冒険者登録試験、受けてみた
「名前を記入してください」
受付嬢はそう言って、俺たちの前へ紙を置いた。
紙。
ただの紙だ。
人間にとっては。
俺の前には、白い壁が広がっていた。端から端まで走ったら、それだけで準備運動が終わる。記入欄の一本線は俺の身体より長く、羽根筆は倒れた木だった。
「よし、帰ろう」
「大将、早い!」
「無理だろ! 名前を書く前に日が暮れるわ!」
冒険者登録試験は、開始三秒で詰んだ。
場所は交易都市ベルガの冒険者ギルド。
俺たちは早朝、ブラムの荷馬車へ乗ってラナ村を出た。初めて見るベルガは、とにかく何もかもが大きかった。
城壁は山。
門は空まで届く洞窟。
石畳の溝は谷で、荷馬車の車輪が一つ跳ねるたび、俺たちは木箱の中で天井まで浮いた。
「おえっ……」
「チュウタ、吐くなら外を向け!」
「尻尾が勝手に回る……」
「身体のせいにするな!」
俺も酔っていた。
ゴキブリは速く走れる。壁も登れる。だが、自分で動かず箱ごと揺さぶられるのには弱いらしい。腹の気門へ木と馬と油の匂いが入り、六本の脚へ前後左右の震動がばらばらに届く。自分の身体がどちらを向いているのか分からなくなる。
この世界へ来て、馬車酔いするゴキブリになるとは思わなかった。
転生特典、もっと選ばせてほしかった。
しかも、街へ連れてきたのは百匹ではない。
クロ、ガーロ、二号、ルビー、チュウタ、ジロ、ピコ、スケルトン先生。それからゴキブリ隊十二匹、ネズミ運搬隊四匹、レッドローチ偵察隊四匹。合計二十八名。
これでも絞った。
昨夜の選抜会議では、全員が「自分こそ冒険者向きだ」と主張した。
「俺は足が速い!」
「私は天井で眠れる!」
「毒茸を食べても腹を壊さなかった!」
「それは試験に関係あるのか!?」
「腹が強い!」
「冒険者より先に医療所へ登録しろ!」
最後は、行きたい者から選ぶのではなく、偵察、戦闘、掘削、運搬、記録、治療、魔道具の役割ごとに選んだ。残った者たちは不満そうだったが、街へ一度に押しかけないためだ。
なのに、受付嬢の前では二十八名どころか、一匹目の俺で止まっている。
「筆を持てないんですか?」
受付嬢が尋ねた。
俺は羽根筆へ近づいた。
太い軸へ六本の脚をかける。
「ぬっ……!」
持ち上がらない。
「全員で!」
ガーロたちが加わる。
二十八名で押す。
羽根筆が、ずずず、と紙の上を動いた。
墨の黒い線が引かれる。
受付嬢が目を見開いた。
「書けてます!」
「名前ではない」
先生が冷静に言った。
紙には、端から端まで太い一本線が伸びていた。
その途中で二号が転び、線がぐにゃりと曲がっている。
「これをクロと読めばええんちゃう?」
「どの文字だよ!」
「新しい古代文字ですかな」
「先生まで乗るな!」
受付嬢は笑っていいのか迷っている。
周りには人間の冒険者が集まっていた。
最初は俺たちを見るなり椅子の上へ避難した者もいる。剣を抜きかけた者もいた。だがブラムが「今日の受験者だ」と言うと、今度は見世物を見るように酒杯を持って寄ってきた。
「あれが村を救ったっていう虫か?」
「まさか。勇者様の手柄を盛ったんだろ」
「ネズミもいるぞ」
「骨まで喋ってる」
「誰が骨だ! 私は教師だ!」
「骨の教師って怖くないか?」
「怖くない! むしろ授業態度には厳しいぞ!」
「なんの自慢だ!」
先生が受付台の上で跳ねた。頭蓋骨だけなので、こつん、と可愛い音しか出ない。
「大将、先生が置物と思われてる」
「いつものことだ」
「慣れたくない!」
そのとき、受付台の向こうからブラムが現れた。
「何を遊んでやがる」
「遊んでません!」
受付嬢が紙を持ち上げる。
「通常の登録用紙では、お名前を書いていただけません。そもそも人数分を作ると、従魔登録なのか、魔物登録なのか、冒険者登録なのか……規則が何も想定していません」
「規則に虫の欄がないのか」
「普通はありません!」
そりゃそうだ。
普通のギルド規則に「知性あるゴキブリが二十八匹で来た場合」なんて書いてあったら、作った奴の正気を疑う。
「では口頭で登録を」
オルドが提案した。
今回も俺たちと一緒に来てくれている。人間の言葉が伝わらない場面の仲介役だ。
「個体識別はどうします?」
受付嬢が俺たちを見る。
「黒い方が二十匹以上います。申し訳ありませんが、その……私には見分けが」
ゴキブリ隊の触角が、一斉に止まった。
俺の腹の内側が、ちくりとした。
悪意がないのは分かる。
人間には同じに見えるのだろう。
でも、俺には違う。
ガーロの右翅には三本の傷がある。二号は左の触角が少し外へ曲がる。ピノは歩くとき、三歩に一度だけ後ろを確かめる。バグは緊張すると前脚で口元を擦る。トトは湿った石を好み、乾いた道では歩幅が狭い。
同じ黒い殻でも、誰一匹として同じではない。
「大将」
ガーロが俺の横へ立つ。
「怒るな。向こうは知らないだけだ」
「分かってる」
分かっているから、余計に悔しい。
俺たちは名前を得た。
食卓に席を得た。
働きと好物と、待っている者を持っている。
それを説明できないまま、「黒い虫たち」で一つにまとめられるのは嫌だった。
触角の先が、受付台を何度も叩く。
かつ、かつ、かつ。
「なあ、大将」
二号が俺の横へ来た。
「一匹ずつ登録したら、一匹ずつ仕事を受けるんか?」
「え?」
「俺、字ぃ読めへんで」
「威張るな」
「ガーロは値段交渉したら小刀を買う。チュウタは依頼書を食う」
「食わない!」
「紙の端なら少し」
「食うのかよ!」
二号は笑った。
「せやから、一匹ずつ違う。でも仕事するときは、みんなで一つやろ?」
俺の触角が止まる。
違う命だ。
違う得意がある。
だから、一つの隊で動く。
同じだからまとめるのではない。
違うから組むのだ。
俺は煤板を引き寄せた。
二十八個の丸を描く。一つずつ、傷や耳や翅の印を変える。その全てを大きな輪で囲み、中央へクロニアの旗印を描く。
「軍団全体を一組として登録してほしい、と」
オルドが読み取る。
受付嬢は困った顔をした。
「団体登録は、商会や傭兵団ならあります。ですが冒険者は原則、個人か、登録済みの個人で組む固定パーティーです」
「原則は、例外を作るためにある」
ブラムが言った。
「ギルド長。普通は逆です」
「俺が責任を持つ。仮登録名は――」
「漆黒無限疾走団!」
二号が叫んだ。
「勝手に決めるな!」
「塩山守護会!」
チュウタが続く。
「冒険者っぽくない!」
「地下最強カサカサ軍!」
「嫌われに行ってどうする!」
ガーロが胸を張る。
「大将親衛隊」
「俺を真ん中にするな!」
「羽根筆で虫を斬る団」
「意味わからん上に武器がでかすぎる!」
受付台の周囲が笑いに包まれる。
さっき俺たちを疑っていた冒険者まで、酒を吹き出した。
「ずいぶん賑やかな軍団だな」
ブラムが髭を撫でる。
「町の名はクロニアだったな。仕事は小回りの利く偵察、救助、回収が中心になる。なら『クロニア遊撃隊』でどうだ」
俺は仲間たちを見る。
ガーロが頷く。
ルビーは「悪くない」と翅を鳴らす。
二号は少し不満そうだ。
「漆黒無限疾走団より短い」
「それが長すぎるんだよ!」
クロニア遊撃隊。
俺たちの町から来た、素早く動く隊。
いい名前だ。
「仮登録名は決まった」
ブラムが受付台へ両手をつく。
「だが、登録はまだだ。大型魔物を倒した実績は認める。それでも、ギルドの依頼を任せられるかは別に見る」
空気が引き締まった。
「冒険者登録試験を行う」
周囲の冒険者たちがざわめく。
通常の登録試験は、武器の扱い、魔力測定、読み書き、模擬戦らしい。
武器。
俺たちの武器は、人間用の測定台に届かない。
魔力。
測定石は先生の頭より大きい。
読み書き。
さっき紙へ一本線を引いて終わった。
模擬戦。
人間と戦ったら、勝敗以前に踏まれて終わる。
「全部、無理じゃないですか?」
受付嬢が正直に言った。
「だから、別の試験を作る」
ブラムは三枚の木札を出した。
一枚目には、人の手。
二枚目には、目。
三枚目には、袋。
「救助、偵察、素材回収。この三つだ」
俺たちの触角が上がる。
「全部、人間の訓練場でやる。ただし人間向けの障害をそのまま使う。誰が何をするか、何匹出るか、どう命令を伝えるかは自由」
「戦闘試験は?」
ガーロが不満そうに聞く。
オルドが訳すと、ブラムは笑った。
「三つをやれば、戦えるかどうかも分かる。試験官は俺と、現役冒険者三名。合格条件は、速さだけじゃねえ」
ブラムの太い指が、俺たちを一匹ずつ示した。
「命令が届くこと。途中で問題が起きても立て直せること。そして――全員で帰ってくること」
最後の言葉が、腹へ響いた。
いい試験だ。
俺たちが一番大事にしてきたことを、ちゃんと見ようとしている。
だが、ブラムは続けた。
「一匹でも訓練場へ置いてくれば、不合格だ」
簡単ではない。
二十八名。
人間の巨大な訓練場。
互いの声が届かない距離へ分かれれば、数えるだけでも難しい。
「大将」
ジロが板を見せた。
『通常の点呼では、全員確認に十二分』
「遅いな」
『その間に三名が勝手に動く』
チュウタと二号とピコが目を逸らした。
「名指しされてないのに分かる!」
「日頃の行いですな」
先生が言った。
俺たちはギルド裏の訓練場へ案内された。
広い。
人間には、四角い土の広場だ。
俺たちには、地平線のある荒野だった。
木製の壁、縄網、砂場、丸太、石の山、浅い水路。人間の新人が走り、登り、戦うための設備が並んでいる。靴跡の窪みだけで、俺たちが隠れられる。砂粒は拳大。干からびた草一本が倒木だ。
訓練場の周りには見物人が集まっていた。
「虫が試験を受けるって?」
「途中で逃げるだろ」
「ネズミに助けてもらうだけじゃないのか」
悔しい。
今すぐ見返したい。
触角が前へ突き出る。脚が土を掻く。俺の中の調子に乗りたがる部分が、「最初から全力で圧倒しろ」と騒いでいる。
だが、俺一匹が速さを見せても意味はない。
試されるのは、俺たちだ。
「作戦会議だ」
全員を木片の陰へ集める。
「合図は二号の音。先頭はルビー隊、足元の道は俺たち。重量物はチュウタ隊。ガーロは全体の戻りを確認。ジロは人数を数えろ」
「大将は?」
「全体を見る」
「一番危ないところへ勝手に行く、の間違いやろ?」
二号が言った。
「行かない!」
「昨日、塩雪崩へ一番に飛び込んだ」
「あれはチュウタがいたからだ!」
「今日も誰かいたら飛び込む?」
「…………」
「ほらな」
全員の視線が痛い。
俺は咳払いした。
「俺が飛び出したら、ガーロが止めろ」
「承知」
「二号が勝手に作戦名を変えたら?」
「止める」
「チュウタが途中で食べ物を見つけたら?」
「止める」
「ピコの道具が爆発したら?」
「逃げる」
「そこは直せよ!」
ピコが怒った。
少し緊張がほどけた。
俺は全員の匂いを確かめる。ガーロの古い傷に残る苦い匂い。二号の乾いた煤。ルビーの翅に染みた外気。チュウタの毛についた砂糖。ピコの金属油。
一匹ずつ違う。
全員いる。
「行くぞ、クロニア」
「まだ仮やで」
「今だけ黙って格好つけさせろ!」
第一試験は救助。
ブラムが訓練場中央の大きな建物を指した。
丸太と板で組まれた、倒壊家屋の訓練設備だ。二階の窓には藁人形が一体。内部には煙代わりの白い蒸気が流される。
「制限時間は十分。中の人形を外へ出せ」
人間の冒険者なら、扉を蹴破り、二階まで走って担ぐだろう。
俺たちには人形の腕一本すら動かせない。
見物人が笑った。
「無理だろ。あの虫らより人形の藁一本のほうが重いぞ」
その通りだ。
腹が立つが、正しい。
正しいからこそ、ひっくり返したとき気持ちいい。
鐘が鳴る。
カァン!
金属の響きが地面へ落ち、六本の脚を一斉に揺らした。
「開始!」
ルビー隊が飛ぶ。
俺たちは壁へ走る。
チュウタ隊は地面へ潜る。
二号の音が、ばらばらの二十八名を一本の作戦へ束ねる。
そして開始から十秒後。
訓練家屋の中で、予定にない爆発が起きた。
ボンッ!
窓から白煙が噴き出し、二階の床が本当に傾いた。
「ピコぉぉぉ!」
「まだ何も触ってない!」
では、何が爆発した。
答えを考える前に、建物の奥から人間の悲鳴が聞こえた。
「た、助けてくれ! 本当に挟まれた!」
試験用の人形ではない。
見物していた新人冒険者が一人、倒れた柱の下敷きになっていた。
模擬救助は、開始十秒で本物の救助へ変わった。




