俺が叫ぶ。
見物人たちが、また歓声を上げた。
ブラムが訓練場へ降りてくる。その手には、一枚の大きな銅板があった。
「救助、偵察、素材回収。三試験、全て合格。事故でも命令は崩れず、予定外の事態へ役割を組み直し、他種族と人間の力まで使った」
俺たちの前へ膝をつく。
「冒険者ギルド・ベルガ支部長ブラムの名で、特例冒険者部隊として登録する」
銅板へ刻まれた文字を、先生が読む。
「登録名――クロニア遊撃隊」
胸の奥で、何かが弾けた。
嬉しい。
叫びたい。
格好よく頷きたい。
俺は赤い外套をなびかせ、一歩前へ出た。
外套の端が銅板へ引っかかった。
「うわっ!」
後ろへ転ぶ。
訓練場に笑いが広がった。
「大将、誕生の瞬間にこけた!」
「今のは風だ!」
「風、ないで」
「うるさい!」
「儀式の一部にしとこ。『クロニア式・転倒の礼』」
「今考えただろ!」
綺麗に決められない。
でも、その笑いの中で、ブラムは銅板の端へ小さな穴を開けた。そこへ青い糸を通し、俺たちの旗へ結ぶ。
人間用の冒険者証は持てない。
だから、みんなで運ぶ旗を証にする。
同じに見えるから一つではない。
一匹ずつ違う俺たちが、一緒に帰るための一つだ。
「仮登録の特例E級だ」
ブラムが言う。
「依頼を三件、問題なく終えれば正式登録。報告、納品、分配までが仕事だ。勝手に魔物を倒して終わりじゃねえ」
俺は頷いた。
「最初の依頼は、もう用意してある」
受付嬢が、小さく切った依頼札を持ってきた。俺たちでも運べる大きさだ。
札には緑の葉が描かれている。
「北草原に生える月雫草を、根を傷つけず一本、採取すること。期限は明日の日没までです」
周囲の冒険者が笑った。
「薬草一本かよ!」
「大型魔物を倒した連中には地味だな!」
地味?
俺は依頼札の葉を見る。
人間の膝ほどまで伸びる草なら、俺たちには巨木だ。
根を傷つけず?
土の下に何がいるか分からない。
期限は一日。
持ち帰る途中で乾かしてもいけない。
これは、立派な冒険だ。
「薬草一本、全力で取りに行くぞ!」
「おう!」
「ついでに食べられる草も!」
「依頼品を食うなよ!」
ギルドの旗の下に、俺たちの小さな旗が並んだ。
クロニア遊撃隊。
その最初の依頼は、世界を救うことでも、大型魔物を倒すことでもない。
たった一本の薬草を、折らずに持ち帰ることだった。
――そして俺たちは翌朝、出発から五分で、目的の薬草を見失った。




